HYAKUSHOU日記

毎日の作業と暮らしといろいろの出来事

本日雨天なり

2009-09-28 21:32:44 | Weblog
 今日はちょっと雨降りでござった。風もあったのでござる。そこで、本日は晴耕雨読の後半で過ごしたのでござる。ちょっと脳みそが緩んでしまったようでござるのよ。

 写真はフジバカマでござる。これが水路に沿ってたくさん咲いているのでござるが、オミナエシはトンとおめにかからぬのでござる。フジバカマの濃い赤紫色から白に近いという様々な姿もいいのだが、あの黄色いオミナエシも見るとまた秋を感じるのでござる。

 拙者の姿は、まさにプロフィールの写真の如くでござる。とりわけ胴に対する足の長さの比率などそのままでござろう。
 でもって、それが話題になり拙者に恋人が出来ぬのはそのためという落ちがつくと、全て笑い話で終われるので「なんと得なことか」と思えるこの頃でござる。それを肴に秋の憂いを感ずるなどということはないのでそれが寂しいかと存ずる次第でござる。

 先日と先々日は神戸姫路と同窓会でござった。1年ぶりの友達でござる。それぞれ奥方を伴われて参加の友人もあり、また一人で気楽な参加もありで、なかなかに懐かしいものでござった。しかし、神戸は恋人などと訪れるべきかと思う節もあって、そのあたりを一度検討すべしという意見もあるにはあったが、先程の落ちでちょんでござった。
 午後1時半の出会いから翌日午後4時の別れまでほぼ1日でござるが、時間は早く過ぎていくものでござった。ただ、それぞれに早く行くところもあり、何組かは昼や朝に別れた事もあったのでござるが、やはり少しでも顔を見られるのはいい事でござる。
 来年の再会を約して別れた次第でござる。

 拙者の産した米の食味結果が出たのでござる。結果は予想を上回り気持ちはいいのでござるが、百姓1年生の淳子殿が予想を下回ったのが実に悔しいのでござる。一生懸命に全てをかけて頑張ったのでござるが、結果が悪いと涙を流す様は、傍にいても辛いのでござる。
 しかし泣いても変わるものではないことなので、本番に向けて如何に良くするかの対策を二人で考えたのでござる。決してズルをしたりごまかすのではなく、堂々と応募し高得点になるべく努力をするのでござる。座して崩すより人事を尽くすことが大事でござろう。そのためには助力は惜しまぬつもりでござる。

 明日は本日せざることをしてしまわねばと存ずる次第なのでござる。

 お休みなしてでござる。

秋です

2009-09-23 19:22:44 | Weblog
 稲刈りの終わった田んぼから土手を見上げると、そこは秋のお花畑か庭園かと言うぐらい萩が咲いていたのでござる。そして周りはフジバカマだらけ。草刈を怠けたせいでござろう。おかげでこうして花を楽しむ事ができるのでござる。青空と緑の山の木々と気持ちのいい空気と・・・。結構でござるのー。

 といいつつ、今年は落水がやや早く、肥料の効果もいまいちで、結果としてはOKでも納得のいかない結果でござった。拙者の性格からは、「結果良ければ全て良し」で済ませてしまうのでござるが、今年の米作りはそうは「イカのキン○マ」でござる。
 そこで、何年ぶりかで一念発起(あの大事件以来、やる気が無いというか、気が抜けてしまったというか、腑抜けになったというかで、土作りなどせざる状態でござった)。堆厩肥とケイ酸をこの秋に投入し、来年に備えようというところでござる。この晴天の続いているときに堆厩肥を投入して、一雨もらったら秋起しをしようという魂胆でござる。
 春先にはリン酸を入れて根張りの確保を出来る態勢にするのでござる。
 そして、それまでにアゼの崩れややせたところを修理をするのでござる。
 こう考えると、百姓には一年中休みは無いようでござる。

 今、拙者なりに注目をしているのが、「友肥」でござる。稲藁はもちろん、籾殻は排水効果を兼ねて。大事なのは、米ぬか・虫食い米でござる。昔からこれや稲刈り・脱穀にこぼれた籾を「友肥」と言って、来年の豊作に結びつけるものといわれているのでござる。柿の木から全部収穫するのではなく1個は残すということと同じで、来年の養分になるのでござろう。

 何かの本で、「チッソは体を作り、リン酸は実や花を作り、カリは根を作る」と書いてござった。拙者はちと違い、チッソは同じでも、リン酸とカリが入れ替わっているのでござる。リン酸は根を作り、カリは花や身を作るとなるのでござる。
 ずっと昔、といっても、十年一昔で三昔でござるが、自信は無くても自信をもって(ハッタリというものでござる)「根張りが悪いならリン酸を思いっきり入れなさい」と言った事があり、農家は肥料を増やすとともにリン酸を規定の三倍投入したのでござる。その結果、稲の株は通常の三倍に育ち根張りもとんでもなく良くなってしまったのでござる。そして周りに比べると豊作となったのでござるが、それを思い出したのでござる。というより、ずっと引っかかっていたのでござる。
 そこまでするつもりは無いのでござるが、今年の倒れ方を見ると何とかしなくては・・・という事で、昔の拙者の技術の再施行となるのでござる。

