HYAKUSHOU日記

毎日の作業と暮らしといろいろの出来事

焼き物作品

2010-07-29 21:08:05 | Weblog
 こりゃー一体なんじゃ?
 と、なるでござろう。

 拙者がお世話になっている施設で、利用者さんが作った焼き物の作品でござる。
 コーヒーカップかと思えばそうでも無く、蛸の抽象化したものかと思えばそうでも無く、やはり疑問なのでござる。
 難しく考えずに、コーヒーカップがどこからでも持てて、手のひらで包んでも熱く無いというものと考えれば良いのでござろう。

 廊下を利用して、「1平米ギャラリー」となっているのでござる。
 会議机を置いただけの実に簡単な展示でござるが、そこの一角は見事なギャラリーなのでござる。
 数点の作品を展示してござり、「おっと!これはおもしろい!」となるのでござるな。

 しかし、彼らはどこに才能を持ってござるのかの。
 拙者から見ていて、彼らは、「面白い!」、「楽しい!」、の二項をそのまま現しているのかと思えるのでござるな。
 彼らは作らされているのではないのでござるな。
 自分の気持ちで作っているのでござり、それが先ほどの二項なのでござろう。

 今はこれ以外に、卓上へ置けるような真っ黒なオブジェ、御手玉に似たもの、などが並んでいるのでござる。
 どれをとっても、先ほどの二項があるのでござる。
 このような展示は、気取らなくてもいいし、上手下手ではないし、何とか思想を具象化したものなどと言わなくても良いのでござる。
 これ以外にも、ゆめっちの短詩と絵画や、タッカーの仕事の絵も展示されているのでござる。
 ゆめっちは、「ゆめっちの絵画展」というブログをご覧あれでござる。

 この陶器類は、三月の歓桜会で展示されてもおり申し、ゆめっちの作品はいろいろはところで展示されており申すのでござる。
 今後、歓桜会のような展示会を少しづつ増やしていきたいものでござる。
 作品を楽しむのも、桜を楽しむのも、共通しているのは心でござるから組み合せ展示に不自然さがないのでござろう。
 この組み合わせを、最近はコラボとか言うようでござるな。

 「コラボ」という言葉を最初に聴いた時には、拙者、コレラか何かかなの「伝染」と思ったのでござる。
 今思うと、ちょっと恥ずかしいのでござるな。
 でござるからして、カタカナ語は嫌いなのでござるな。
 誰かに言わせると、「ただのアホのおっさんや!」となるのでござろうか。

 そういえば、最近、「毛唐(けとう)」や「紅毛人(こうもうじん)」などは通じぬ日本語のようでござるな。
 カタカナ語をめったらやたらと並べて「しゃべってる本人はわかってるのかいな?」というネーちゃんがいるのでござるな。
 そのネーちゃんが、VWの左ハンドルを乗っているのでござるな。
 そのネーちゃんの髪の毛は、金髪とも赤毛ともわからぬ色なのでござるな。
 この三要素を混ぜると、「けと(毛唐)かぶれの紅毛人まがいのネーちゃんが、けと車(外国車)に乗ってる」というのでござる。
 これが通じぬ言葉なのでござるな。
 場合によっては通じぬほうが良いのでござるが。

 でもって、最近はグローバルなどという言葉が出てござるようだ。
 拙者、これも、手袋か工具の一種かと思っていたのでござる。
 全地球的などという意味のようでござるな。
 それと毛唐まがいをあわせると、「グローバルとは日本的趣を捨てることなり」となってしまったのでござる。

 まあ、山国の水のみ百姓の戯言となるのでござろうかな。
 実は、最近外国籍の女性と話す機会があったのでござるが、その女性に日本的空気を存分に感じさせていただいたのでござる。
 うれしい事でござった。

 この嬉しさを胸に仕舞って、「明日の心だ!」

雨乞いだー!

