HYAKUSHOU日記

毎日の作業と暮らしといろいろの出来事

昨日の続き

2011-11-28 20:34:36 | Weblog
 昨日は「住めば都」で終わったと思うのでござる。
 で、その続きなのでござるな。
 ということは、その反対語なのでござろう。

 てことで、「どこで住んでも同じ」なら「どこで死んでも同じ」となるのでござる。
 「何度か死にはぐれに合い」、「一度は完全に心臓が止まった」のでござり、と思うと、人間どこでどうなるかわからぬのでござるな。
 前の家内もそうでござったのだな。
 数分前まで拙者のそばにいたのでござるからして。

 しかし、人は活きるのでござるな。
 「なぜ?」と言われても困るのでござるが、拙者はオケラの化石であってもまだまだこれから和楽の中で活き続けたいのでござるからして、生きるのでござる。
 その途中で何があるかはわからぬということでござる。
 だからどこで死んでも一緒なのでござるな。

 日々、もみじの変化を見ることは楽しいものでござる。
 昨日しっかりと枝にくっついていた紅葉が、今日はちらりちらりと散るのでござる。
 そして、その跡には小さな来年の芽ができているのでござるな。
 昨日は車のタイヤが落ち葉で滑ることがなかったのに、今日はチュルッと滑るようになるのでござる。

 身近な人も然り、周りの小さな自然も然り、変化を続けるのでござる。
 その変化が楽しいのでござる。
 意に沿う事でなくとも、変化が見られたときに、拙者も生きているという実感があるのでござるな。
 それがいつも傍にいる愛しい人であり、遠くに離れている大切な人であっても、ちょっとした変化が拙者に「生きる」という事を感じさせてもらえるのでござる。

 で、話は全く変わって、今日は大阪の話で持ちきりでござるな。
 橋下市長と松井知事だったでござるかな。
 そのニュースの中で、某大政党の幹部が、維新の会が両方とも勝ったことについて、「大阪の人は閉塞感を感じていたのでしょう。」とほざいていたのでござる。
 拙者、それを聞いて一人で大笑いしていたのでござるが、誰もいなくてもなんか気恥ずかしいものでござった。

 「お前何考えてんねん。そんな事言うとるで負けるんじゃ!あーほー!」と言ったのでござる。
 拙者の知り合いが橋下氏の友人だという事で彼を応援しているのではござらぬ。
 今まで、大阪市・大阪府とも職員は「お前ら何様や。世間をよう見てみーや。お前らそこの必死になって仕事してるおっちゃんの税金で飯食って、そこまで文句言うか!」という経緯があったのでござる。
 歴代の首長は、選挙のためにそれを甘やかしてきたのだからでござろうな。

 それは大阪だけに限らず、労働組合の腐れ組合員とダラダラ幹をベースにしている政党は同じなのでござる。
 だからといって、大企業をベースにしている政党も願い下げでござるがな。
 そうなると、維新の会の如く、先のことが少々不明でも明確なビジョンを掲げて進めていく組織を指示するということになるのでござるな。
 自らの力は知れた力だからこそそういった組織を支持するのでござる。
 ひっくり返れば、既成政党は既に見放されたということなのでござるな。

 と、言いたい事を言って、明日の心だ!

もみじの頃

2011-11-27 22:22:10 | Weblog
 見事な赤のもみじでござる。
 木は小さくともその全葉が真っ赤に染まり、この木のそばへ行くだけで、我が身もまっ赤になりそうな思いでござる。
 夏にはどちらかというと緑が少々こいかと思う木なのでござった。

 この木は、大萩茗荷村の中に植わっているのでござる。
 村の変遷をずっと見てきたもみじなのでござろうな。
 そして毎年このまっ赤な秋色を見せてきてくれたのでござろう。

 今、村へいたる山の道路はもみじで染まってしまっているのでござる。
 道路に沿って流れる渓谷も、その道路や渓谷からそびえる山肌も、もみじの色で染まっているのでござる。
 しかしすべてが赤や黄色や褐色などという事ではござらぬ。
 自然林としての松林、人工林の杉や檜の林、それらの緑があってそれぞれのもみじが冴えて見えるのでござる。
 もし、もみじの色ばかりでござれば、飽きが来るかも知れぬのでござるな。

