HYAKUSHOU日記

毎日の作業と暮らしといろいろの出来事

唄3

2010-12-30 16:40:40 | Weblog
 ネタが切れるとこのお題になるという、実に横着な拙者でござるのだ。
 しかし便利というか、横着者には都合が実によろしいのでござる。
 これが切れれば他のCDからということで、ネタが切れた時の準備は万全でござるのだ。
 三昔前ならば、CDなどではなくレコードというところでござるがな。

 「逢いたさ 見たさに 怖さを 忘れ
  暗い夜道を ただひとり・・・」
 と、始まるのは、「籠の鳥」でござる。
 秘めた恋の切なさ悲しさが溢れているのでござるな。
 深窓のお嬢様かと思いきや、歌詞を読んでいると、「いやいや、そうでもなかろう」と思うところでござるのだ。
 ひょっとしてこれは「姫たちを置いたところの窓辺」の事ではござらぬかと思うのでござる。
 いわゆる、「赤線」「売春宿」というところでも、このような事はおこりうると思うところでござる。
 されど、女心の恋をする切なさが溢れているのでござる。

 「窓は夜露に 濡れて
  都 すでに 遠のく・・・」
 とでると、小林明さんの声が聞こえそうでござるな。
 今度は「北帰行」で、男心でござる。
 この唄、スケールは少々変われど、「蒙古放浪の唄」と似ている感じなのでござるな。
 「男はかくもつらい」というところはこれの方が強いのでござるが、その感覚は日本的でござるのだ」と感ずるところでござる。
 この唄も、酒を飲みながらとなると辛い想い出も浮かんでくるのでござる。

 「夜がまた来る 思い出のせて
  俺を泣かせに 足音も無く・・・」
 これは「さすらい」で、これまた小林明さんでござるな。
 但し、これは拙者の世代でござるからして、小林明さんなのでござる。
 他にも歌われている方がお見えと思うところでござるが、拙者はその小林明さんしか存ぜぬのでござるからして、ごめんでござる。
 「北帰行」以上にむなしさが溢れるのでござる。
 拙者、数年前ならば大賛同すると思うのでござるが、今の拙者はそこまでむなしさを抱えてはおらぬようでござるな。
 なぜかというと、「ウヒヒヒヒ・・・(謎の笑)」なのでござる。

 日本哀歌集はこれだけの唄なのでござる。
 これは、拙者が学生の頃から聞いてたのでござる。
 このレコードカバーの加藤登紀子さんに恋をしていたかも知れぬのでござる。
 故に、朝はこの中から「蒙古放浪の唄」などをかけて目覚め、それで出かけるという事もござったのだ。

 藤本敏生氏と加藤登紀子さんが結婚ということを聞いたときには、拙者気落ちしていたのでござる。
 藤本敏生氏にではござらぬ。
 彼の結婚で泣いた女性は、「履いて捨てるほどいた」と噂には聞いてござるのだが、拙者は加藤登紀子さんにでござる。
 これを、ご夫婦の娘さんへ伝えたところ、泣いた女性のことは知っていたのでござるが、「拙者のような男もいた」ということは鼻にもかけられぬのでござった。

 しかし、その娘さん YAEさんも素晴らしい歌手なのでござる。
 彼女の愛の唄を聴きながら、彼は旅立ったのでござる。
 おそらく唄のイメージの愛を懐にしていたでござろうな。

 今日は、拙宅の餅つきでござった。
 半世紀以上も前には、父上が杵を持って石臼で餅つきをしたのでござった。
 家族は六人でござったが、餅をつくのは3升餅を十二臼もつくのでござった。
 お鏡はもちろん、伸し餅、花びら、かきもち、切子(あられ)とつくのでござるからして、父上の力強さを今更ながら感ずるところでござる。
 今の拙者には、一臼すらどうかと思うのでござる。

 そんなこんなの年の瀬でござり、あとは、「明日の心だ!」

シイタケステーキ

2010-12-29 19:03:44 | Weblog
 今夜は何をすればよかろうでござるかな?
 などと、夕餉のメニューを考えるとき、これはいいのでござる。
 大振りのシイタケがござれば、それで一品出来上がりでござるし、ちょっと美味そうなのでござる。

 このシイタケ、とあるシイタケ農家からいただいたものでござり、大振り肉厚ときてござるのだ。
 生でも実に美味そうなのでござるな。
 今宵はこれを拙者が調理したのでござる。

 まず、キャベツを千切りにして、所定の皿へ敷いておくのでござるな。
 これが有るのと無いのとでは、格段に見栄えが違うのでござる。
 それに生野菜を摂る事でもいいのでござる。