2010-07-27 21:51:04 | Weblog
 当地では、梅雨明け後1回も雨が降らぬのでござる。
 それこそ一滴もでござる。
 畑は乾き、拙者の田んぼは白く乾くところができているのでござる。

 今、出穂で水の欲しい大事な時期なのに、雨が全く降らぬのでござる。
 今田んぼを乾かすと、籾が小粒になったりシイナになったりして、収量が一段と悪くなるのでござる。
 二日ほど前から穂が出始めて花が着いているのに、この有様でござる。

 朝から池の水が抜かれて水路に溢れていたので、田んぼへ必死に水を取り込んでいたのでござるが、なかなか入らぬのでござる。
 どうにか半分は水が入ったのでござるが、すこし離れた下流の田んぼは白く乾いたままなのでござる「。
 夕方六時まで通水するというので粘ってみたのでござるが、どうには半分だけが水を入れられたただけでござる。

 いよいよ雨乞いをせねばならぬのかと思い始めているところでござる。
 母上は、雨が降らん!」と天にぼやいているのでござるが、お天道様にぼやいてもなんともしようがないのでござる。

 写真は、伊賀で県の無形文化財になっている勝手神社の神事踊りでござる。
 これは五穀豊穣の祈りの奉納踊りでござるが、五穀豊穣とはすなわち雨をいただけるということでござるな。
 毎年10月に奉納されるのでござるが、この時期になると五穀豊穣の感謝になってしまうこの頃でござる。

 今雨水が欲しいのでござるからして、10月ではちょっとばかし遅いのでござるな。
 拙者流の雨乞い、どうすれば良いのでござろうかな。
 それこそ「シキビと御幣」で御払いして、天地の神だけでなくご先祖様にもご協力を願うのがよいのでござろうかな。
 こんな罰当たりなことを言うから、アカンのでござろうか?

 明日あたりに降らねば、どうしたらいいのかというところまでなっているのでござる。
 川から農業用水を入れているところは結構潤沢に水があるのでござるが、池からのところは、結構苦労しているようでござる。
 明日朝から朝飯は抜いても水は欠かせぬゆえ、「水当て」に勤しまねばと存ずるところでござる。
 しかしどうすれば・・・?

 やけくその「明日の心だ!」

なぜこんな?

2010-07-26 20:43:54 | Weblog
 昨日に続き、団扇の花笠でござる。
 が、何故どくろの団扇がござるのだ?
 おそらく隣の区の花笠でござろうが、と思いきや、拙者の区でござったな。
 真ん中についている御幣でそれとわかるのでござる。

 どうも、誰かが面白半分に着けたようでござる。
 しかし、あまり趣味がよくないようでござるな。
 それを持って帰ったのもちょっと趣味が悪そうでござる。

 稚児の太鼓たたきでござるが、拙者も幼稚園の頃に記憶がござるのだ。
 祇園祭りが近づくと、衣装と羽冠と太鼓の一式が自宅へ届くのでござる。
 届いた事は記憶にござらぬが、羽冠の羽が少なく貧弱でござったようだ。
 さすれば、父上がどこかから雉の尾羽を持ってきて着けてくれた記憶がござる。

 太鼓を着けて叩いてみたり衣装合わせをしてみたりと、いろんなことが断片的に記憶によみがえるのでござる。
 かれこれ50と数年前の話でござるが、子供の頃の記憶というのはなかなか消えないもののようでござる。
 父上母上そして祖父上祖母上が笑っていたのもウスラ覚えでござるが、記憶によみがえるのでござるな。

 太鼓がやけに重くて、後ろへそらねば持ちにくかったのを覚えているのでもござる。
 太鼓が体の半分ぐらいあったように思うのでござるな。
 それで太鼓を叩くのでござるが、なかなか骨が折れるのでござったように記憶をしてござる。
 当日は父上が付き添ってくれて、太鼓を支え持ってくれたように覚えているのでござるが、これはちと怪しいのでござる。

 その頃は、稚児の太古が終わるとすぐに団扇の花笠が雪崩れ込んでくるので、必死に広場の外へ出なければならぬのでござる。
 されど、重たい太鼓を持ってちっこい子供がそう簡単に走れるものではなく、父上に引っさげられて外へ出たと思うのでござる。
 団扇を取ると、五穀豊穣と無病息災が得られるという事でござろうかして、大人も子供も団扇を取るのに必死と思うのでござる。
 竹で手を切ると、一体どれだけご利益があるのでござろうか?