 そして、この頃になると、秋で寂しくなるからかして、友の声が懐かしくなるのでござる。
 もっと昔は、あの友が一生懸命に活きておるからして、拙者も負けずに活きねばと思い、また病であると聞けば、友の所へ行ってみようと思うも金と時間が無く行けず、という事もござった。
 遠くに在りても、友というのは力を与えてくれるものであるのだ。

 今年も義理を欠く事無くいけたと思い、友の声も聞けたのでござる。
 何はともあれ、友の声はいいものでござる。
 1年ぶりでござったり、2年以上ぶりでござったりと、その時間はそれぞれでござれど、ワープしたが如く時間が消え去るのでござるからして、これもいいものなのでござるな。

 されど、近年声の聞けぬ友が出てきたのでござるな。
 どれだけ呼びかけようとその友は声を発する事ができぬのでござる。
 前妻と同じでござるな。

 つい何ヶ月か前までは、どこで生きていても同じだと思っていたのでござる。
 いわゆる、「住めば都」というものでござるな。
 確かに同じようなものではござるが、それは周りに流されれば同じというもので、自分の足を突っ立てたとたんに同じではなくなるのでござる。
 幽霊の如く足が無ければ、同じと言えるのかも知れぬのでござる。

 そこで拙者、「どこでくたばるのも同じでござる」に変わってきているのでござるな。
 拙者そう思うには訳がござるのだ。

 それはまたの機会として、明日の心だ!

2011-11-25 22:09:58 | Weblog
 最近、「彩雲」といい「虹」といい、何か空に縁付いている拙者でござる。
 「空に何かあるかな?」と見ていると何かあるのでござる。
 それが彩雲であったり虹であったりという事なのでござるな。
 面白いものでござる。

 そして今日の夕暮れ間近に、またまた見てしまったのでござる。
 今からは想像の世界になるのでござるのだ。
 時間は、送迎がすんでその帰り道でござったから、4時40分かそれよりやや早い時間でござったのかと。

 それまでの弱い雨が山のほうへ行って、東の山のほうが暗く雨が降っているのでござるな。
 「やっぱり山は雨でござるか」と思い、直線道路をゆっくりと進んでいたのでござる。
 ふと見ると、その一部が赤いのでござる。

 雲から赤い足のようなものが下がっているのでござる。
 一瞬「目の錯覚か?」と思ったのでござるが、そうではござらぬのだ。
 確かに赤いのが伸びているのでござる。

 そのとき気が着いた感じでござった。
 「虹!」
 しかし赤一色の虹というものがあるのでござろうか?
 あるとすればなぜできるのか?
 虹は写真のようなものではなかろうでござらぬか?
 などなど、考えたのでござる。

 写真の虹の地面から立ち上がったところが、ちょっと見えている程度の赤いものでござった。
 で、足りない頭で足りない考えをたどったのでござる。
 じゃ~~ん!と答えが出たのでござった。

 まず、虹の足の部分程度の長さであることでござる。
 雨を降らしている雲の雲底が非常に低いため虹の長さが短いのでござる。
 いわゆる短足なのでござるな。

 そして赤いということでござる。
 時刻から言うと、ほとんど真横から夕陽が差している状況なのでござるな。
 従って、雲底ガ低くとも夕陽が雨に当たって虹になるのでござるな。
 加えて、夕陽は赤いものと決まっているのでござる。
 これは、短波長の光が散乱されてしまい、長波長の光である赤い光が届いているのでござるな。
 それが虹になるところへたどり着いても、赤い光しかないから赤い虹になるのでござろうな。

 と言う結論でござった。
 さも、それらしく、納得できそうな理屈をつけるのも大変なのでござる。
 もしこの屁理屈が正しいかどうか検証された方があれば、ご一報くだされたくお願いする次第でござる。

 で、明日の心だ

女性の集い!

2011-11-24 19:22:26 | Weblog
 こんばんは、でござる。
 以前のように、「毎晩ブログ」という事は、体力的にも能力的にも出来なくなっている拙者でござる。
 やはり、化石が化石になるのでござろうかな?

