こりゃー一体なんじゃ?
と、なるでござろう。
拙者がお世話になっている施設で、利用者さんが作った焼き物の作品でござる。
コーヒーカップかと思えばそうでも無く、蛸の抽象化したものかと思えばそうでも無く、やはり疑問なのでござる。
難しく考えずに、コーヒーカップがどこからでも持てて、手のひらで包んでも熱く無いというものと考えれば良いのでござろう。
廊下を利用して、「1平米ギャラリー」となっているのでござる。
会議机を置いただけの実に簡単な展示でござるが、そこの一角は見事なギャラリーなのでござる。
数点の作品を展示してござり、「おっと!これはおもしろい!」となるのでござるな。
しかし、彼らはどこに才能を持ってござるのかの。
拙者から見ていて、彼らは、「面白い!」、「楽しい!」、の二項をそのまま現しているのかと思えるのでござるな。
彼らは作らされているのではないのでござるな。
自分の気持ちで作っているのでござり、それが先ほどの二項なのでござろう。
今はこれ以外に、卓上へ置けるような真っ黒なオブジェ、御手玉に似たもの、などが並んでいるのでござる。
どれをとっても、先ほどの二項があるのでござる。
このような展示は、気取らなくてもいいし、上手下手ではないし、何とか思想を具象化したものなどと言わなくても良いのでござる。
これ以外にも、ゆめっちの短詩と絵画や、タッカーの仕事の絵も展示されているのでござる。
ゆめっちは、「ゆめっちの絵画展」というブログをご覧あれでござる。
この陶器類は、三月の歓桜会で展示されてもおり申し、ゆめっちの作品はいろいろはところで展示されており申すのでござる。
今後、歓桜会のような展示会を少しづつ増やしていきたいものでござる。
作品を楽しむのも、桜を楽しむのも、共通しているのは心でござるから組み合せ展示に不自然さがないのでござろう。
この組み合わせを、最近はコラボとか言うようでござるな。
「コラボ」という言葉を最初に聴いた時には、拙者、コレラか何かかなの「伝染」と思ったのでござる。
今思うと、ちょっと恥ずかしいのでござるな。
でござるからして、カタカナ語は嫌いなのでござるな。
誰かに言わせると、「ただのアホのおっさんや!」となるのでござろうか。
そういえば、最近、「毛唐(けとう)」や「紅毛人(こうもうじん)」などは通じぬ日本語のようでござるな。
カタカナ語をめったらやたらと並べて「しゃべってる本人はわかってるのかいな?」というネーちゃんがいるのでござるな。
そのネーちゃんが、VWの左ハンドルを乗っているのでござるな。
そのネーちゃんの髪の毛は、金髪とも赤毛ともわからぬ色なのでござるな。
この三要素を混ぜると、「けと(毛唐)かぶれの紅毛人まがいのネーちゃんが、けと車(外国車)に乗ってる」というのでござる。
これが通じぬ言葉なのでござるな。
場合によっては通じぬほうが良いのでござるが。
でもって、最近はグローバルなどという言葉が出てござるようだ。
拙者、これも、手袋か工具の一種かと思っていたのでござる。
全地球的などという意味のようでござるな。
それと毛唐まがいをあわせると、「グローバルとは日本的趣を捨てることなり」となってしまったのでござる。
まあ、山国の水のみ百姓の戯言となるのでござろうかな。
実は、最近外国籍の女性と話す機会があったのでござるが、その女性に日本的空気を存分に感じさせていただいたのでござる。
うれしい事でござった。
この嬉しさを胸に仕舞って、「明日の心だ!」
と、なるでござろう。
拙者がお世話になっている施設で、利用者さんが作った焼き物の作品でござる。
コーヒーカップかと思えばそうでも無く、蛸の抽象化したものかと思えばそうでも無く、やはり疑問なのでござる。
難しく考えずに、コーヒーカップがどこからでも持てて、手のひらで包んでも熱く無いというものと考えれば良いのでござろう。
廊下を利用して、「1平米ギャラリー」となっているのでござる。
会議机を置いただけの実に簡単な展示でござるが、そこの一角は見事なギャラリーなのでござる。
数点の作品を展示してござり、「おっと!これはおもしろい!」となるのでござるな。
しかし、彼らはどこに才能を持ってござるのかの。
拙者から見ていて、彼らは、「面白い!」、「楽しい!」、の二項をそのまま現しているのかと思えるのでござるな。
彼らは作らされているのではないのでござるな。
自分の気持ちで作っているのでござり、それが先ほどの二項なのでござろう。
今はこれ以外に、卓上へ置けるような真っ黒なオブジェ、御手玉に似たもの、などが並んでいるのでござる。
どれをとっても、先ほどの二項があるのでござる。
このような展示は、気取らなくてもいいし、上手下手ではないし、何とか思想を具象化したものなどと言わなくても良いのでござる。
これ以外にも、ゆめっちの短詩と絵画や、タッカーの仕事の絵も展示されているのでござる。
ゆめっちは、「ゆめっちの絵画展」というブログをご覧あれでござる。
この陶器類は、三月の歓桜会で展示されてもおり申し、ゆめっちの作品はいろいろはところで展示されており申すのでござる。
今後、歓桜会のような展示会を少しづつ増やしていきたいものでござる。
作品を楽しむのも、桜を楽しむのも、共通しているのは心でござるから組み合せ展示に不自然さがないのでござろう。
この組み合わせを、最近はコラボとか言うようでござるな。
「コラボ」という言葉を最初に聴いた時には、拙者、コレラか何かかなの「伝染」と思ったのでござる。
今思うと、ちょっと恥ずかしいのでござるな。
でござるからして、カタカナ語は嫌いなのでござるな。
誰かに言わせると、「ただのアホのおっさんや!」となるのでござろうか。
そういえば、最近、「毛唐(けとう)」や「紅毛人(こうもうじん)」などは通じぬ日本語のようでござるな。
カタカナ語をめったらやたらと並べて「しゃべってる本人はわかってるのかいな?」というネーちゃんがいるのでござるな。
そのネーちゃんが、VWの左ハンドルを乗っているのでござるな。
そのネーちゃんの髪の毛は、金髪とも赤毛ともわからぬ色なのでござるな。
この三要素を混ぜると、「けと(毛唐)かぶれの紅毛人まがいのネーちゃんが、けと車(外国車)に乗ってる」というのでござる。
これが通じぬ言葉なのでござるな。
場合によっては通じぬほうが良いのでござるが。
でもって、最近はグローバルなどという言葉が出てござるようだ。
拙者、これも、手袋か工具の一種かと思っていたのでござる。
全地球的などという意味のようでござるな。
それと毛唐まがいをあわせると、「グローバルとは日本的趣を捨てることなり」となってしまったのでござる。
まあ、山国の水のみ百姓の戯言となるのでござろうかな。
実は、最近外国籍の女性と話す機会があったのでござるが、その女性に日本的空気を存分に感じさせていただいたのでござる。
うれしい事でござった。
この嬉しさを胸に仕舞って、「明日の心だ!」