何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

4/29(火)古河駅から宝積寺駅まで60キロ歩いていた・・人生最高記録・・

2014年05月17日 17時18分10秒 | Weblog
朝早くに目が覚めました。昨日は自宅に戻ってそのままベッドに倒れこみ、5時前に起きて風呂に入って典子さんと食事して6時過ぎにベッドに潜り込んで今朝の5時までぐっすり眠りました。トータル16時間ぐっすり眠った。こんなに長時間眠ったのは、生まれて始めての経験です。幾つになっても新しい体験は出来るものなのですね。

早起きしたので、一昨日から昨日朝まで歩いた距離、古河駅から宝積寺駅までをインターネットのルートマップで調べてみました。50kmは歩いたと思っていましたが、なな、なんと、ちょうど60kmありました。23時間、一日で歩いた距離としては61歳にして過去最高の走行距離になりました。
100kmマラソンや世界を徒歩旅行している人達に比べたら大した事ではありませんが、自分自身の中では金メダルです。

昨日の早朝に内藤さんと歩いた時に話したのですが、僕は歩くことなんてぜんぜん好きでもないし興味も無い、自分の音楽を伝える手段として、誰でも出来るけど誰もやってないことをすることで注目を集める、高橋忠史を知ってもらう為の営業手段だと。
そんな歩き旅ですが、過去8000km以上歩いて来た事で体験できたさまざま
な事が僕の人生哲学を明確なものにしてくれている、そして、その経験が無ければ高橋忠史の歌の世界は向上し続ける事は無かった。
でも、歩くのは好きじゃなかった。音楽が多くの人に認めてもらえれば、食べることに困らなければ、今回の旅はありえない、ただ食う為の手段で歩き始めたはずだった。
でも、60km歩いた。だからこそ旧友の内藤さんが逢いに着てくれた、そしてfacebookでただの傍観者だった人達が、頑張れとコメントを入れてくれて、リアルタイムに一緒に歩き旅を違う形で体験してくれた。ちょっと歩くということが僕の中で嫌な事から素敵なことに変わり始めている。

でも実は、古河駅を出発した時から、録音の日程を作る為にはとことん距離を伸ばそうと思っていた、61歳だから61km行ってみたいなと冗談心で思っていた事は確かだ。夜中も眠らず歩きたいという思いもこの時点でもっていた。自分にとって意味の無い歩きじゃなく意味のあるものにしたくなったからひそかに目標を立ててしまったんだと思う。残念ながら目標の61kmに1km足らずで達成ならず、まぁ、これが高橋忠史だ、最後にずっこける。


今日は朝から長文になってしまいましたが、自分自身の人生最高記録を作ったので嬉しくなって調子にのってます。

昨日の僕にとって最高の60km歩行は、昨年末からの人との出逢いからはじまります。住むところが無く3年近く車上生活をしていた僕に、城戸ひとみさんが住んでいた所から引越しするからと、マンションの持ち主の坂上さんに僕たち夫婦が住めるように交渉してくれ、坂上さんの了承があり北千住に住むことになった。そんな頃、僕の歌を唄い続けてくれている有吉かつこさんのライブに城戸ひとみさんが出かけた時に城戸さんが出逢ったのが、CANの社長の植村昭雄さん、北千住~全国に発信したいと考えている植村さんに逢いに行こうと城戸さんにさそわれ、実はめんどくさいなーといやいや逢いに出かけた。でも逢ってみると実に熱い思いを持っている人だと分かり、付き合ってみようと思った。その植村さんがインターネットラジオをやっていて全国のインターネットのつながりを作りたい、まずは青森出身の植村さんなので青森までつなげたいと。それなら、60過ぎた爺いだけど阿保句が歩いて各地のインターネットラジオを訪れてつなぐ役の手助けができるかもという事で、青森県八戸市(植村さんの出身地)まで歩くことを決めた。それならと植村さんからの依頼でインターネットラジオで僕の番組を持つことを進められて、今年1月から「ガキンチョ・KING」が始まった。毎週新曲を発表することをテーマとして3月末までラジオを続けた。最終日の新曲は「一歩」メロディーが出来上がらず発表出来ないまま番組が終わった。いつも最後にずっこけるのが高橋忠史だ。その「一歩」と言う曲を作ったことで、僕の中で歩くことが面倒なことではなくなっていたのかもしれない。ウォーキングライブツアーへの意気込みと言うことで作った曲だが、この曲があるから60km以上歩いてみたいという気持ちになったに違いない。高橋忠史の身体と精神はすべて音楽で出来ています。最後に「一歩」の歌詞を掲載します。

     一歩

常識通りに生きてりゃ定年間近
  こんな歳になってもまだまだあがいてるんだ
  どこまで行っても青臭いだけのガキンチョで
  みんながあきらめちまった夢を追い続けてる
  いつまでたっても成長できない
  往生際の悪いやつなんだ

  * さー 始めようぜ まだ遅くはないさ
    さー 始めようぜ 今出来る事から
     歳を言い訳にしながら
     座り込むのも悪くはないが
     俺には言い訳似合わねー
     思いたったが百年目 百年目