 しかしでござるな、このようなテーマを聞くと、なんとなくその集いに入ってみたくなるのが化石でも男というものでござろうかな。
 拙者、自慢ではないのでござるが、スケベーには少々自信がござるのだ。
 なんて事を書くと誤解されそうでござるが、この世の中誤解で成り立っているところが散見されるようにも思うところでござるのだ。
 人に言わせると、「スケベーの変態」ということもござるのだが・・・・。

 でもって本題に入ろうでござるのだ。
 実は、女性の集いというのは、「愛知の乾癬患者会」の事でござる。
 そこの主催で、「女性だけで女性の中でしか話せないことを話し合おう」ということなのでござるのだ。

 拙者も患っておる「乾癬」なるものは、その見栄えゆえに「避けられ」、「嫌われ」るのでござる。
 言葉を濁しても現実は変わらないから濁さずに言うのでござるが、そのために最悪のシナリオの自ら命を絶つということも聞き及んでいるのでござる。
 仕事(勤務)をやめるように仕組まれた人もいるのでござる。
 かくいう拙者も、いろいろとござったのでござるな。

 前の妻は、「絶対治る!」と信じて毎晩軟膏を全身に塗ってくれたのでござる。
 いろいろな事にも耐えてくれたのでござる。
 それこそ自分自身でも目を背けるような状態でもござったのだが。

 今の妻も同じでござる。
 治るというよりも如何に軽く快適に過ごせるだろうかと考え、軟膏を塗ってくれるのでござる。
 薬を飲み忘れるとしっかりと叱ってくれるのでござる。

 男ですらストレートに言いにくい事もござるのだが、女性であるなら尚更でござろうな。
 女性患者は男性ドクターにかかるのは、言う事が言えずに十分な相談ができず、困っているという事をよく聞くのでござる。
 「女性の事は女性で」という事が必要なのでござるな。

 でもって、次の通りにそのための集いがござるのだ。
 日時   12月11日(日曜) 午後1時30分から4時
 場所   名古屋市中区銀山町ー5-1 中京大学市民会館特別会議室
 その他  参加費無料
 などなどでござるが、もし参加をしてみたい女性の方お見えでござれば、ぜひ参加をして情報交換や学習をして見られてはいかがでござろうかな。

 というようなところで、案内を終了して、明日の心だ!

気になったのでござる

2011-11-18 21:21:55 | Weblog
 まず冒頭に、この写真はインターネットのどこかからお借りしたのでござるが、ゴメンナサイなのでござる。
 最近は著作権などという事があって、おいそれとは写真をお借りできないのでござるらしいのだ。
 しかしそれは至極当然の事でござる。
 これは衛星写真家と思うのでござるが、数百キロ上空からこのように見える事は、拙者の脳みそとお目目では理解しきれぬのでござるな。

 昨日のニュースで気になることがあったのでござるな。
 「自衛隊が離島の侵略に備えて演習」というものでござり、その同じ項に「中国が離島占領の作戦を研究・・・」と合ったのでござる。
 かいつまむと、ベトナムやフィリピンなどと領有権を争っている南シナ海、沖縄の南の方で領有権を主張しだしているところ等で、「まず離島を占領し、それから本土の軍事施設を攻撃破壊する」というもののようでござる。

 拙者感じたのは、そこでの文は「まず南シナ海から始め、次いで東シナ海」という事を述べ、その間に援護に来た米軍を叩くというもののように記憶しているのでござる。
 この事をまともに受け取ると、その通りになるのでござるが、中国は一筋縄でいくものではなく、狸と狢と狐とゾンビを掛け算したようなもの(狸さん、狢さん、狐さん、ゾンビと並べてゴメンナサイ。あなた方は正直に一生懸命に活きているのですから)と思うところでござる。
 そうなると、まともに正面から考えることは「あかん!」となるのでござるな。

 その昔、親中国の政治団体のお方が、「毛沢東語録にも有るように、右を打つと見せて左を打つ(その逆もある)、というのが大事なのだ。」と言っていたのを思い出したのでござる。
 とすると、東シナ海か黄海あたりをまず最初の目標にして、日本だけでなく中華民国や韓国を揺さぶり、出てくる米軍と対決するような振りをして、筋の通らぬ中国が手ごわい反撃に合うと一時はすっこんでいき、またぞろ出てくるという間に、南シナ海を混乱させ取れそうな方へ全力を挙げるというような事をするのではないかと思うのでござる。
 目的は領土拡大で資源の確保なのだから、でござる。

 また、そこには、もう一つ書いてあったのでござる。
 「昔はそのような領土拡張が当たり前で、それを非難されることはない」というものでござる。

 確かに昔はそうでござろう。
 それはせいぜい大砲が最新兵器の時代まででござり、今のように大量破壊兵器が大手を振っている時代には合わないように思うのでござる。
 なぜなら、占領が不可能で敵方の手に渡ると不利な立場に立つという時には、そこを何千年も住めず使えないような土地にしてしまう事ができるからでござる。
 そこに住む人々のことは全く無視してでござる。

 自衛隊の演習は既に遅いのではなかろうかということと、やはり拙者たちは平和ボケをしているのでござり、それが外国のねらい目なのでござろうな。

 なんか情けない拙者どもでござるな。

 で、明日の心だ! 

