HYAKUSHOU日記

毎日の作業と暮らしといろいろの出来事

循環2

2008-12-23 17:28:27 | Weblog
昨日は伝えたい事が何も書いてなかったのです。寝とぼけというよりアホでした。
食堂の再起を不況だからこそ今するほうがいいという意味だったのですが、社会は、物と金と人とが循環してこそいい社会になるのではなかろうかという事を言いたかったわけです。当然、人というところは義理人情が付いて回るのは当たり前ですが。
食堂はその一例です。
生産した農産物を食事の材料として食堂へ提供して、食堂で提供された材料で作った食事を食べた人が代金を払い、食堂はそこから料理の材料代を払い、農家はそれで生活をして新たに生産をする。単純にこれだけですが、これを進めるのは人であるという事を念頭に置かなけりゃ、唯、金の流れだけが強調されてしまって味気無い銭ゲバ主義のようなものです。この単純な流れが、どうしてこうも不況で首切り等が起こるのでしょうかね?
生身の体も同じではなかろうかと思うのです。血液などが順調に流れていれば健康に生活できるのに、一旦どこかで流れが滞ると不健康ならまだしも命に関わる事も起こるのですね。
今の社会もそれと同じで、利益を溜めて流さないから、あるいは独占してしまってイケズをするから流れが悪くなるのでしょうかね。難しいことはわからないのですが、どこでも「俺だけ得をするからお前たちは損をこいてればええんじゃ!」というのがいると何もうまくいかないですよね。今の感じは、人は単に機械と同じ労働力で一人壊れりゃいくらでも替えがある!」「金はたくさん握ったものが勝ちじゃ!」「物は金を稼ぐ材料(商品)じゃ!」というようなもので、そこへ複雑なシステムを作ってなおわかりにくくなる、という悪循環ではないのでしょうかね。
私のような貧乏アホにはそう見えてしかたが無いのですが。
都会の大きなビルの中には私など足元にも寄れない頭のいい人が一杯いて、難しい事を考えているのでしょうね。
何だかの雑誌に、「イラク戦争はどこかの偉いさんがあそこにある油を採りたいから戦争をした」というようなことが書いてありました(かなり古い雑誌を拾って読みました)。もし本当ならとんでもないことです。鬼とか悪魔などというような悪ではないですね。首切りで職を無くすなどという程度ではないです。というあたりで、大東亜戦争を思い出します。あれも私の父親などには一体なんだったのでしょうかね。1銭5厘の赤紙で兵隊のとられて、逃げ回って命からがら帰ったら、親は生きていても生きるか死ぬかの状態だったと親父殿に聞きました。
何もかも平和にきれいに循環するように社会の仕組みを単純にしていけばいいと思うのですが、やはりアホの考えでしょうか?
今日はなんだか疲れました。今読み返したら理路雑然として何を言っているのかわかりませんな!
お休みなさい。

循環

2008-12-22 18:50:07 | Weblog
最近、とあるレストランの事で相談を受けました。「相談を受ける方も受ける方だけど、相談をする方もする方だな。アホの私に相談するなよ。アホかいな。」と思うより、「アホの私に相談をしてもらってありがとう」という感じで聞きました。
アイデアは幾つか出てきたのでお伝えしましたが、この不景気はこんな事をはじめるにはいい時期かなと直感的に感じたのです。農業と外食を底辺の零細レストランから始めるにはいいかな?!という感じで。
家計の不調から『中国産など安心できないものは食べない』というのも忘れ、「安ければいいのだ」というところへ一般的には向いてしまうのだろうと思いますが、
こんな時こそ、『安心できるもので安心しておいしいものを安く食べられれば』それに越した事はないのでしょうね。で、今流行りの地産地消から地元野菜と地元も米と地元の畜産品でレストランが出来れば、面白いのではと思う次第です。それもたらふく食べて1千円以内なら尚いいでしょう。メニューはこれから考えるところですが、まあ粗方概ねのところはイメージしています。
農業というのは、おそらく、衣・食・住の根本でしょうね。これを粗末にすると今の日本のようになるのでしょう。が、まだまだ元気な部分は元気ですよ。日本の農業は。老骨でアホの私が頑張れるのだから。どちらかというと焼け糞気味のところも否定は出来ないですが。
と、落ちが着いたか着かないかわかりませんが、お休みなさい。

少しできるかな?