 次いで、しいたけを洗って埃だけ流し、しいたけの足をとって、足はスープなどに使うので残しておくのでござるよ。
 しいたけの上面に切れ目を入れて、食べやすさと火のとおりを良くするのでござるな。
 しいたけを並べておいて、シイタケの表も裏も塩コショウをしておくのでござる。
 そのあと少し置いておけばよく馴染むのでござるな。
 これで準備は完璧でござる。

 フライパンを良く焼く事でござる。
 これをしておかぬと、シイタケが変に油っぽくなってしまうのでござるな。
 焼けたフライパンへごま油を多めにたらしておくのでござるが、これは拙者流でござる。
 そこへシイタケをジュー!と置くのでござるよ。
 最初はひだのある裏から焼く方が良いと思うところでござる。

 シイタケをひっくり返したらひだが出るので、この時に酒かブランデーなどをそこへたらすのでござるな。
 いい加減で再度ひっくり返し、ひだ側を焼くのでござる。
 最初に入れておいた切れ目が開いて、ひだの方もそこそこシンナリすれば完了でござる。
 後は、先ほどの皿へ盛って終わりなのでござるな。

 簡単でござろう。
 なんて言うとカッコをつけたようでござるが、誰でもしていることでござるな。
 ごま油といわず、高級バターなどを使われているでござろう。
 拙者のごとき者は、このごま油と酒の香りが実に美味く合うのでござり、美味しい!のでござる。
 
 それがために、ご飯をまるまる二杯と味噌汁一杯とその他のおかずを食べて、仕上げにぜんざいの残りをしっかり一杯半食してしまったのでござる。
 満足×満足でござるな。
 拙者、朝はしっかりと食べて、昼は軽く食するのでござり、夜は満足ずるだけ食べるという、谷型食生活でござるのかな。

 しかし、貧乏百姓とはいえ、毎日三食いただけるのは実にありがたい事でござる。
 今日の新聞に、孤独死で飢え死の事が出ておったのでござるが、そうならない事に感謝でござる。
 今の日本、そのように餓死する事が有るのかと思うかも知れぬでござるな。

 新聞を見ても、テレビを見ても、そんな事がたまに報道されるようでござるが、「餓死」が有るようでござる。
 その記事を見ると、最終的なところは行政や政治が、「そんな貧乏人の末端など捨てておけばいい」というよなところが見て取れるのでござる。
 自分の権力保持や保身だけに汲々としているように思われるのでござる。
 それが中枢のところから末端の行政まで彩られているように感ずるのでござるな。
 貧乏人の僻みと思し召されればいいような事ではござるがな。

 明日は朝早くから、正月の餅つきでござる。
 お鏡や伸し餅など、五臼つく予定なのでござる。
 年いった婆様ではできぬゆえ、拙者も一緒にするという段取りでござる。

 というところで、「明日の心だ!」

孫だ!

2010-12-28 19:28:27 | Weblog
 いよいよ登場でござるのだ!
 拙者の孫でござるのだ!
 もんくあっか!

 なんて高い調子でがなってみても、「あほか!」と言われればそれまででござるな。
 しかし、嬉しいものでござる。
 そうは聞かされていても、実際に見ると自然と笑みがこぼれるのでござる。
 なんと言えばいいのかわからぬのでござるが、とにもかくにも嬉しいのでござるのだ。

 倅のこの頃にも似ておるのでござるが、全体には嫁と似ており、倅に言わせると「嫁の写真はこのままだ」ということでござる。
 されど、この孫は男なのでござるのだ。
 ちゃんと忘れ物をせずに出てきたのでござるよ。

 実のところ、男の子でござろうが女の子でござろうが、拙者良かったのでござる。
 まず普通に生まれてくることでござるのだ。
 それで、十分なのでござる。

 この写真、宮参りのとき、拙者からお祝いに送った祝いの「おしもん(和三盆や米粉などを固めた菓子)」をだかえさせられたところでござる。
 当地方では祝い事などには、これを贈ったり内祝いにする風習がござるのだ。
 しかし、写真で見ると、おしもんの鯛が大きいのか孫が小さいのか、ちょっと面白い写真でござる。

 倅と嫁は、拙宅へメールの受けられるパネルを置いて、毎日のように写真を送ってくれるのでござる。
 それを見ては、拙者、曾爺様、曾ばあ様はニンマリとしているのでござる。
 家族で喧嘩をしても、これを見ると恥ずかしくなるのでござるな。
 孫とは不思議なものなのでござる。