なんじゃ?

2011-11-13 20:35:51 | Weblog
 今宵は「なんじゃ?!」でござる。
 この木の生えているところは、蛍が飛び交うところで、拙者、今年は蛍に堪能したのでござる。
 しかし、この花が咲いている頃はまだ蛍が飛び交う時期ではなかったのでござる。

 前拙宅の近くに、「なんじゃもんじゃ」の木が2本生えてござったのだ。
 拙者、「なんじゃもんじゃ」の木というものをそれまで見たことがなかったのでござるからして、それを見たときには、まさに「なんじゃ?!ありゃー!?」と言ったのでござる。
 それこそ、「初夏というのに雪を被った木が2本!」というもので、びっくり仰天なのでござる。

 若葉を隠して白い花一色なのでござる。
 桜が葉の前に桜色一色になるのとはちょっと異なっているのでござるな。
 桜が春色と一緒に来るのでござり、「桜の季節でござる」とか「花見でござるな!」となるのでござるが、この木はちょっと違うのでござるな。
 山の新緑の世界に、突然雪の積もった木が現れるのでござる。

 それに驚いて、「なんじゃ?」という言葉へ、「「もんじゃ!」と応えたとか・・・・でござる。
 それで、「なんじゃもんじゃ」という名前になったとかならなかったとか、という説がござるらしいのだ。
 嘘か本当か、信じるか信じないかはあなた次第でござる。

 ところがでござるな。
 人というのは情けないものでござる。
 この木をずばりずばりと切り倒すのでござるな。
 情緒も情けも無いものでござるな。

 電力会社は、高圧線を通すだけのためにその下のものをすべて切り倒し刈り倒すのでござる。
 それは、鉄塔の立つところだけでなく、線の通る所とその幅より広く切り倒し借り倒すのでござる。
 それゆえ、遠くから見ると山肌に真っ直ぐ道路を通すような景色になっているのでござるな。

 その時に、おそらく「なんじゃもんじゃ」の木が何本か切り倒されたのでござろう。
 今残っているところから見るともう少々上の位置にあらねば、今の位置に「なんじゃもんじゃ」の木は無いように思えるのでござる。
 今残っているだけでも観光の1資産かと思えるのでござるからして、その山の尾根筋から田んぼのそばまで生えていれば、まさにその時期だけでもいい観光資源でござる。
 「なんじゃもんじゃ」という言葉だけでもいいと思うのでござる。

 まあ、電力会社というのは、人々の生活を人質のごとくに扱っている会社でござるのかして、そこに暮らす人の事はなんとも思わぬらしいのでござるな。
 これはその会社の現場で必死に働く人の事をいっているのではござらぬからして、決して誤解なされぬように、なのでござる。

 ということで、明日の心だ!

咲きました!

2011-11-10 21:50:34 | Weblog
 寒蘭の豊雪ガ咲いたのでござる。
 拙宅の玄関で、静かに咲いてござるのでござる。
 ややクリーム色の白い花でござる。

 この寒蘭どこから拙宅へ来たのかでござるな。
 その辺からのお話となるのでござろうかな。
 「聞くも涙語るも涙」というようなものではござらぬのでござる。

 これは信州から拙宅へ来たのでござる。
 信州の山で採取したというものではござらぬ。
 有るわけがござらぬのだ。

 拙者の先輩が、過日亡くなられたのでござる。
 先輩とはいえ、卒業されたのではなく途中下車されているのでござるが、その存在はまさに先輩なのでござる。
 拙者が入学した年から学内はまさに混沌としており、授業は5月中頃まででその後は「バリケード封鎖」でござった。
 そこに至るまでは、クラス会とか自治会とかいろいろな名前で話をしていたようでござった。
 そして「スト権確立」ということでストライキ=授業ボイコット→バリケード封鎖となったのでござる。
 もちろん、拙者は三崎町や神田で当局・大学側による流血事件などは知る由もなかったのでござるが。