2008-12-20 19:34:49 | Weblog
今日は秋の味覚であるスドシの写真を入れました。前回も今回も偶然写真を入れられたというべきでしょう。
秋も書いたように、私にとってはマツタケが目の前にあるよりもこれのほうが好きなのです。今も冷凍庫には一回分のスドシを残してあります。お正月のご馳走用です。正月にこれをいただく前には、神棚へ二礼二拍一礼をし豊作と家内安全と一族健康を祈願します。
先月赤湯温泉へ行った時にスドシのオロシ和えがでました。「ウヒウヒ・・・これはなんといいものが!」と真っ先にいただきました。オロシ和えもなかなかのものでした。山形の有名な牛肉より嬉しかったのです。
ところで、最近百姓仕事が進んでいません。前日の計画した事のほとんどが突発的な出来事で崩壊してしまうのです。これは私の持ち前に怠け者(アマゾンのナマケモノさんにはごめんなさい)的性格にもよるのでしょうが。おそらく20日ぐらい遅れているでしょう。ごめんなさい!(私とムフフさんに謝ってます)。
これから賀状の宛名書きです。内職じゃないです。私が出す賀状です。今年の花はどんなものがあるのか探すのに苦労しました。届いた方はおそらく何だコリャ?という感じでしょう。
では では おやすみなさい。


練習がてらです

2008-12-16 20:19:08 | Weblog
お気に入りの写真が載せられたかな?テンナンショウかマムシグサかわかりませんが、おそらくマムシグサかと思います。あまりにきれいな赤だったので写真に撮ったら、お気に入りの一枚になりました。
今日は久々の野外アルバイト。のつもりが、街中のアルバイトでした。でも、川ベリでの作業で、川には40センチぐらいの鯉が10匹ほど泳いでおり小さな魚もいたのです。冷たいだろうけど川へ入って、鯉を捕まえ「洗い」にしてやろうかなと思ったのですが、深さを計ったら1mあまりあったのでやめました。もっとも川幅が10m近くあるので捕まらないでしょう。
それより、下水が垂れ流しで流れ込んでいて川のそこにヘドロが溜まっているので「この川の水で米を作ると肥料は少なくてすむだろうけど、うまい米にはならないなー」と思った次第。川底には名前は知らない(わからない)水草が生えていて、それがヘドロをかぶり「ヘドロのモールが川底でゆれている」という感じです。
この街はこれから下水施設を作るらしいのです。挙句の果てには、下水の暗渠へ入って作業をすることになり、この作業は私へのとどめの一発かという感じです(フニョーと言うほど臭かった)。
明日はアルバイト台が数千円入りそうで、久々にマトモなおかずが食べられるかな?と、期待です。
それでは、お休みなさい。

銭の卵が!

2008-12-13 19:32:27 | Weblog
今日は暖かかった。作業服がいらないほどの暖かさで仕事をするうえではありがたいが、草を見てゾッとしました。先日から何回も氷が張り大霜が降りたのに草は元気一杯青々としているのです。枯れ草刈につもりがただの草刈になってます。今の時期、ススキはほとんど枯れこんで広葉の越年草はロゼット状になっているはずなのに、ススキは葉が赤くなって根元は青々状態、広葉越年草はロゼット状態からまだ茎が伸びかけこれも青々です。セイタカアワダチソウにいたっては、青々と葉をつけて茎も瑞々しいのです。
これだけ温暖化が進んでいるのるのかと、かなり心配です。
これから雪や氷雨が降らないと春からの水不足がまた心配になるし、何より病気や害虫が越冬してしまってとんでもないことになるのではと思います。そのため年内には草焼をしてしまわなくては。
その中で、「銭の成る木」ならぬ「銭になる草」をたくさん見つけました。草丈10cmにもならない草ですが、青い葉を広げて精一杯頑張っていました。それが5mに1株づつぐらいあるのです。これはめっけです。ついつい二マーと笑みがこぼれました。
草焼の後、探してポットへ植えようと思います。全部採ると耐えてしまい再び顔を見られるまで10年以上かかるので、3割位採っていれば耐えることは無いでしょう。
これを小鉢へ2・3株植えると一風の盆栽になるのです。また中浅の鉢へ何株も植え石をあしらうといい盆景になるのです。
従って、苗でも売れるし作品にしても売れるという「銭になる草」なのです。漢方薬にもなり、実にいい草です。
春には個展を開こうと思い計画中なので、その材料にもなります。
その起案書を作らなきゃ。

温故知新?