 拙者の知る範囲では、拙者の爺様がいて婆様と一緒になり、拙者の父上(今の曾爺様)が生まれて、母上と一緒になり、そして拙者が生まれたのでござるな。
 その拙者が家内と一緒になって、倅二人が生まれたのでござるな。
 そしていつの間にか、倅の一人が嫁と結婚して、この孫が生まれたのでござる。
 命というのは連々と受け継がれるのでござるな。

 逆鼠算の要領で、10代遡ると実に1,024人の人が関わる事になるのでござるな。
 12代となると4,096人の人がいないと、今の拙者がいないという事になるのでござるな。
 その半数づつの男女がいないと、今の拙者は影も形も無いのでござる。
 そう思うと、一体拙者は誰だなんていうことや、ご先祖は云々と家系を述べても、何にもならぬように思えるのでござる。

 ご先祖が江戸末期に水飲み百姓でござると言われても、その何代か前にはやんごとなき身分でござったかも知れぬのでござる。
 今は権勢を奮っていても、二十代前には誰がいたかわからぬのでござるな。
 今その辺で偉そうに肩で風切って歩いている人も、先祖をたどれば夜盗追い剥ぎであったかも知れぬのでござるな。
 
 そう考えてテレビなどを見ていると、「この人のご先祖は・・・」という考えになり、実に面白いのでござる。
 戦国時代には、ご先祖さんどうしが血みどろの戦をしていたかも知れぬのでござる。
 こう考えると、人というか、動物の世界、ひいては生物の世界は面白くなるのでござるな。
 今だけを見て、「あそこの家は・・・」とか「あの人の先祖は・・・」などと言う事がばかばかしくなるのでござるな。

 願うのは、この孫がこの先どのような艱難辛苦にも耐えて、立派に独り立ちをしてくれて、健康で過ごせる事でござる。
 できれば、酷い艱難辛苦は勘弁願いたいものでござる。
 安寧と健康を願うのは、肉親ならば誰でもでござるな。

 それでは、ニンマリとして次の作業に掛かるのでござる。

 「明日の心だ!」

追憶2

2010-12-26 21:54:29 | Weblog
 写真は先日このブログに上げた友人宅でござる。
 彼は16日に亡くなり、家族葬をされたということでござる。
 それを聞いたときには、「うん。彼らしい!」と、思ったと同時に、寂しさもこみ上げてきたのでござる。

 この一報を聞いたのは、忘年会が始まりしばらくした時でござった。
 忘年会を楽しみたくとも、彼のことが頭から離れず、談笑すると彼が浮かんでくるのでござる。
 若いときは実に偉丈夫で、彼が拙者と並ぶとまさに凸凹というのがピタリなのでござる。
 その彼が浮かんでくるのでござる。

 写真は、彼の生活の場でござる。
 この写真から想像できるように、彼はその体格から想像できないほど優しい男なのでござる。
 彼のその風貌は優しい感じが出ているのでござるが。

 「彼を偲ぶ会」を1月下旬に開催されるという事で、すでに予定を立てつつあるところでござる。
 このように彼を偲ぶという事が、心には実につらいものでござる。
 彼は多発性骨髄腫に犯され、長年闘病生活を続けていたのでござるが、最近新薬が出来て、これはありがたい。時間をかけてでも治せるかも!」と喜んだ矢先でござった。

 体調がまだ良いときには、病身をおして遠路はるばると拙者の屋外展示会を見に来てくれたり、「また花の展示会へ一緒に行こう」などと約束をしていたのでござる。
 また同窓の集いの「華の会」というのがあり、そこへも早く治して出席したいとも言っていたのでござる。
 それらは、夢となってしまい、拙者も約束を果たせなかった事が辛いのでござる。

 もう一つは、先立たれた親御さんの気持ちでござる。
 拙者の家内も、親より先に逝ってしまったのでござるが、親の気持ちというものは代わってやりたいのでござる。
 それはできぬこととはわかっていても、代われるものなら代わりたいのでござる。
 病気でござれ、つらい事でござれ、我が子に代わってやりたいのでござる。
 拙者の家内の親もそうでござっただろうし、同じ気持ちでござったと存じているのでござる。

 今となっては、先に逝った我らの友とあっちの世界でゆっくりと談義をしてくれればありがたいと思うのでござる。
 彼は拙者の家内や拙者の婆様も知ってくれているのでござり、家内とも拙者を謗ってくれておればそれこそありがたいのでござる。
 その婆様が作った牡丹餅が大好きな彼でござった。