 稚児の太鼓叩き、本人は何がなんだか訳がわからぬうちに終わるのでござる。
 これは、子供の無事の成長を祈るものと思うところでござる。
 最近は少子化のためか、女の子も入るのでござる。
 男女差別のつもりはござらぬが、「時代でござる」と、感じ入っているのでござる。
 されど、何がなんだか訳のわからぬうちに終わる子供と違い、一番喜ぶのは家の年寄りでござり、また父上母上でござろうかな。
 「子よりも 親が浮き立つ 稚児踊り」というところでござろうか。

 いずれにしても、子の無事な成長を祈るのはどの親も一緒でござる。
 ありがたく心にしみる親心でござるな。
 成人するとどうなるかは先の事ゆえ、先の楽しみでござる。

 そんなこんなで、「明日の心だ!」

花笠勢揃い

2010-07-25 20:14:37 | Weblog
 今日は氏神様の祇園祭でござった。
 拙者、生まれたときから氏子でござるが、それほど信心があるわけでなし、御祭りといえば屋台とカキ氷程度の脳みそでござる。
 それが本年は宮当番でござりて、俄信者的なもので花笠を持って氏神様へ参拝でござる。
 先週在所総出で作った団扇の花笠を2基、軽トラへ積んで行ったのでござる。

 昨夜は宵宮で、区名を書いた堤燈2基と神槍を奉納しに参ったのでござる。
 夜八時から奉納花火がござり、それが終了すると神事でござる。
 堤燈や参拝者がお払いを受け、ありがたく祝詞を拝聴するのでござる。
 
 その最中にホッと真向かいを見ると、ズンコ氏のお参りしているのが目にとまったのでござる。
 「夜目遠目傘の内」で、なかなかにチャーミングでござるのであり、なかなか今までよりもスマートに見えるのでござる。
 されど、事故の件もありご機嫌伺いに傍へ行ったのでござるが、口で言うほどダメージは感じられないのでござる。
 が、「自分の身体は自分しかわからぬ」と言うように、ズンコ氏の身でない拙者にはわからぬものでござる。
 じきに堤燈の方へ戻ったのでござる。
 昨夜は帰って直会となったのでござるが、ズンコ氏がお越しになり途中で直会を失礼してしまったのでござる。
 
 で、本日は本祭りとなったのでござり、団扇の花笠でござる。
 各区がそれぞれ2基づつ奉納するのでござるが、写真はそのうちの半分でござる。
 本殿に向かい左右へ分かれて立ててござるのだ。

 祭りの進行は、まず神主がお清めお払いで祈りを奉げるのでござるが、それはどことも同じでござるな。
 そのあと稚児が輪になり太鼓を叩きながら巡るのでござる。

 稚児は概ね保育園児程度でござり、各区で3名までと決められているようでござる。
 しかし、かわいいものでござる。
 どちらかというと、稚児をしている子等は暑くてつまらんという子もいれば、元気一杯太鼓を叩いている子もいるのでござる。

 拙者らの時代には、「長男でなければいかん」等と決められていたようでござる。
 各区3名などとは決められていなかったようでござる。
 子供が多すぎたのでござろうな。
 
 それの次が「団扇取り」と申す花笠の団扇を取り合うのでござる。
 しかし、最初から団扇の花笠を倒してしまい、好き勝手に取るのでござるからして、昔とずいぶん様変わりでござる。
 終われば、飾りを取り外して、本体の骨組みだけを持ち帰るのでござる。

 宮当番は、この祇園祭が引き継ぎなのでござる。
 氏神様へ奉納するのは今までの(拙者達)当番の役目で、本体を持ち帰って片付けるのは新の当番なのでござる。
 最後に直会となるのでござるが、大誤算がござった。
 この直会の費用は旧の当番が持つということなのでござった。

 拙者途中からの当番でござり、この祇園祭しかしており申さず、申し訳ないのでござるが、これで良しとしてくだされでござる。
 新の当番は、全体の鉤引き当番が当っているのでござるが、拙者、これでさよならではなく注連縄作りなど参加するのでござる。
 よしなにでござる。

 それでは「明日の心だ!」

マムシ

2010-07-23 20:44:40 | Weblog
 今日は、蛇のお嫌いな方はご覧召されるなでござる。
 直球勝負の如きタイトルでござる。
 拙者とて好きなわけではござらぬ。

 蛇というだけで、50m以上もビューーーと逃げる人がござった。
 拙者の家内でござったのだ。
 コンバインで稲刈りをしていて、家内が機嫌よく刈っており申したのでござる。
 さすれば、稲株と一緒に蛇(シマヘビのようでござった)が刈り取り部を上がってきたのでござる。
 家内は動いてるコンバインから飛び降りて、キャーともギャーともわからぬ悲鳴を上げて必死で逃げてきたのでござる。
 その距離、ゆうに50mは超えていたでござろう。
 というほどの蛇が苦手な人でござった(蛇の好物も苦手でござったが)。

