ヨーロッパの大半で人物画といえば聖母マリア・・・長い長い1000年もの間続いた。キリスト教洗脳時代から我に返り、イタリア フィレンツェではボッティチェリーが脚光を浴び、そして 1452年レオナルドが誕生する。
世界で最も有名な肖像画、後年フランソワⅠ世が取得し、その当時から「至宝」とされた作品:La Joconde (Monna Lisa)。この美術館のスーパースターの案内が目立つ。
ルーブル美術館では、コレクションが8部門に仕分けされ、内約3万点が公開され、他に企画展で順番に展示されている。(ルーブルガイドによる)
オリエント、古代エジプト・・・関心はあるが・・、古代ギリシャ・エトルリア・ローマ・・・学習中、ピュアな宗教を持つイスラム、厳しく偶像崇拝を戒め、独自の文化を発展させた。
イスラム芸術だけでも1万点のコレクションがあり、主に工芸品1300点が公開されています。
ヨーロッパは中世の時代、カトリックが宗教戦争で勝ち残り、エロスのギリシャ神話・自然科学の継続発展を認めず、布教のためには偶像崇拝も奨励し、神学も三位一体説を掲げ、異教を弾圧してきた。
そして、教会の装飾芸術のみが発展してきた、しかし教会(聖職者)は俗化し・・・教皇が十字軍を送り込み、長期に渡る聖地奪還戦争・・・結果、敗退することになるが多くの人々が異国の文明に触れ、脱カトリック、宗教改革が起こる。
防戦する教皇派は華美な教会装飾で信者を引き留める・・・ミケランジェロもラッファエロも、教皇はスポンサー。
・・・少し時代を戻すと、13世紀の宗教絵画から発展の兆しが現れてきます。
フィレンツェのウフィッツィ美術館に通称ジオット(ジョット)のマエスタが展示されていて、平面描写に遠近法をプラスして、祭壇部が立体的に見える有名な作品があります。
他に、この作品と同じような構図のドゥッチョ・ディ・ポニンセーニャのマエスタもありました。額縁には、聖人や聖書の登場人物が円形画として30人も描かれている。
もう一人、チマブーエのマエスタも展示されています。
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そしてルーブル美術館、ルイ14世の肖像画の先に・・・特徴ある額縁が見えてきます。見たことのあるような作品が・・・
チマブーエ 作品名「(6人の天使に囲まれた)荘厳の聖母(マイエスタ)」とあります。
この作品も額に、キリスト、天使、預言者、聖人らが26のメダルで飾られている。1270年頃の作 テンペラ画 縦:4.27m、横:2.8m 大作です。
・・・チマブーエはジョットの師匠との説もあります。フィレンツェでは、13世紀人気が高かった画家職人のようです。
当時栄えた港町イタリア ピサのサン・フランチェスコ聖堂に掲げられていました。・・・1813年ルーブル収蔵とあります。
宗教画を描く人々は単なる職人でしたが、商業都市として発展しはじめたフィレンツェで、ジョットは人気が高く、絵画・工芸何でもこなし、晩年自分の名前が残った作品の指揮をとります。
「ジョットの鐘楼」です。右の大聖堂が完成する100年前、鐘楼の設計をし基礎工事の段階で亡くなっています。1階はジョットのデザイン、2階、3回以上は各々弟子が手がけて完成させました。
鐘楼にジョットの尖塔案は実現せず、基本設計は変更されて完成となりました。しかし、今日でも「ジョットの鐘楼」として、名前が残っています。
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キリストの磔刑が見えてきました。この作品、遠近法が見事に完成しています。
作者:アンドレア・マンテーニャ、イタリア ヴェローナ サン・セーノ聖堂の3連作の一部
これらも、教会の祭壇画で、板絵、縦:0.76m、横:096m 1459年頃の作品。 背景のエルサレム・ゴルゴダの丘の描写は、・・・エッ こんな風景?しゃれこうべの丘は多分違うでしょう、残念。
・・・年代物と思われる額縁、描かれているのは、イエスの像でしょうか?