 若い頃拙宅へ来た折には、餅を並べる箱がござり、そこに並んだ牡丹餅を箱の半分平らげてしまったのでござる。ゆうに20個以上はあったと思うのでござる。
 拙者はもちろん、家族のものも唖然の面持ちでござった。
 普通は、大好きでよく食べるとはいえ、大体数個から10個まででござるのに、20個以上なのでござる。
 ましてや、田舎の牡丹餅は売っている牡丹餅の1個より大きく、拙宅のは大体5割り増しぐらいなのでござる。
 売っている牡丹餅でござれば、30個ぐらいには相当するのでござろうな。
 それから彼の代名詞は、拙宅の家族間では「ボタモチ」なのでござる。

 拙宅へ凝られた友人には、他にも「ルンペン」「居候」などなど、特徴のある代名詞の友人がいるのでござる。
 しかし「牡丹餅」とはなににもまして特徴があると思うのでござる。
 実に彼らしいのでござる。
 これは、家内とは絶対に相容れない話になるのでござろうな。
 家内は、牡丹餅は嫌いでござったゆえ。

 今夜も個人となった友人を偲びつつ、「明日の心だ!」

追憶

2010-12-23 14:26:31 | Weblog
 昨日、友の訃報が飛び込んできたのでござる。
 まさに「エッ!?!」でござる。
 俄には信じられぬことではござったが、前々からその覚悟はうすうす出来てはいたのでござる。

 されど、誰しも「俄に起こるものではなくまだ時間はあるもの」と思うものでござろう。
 拙者も、まだ年単位で時間はござるものと思っていたのでござった。
 つい半月前まで、「いい薬が出来、それを使うのだ」と言って、「入退院を繰り返す事になる」とも言っていたのでござるから。

 その病に倒れてからも、病身でありながら、体調の良い時には拙者のところまで来てくれたし、「この病気は上手くつきあわねばならぬ」と頑張っていたのでござる。
 その頑張りが必ず答を出すと思い続けていたのは、何も拙者だけに限った事でもござらぬ。
 彼の周囲の人たちは全てそう思っていたと思うところでござる。

 身体が治れば、あるいは動けるようになれば、拙者のところへ来ていろいろと見て歩きたいと言い、あちらこちらへ旅行に行きたいとも言っていたのでござる。
 花が好きで、それらも見て歩きたいということを言って、「必ず行こう」と約束もしていたのでござる。
 「拙者もそちらへ行けば必ず立ち寄る」と約束していたのでござるが、時間だけの事でその約束を守れずになってしまったのでござる。

 彼の遺言で、家族葬という事でござり、また、家族のお気持ちは「このまま、彼も家族もそっとしておいていただきたい」ということでござるからして、お参りにも行けないのでござる。
 その事は無念ではござるが、ここはやはり、残されている家族の意思を第一にすべきと、遠く離れたところから手を合わせる以外に無いのでござる。

 彼は身体に似合わず、繊細な心を持ち、優しい男でござった。
 また、曲がったこと、卑怯な事、誤魔化しは大嫌いな性格でござった。
 それゆえに、彼がそのような仕儀になったときには、電話口で辛そうに拙者に漏らしてくれたものでもござった。
 そのところは、拙者も見習わねばと思っているのでござったが、言葉を交わさずに見習わねばならなくなったのでござる。
 一度ならず彼に叱られた事がござった。
 それは、彼の優しさや性格から出たことでござったのだ。

 家内のときにもお参りをしてくれて、如何に心強く感じた事か、友の力の存在に感じ入り勇気付けられたものでござった。
 愛すべき人が先に逝かれると、残った拙者は実にいたたまれないのでござる。
 家内の時は晴天の霹靂ならず大嵐と大地震が一度に来た感じでござったが、今回も青天の霹靂でござるな。
 家内そして幾人かの友が先に逝き、なんとなく取り残された気もせぬでは無いが、その分自分が生きねばとも思い、ヘラヘラとでも生きているのでござる。

 「会うは分かれの始めなり」とはよく言ったものでござる。
 会えば必ずどのような形であれ別れがあり、形ある物は必ずその形が崩れるという、「諸行無常」のものであるのだが、人情としてやはり辛いものでござる。
 永遠のものは無いとわかっていても、やはり欲すべきもの愛すべきものが永久に続く事を望むのが人情でもござる。