 何ゆえに、マムシなど取り上げたのかでござる。
 これは単に気まぐれでござる。
 深く考えると損をするのでござる。

 今日は朝からの仕事で、山の村への送迎がござった。
 九十九折れの急な坂を上っていくと、道の上に蛇が寝ているのでござる。
 何気なく通過しようと思ったのでござるが、ひょいと見るとマムシでござるのだ。
 こりゃー!ということでよく見ると、全く動かないのでござる。
 死んでいるのかと、車をバックするとマムシが動き出したのでござる。
 慌ててタイヤで踏み潰そうとしたのでござるが、尻尾の先をちょっと踏んだだけで逃げられたのでござる。
 ちょっと残念でござった。

 何ゆえマムシを殺そうかと思いついたかというと、その辺は山が深く、山草茶の材料を採集に施設の者が来るところだからでござる。
 咬まれては大変でござるからの。

 しかし、マムシと無毒の蛇の見分けをできぬ人が多いのでござる。
 あえて写真を載せたのでござる。
 嫌いな方にはご勘弁でござる。

 マムシはクサリヘビ科マムシ属というようなことで、その背中の紋様を見ると一目瞭然なのでござる。
 クサリの模様なのでござるな。
 とっさに頭が三角かどうかなんてのはわかるものではござらぬ。
 自分の方を向いて今にも跳びかからんとするマムシに、「ちょっと頭の形を私に見せてたもれ」という方がござるかの。
 従って、その模様が鎖状でござれば、マムシと断定するのでござる。
 お解かりでござるかの。

 5月から秋までどうして山へ入るかでござる。
 まず第一は、竹でも木の枝でも結構でござるから、ちょっと長めの杖になりそうなものを持つのでござる。
 それで足を踏み入れるのが怖そうなところは、草を叩いたりかき分けたりして行くのでござる。
 田舎者は、何もなければそのようにするのでござるが、鎌などを持って山へ入るのでござる。
 田んぼへは鍬などを持っていくと良いのでござる。

 HPやブログで、「マムシを見れば目の敵のように殺すが、・・・・」という文言を時たま目にするのでござる(田でマムシを見る程度に)。
 しかし誰かが咬まれた時のことを思ったり、自分が咬まれたりした時のことを考えると、一見必殺なのでござる。
 命をなくすのも嫌でござるが、運良く助かっても入院が2ヶ月・3ヶ月となると、これとてつらい事でござる。
 知り合いが山でひざをかまれて、入院3ヶ月でござった。

 そんなこんなで、今回はマムシなのでござる。
 で、次回はまだ決まっておらぬのでござるが、「明日の心だ!」

マロンベビー

2010-07-22 21:11:40 | Weblog
 いつだかに栗の花をかいたのでござるが、それが今はこうなっているのでござる。
 いが栗の格好をしているのでござる。
 触るといがが痛いのでござる。
 当たり前でござるな。

 あと50日もすれば食えるでござろうかな。
 猿に食われる前に採ってやるのでござる。
 マコモを食われたお返しでござる。

 今日は、施設で花壇の枠つくりでござった。
 木で作るのではなく、野面石を並べるのでござる。
 溝を掘っておいて、そこへ水糸を張り、それに合わせて石を並べながら土や砂利で固定していくのでござる。
 
 昨日、利用者さんの一人とその作業をして、彼にそれを少し覚えてもらったのでござる。
 それが基礎で、もう一人加えて主にその二人でしてもらったのでござる。
 なかなかに作業を上手くするのでござるな。

 生まれて初めての作業でござるからして、プロのように綺麗に出来るはずはござらぬが、それでも慎重に作業をしたのでござる。
 まず、石が重たいのでござるな。
 軽くても20数㎏重いものでは40㎏ほどもあり、それを探して運ぶだけでも、今日の猛烈な炎天下では地獄でござる。

 石を探して運び、それを所定の位置へ置いてみて、合わせてみるのでござる。
 合わねば、また探しに行って、見つけたらそれを同じようにするのでござる。
 合えば、石の下へこぶし大の石を詰めて固定し砂利や砂・土を前後へ入れて、槌で叩き固めるのでござる。
 それの繰り返しで、何度も休憩を取って水分補給をしながらの作業でござった。
 一度など、眩暈がするということで緊急に休憩をしたのでござる。

