HYAKUSHOU日記

毎日の作業と暮らしといろいろの出来事

金環日食

2012-05-21 21:43:17 | Weblog
 今日は金環日食とて、世紀の天体ショーとの事でござった。
 確かに、百年のうちにそう何回もあるものではないのでござろうな。
 地球の上では地域を変えて何回もあるのかもしれないのでござるが、拙者達が見るということでは世紀なのでござろうな。

 ということで、拙者いつもどおりに起きはしたのでござる。
 そして西の空を見たときに「晴れている!」と喜び、東の空を見たときには「曇ってる!」と叫んだのでござった。
 朝食を済ませて、いつもより早く6時45分に家を出たのでござる。

 既に部分食が始まる時間でござるが、仕事場へ早く着こうと思うもののいつも通りの運転を心がけたのでござる。
 車の少ないところは片手運転でひげをそり・・・という具合でござる。
 そして今朝は、交差点では黒いプラスチックの板で、お天道様を見ながらの出勤でござった。

 進むに従って、お天道様の欠けるのが多くなるのでござった。
 かなり早く着いたので、プラ板を半分に切って子供達のいるところへ持って行き子供も大人も喜んで見ていたようだったのでござる。
 拙者は工房の前で見ていたのでござるが、残念なことに小便をこらえられずに便所へ行った時に金環食が過ぎてしまったのでござるのだ。
 なぜなら、やはり周りがちょっとばかり日が翳ったようになり、加えて薄ら寒くなって、便所へ行きたくなったのでござるからでござる。
 お天道様のお力でござるな。

 そのことは残念でござるが、家のほうで写真を撮れたという事でござるので、とりあえずはOKでござろうな。
 写真を撮っていると、カメラの電池が赤色に点滅したのでござる。
 「おっとどっこい、電池切れでは話になっらん」と、携帯でプラ板のフィルターを着けずに写したのでござる。

 さればでござるな、最初はモニター画面に黒いしみでもついたかと思いこすってみたのでござるな。
 さりとて黒いしみは取れないのでござる。
 でもって、最大ズームで写してみると、これがお天道様の手前にあるお月様の姿なのでござろうと思ったのでござるな。

 何回写してもそれが変わらぬゆえ、確信したのでござる。
 このような写真をいつぞや見た記憶が浮かんできたのでござるな。
 「普通に可視光で写した写真として掲載されていたものが、科学雑誌にあったというおぼろげな記憶でござった。

 普通に金環食としての写真はいろいろな場面でお目にかかるでござろうが、「このような普通に写したらこんなに見えた」というのは少なかろうと出してみたのでござる。
 拙者も不思議な気持ちでござったからしてな。
 お天道様の前にお月様が写っているというのは、なかなか写せるものではござらぬな。

 そしてこの時に思い出したのは、小学生という何十年前にガラスに煤をつけてそれで日食さんを見た記憶でござる。
 うっかりするとガラスが「ピン!」と割れてしまったりするのでござる。
 でも上手くできて、お天道様が見えたときには嬉しいものでござった。

 それから数年して、今度は黒い下敷きでお天道様の観察をしたことも思い出したのでござる。
 そのときも部分日食でござったと思うのでござる。
 子供達の歓声を効きながら自分の子供も頃を思い出して、日食さんを見ていると、懐かしさも一緒にあふれてきたのでござる。

 そんなこんなで今日はなんとなく嬉しいことがあった日でござった。

 でもって、明日の心だ!

さくら

2012-05-20 20:48:50 | Weblog
 今年は桜の話題が多いのでござる。
 なぜだかそうなのでござるな。
 拙者にもわからぬのでござる。

 しかしこの写真はまさに桜の仲間なのでござるよ。
 樹木図鑑で調べても、インテラネットで調べても、桜の仲間なのでござるな。
 歓桜会に始まって、桜らしからぬ桜になったのでござる。

 しかしでござるな、この名前がシウリザクラか、バクチノキなのか、ウワミズザクラなのかよくわからぬのでござるな。
 でもいいのでござる。
 山道で、緑がたくさんあって、そこに若葉と白い花房の爽やかな木があるとそれだけで絵になるのでござる。

 春爛漫の「花がいっぱい」の時期が過ぎ、今は「緑には一体どれだけ種類があるのかな?」という時をやや過ぎて、それらの緑が濃淡と特徴のある植物特有の緑になろうという時期にかかってきているのでござろうな。
 それこそ、一体どれだけ緑色があるのかという時期が最近まであったのでござるな。
 銀色に近い緑や白に近い緑、黄色というような緑から若葉そのままの緑、赤に限りなく近いかというものから桃色緑もあり、それこそ木の一本ずつが違う緑でなかろうかと思うところでござる。