 これを読まれた友に、お許しを得ねばならぬのでござる。
 この訃報が届いたときに、くれぐれも口外無きようにとの言葉を受けているのでござる。
 従って、亡き友の名前をここにあげる事は出来ぬことなのでござる。
 そのところをお汲みいただき、文面の前後から推し量っていただきたく、平にお願い申し上げる次第でござり、ご勘弁願いたく存ずるのでござる。
 拙者も実のところ、今すぐにでも友のご霊前へ行きたい気持ちなのでござるが、この訃報を送りくだされた方にご迷惑を掛けることとなるとの思いから、この文章で済ませているところでござる。
 いずれ近々、手を合わせることが可能と思い、悲しい思いを紛らわせているところでござる。

 涙をこぼせず、我慢で「明日の心だ!」

皆既月食

2010-12-21 21:04:14 | Weblog
 今宵は皆既月食なのでござる。
 いやー!見事!見事!
 紅い月でござるな。

 と言いたいところでござるが、今宵は雲が厚く、とても月を見るという状況ではござらぬ。
 加えて、南東風にのった雨粒が吹き付けて、つらいのでござる。
 山の上に紅い月が浮かぶというイメージを抱きつつ、期待をしていたのでござるが、残念でござるのだ。

 「皆既月食というのは始めてみるのでござるか?」と自問自答をしてみたのでござるが、過去に一・二回見たような記憶がござるのだ。
 黄砂や大気の汚れで紅くなった月とは違い、くっきりと紅い月を見たような記憶がござるが、いつとかどこでとかいう記憶が無いのでござる。
 夢のような感覚でござるな。

 太陽・地球・月が一直線上に並んだとき、地球の影が月に届くというものでござり、その影のうち赤い光が月に届いて紅くなるという事でござる。
 人間が月へ何回か行ったということでござり、そう考えると近いようにも思えるのでござるが、いざ行くとなると遠いのでござろうな。
 そこへ、太陽の光で造られた地球の影が届くという事が、拙者には不思議な事に思えるのでござる。
 理屈でわかっても感覚では受け入れていないのでござろうな。

 空の上の事ではいろいろと思い出がござるな。
 思い出しても詮無い事と思いつつも、いろいろと浮かぶのでござる。
 今となっては?マークの着く事も多いのでござるがな。

 まず、家内が、いつかしら、寂しそうな顔で空を見つめていた事がござった。
 これはなぜか、拙者には未だにわからぬことでござる。
 拙者にも言えぬ事がござった事と思い、お詫びの心でござる。

 その家内、目が非常によく、視力は2より上だったと記憶しているのでござる。
 それゆえ、昴を見ていて、その中の星が7個まで見えるといっており申したのでござる。
 拙者、メガネをかけても一つ見えるかどうかでござったのだ。
 その家内の視力が、パソコンを使う仕事になって何年かしたら、視力が極端に悪くなったのでござる。
 1以下で、拙者の矯正視力と変らなくなり、乱視ということでござった。
 
 冬の早朝、拙者は列車に乗るために、5時45分に家を出ていたのでござる。
 高校生でござるからして、青春のど最中でござるな。
 1月頃は真っ暗なのでござる。
 その時に、星がとんでもなく綺麗に見えていたことを憶えているのでござる。
 ド近眼の拙者でも綺麗なのでござるからして、普通に見えればそれこそ砂をまいたようなものだったのでござろう。

 その頃に、おそらく恋をしていたのでござるな。
 しかし「好きだ」などとはとても言えぬものでござり、じっと心に仕舞いつついろいろと馬鹿話をしていたのでござる。
 その女性と、あるとき高台から夕日を見る機会があったのでござる。
 もちろん言えぬ言葉はじっと秘めたまま、夕日を見ていたのでござるが、その夕日がとてつもなく大きく見えて、真っ赤だったのでござった。
 帰り道に、星が一杯の暗い田んぼ道を帰った事も何回かござったが、これもいい思い出でござる、としておくのでござる。
 拙者が生まれたここへ帰ってきて数年たった頃、どこかの男性と同棲していると言う事を、風の噂で聞いたのでござるが、それっきりでござるな。

 これから、拙者、夕餉の片づけでござる。

 でもって、「明日の心だ!」

捕虜収容所?

2010-12-20 20:41:24 | Weblog
 いよいよ出来つつあるのでござる。
 金網を張った万里の長城?
 それとも捕虜収容所?
 棚田のアウシュビッツ?