 拙者は、それらの事にほとんど無関心で、、夏休み等には実家へ帰りアルバイトに精を出していたのでござる。
 いわゆる無関心だらけのノンポリというやつでござるな。
 アホの拙者が何も考えずにノンポリを決め込んでいるのだからして、「基本的アホ」でござるな。

 時間が少々過ぎて、9月29日に突然友人達が拙者のアパートへきて「泊めろ」ということになったのでござる。
 何のことかはわからず「ええど」という事になり、訳を聴くと「大衆団交」が明日あるということでござった。
 翌日、拙者はよくわからずに友たちの後を着いて行ったのでござる。

 会場では、その熱気にまず圧倒されたのでござる。
 そして「普通ならベンツの後部座席に乗り拙者等は鼻にもかけられずその辺のゴミのように思っている」理事のおっさん達が登壇してきたのでござる。
 深夜までかかって、使途不明金や脱税の問題(それは嫌でも耳に入り知っていたことでござり拙者もイラーとしていたのでござる)を喧々囂々と話し、退陣するという各役所まで取ったのでござるな。
 
 されど翌日には総理大臣が「アレは人民裁判だから無効だよ」と全マスコミを通じて言ったものでござった。
 そんな馬鹿な話はなかろうと、拙者は鼻息荒く(本当はオズオズと)バリケードへ入っていったのでござった。
 そこに先輩が(実に大勢の)おられて、その先輩は「おめーよ、それはだな、こういうことなんだよな。」といろいろ教えてくれたのでござる。

 ゲバラの旗をバックにアジる先輩は実に良いのでござる。
 黒のベレー、黒のシャツに黒のズボン、黒のコートという姿なのでござるな。
 カッコええのでござる!
 そして事有るごとに拙者にいろいろと教えてくださった先輩なのでござる。

 時が流れ、拙者が結婚し子供ができてから、突然拙宅を訪れてくれたのでござるな。
 「おめーらはよー、世渡りが下手だからよ、心配で見て歩いてるんだよ。」と、のたまわれたのでござる。
 
 というようなことが有り、今になってその先輩が亡くなられてしまい、その肩身として拙宅へ来た寒蘭でござる。
 それが花を咲いたのでござる。 
 白い銘花を眺めて、ゲバラのごとき先輩をしのんでいるのでござる。

 その大衆団交が9月30日でござり、毎年の拙者の記念日となっているのでござる。

 と長くなり申したので、この辺で「明日の心だ!」

彩雲

2011-11-08 21:23:20 | Weblog
 これは吉兆か!?
 という感じで彩雲を見たのでござる。
 偶然見つけたという感じではござるが、決して偶然だけということでもないように感ずるところでござる。

 本日午後4時過ぎでござる。
 拙者、お仕事の送迎をしている時でござったのだ。
 お天道様が西から差し込んで、実にまぶしいのでござったのだ。

 で、拙者、日よけを下ろしてそれを避けていたのでござるな。
 でござるが、その時「フッ!」とひらめいたのでござるな。
 このような時には、「何かあるのでござる!」と、お天道様の周辺を探しながら運転していたのでござるな。

 と、突然目に彩雲が入ったのでござる。
 こんなものが目に入るというと天をも吸い込むほどの目でござろうが、正しくは目に映ったということに言い換えればいいのでござろうかな。
 お天道様の位置から水平方向左に見えるではござらぬか。
 そして、その対象の位置にも見えたのでござるな。

 いつぞや見たという気がするのでござるが、感覚的には数十年前という感じでござる。
 それが最後でござり、その後は気にも留めていなかったという事でござろうな。
 大人の夢無き時でござろうか。
 そう思うと、侘びしい限りでござるな。

 送迎の途中ということで、これはゆめっちと一緒に見たのでござる。
 ゆめっちは初めて見たようでござる。
 少々これの曰くを話したのでござるが、わかってくれたかどうか。

 それよりも、これを見ると吉兆だといういわれがござるが、それの方が気になったところでござるのだな。
 今日のところだけでも、あるいはこの先何日かか、拙者の人生の最後なのか、どこかに吉という事があればそれで万々歳でござる。
 という事を考えたところで、今の拙者、毎日が吉でござると気が着いたというものでござる。
 再婚に難があり今の状況でござるが、拙者十分生きているのでござる。
 正確には、「二人は活きている」というものでござる。