2008-12-10 20:10:59 | Weblog
久々に漢字を並べてみました。笑うでない!
今日TVを見ていて、中学校時代か高等学校時代か忘れたけれども、「昔の不況時には農村が失業者などの受け入れをしていたから、まだ社会の緩衝能が高かった」というのを思い出しました。
農家の次男坊や三男坊は都会へ出て独立の道を歩くのだけれども、不況社会ではすぐ首切りで仕事や住まいがなくなるのですね。(今も昔も変わらんのよね)
その時には、田舎へ戻って農業の手伝いというか1労力として頑張り、また都会へ出て行くということでした。そのうち一銭五厘の赤紙が来て兵隊にとられるのですね。農業が社会の基盤となっているからこそそれが可能だったのでしょうね。
今、農家は10~15htの水田がないと採算が取れないとの事。そんな農家が怱怱有るわけ無かろうに。どこの農村でも農家はよくて60歳代悪くすると80歳代のじいちゃんがささやかな年金を機械代につぎ込んで、0.3~1htの水田を守っているのが実情ですよ。「都会で失業しました」といって帰って一体何ができるの?
今までは金を出せば外国から安い農産物が入るからそれを食べて、採算の合わない農家は農業をやめてしまい水田が荒れたからですよ。それには昭和44年頃からの第1次の減反政策が始まりですね。
今の現状はそれを進めた江戸のおっさん達の責任がもっとも大きいだろうし、それを支持してきた者も責任があるだろうしね。
「歴史を変えるにはその歴史分の時間が必要だ」と誰かが言ってたけれど、既に40年近く経ったから、これを元へ戻すには数十年かかるということかな?
小生は農本主義者ではないけれど、人が生きていくための最低を保障する基本は農業かなと思うこの頃で、温故知新という言葉が新鮮に聞こえます。
岡林大先生の「骸骨の歌」が聞きたくなります。

一歩づつですね

2008-12-04 20:50:00 | Weblog
とんでもない悩みが1つ進みました。
朝から埃まみれになり、そのままの格好で大都会へ行きました。それで用件を1日がかりで済ませて、1歩前進です。
が、しかし、マーフィーは言いました。1つ解決すればそれ以上の問題や矛盾が生じて来ると。よく言ったものです。そのとおりです。
新たに心配と問題が出来てきました。それを昔の人は「世に心配の種は尽きぬ」と。古い言葉や教えをを古いと切り捨ててしまうと、何の事かわからなくなります。温故知新とも言います。人生の指針でしょうね。
自宅の修理も概ね終盤へ入ってきました。今まで貧乏長屋の棟のように、鴨居が波打ち、柱が歪み、冬には隙間風が吹き込んでストーブなどの前へ行ってないと温まらないなかったのですが、一応一面だけは隙間風を防げるようになりました。これを人はあばら家と呼ぶのでしょうね。住人として認めます。決して御殿ではありません。これも、1つづつ財布と相談しながら直さないと、直した家で一酸化炭素中毒ということになってしまいます。
最近ちょいちょい思うのは、マーフィーの法則と、お金は非常に大切なものだがそれだけではない、という事です。マーフィーは別にしてそれは、情けであり、助け合いであり、自助努力であり(むずかしい言葉を使ってしまった)、等ですが、これらをまとめたら何と言うのでしょうか?しかし、人はこれを貧乏人の屁理屈というようです。
ま、今夜も屁理屈をこいて寝ましょう。

ボ・ヤ・-

2008-12-03 20:20:57 | Weblog
ボ・ヤ・-とした、そんな日はないですか?
一日が過ぎた時に、何か頭に春でもないのに霞がかかり、一日何かをしてきたけれど何をしてきたのかあまり定かで無いということが。
今日はそれでした。
とんでもない悩みの出来た事が原因かもしれません。今日一日病院へ行ったことから始まっていろいろしたけれどなんとなく記憶が定かで無いという状態です。
ひょっとしたらこれはボケの前兆かも!最近は痴呆症というのかな?どちらでも実際は同じことだけど、それだとしたら大変です!
最近よく物忘れをするのです。昔からそうだけど、つい先ほど置いた物を忘れるということが多くなりました。
今も、とんでもない悩みの書いたメモをどこかへ置き忘れたのです。それが無いと悩みの解決に向かって一歩も進めないのです。
今から必死の形相で探します。顔は無表情を装っていても、心はアクセク・コセコセ・ウロウロとしているのです。それは察してください。