 どれもこれもチョコッとづつ合っているのでござるかな。
 今、耕作している仲間内で作っている獣害柵でござる。
 すぐ手前には金網の大写し、谷を越えて向こうの山の裾には金網が立っているのでござるな。

 金網を立てる作業はそこそこ早いのでござるが、そこへ至るまでの山裾の掃除というか整備が手間を食うのでござる。
 金網を立てるのが10の労力とすると、山の整備にはその数倍かかるのでござる。
 最初のうちは、そのようなことは簡単と踏んで立てるほうが手間を食うと思っていたのでござる。

 山の整備は、最初はそう考えていたので、各自でしていたのでござる。
 しかし、それが如何に大変かという事がわかってきて、最後の数回はお互い手伝い合いでしたのでござる。
 木を切り倒すのは、チェーンソーで切るので、そこそこ早いのでござる。
 しかし、切った木や草を運んで焼く作業が大変なのでござる。

 切る木は、松枯れで枯れたものは倒れてくると柵を壊すので、無条件で倒すのでござる。
 雑木は、サルの飛びつく台になりそうなものは切り倒し、柵を立てる邪魔になるのも切り倒すのでござる。
 しかし、それらは葛・藤・アケビ・そのほかの蔓が絡まって、切っても倒れてこないのでござる。
 上のほうで絡まって、切り倒したつもりがそのまま突っ立ているのでござる。

 そうなると、下から順番に短く切って、木の重みで落ちてくるようにするのでござるが、これが危険でござるのだ。
 切り倒す時はこの方向に倒すという切り方をするのでござるが、蔓に絡まると落ちてくる方向が読みにくいのでござる。
 間違うと自分の上に落ちてくるのでござるからして、よく見ながら切るのでござるが、振動や重みで枯れた太い枝が先に落ちる事もござるのだ。

 そんな作業とともに、その周辺の笹や潅木を刈り取らねばならぬのでござる。
 草刈機とチェーンソーと鉈と鋸を使ってするのでござるが、最終的には面倒くさくなり、2cm程度以下なら草刈機で済ませてしまうのでござる。
 草刈機の刃が、すぐに減ったり曲がったりで少々持っていっても足りなくなるのでござる。

 この時ばかりは、値が張っても良い草刈機を刈っておいて良かったと思うのでござる。
 安物の草刈機は、鉈で枝を叩き切ってしまうような刈り方をしたら、竿が曲がったりするのでござるが、これはそのような事が無いので安心でござる。
 研ぎ立ちの刃だと、3cmぐらいの潅木はスパッと切れるのでござる。
 この時は気持ちが良いのでござるな。
 切れないと「このやろう!」となって、力一杯機械を振り回して、ガツンと切るのでござる。
 怖い作業でござる。
 こんな事をするからすぐ刃が曲がるのでござるな。

 今全体の6割程度の距離は金網が立ったのでござり、後4割程度でござる。
 と言うと半分以上出来たように思うのでござるが、実際は3割程度も行ったか行かぬかでござる。
 残りが大変なのでござるな。

 密林の如くになった山と言うか通路を整備せねばならぬのでござる。
 枯れた松が複雑に倒れて蔓が複雑に絡まっているのでござり、これが、3人かかって1日はしっかりとかかるでござろうな。
 そしてそれを運んで燃やす事もあるのでござる。
 その近くまで今日草刈をしたのでござるが、その手前でやめたのでござる。
 うっかりかかったら手に負えなくなるでござろうからしてでござる。

 それより何より、今までのトタンの垣を撤去せねばならぬのでござる。
 その上で整備にかかるのでござるが、急斜面が二箇所あるのでござる。
 これは整備も大変でござるが、立てるのも金網など資材の運び上げがちょっと骨でござるな。
 
 出来上がった柵にトタンを裾へ取り付けて猪が向こうを見えないようにすることと、鹿が飛び越えないように支柱をポールの上へ立てて電線を張るのでござる。
 仕上げは、猿がその支柱を支えに持って、柵を登って乗り越えぬように縦に電線を張るのでござる。
 それで一応の完成となるのでござるが、気が遠くなりそうでござる。

 まあ、何とかなるでござろう。
 もし、このブログを見て、ここは一番手伝ってやろうというお方がござれば、ぜひともよろしくお願い仕るのでござる。
 ただ、人件費はござらぬゆえ、御泊りなら泊まる所と、三食はお付けするでござろう。
 早く言えば、「飯つきボランチア」でござるな。

 で、「明日の心だ!」

車窓

2010-12-19 21:33:16 | Weblog
 京都まで所用がござり、お出かけをしたのでござる。
 自動車で行くのもいいのでござるが、駐車場の困るのがいつもでござり、何よりも都会での運転が苦手でござるので、電車でお出かけとなったのでござる。
 写真はイメージ写真でござるので、悪しからずでござる。