 と、美しい日本の国土、地球温暖化と言いつつも四季の美しい日本なのでござるな。
 拙者、四季のどれもが好きなのでござるな。
 春夏秋冬それぞれに趣があって、それぞれの彩があり、それぞれの生活の色があるのでござる。

 一番最近の出来事として、関東で上水道取水河川にホルムアルデヒドが流れたということでござる。
 なんとなくキナ臭さというか胡散臭いというか、不自然さを感じるのでござるな。
 友人知人ともそのようなkとを話していたのでござる。

 誰かが故意に投入したものとすれば、これはとんでもなく恐ろしいことの前触れかと考えてしまうのでござる。
 一斗缶の数本を河川へ投げ込んでも、水の採取地点ではかなり薄まるでござろうが、当然人の口へ入るものでござるからして、行政では水をとめる事態となるでござろうな。
 当然の処置でござる。

 そして、同時に考えるのは、某国から水源となる山野を買い付けに入っているということでござり、水と食料が戦略物資になるということでござる。
 この小さな島国の日本の喉元を締め上げるのはいとも簡単でござる、ということなのでござるな。
 今の日本ならば、食糧の入手を止め、水を使えなくすれば、「ごめん!堪忍して!」となるのでござろうな。

 そういうことを考えると、夜も寝られない!じゃなくて、そのような事に関心のある国には重要うな情報をこれでもかというくらい提供したように思えるのでござる。
 どれほど混乱するのか、どの範囲まで影響が及ぼされるのか、などなど、戦略的な資料が手に入ったのでござろうな。
 孫子曰く、「戦術を語るは下、戦略を語るは中、兵站を語るは上なり」。
 日本を屈服させるのは簡単でござろう。

 我が孫などを考えると、聞かされている戦争などは、真っ平なのでござる。
 などと寝つきの悪いことを言ってしまったのでござるが、誰しも平和でありたいもの。
 
 というところで、明日の心だ!

 

信楽ACT

2012-05-06 21:49:34 | Weblog
 「信楽アクト」と言うらしいのでござる。
 家内が友人に教えてもらい、行ってみたのでござる。
 いつも行くところではござるが、その界隈はあまり行かぬところでござるからして、珍しげもあったのでござるな。

 車を止めて、歩いていったのでござるが、途中には何十年も前の思い出のお店があったりして、なんだかんだと思い出などを言いながら歩いて行ったのでござる。
 神社の案内所で聞いて歩きかけたのでござるが、神社からして面白いのでござる。
 狛犬が陶器であり、太鼓も陶器の太鼓が据えてあったりするのでござる。
 境内に拙者達を認めお祝いをしていただいた神様が鎮座ましてござり、御拝参をしたのでござった。

 坂道をだらだらと歩いて上がると、あちこちに新進の作家さんや窯元さんの作品を展示したり喫茶店やレストランを開いたりしているのでござる。
 その一軒で珈琲を飲んで、傍の展示会場を見ていると、オーストラリアの作家さんが作ったという作品があったのでござる。
 白磁の作品の一個づつが自然光の中で異なった色と趣を浮かび上がらせて、素晴らしい作品なのでござる。

 その隣を除くと割れた甕などを置くことで全体が作品であったりするのでござる。
 そしてその隣には、写真の巨大風鈴が清んだ音を時々奏でるのでござるな。
 部屋の中に、輪っかになった陶器を、風が通り過ぎた時に、触れるか触れない程度の感覚に吊り下げてあるのでござる。
 それが、風でとんでもなく清んだ音色を発するのでござる。
 鳴子の要領でござるな。

 登り窯を見たりしていると、件の友人にばったりと出会ったのでござる。
 そこで思い出したのが、お寺へ香炉をお供えするときに作っていただいた窯元で見た、登り窯の中がガラスの光でキラキラと輝いている光景でござった。
 その光が思い出されたのでござる。

 雨が降ってきたので急ぎ足で歩いていると、お堂の中にも展示されているのでござった。
 その界隈の使えるもの、界隈での面白そうなものを、展示場にしたり展示物そのものにしたりしているのでござる。
 なかなかに面白いイベントでござった。

 そこで感じたことが一つでござった。
 「表現」なのでござるな。
 表現が何の表現なのかな?というものでござる。

 簡単に言うと、自分の思いだけの表現なのか、自分と周りを少し考えた表現なのか、自分の存在が周りによるものなのか、と、いうようなことでござるな。
 自分が感じたままだけの作品もあれば、自分の存在が周りの人や環境に支えられているのだということを感じさせる作品もあると思えたのでござる。
 なかなかに感じさせるところでござった。

 来年も行ってみようと思ったところでござった。
 そのように思えるイベントなのでござる。
 そこへ行く機会をくれた友人と家内に感謝でござる。

 というところで、明日の心だ!