両手の手の平を良く見てみると、・・・怪我をされてるようです。頭部からも額を良く見ると・・・
作家は:ジョヴァンニ・ベルリーニ、1465年頃の作、「祝福するキリスト」
手の平は、十字架に打ち付けられた痕跡?・・・埋葬された後、復活したイエスのようです。
・・・時代が進みます。
・・・明るいこの絵は?・・・美術作品になりました。・・・これが、サンドロ・ボッティチェリ(15世紀のフィレンツェを代表する画家)
1470年頃(23~24歳頃)の作品 通称「バラ園の聖母」・・・「聖母子と少年聖ヨハネ」
彼の最も有名な作品・・・カトリック教の呪縛から解かれ、ギリシャ神話を題材にした「プリマベーラ」春 1478年頃、そして、「ヴィーナスの誕生」1486年頃がフィレンツェにあります。
若干年下のレオナルドは、フィレンツェのヴェロッキオ工房で修行していた10代にボッティチェリに出会っています。
そして先に進むと、レオナルドの作品ゾーンです。少し暗く重いが優しいタッチの宗教画・・1483年頃~1486年頃の作、作品に光線が映りこんで写真は見難くてスミマセン
「岩窟の聖母」、この大作はミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂のための三連祭壇画中央部として描かれたが、・・・当時のフランス王ルイ12世に献上された。
この作品は独立前の20代前半の作、レオナルドは、25歳頃独立しています。
師匠のヴェロッキオが多芸多才で画家・彫刻家・青銅鋳造家・デザイナーと手広く仕事を受け、マルチな仕事のできる環境で学んでいます。
近くにあったライバルのボライウエロの工房では、死体を解剖し筋肉構造を研究しています。見に行っているでしょう。
当時、メディチ家、貴族階級、取り巻きの知識人がフィレンツェを実質支配していたが、レオナルドは、メディチ家の援助は受けていないようです。
多芸で名声も高いが、仕事は遅く、途中で放り出される恐れもあり、メディチ家は手が出せなかったのか、・・・レオナルドも、ローマ貴族の宮廷人風の人種と肌が合わなかったのか、政治にも関心は持たなかった。
作品に戻ると中央が聖母マリア、右手で支えている幼子はヨハネ(後の洗礼者)、右の女性は天使で、横にいるのは幼子イエス。
さて完成した作品は何故かフランス王に、・・・依頼者には別途、後日レプリカが制作された。現在は、ロンドン・ナショナルギャラリーに所蔵されている。(ルーブルガイド)
岩窟の聖母・・・右側の天使、女性でしたね。誰?大天使ウリエル?(洗礼者聖ヨハネの守護天使らしい)
素晴らしいでしょう・・・この天使の素描、レオナルドの素描は、幸いなことに今日多く残っています。何時もスケッチブックを持ち歩いていたそうです。個性の強い人物がターゲットで追いかけまわしたとか。
タイム/ライフブックス、LEONARDOレオナルドより
・・・中世の時代、いつの間にか宗教画には決め事が多くなっていました。洗礼者聖ヨハネには、十字の杖と獣の衣、登場人物には光輪を描くなど・・・
依頼者はレオナルドの作品を、”祭壇画にふさわしくない”と受け取りを拒否したそうです。
レオナルドは、もう一度書き直したのでしょうか?
・・・構図はそのままに、模写をしました。一部を依頼者の希望通りに描きました。十字の杖も書き込みました・・・レプリカですから本人ではなく、デ・プレディス兄弟が描いたとも言われています。
その右隣に、1490~1495年頃の作 貴婦人の肖像、ラ・ベル・フォロニエールがあります。
当時流行の宮廷肖像画風に背景が塗りつぶされています。背景もメッセージスペースです。ベタ塗は、依頼主の希望に沿ったのでしょうか、手抜きでしょうか。
その少し前に制作した、1485~1490年頃の「白テンを抱く貴婦人(愛人17歳)の肖像」の方が有名ですね。
制作順では、1495年~1497年頃ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂食堂の壁面に取り掛かっています。現存する壁画の代表作「最後の晩餐」です。
並行して、La Gioconda(Monna Lisa)1503年頃から
この至宝の作品は、ここではなくて特別室になります。
防弾ガラスと柵に守られて、謎の微笑み・・・目線が合いました。
La Joconde (Monna Lisa)とありました。 1503~1506年頃 縦:0.77m、横:0.53m 板絵
モデル論争があり、主流はフランチェスコ・デ・ジョコンドの妻、リーサ・ゲラルディーニの名前からモナ(夫人)リザ(リーサ、リザ)、Jocondeが「幸せな」と言う意味もあるのでこの美術館は、ジョコンダの作品名なのでしょう。
レオナルドのボカシ技法が賞賛されています。残念なことは、作品に近づけないことと作品の表面の透明ニスが古くなって経年変化で色調が暗くなってきているようです。
写真は、これも作品に光線が映りこみ、アップは作者に失礼な状態でした。
画集で素晴らしい作品に触れ直してください。50歳前半の作品です。
以後、聖アンナと聖母子像:1508年~1510年頃
レダと白鳥(ギリシャ神話):1510年~1515年頃
イタリア、ボルゲーゼ美術館 (別ブログ)
特徴のある顔立ちの作品が・・・
「荒野の聖ヨハネ」1510年~1515年頃、これはあまり見かけなかった作品でした。
そして人差し指を天に向けた有名な作品
「洗礼者ヨハネ」1516年~1596年頃 縦:0.69m、横.57m レオナルド:晩年の最後の作品。
15世紀と16世紀の転換期に見直された明暗描法の完璧な実証であり、ダ・ヴィンチはその先駆者であった。(ルーブルガイドの記述)
・・・ヴェロッキオ工房時代、レオナルドと同年代で一緒に修行し人気もあったペルジーノ、彼の弟子で有名なのがラファエロ・サンティ
レオナルドの影響を受け、柔らかい優しいそして明るい肖像画が・・・ここにもあります。
通称「美しき女庭師」、「聖母子と幼児聖ヨハネ」 1507年頃 円形板絵 縦:1.22m、横:0.8m
残念ながら37歳の生涯です。その間、数多くの聖母子像を描いています。
尊敬した、レオナルドのボカシ技法、構図、背景、すぐに自分のものにしたそうです。システィーナ礼拝堂で未完のミケランジェロの作品を覗いたり、・・・すぐに頭角を現しルネッサンス三大巨匠の一人に数えられます。
ラファエロ展、6月2日まで、東京・上野 国立西洋美術館で開催中