 本来ならば、土日というのは棚田で柵作りというのが行なわれるところでござるが、この土日は久しぶりに休みにしようという意見で、所用を済ませることとなったのでござる。
 しかし、田んぼの作業が多少は気になっていたのでござるが、所用の過程でそれらは雲散霧消している拙者でござった。
 それで良いのでござると思うのでござる。

 さてさて、見慣れたところの風景でも、電車から見るのはまた違うものが見えるのでござる。
 それも、ついつい座ってしまう位置と反対側へ席を決めると、また違うのでござるな。
 普段、何気なく見ている景色でも違った面で見られるのでござる。

 例えば、田んぼの景色でも、耕起してある様子だとか、畦草の様子だとか、排水の良し悪しだとか、いろいろと見えるのでござる。
 「なるほど!」と思うところもあれば、「おっと!」と思うところもあり、なかなか興味深いものでござるな。
 それらの中から、参考にさせられることが往々にして見つかるものでござる。

 それと、人の観察をしていると、これも面白いことが見つかるのでござるな。
 女子高生でござるが、ちゃんと濃い目のお化粧をして私服でいるところなど、拙者が見るとちょっとやばいかなと思うことも感じるのでござる。
 どう見ても、二十歳を過ぎていて社会人と思うのでござるが、制服を着た友達と思われる同姓の方と話している中身は、全くの高校生なのでござるな。
 化粧で化けられるのは、外見だけかと苦笑いなのでござるな。

 車窓から一軒のお家が見えると、そこかしこにそこの家庭の息吹を感じる事もあるのでござる。
 築百年は越えているであろうと思われる茅葺のお家で、軒先にとんでもなく高価な車が野ざらしでちょんとおいてあったりするのでござる。
 御用の来客か、あるいは、そこのは家よりも車に贅沢をするお家なのかな?と思うところでござる。
 それは、車窓だけでなく京都の街中でも同じことを感じるのでござる。

 車窓ではござらぬが、京都の街中(住宅街ではござるが)で少々田んぼが残ってござり、そこにキャビン着きのトラクターが置いてござったのだ。
 田んぼにトラクターがあっても当たり前でござるが、その場所は1haあるかなしの田んぼでござり、ちょっと似つかわしいトラクターではござらず、変な感じでござった。
 トラクターはおそらく30馬力のものと思われたのでござる。
 思いつくのは、そこ以外に農地がござり、水田で水稲をつくろのではござらず、京野菜などを作付けされているのかと思うところでござった。

 いろいろと見られた、良い機会でござったのだ。
 人生、このようなことが度々あると、まさに洗濯する機会でござるかな。
 何の洗濯かというと、「命」の洗濯だけでなく「脳ミソ」の洗濯でもござろうか。

 ということで、「明日の心だ!」

電飾2

2010-12-17 20:55:23 | Weblog
 今夜の電飾は、ちょっと変っているのでござる。
 どう変わっているかというと、この電飾の塔の高さはおおよそ10mというところでござる。
 個人のお宅では、これほどの高さを持つのはなかなか珍しいのではござらぬかな。
 拙者、結構遠くからこれを見つけ、帰り道でござるが、近寄って写したのでござる。

 この時期、このようないろいろと工夫され凝った電飾があちらこちらでお見受けするのでござる。
 楽しみといえば楽しみになりつつあるのでござる。
 聞くところによると、自宅に小さなお子さんがおられなくても、このような電飾をするご家庭があるのだとかいう事でござる。
 拙者の頭では、自宅に小さな子供がいるから電飾をするのだと、そう思いこんでいたのでござるが、ちとばかり認識を変えねばならぬと思うところでござる。

 戦国武将に縁のある公園を通りかかると、そこも電飾をされているのでござった。
 バテレンが嫌われだした頃の武将でござり、その武将殿も目を白黒させているのでござろうと、つい面白くなった次第でござる。
 クリスマスといえば、バテレンの元祖のキリストさんが生まれた時という事でござるから、びっくりぎょうてんというところでござろうな。

 ラジオで、「あなたにとってクリスマスとは?」ということをのたまわれていたのでござるな。
 おそらくそのアナウンサーと拙者の考えているところは少々ずれてはいるでござろうが、いい事をいうものだと思った次第でござる。
 で、そのことをつらつらと断片的に考えながら帰ってきたのでござるが、なかなか理路整然とは考えられぬものでござる。