 そんな悪条件の中でも、彼らはモクモクと作業をしているのでござった。
 拙者は横で「こうしたらいいのだ」等としていただけで、それでも、暑さは非常に応えたのでござる。
 その写真を載せたいのでござるが、彼らのお顔が出ると問題でもあるので、ちょっと遠慮でござる。
 他のメンバーも、畑など作業をしているのでござるが、いずれにしても今の猛烈な厚さは地獄でござる。

 そして、拙者、不覚にも午後のミーティングで居眠りをしてしまったのでござる。
 施設の職員さん、優しく思いやりの深い方ばかりでござり、許していただいた雰囲気でござる。
 これが以前いた会社なら、突然頭をどつかれるか、打合せの内容をテストされ厭味をネチネチ言われるか、怒鳴られるかでござろうな。
 まあ、拙者にとって嫌な会社でござった。
 拙者が気ままだと仰せでござろうが、そのとおりでもござる。

 ゆめっちさんのお楽しみ看板を作らねばならぬのでござる。
 今日ちょっと手をつけたのでござるが、なかなかはかが行かぬのでござるな。
 明日はもそっと進めていく予定でござる。

 というところで、「明日の心だ!」

笹でござる!

2010-07-21 22:04:54 | Weblog
 またまた何の変哲もない写真で、笹が写っているだけというばかばかしいものでござる。
 小さいけれどもこの写真から何かを読み取って欲しいのでござる。
 しかし、わかりにくいでござるかな。

 これ、実は、笹なのでござる。笹と申しても酒の「ササ」ではござらぬ。
 そしてこれは鹿の道なのでござる。
 俗に言うところの「獣道」なのでござるな。

 笹の間が割れていて、これは鹿がそこを何回も通る事で出来た物なのでござる。
 鹿だけではござらぬのだ。
 猪も通れば、狸や狐そして狢も通るのでござる。
 獣全てが通るのでござるな。

 これが拙者の田んぼのすぐ上についているのでござる。
 百mほどの間に、大小あわせて数箇所ついているのでござるな。
 中には、一本の獣道が数本に分かれているものもあり、一体何頭の鹿が来ているのかと思うのもござるのだ。

 この獣道は、鹿が田んぼへ出てくるための道のようでござる。
 笹が全て手前側へなびいているのでござる。
 鹿が通るために、笹が進行方向へなびいているのでござる。

 この獣道は、鹿がここから国道側へ進んで、ガードレールの下をくぐり、田んぼへ入るようでござる。
 そして、すぐ傍の田んぼは入らずに、その上にある拙者の田んぼへ行くようでござる。
 その田んぼから、また上の拙者の田んぼへ入り、そこからまた拙者の田んぼへ二手に分かれて入るようでござる。
 一番上の、池ノ上という田んはちょっと違っていて、その田んぼの上から来るグループと先ほどのグループがあるようでござる。
 それが池ノ上と大町という田んぼへ集中するので、その2枚の田んぼの被害が大きいようでござる。

 獣道というと、また、どこかの界隈の様子に似ているように思えるのでござる。
 良い事はほとんど見られず、餌の探す事もそれを貪る事も同じ道をたどって行くのでござる。
 先輩の後を後輩が同じことをやらかしていくという、なんとも山の鹿や猪や狢と変わらぬように思うのでござるな。
 獣達は生きるためでござるが、その界隈の獣達は仲間への利益誘導という「高等な思考」をお持ちの社会的獣でござるようなのだ。
 人々は総じてこの獣を「頭の黒い猿」と呼んでいるようでござる。

 そのような獣、有害獣として駆除できぬものかと思うのでござる。
 しかし、その獣達が有害獣かどうかを決めるらしくて、決して有害獣とは決まらぬのでござる。
 あるいは動物園で展示が出来ぬものかとも思うのでござるが。

 といったところで、「明日の心だ!」

ウイルス病

2010-07-20 21:33:51 | Weblog
 またまた何の変哲もない写真でござるのだ。
 拙者どうしてこうなのでござろうかな?
 と、悲観するものではござらぬのだ。