 明日は、トラクターの修理と堆厩肥の運搬・投入でござる。
 夕方には友人が米を引き取りに来るのでござるが、彼と会うのも楽しみなのでござる。

 そして明後日には同級の友が遠方より来る予定なので、これもナケナシの財産を叩いて歓待するつもりでござる。質に入れる奥方がござらぬ独り者なので、何か質へ入れるものを探さねば。彼は拙者より出来の良い人物なので、そのような事はお見通しであろうと思うのでござる。しかし嬉しいのでござるからして、とんでもない良い肉などをつつきたいのでござる。
 その次は同窓会でござる。彼とともに出席するのでござるが、集まるメンバーは聴く人が聞くと「とんでもなく悪い連中」であり、また別の人は「月光仮面か怪傑ハリマオの如く正義の味方」に見え、はたまた「血沸き肉踊る」人もいるであろうメンバーでござる。しかし、実際は素晴らしい紳士たちなのでござる。但し、どちらかというと怒らせないほうがいいとは思うのでござる。そして我が良き友達なのでござる。ムッシュカマヤツなのでござる。

 お休みなのでござる。

秋忘れ

2009-09-18 20:00:10 | Weblog
 ついに秋忘れでござる。嬉しいというか、ホッとしたというか、いいものでござる。昨年は出来なかったので、今年は家族4人で秋忘れをしたのでござる。
 しかしながら、そこは所詮貧乏百姓。ちょっと豪勢そうな焼肉屋で伊賀肉などを賞味したのでござる。やはりうまかったのでござるよ。ウヒャヒャヒャ!支払いが済んでオヨヨ!

 拙者、田植えが終われば「野休み」、収穫が終われば「野上がり」と思っておったのでござるが、ちょっと違うらしいのでござる。田植えがすめば「野上がり」、収穫が終われば秋忘れと言うらしいのでござる。拙者の80を超えたおふくろに教えられたのでござる。いやはや、お恥ずかしい。
 その日は、最後の米を倉へしまいこんで、今まで送っていた友人へ精米を送った日でござった。

 卒業してから約30年、お世話になった数人の友人へ年1回採れ秋に米を送り続けているのでござる。なぜかというと、「拙者まだ生きており申す」という証明でござる。米が届いているうちは拙者はまだ生きていて、米が途絶えたら拙者の息も途絶えたということになっているのでござる。遠く離れた友にそのような便りもいいのではないかと思っている次第でござるのよ。
 心苦しいのは、その後のお返しでござる。友人はお返しと思ってござるのかどうかは定かではないものの、米をたかだか十数キロ送っただけでお返しとは実に心苦しいのでござる。しかし拙者にはそれ以外に送れるものはないので、ご勘弁願い奉りたいのでござる。

 この26日には彼らと会えるのでござる。イヤー!嬉しいものでござるのー!お互い年相応になり、貫禄も出来た面々とそれを支えた奥方達。時間の流れを感じるのでござるが、会うと一瞬にして30年という時間がタイムワープして無くなってしまうのでござる。不思議なものでござる。年1回会えるのはいつまでか?等と考えるとちょっと寂しい気もするのであるが、まずは、会えるときに会い思いっきり楽しんでおくでござる。
 人生五十年下天のうちにくらぶれば・・・という信長の時代からすれば、既にお釣りをいただいているのでござるからもったいないことでござる。

 本日、素晴らしい女性と並んで座らせていただいたのでござる。もっとも、10分足らずの打ち合わせの時だけでござるが、実に素晴らしいのでござる。
 何が素晴らしいかというと、まず美人でござる。それも冷たい美人ではなく実に暖かい雰囲気で人の心のある美人でござる。
 そして、実に礼儀正しいのでござる。形式的な礼儀ではなく、先ほどの心から出る礼儀なのでござる。によって、嫌味が全く感ぜられないのでござる。これは、接している拙者が恥ずかしくなるのでござる。
 まだあって、実に仕事も有能なのでござる。慎重に確実にテキパキとこなしていくのでござる。仕事中は声をかけづらい感じもするのでござる。
 これを才色兼備というのでござろう。
 いい1日でござった。が、拙者は1日草刈でござった。それも結構刈りにくいところで、刃は磨り減って頻繁に交換しなければならなず、草は巻きついて機械は止まるという所でござった。

 と、今日はお疲れが多いので、「この辺でお休みなして」でござる。

お恥ずかしい!