 まず拙宅は仏教でござり、浄土宗でござるな。
 当然葬式などはそれで執り行うのでござる。
 葬式宗教といわれるところでござるな。

 檀家というのは昔から自然発生的にできたものではござらぬらしい。
 江戸時代に、武士が支配しやすいように檀那寺と檀家を決めてしまったらしいのでござる。
 なるほどと思うところでござるな。

 拙者、クリスマスとは、子供の頃には「美味しいケーキを食べられる日」「プレゼントというものをもらえる日」などと思っているのでござった。
 長じて思春期には、女の子と遊ぶ日という不純な考えでござったが、今では、それも至極自然の考えと思うところでござる。
 なんといっても思春期でござるからして、でござる。

 子供が出来てからは、「プレゼントを買わねばならぬ日」「ケーキなどを買って帰らねばならぬ日」等と、義務と負担をおぼえるところもござったが、それも楽しみでござったな。
 その子供が今では、同じような事をせねばならぬ年になり申したのでござる。
 なかなか面白い巡りでござる。

 というような事で、拙者にはクリスマスについては一切宗教的なことが着いて廻らぬのでござる。
 単に、イベント的であり、お祭り的であり、ちょっとわずらわしい事の存在でござるかな。
 取り立てて考えた事はござらぬのだ。

 キリスト教は一神教でござるからして、どうも信仰の対象とはならぬのでござるな。
 拙者の宗教は、この胸の中にあるのでござり、神々は自然界のどこにでもいるものという考えでござるな。
 それを疎かにすべきではないだろうと思うのでござる。
 といいつつ、常日頃粗末にしている拙者でござろうな。
 これを「罰当たり」というのでござる。

 まあ、罰が当たらぬうちに、「明日の心だ!」

カレーライス

2010-12-16 20:19:03 | Weblog
 本日の昼飯は、カレーライスでござった。
 みそ汁(カレーの加減か薄味)とサラダでござる。
 この三点セット、実に合うのでござり、美味いものなのでござる。
 加えて、栄養バランスを実に良く考えてくれているのでござる。

 当たり前でござるな。
 栄養士さんがちゃんと考えて、飽きが来ないように、そして栄養をちゃんとバランス良く摂れるようにしてくれているのでござるから。
 このような昼食を一週間に三回いただいているのでござる。

 ところで、件のカレーは、「カレーライス」か「ライスカレー」か、いずれを言うのでござろうかな。
 「カレーライス」の方が言いやすいからして、そう言っているような拙者でござる。
 一説によると、「カレーライス」とは、一皿へご飯とカレースープを盛ったものでござり、「ライスカレー」とはそれが別々になっているものということが言われているのでござる。
 が、別の説はそれが逆でござり、早く言うと、どうでもいいようなことに思われるのでござる。

 ところがでござる。
 本日はいつもと違うものでござった。
 まずカレーのスープでござるが、高君が作ったウコンを入れていただいたということでござった。
 洋語では「ターメリック」とか言うのでござったかな?
 いつもと違った味でござったのだ。
 もちろん不味いわけはござらず、美味かったのでござる。

 もう一点は、以前掲載したところの「ゆめトマト」の青玉バージョンを酢漬けにしたものが入っていたのでござる。
 この酢漬け、洋語でピックルスとか言うのでござるらしいのだ。
 それもただの酢漬けではござらぬのだ。
 タマネギを入れ、忘れてしまったのでござるが、「何か」も入っているという事でござる。
 それが写真でござる。

 これをカレーライスの上に乗せてあるのでござる。
 ま、ラッキョウの酢漬けを乗せたのと同じ事でござるな。
 見た瞬間、それが違うのでござる。
 「何でちっこい青トマトが乗ってるん?」という感じなのでござるな。
 しかし、それらを一緒に口へ入れると、これがラッキョウの酢漬けや福神漬けと違って、良いのでござる。
 美味いのでござる。
 「さわやかな刺激」というものでござろうかな。

 本日の昼ごはんは、至福のものでござったのだ!
 ゆめっちが虫を捕まえたり水をやったりしたトマトの最終段階がこれでござる。
 そして、それを「青トマトの酢漬け」にしてくれたのが、加工班の面々でござるのだ。
 高君のウコンと、調理をしてくれた厨房の方々の工夫も無くてはならぬものでござる。
 それらの組み合わせ(コラボというのでござったかな)が、この美味いカレーライスとなったのでござるな。
 お代わりをしようと思ったが、すでに満腹となり、満足の至りでござった。

 と、良い思いをして、「明日の心だ!」