 これは、原因はわからぬものの、栗についたウイルス病なのでござる。
 写真をとくとごろうじろ。
 普通の栗の葉はもっと緑なのでござり、今の時期には濃い緑なのでござるが、この写真は黄緑色の葉に変わっているでござろう。
 この部分にはウイルスがたっぷりと詰まっているのでござる。
 既に他の部分へも移行しているでござろうな。

 この木の近くには柴栗が何本かあり、そこへ伝染すると柴栗がいただけなくなるので、今日は慌ててこの木を除伐のでござる。
 研ぎたての草刈機の刃をつけて、草刈機でチョワーン、チューン、バサッと切ったのでござる。
 しかし、猿が先に良いとこを食ってしまうのでなかなか拙者の口には入らぬのでござる。
 幸いこの木1本だけでござったので、、今年は猿より先にせしめねばと意気込んでいるところでござる。

 では、このウイルスにかかった栗の実を食べれば人間に影響があるのかということに突き当たるのでござる。
 「ウイルスやバクテリアだらけの人間が何をあつかましい事を抜かすか!」ござる。
 しかし、このようなウイルスが人間に伝染したらえらい事でござろうな。
 マンダラ模様の人間があちこちに歩いていたりして!
 拙者の桜吹雪を小馬鹿にしているどころではなかろうに、でござる。
 残念ながら、このウイルス人間には伝染せぬのでござる。
 拙者の桜吹雪と同じでござるな。
 それよりなにより、このウイルスの栗の木には実がならぬのでござるな。
 従って食いようがないのでござる。

 猿といえば、先日のマコモの食害は猿の仕業のようでござる。
 鹿と思っていたのでござるが、田んぼの稲もへし折られていて、猿の仕業の特徴がしっかりとあったのでござる。
 鹿なら既にもっと以前食害をしているでござろうし、茎の美味しいところだけちぎって食べるのも変でござるな。
 これに関しては、鹿さんごめん!

 ということで、拙者この辺でご無礼をして、「明日の心だ!」

鹿メ4

2010-07-19 20:53:53 | Weblog
 やられたのでござる。
 喰い散らかされたのでござる。
 しかも美味しいところだけでござる。

 今年はマコモタケをちょっと味見できるかと期待をしていたのでござるが、アカンのでござる。
 鹿メが、マコモの根元の美味しいところだけしっかりと先に食ってしまったのでござる。
 そして葉っぱの部分はその辺へ散らかしたのでござる。
 残念というほかないのでござる。

 このビオトープ、三年計画で田んぼの周辺生物が住み着いてくれればいいかと思っているのでござるが、今のところ良い感じでござる。
 虫たちやヤゴの塁が住み着いているし、アオミドロの間におたまじゃくしが泳いでいて今はカエルになっているのでござる。
 マコモが生えれば、そこをヤゴが上ってトンボになると思っていたのでござる。

 昨日、猟友会がこの田んぼの上の方で大きな鹿を1頭撃ったということでござる。
 鹿には気の毒でござるが、ちょっとだけ「やったー!」という気持ちでござる。
 鹿のために米を作っているわけではないのでござるからの。

 今テレビ何とかというのをやっているのでござる。
 消費税を上げるのに反対とか賛成とか言ってござるが、所詮は政治屋のたわごとでござると思うところでござる。
 政治家とは、我が身の保身など考えずに社会のために挺身する人のことでござると、拙者は思うのでござるがの。
 永田町は政治屋が仕切り、霞ヶ関は行政やが仕切るという、どこかで聞いたような縄張りの図でござろうかな。

 その中で農家の方が良い事を言っており申した。
 「農業に将来はないから子供達は就職させる。税金をばら撒いて食料自給率向上等せず産業を振興して食糧は全部輸入すれば良い。」というものでござった。
 拙者賛成でござる。
 拙者の米は、我が親戚や大事な友のために作って、生産費の保障分だけいただこうと思っているところでござる。
 そのために、安全と安心を言葉では無く実際にそのような米を作るのでござる。

 病気や鹿と争いながら、美味い米、食べるのに安心な米、食べて元気の出る安全な米を作りたいのでござる。
 それが百姓の使命であり喜びかと思うからでござる。
 でござるからして、米の所得保障は申請してござらぬのだ。
 「これだけやるからわが党の候補者に投票すべし」と、所得保障などとはとても言えぬわずかな金で、横っ面をはたかれているようでござり、なんとも気分が悪いのでござる。
 「水のみ百姓 飯は食えねど水はある(=武士は食わねど高楊枝)」でござるかの。