2009-09-15 19:36:12 | Weblog
 写真は稲刈り中の拙者でござる。カッコよくコンバインを使っているつもりが、こう見ると決してカッコよく無いというのがわかるのでござる。写真の人物が小さく見えるのが救いでござる。

 恥ずかしいのはこれだけではござらぬ。稲の倒伏の仕方。実にカッコが悪いのでござる。
 倒伏しているからよく出来ているのだという御仁もいらっしゃることは事実でござるが、この倒れ方が問題でござる。フワーと倒れたようで、「拙者はもうだめでござる。各々方拙者をこのまま捨て置いて退却めされい」という感じでござるの。例年通りの時期に落水をしたのでござるが、その後雨が一滴も降らず根が弱って「もうだめー」と倒れた姿でござる。そんな姿にした拙者が恥ずかしい。ほとんどの田んぼがこれでござった。

 はたまた、草があぜ一杯に生えているのでござる。これも実にカッコが悪い。
 この時期、どちらさまも草をきれいに刈ってコンバイン作業をしやすくしてあるのでござるが、拙者の田んぼはそうとはとてもいえないものでござる。これもカッコ悪いのでござる。

 拙者この十年以上も『収量は反に8俵あればよい』としてきているのでござるが、今年はなんとしたことか反に9俵余りもあったのでござる。先日この事は載せさせていただいたが、どう考えても原因は穂肥施用した事によるものとしか考えられないのでござる。が、エルニーニョの発生などで「穂肥をやるのは控えるほうがいい」という指導機関や世間の声でござったが、散布量の調整が面倒くさいのと指導の反対をするといい結果があるという言い伝えで、博打的に施用したものでござる。それが当たったのでござろうか?
 このような結果は何年も前のことに思うのでござるが、その年は収穫前まで雨が定期的に降って水に苦労しなかったように思うのでござる。その時も同じように穂肥をやって成功したように思うのでござる。

 実は拙者反に10俵以上確実に収穫できる方法は知っているのでござるが、決して二度とそれはやらないと決めているのでござる。
 その一つは、コンバイン作業が困難なほど遅くまで水を溜めることでござる。溜めるというよりも通すというべきでござろうか。そうすることで根が元気でいてくれて、登熟が長く続き実の入りが良くなるのでござる。
 その二つは、穂が出揃った時に硫安を反に10~20kg施用するのでござる。これで反に1俵増えるのでござる。至って簡単なことでござる。
 その三つ目は、穂がうつむきかけたまだ青いうちに、チッソとカリを合わせて二つ目と同じほど施用するのでござる。これで30kgは収量が増えるのでござる。
 但し、これをやるにはケイ酸を多用して茎を強くしなければ、それこそ『豊作倒れ』で手刈りをしなければならないのでござる。
 ま、結果は豊作間違い無しでござるが・・・。

 この続きはまたの機会でござる。
 「お休みなして」でござる。

感謝

2009-09-12 13:22:35 | Weblog
 天の神、地の神、ご先祖様そして助けてもらった方々に感謝。
 ようやく今年の刈り入れは昨日で終了。今最後の籾が乾燥機から移されて籾摺りの最中ござろう。
 当初の見立ては、まずまず反当7俵半と見て必要面積分を残したのでござるが、なんと、籾摺りが終わってみるとおおよそ9俵になりそうな様子でござる。倉庫へ入るかどうか微妙なところでござるのだ。
 鹿さんや猪さんが入って困るので、今年はライオンのウンコや爆竹やロケット花火でやって見たのでござるが、結局、電気柵がもっとも効果的でござった。が、先日その電線が食い切られていたのでござるよ。「な・な・なんとまー!」でござった。粉や足跡から猪さんの仕業と思うのでござるが、8500ボルトによくもまー噛み付いたものと、感心するのでござる。
 しかし、こんな年にどうしてこれだけ収穫できたのか、原因がわからずに苦慮しているのでござる。
 ま、何にしても感謝、感謝でござる。

