昨日は伝えたい事が何も書いてなかったのです。寝とぼけというよりアホでした。
食堂の再起を不況だからこそ今するほうがいいという意味だったのですが、社会は、物と金と人とが循環してこそいい社会になるのではなかろうかという事を言いたかったわけです。当然、人というところは義理人情が付いて回るのは当たり前ですが。
食堂はその一例です。
生産した農産物を食事の材料として食堂へ提供して、食堂で提供された材料で作った食事を食べた人が代金を払い、食堂はそこから料理の材料代を払い、農家はそれで生活をして新たに生産をする。単純にこれだけですが、これを進めるのは人であるという事を念頭に置かなけりゃ、唯、金の流れだけが強調されてしまって味気無い銭ゲバ主義のようなものです。この単純な流れが、どうしてこうも不況で首切り等が起こるのでしょうかね?
生身の体も同じではなかろうかと思うのです。血液などが順調に流れていれば健康に生活できるのに、一旦どこかで流れが滞ると不健康ならまだしも命に関わる事も起こるのですね。
今の社会もそれと同じで、利益を溜めて流さないから、あるいは独占してしまってイケズをするから流れが悪くなるのでしょうかね。難しいことはわからないのですが、どこでも「俺だけ得をするからお前たちは損をこいてればええんじゃ!」というのがいると何もうまくいかないですよね。今の感じは、人は単に機械と同じ労働力で一人壊れりゃいくらでも替えがある!」「金はたくさん握ったものが勝ちじゃ!」「物は金を稼ぐ材料(商品)じゃ!」というようなもので、そこへ複雑なシステムを作ってなおわかりにくくなる、という悪循環ではないのでしょうかね。
私のような貧乏アホにはそう見えてしかたが無いのですが。
都会の大きなビルの中には私など足元にも寄れない頭のいい人が一杯いて、難しい事を考えているのでしょうね。
何だかの雑誌に、「イラク戦争はどこかの偉いさんがあそこにある油を採りたいから戦争をした」というようなことが書いてありました(かなり古い雑誌を拾って読みました)。もし本当ならとんでもないことです。鬼とか悪魔などというような悪ではないですね。首切りで職を無くすなどという程度ではないです。というあたりで、大東亜戦争を思い出します。あれも私の父親などには一体なんだったのでしょうかね。1銭5厘の赤紙で兵隊のとられて、逃げ回って命からがら帰ったら、親は生きていても生きるか死ぬかの状態だったと親父殿に聞きました。
何もかも平和にきれいに循環するように社会の仕組みを単純にしていけばいいと思うのですが、やはりアホの考えでしょうか?
今日はなんだか疲れました。今読み返したら理路雑然として何を言っているのかわかりませんな!
お休みなさい。
食堂の再起を不況だからこそ今するほうがいいという意味だったのですが、社会は、物と金と人とが循環してこそいい社会になるのではなかろうかという事を言いたかったわけです。当然、人というところは義理人情が付いて回るのは当たり前ですが。
食堂はその一例です。
生産した農産物を食事の材料として食堂へ提供して、食堂で提供された材料で作った食事を食べた人が代金を払い、食堂はそこから料理の材料代を払い、農家はそれで生活をして新たに生産をする。単純にこれだけですが、これを進めるのは人であるという事を念頭に置かなけりゃ、唯、金の流れだけが強調されてしまって味気無い銭ゲバ主義のようなものです。この単純な流れが、どうしてこうも不況で首切り等が起こるのでしょうかね?
生身の体も同じではなかろうかと思うのです。血液などが順調に流れていれば健康に生活できるのに、一旦どこかで流れが滞ると不健康ならまだしも命に関わる事も起こるのですね。
今の社会もそれと同じで、利益を溜めて流さないから、あるいは独占してしまってイケズをするから流れが悪くなるのでしょうかね。難しいことはわからないのですが、どこでも「俺だけ得をするからお前たちは損をこいてればええんじゃ!」というのがいると何もうまくいかないですよね。今の感じは、人は単に機械と同じ労働力で一人壊れりゃいくらでも替えがある!」「金はたくさん握ったものが勝ちじゃ!」「物は金を稼ぐ材料(商品)じゃ!」というようなもので、そこへ複雑なシステムを作ってなおわかりにくくなる、という悪循環ではないのでしょうかね。
私のような貧乏アホにはそう見えてしかたが無いのですが。
都会の大きなビルの中には私など足元にも寄れない頭のいい人が一杯いて、難しい事を考えているのでしょうね。
何だかの雑誌に、「イラク戦争はどこかの偉いさんがあそこにある油を採りたいから戦争をした」というようなことが書いてありました(かなり古い雑誌を拾って読みました)。もし本当ならとんでもないことです。鬼とか悪魔などというような悪ではないですね。首切りで職を無くすなどという程度ではないです。というあたりで、大東亜戦争を思い出します。あれも私の父親などには一体なんだったのでしょうかね。1銭5厘の赤紙で兵隊のとられて、逃げ回って命からがら帰ったら、親は生きていても生きるか死ぬかの状態だったと親父殿に聞きました。
何もかも平和にきれいに循環するように社会の仕組みを単純にしていけばいいと思うのですが、やはりアホの考えでしょうか?
今日はなんだか疲れました。今読み返したら理路雑然として何を言っているのかわかりませんな!
お休みなさい。