 その中で、どこかの党で当選したものの、前衆議院選挙で落ちて、今度別の党から出た参議院議員が言っていたのでござる。
 「日本の自給率は70%・・・」とのたまわれたのでござる。
 「え?」となったのでござる。
 それはどこの国の話でござろうか?でござるな。

 こうなると、「顔を洗っても水がもったいないから、世間の邪魔にならぬようクソ垂れて寝てろ!という感じでござるな。
 エネルギーベースで40数%と聞かされているのでござるが、いつから20数%も上がったのでござろうか。
 近所のチョッとつぱった高校生の方がずっとましでござるな。
 高校生には失礼でござるが(高校生が「あんなのとと一緒にするな!」と怒ると思うのでござる。)。

 しかし、40年前の学生はいろいろな意味で偉かったと思うのでござる。
 少なくとも社会に目は向け、怒りを飛ばしていたのでござるから。

 またぼやきになってしまったのでござるな。
 まあ、「明日の心!」でござる。

ピンぼけ御幣

2010-07-18 21:14:46 | Weblog
 慌てて写したらピンボケでござった。
 ではなかろうかと思っていたのではござったが。
 残念な事にあたりでござった。

 今日は1年に1回の奉仕出会いと祇園祭の華作りでござった。
 そこへ加えて、今年は途中から宮当番という役に着いたのでござった。
 本来はこの祇園祭からの宮当番という予定でござったが、近所のご不幸でそこのお宅の代わりに拙者が宮当番となったのでござる。
 都合がいいというか、少々あつかましく出来が悪いというかの、拙者でござる。
 宮当番は、祇園祭から祇園祭までの1年と昔から決まっているらしいのでござる。

 朝から午前中は、拙宅の裏山に祀られている成田不動尊の樹木などの手入れと草刈でござった。
 拙者、サツキの枝落しと聞かされており申したので、山林用の草刈刃を持参したのでござる。
 これがまたなかなか機嫌よく切れて、切るべきでない枝まで切れるのでござる。
 ブイーンチュウワーンシャウーンと切れるのでござる。
 途中から切り過ぎないように抑えて抑えて切ったのでござる。
 時間切れで全部は出来なかったのでござるが、結構明るくなったのでござる。
 これから秋の剪定は中止で、サツキの花をちゃんと見るようにしたいものでござる。

 休憩の時に出していただいた冷たい御茶の美味い事!
 あれこそ五臓六腑に染み渡るというものでござろう。
 お変わり三杯でござった。
 暑いから汗だらけなのでござるからして、当然といえば当然でござるな。

 今まで運営員の方の手助けもあったのでござるが、これからは講の者だけで管理になるとのことでござる。
 故に、この奉仕出会いと講員の年に数回の出役は必要でござろうな。

 午後は1時に宮当番額の集会所へ集まり、区の皆さんが華作りをしていただく準備からでござる。
 竹鋸等の道具や色紙や本体そして麦わらなど材料をそろえていくのでござる。
 2時から、皆さんで麦わらを揃えたり、紙細工をしていただいたり、竹を割ったりしていただいて、5時前に出来たのでござる。
 総勢40名ほどでござった。
 終了後は神のご奉仕仕事につきものの「直会」という慰労会でござる。

 祇園祭はどこの神社でもござるのだが、拙者の氏神さんは、稚児が太鼓を叩いて輪になって踊るものがあるのでござる。
 これは神事踊りに相当するのでござろうかな?
 その次にウチワ取りというのがあるのでござる。
 これは花笠に着いているウチワを取り合うものでござる。

 このウチワ取り、実に大変なのでござる。
 拙者の小さい頃は、何人かの方はうちわを取ろうとして、うちわの突いている割竹で手を切って、血だらけになっていたのでござった。
 写真の御幣は、そのウチワをつけた花笠の一番上に着いているものでござる。
 最近はウチワを取りに参加する方がいないということで、宮当番が取って参拝者へ渡すとのことでござる。

 この祇園祭、今月の24日は宵宮で、25日が本祭りでござる。
 宵宮には花火も上がり、田舎の神社の夏の賑わいでござるな。
 ちなみに、神社の名前は「都美恵神社(つみえ)」というのでござる。
 
 さてさて、もう9時を回ったのでござる。
 拙者この辺で、「明日の心だ!」でござる。