総合防除

2009-09-07 20:49:39 | Weblog
 写真は『オモダカ』という水田の雑草で、米の収量が減少するという害草でござる。が、清楚な白い花と独特の葉っぱできれいなものであり、『オモダカ』『ナラビオモダカ』『マルニオモダカ』など日本の伝統的な家紋にもなっているのでござるよ。
 今夜、先ほど天下のNHKで「スーパー雑草」ということで、「日本の水田のオモダカやアメリカのタイヌビエが除草剤の抵抗性が出来て今までの除草剤が聞かなくなった」という特集があったのでござる。除草剤の遺伝子が変わり、除草剤の成分をブロックしてしまったり解毒作用のように除草成分を分解してしまったりという事をするらしいのでござる。
 その対応策として、総合防除として害草を抑制する植物を作物と一緒に植えたり除草剤の使用を変えたりという事で行っていたのでござる。特にアメリカは世界の食糧を生産しているから・・・・という事であったのでござる。
 ここで思い出したのは、「天の神、地の神の恵み」という事と「総合防除」という二つでござった。
 天の神・地の神とは文字通り神の元締めのようなものと思うのでござるが、おそらく無駄なものとして造ったのではござらぬのであろう。人間が稲作をすることで無駄になったのでござろうし、日本の稲作ではあまりにも身近なものとして家紋にもなったのでござろう。
 拙者宅水田にも結構はびこってござるが、反に8表収穫するつもりなら、後半に発生するオモダカさんはあまり気になる存在ではござらぬだけでなく、白い花が8月末から9月にかけて汗をかいた心を和ませてくれるので、「そこに居座っていてくださっても結構」という感じでござる。地の神の贈り物と思っているのでござる。
 次は「総合防除など何を古臭いことを」というのが実感でござる。
 学生の時、卒論で「総合的防除と薬剤的防除に関する考察」というテーマで書いたことでござった。基本的には主任教授からは褒められも貶されもしなかったものの、全体では不評でござった。親友の助教授からも「これ、返す」と卒業後何十年もたってから返されてしまったのだから、内容はおして知るべしかと思うのでござる。
 内容は、〈DDTなどが出来るまでは自然の中で色々な手段で病害虫をへら明日努力がなされていたが、それら農薬が出来てからはそれに頼る薬剤防除になった。そのもとは食糧増産であるとともに経済作物としての農産物が優先され、換金性と現金収入を農家経済の軸となったところにある。サイレントスプリングに述べられているが如く、自然の摂理はそこから崩壊を始め、いずれ人間にその問題が災難として降りかかるから、今から総合的防除に目を向けなばならない〉というものでござった。
 だから、今頃何を・・・という気持ちなのでござる。
 惜しむらくは、わが親友の一人であるその助教授(今は准教授というのでござった)は、植物病理学会で期待の星であったものの、若くして儚くなりたもうたのでござる。でなければ、今頃は研究室ででかい面をしていたかも知れぬものであるが、彼の性格はそれができぬのであろうと存ずるのでござる。いずれまたあちらで会えるでござろう。
 というところで、拙者、友人の田んぼを耕作しているのでござるが、今年は不作といわれている中で反当たり10俵余りの収穫があったのでござる。世間では7俵ともいわれている中で、面目をほどこし、友人に喜ばれ、嬉しい限りでござった。その水田も、雑草が多くてコンバインが4回も詰まってしまったのでござる。
 そして今日は、コンバインが大怪我をして入院となったのでござる。トホホホ!

満月です

2009-09-04 20:44:19 | Weblog
 帰り道、まん丸の着きが東の空に出ていたのでござるよ。宵闇が山の陰影を浮かび上がらせて、その上に満月があったのでござる。
 おそらく9月でももそっと後の満月で、とんでもなく、それこそ飛んでしまうようないい思い出があるのでござる。しかしあの時の月はもっと澄み切っていたのでござる。とすると10月かな?ま、いずれでもいいのでござるよ。これは拙者が死ぬまで心に留めて、棺桶の中まで持っていくものでござろう。断っておくが、奥を裏切るものでは決して無いのでござる。天地神明に誓って!
 誰にでもこのような思い出はあるものでござるのだ。ウ・ファファファファ!
 宵闇の中に稲刈りのした跡がかすかに見えるのでござる。拙者も明日から稲刈りでござるが、なんとなく頭が痛くてショットして新型インフルかな?なんて不安も頭をよぎるのでござる。が、そんなことを言ってはおられませぬのじゃ。台風の不安と親戚へのおうえんをなんとしても遣りぬかねばと決めておるのでござるのじゃから。朝からちょこっと隅刈りをして、エンジンオイルの点検と補充をして、機械の調子を見て、いざ稲刈りと参るのでござる。が、何はともあれ、お茶お菓子(昔はこのお菓子を宝石と言ってござった)を忘れてはならんのでござる。
 滋賀のほうで習い覚えた方法で収量の概算を見てみたのでござるが、それぞれ千差万別でござった。これは反9俵半は確実というものから7俵かなというものまであったのでござる。拙者のことを棚に上げていては罰が当たるというものでござって、概ね7俵半というピンキリのキリに近いほうでござろう。
 ともかくも、今年は結果として完敗でござる。乾杯であればいいのでござるが、完敗では情けないのでござる。そしてその敗因も心に重くのしかかっているのでござる。
 頑張るのは明日の心だ!と小澤昭一先生の言葉を借りて。