 というところで、明日の心だ!となるのでござるな。

秋真っ盛り

2011-11-07 21:35:00 | Weblog
 このコスモス畑、日日通るところに咲いているのでござるな。
 そして、すぐ近くにはそばの畑があるのでござるが、これがまた「うすみどり的白色」で埋め尽くされているのでござるな。
 されどそのソバはもう茶色がかってきており、ちょっと醜くなっているのでござるな。
 それはとりもなおさず、ソバの実が実り、そば粉ができて、新蕎麦を食せるという、実に嬉しい事が待っているのでござるな。

 従って写真はこのコスモスとなった次第でござる。
 コスモスは拙者にとって不思議な植物の一つなのでござる。
 正しくは不思議というのではなく、捉えどころがないという方がいいのでござるかな。

 臙脂に近い濃食の花と、白い花と、その中間の桃色の花が、混然と咲き誇っているところは、絢爛豪華であり、周りの田んぼの風景の中の都会のような色合いを持ち、その色合いは凄いという感じがするのでござるな。
 そして、近寄って接吻をするぐらい近寄ると、その一輪一輪は実に弱い花に見えるのでござるな。
 その一輪を手折ろうとすると、その細い茎は実にしなやかで手折ることが難しいのでござる。

 この植物、「コスモス=宇宙」などという大それた名前でござるが、その通りなのかも知れぬと思うのでござる。
 まさに宇宙の如き捉えどころがないのでござるな。
 もっと端的に言うと、女性そのものかも知れぬのでござるな。

 その絢爛さ、艶やかさ、そのしとやかな従順さ、そのしなごい強いしなやかさ、を持っているのでござる。
 この植物は、女性の持つものをそのまま持っているというように思う拙者なのでござる。
 そう思うのは、拙者だけではなかろうと思うところでもござる。

 もそっと書きたいところなのでござるが、最近は眠気が時間を追い越していくのでござる。
 でもって、中途半端でもいい、明日の心だ!となるのでござる。

花色

2011-11-06 20:38:48 | Weblog
 来年のスケジュール手帳を買ったのでござる。
 拙者は昨年と同じものでござる。
 このような物は、変える時は全く異なった物にするもので、変えないとなれば同じ物にするのがいいと思うところでござる。
 
 パートナーの手帳に入っていた広告に、良い言葉が書いたものがあったのでござる。
 それがいたく気に入ってしまったのでござる。
 それでお題のごとき言葉になったのでござる。

 ではどのような言葉かという事でござる。
 「土の中に絵の具があるのかな」・・・・・・!、という言葉でござる。
 4歳の子が言った言葉ということでござる。

 この言葉を文字で見たとき、思わず笑ってしまったのでござる。
 この言葉が出るなんて、拙者の脳みそでは思いつかないのでござるな。
 この硬直した脳硬化症に陥った頭では「あかん!」のでござるな。
 柔軟な思考が言わせる言葉なのでござろうな。

 写真の花の色、一体何でこの色となるのでござろうか。
 「色の素」はどこから来るのでござろうか。
 細胞に溜まる色はどこから来るのでござろうか。

 専門的に考えると、「細胞が生長・分裂する過程でそれぞれ役目のある細胞ができ、花びらになる細胞それぞれに花の色の元になる粒が作られて、開花をすると花の色になるのだ・・」というような説明になるのでござろうが、その色の素は何でどこから来るのかなんて聞かれると実に困るのでござる。
 拙者ははっきりとは知らぬからでござる。
 こうなると、土の中に絵の具があるのでなかろうかな?、なんていうのがいいように思うところでござる。

 昔を思い出す拙者なのでござるな。
 某伊賀北部農協にいるときにはいろいろな質問を受けたことがござったのだ。
 保育園の園児、小学生、中学生、おっさん、おばさん、・・・。
 一番難しいのは保育園年長さんから小学生の低学年でござるな。
 一番簡単なのはおっさんおばさんなのでござる。

 これは実に簡単な事なのでござる。
 見栄を張るというか、わかった様な顔をする人ほど難しい説明をするとわかったような顔になってしまうのでござる。
 小さな子にはそれがないから、わからなければどんどんと「なんでー?」「それなにー?」「そんなんむずかしてわからへんー!」と質問するのでござる。
 わかってもらうには、まず拙者がわかっていて、それを実に簡単な言葉で説明できることが大事なのでござる。

 と言ったところで、、眠いのでござるからして、風呂に入って寝るのでござる。
 で、明日の心だ!でござる。