    さー 始めようぜ まだ遅くはないさ
    さー 始めようぜ 今がその時さ
     一歩前に踏み出せばきっと 何かが見えてくる
     十歩前に進めたらきっと  力がわいてくる
     百歩あるき続けたらきっと 勇気がみなぎって
     千歩先まで進めたらきっと 願いをつかめるさ
    さー 始めようぜ 一歩から
 

  このごろ足はふらつき始めたし
  ギターもうまく弾けなくなってきた
  それでもやれることはまだまだいっぱいあるさ
  過去に出来たことが出来なくなっただけ
  不細工に生きる事しか出来ない
  往生際の悪いやつなんだ

  *(繰り返し)
    さー 始めようぜ まだ遅くはないさ
    さー 始めようぜ 今がその時さ
     一歩前に踏み出せばきっと 何かが見えてくる
     十歩前に進めたらきっと 力がわいてくる
     百歩あるき続けたらきっと 勇気がみなぎって
     千歩先まで進めたらきっと 願いをつかめるさ
    さー 始めようぜ 一歩から

4/28(月)北千住・・自宅に戻ってそのままベッドに・・

2014年05月17日 17時12分15秒 | Weblog
自宅に戻ってそのままベッドに、気がついたら夕方の5時でした。疲労の為、なだ内臓が機能していないようで、典子さんが作ってくれた夕食も半分しか食べられなかった。
身体中が重いです。
すいません、今日は何も出来ません。

しっかり、休みます。
沢山の人達が昨日の朝から今日の朝まで見守ってくれて、途中途中で励ましてもらえたこと、ありがとうございます。
過去にトータルで8000km以上歩いて来ましたが、60歳を過ぎて、今までで一番長い距離を歩きました。みなさんのおかげです。

それでは、しっかり休みます。

4/28(月)氏家までは届かず・・宝積寺駅へ・・

2014年05月17日 17時06分44秒 | Weblog
氏家駅には届かなかった。朝陽を見てから急に身体中がこわばり出して、胃が飛び出しそうなぐらいの胸焼けが襲って来て、とぼとぼとしか歩けず。途中で休憩した神社では座ったまま30分も眠ってしまっていた。やっとの事で腰を上げ、とぼとぼと、亀のように歩いて7時半、宝積寺駅についた。23時間歩きつずけて、これからJRに乗って北千住に戻ります。

4/28(月)内藤さんとマックで夜が明けるまで語り合ってしまった。

2014年05月17日 16時36分35秒 | Weblog


マックで夜があけるまで、内藤さんと語り合ってしまった。もう30年以上の付き合いだから、それでもお互いの近況報告で終わってしまった。
30年といっても其の間に出会った回数は、両手で数える程だ、でも、こんな時に、連絡だけだ無く逢いに来て、そして夜明けの宇都宮を3km弱一緒にあるいてくれる。僕にとって素敵な仲間だ。
一睡もしていないのに、彼のおかげで、めちゃめちゃげんきになってしまった。次の駅、岡本まで歩いて、JRで北千住に戻ろうと思っていたが、この喜びを噛み締めたくて、氏家駅まで、かなり距離は有るが、あるくことにした。
お日様のお陰で、寒くはない、内藤さんのお陰で、心もほかほかだ。
この後仙台周辺の仲間に連絡してくれてライヴのセッティングをしてみると、約束してくれた。
新しい出会いを作ろうと、あえて昔の仲間にまったく連絡しなかったが、また、お世話になってしまいそうだ。ありがたい。

4/28(月)マックに入って身体を暖め・・真夜中の3時過ぎ、内藤さんから連絡が・・

2014年05月17日 16時29分59秒 | Weblog
マックに入って身体を暖めているうちに暖かさに気持ちもふやけてしまいそうになってた。真夜中の3時過ぎ、内藤さんから、Facebookに連絡がはいった。
今は、知名度の高いグループ、スピッツの専属写真家として活躍してる。
彼との出会いは、高橋忠史27歳の時、路上ライヴの後、自転車ツアーを3ヶ月掛けて、東海道、中国道、山口県で日本海を走る山陰道を経て兵庫県から生野銀山を越えて、小豆島四国に渡り四国を一周して高知から船で東京に戻った。内藤さんはまだ学生だったが、仲間とともに自分たちで取材資金を作り、その時の一部始終を、ビデオカメラを回し続けてくれた。
奥の細道を歩いた時も、栃木県内のライヴをセッティングするために動いてくれた。

その内藤さんが、朝まで一緒に歩こうと言ってくれて、こんな時間にやって来てくれる。
彼と逢うのも何年ぶりだろう。
ライヴは出来てないが、この旅、懐かしい素敵な仲間達とこれからも沢山出会えそうだ。

ふやけていた気分は、めちゃくちゃ盛り上がって来た。歩くのを途中でやめなくて良かった。こんな素敵なご褒美をもらいそこねちゃもったいない。

4/28(月)午前1時半

2014年05月17日 16時26分43秒 | Weblog



午前1時半、栃木県庁の近くまで来た。ふらふら歩きのペースは、極端に落ちて遅くなっている。
昨日の朝8時半から歩き詰め、そろそろ眠くもなって来た。
寒い。
でも、ここまで来たら、朝まで歩くしかないよね。

4/27(日)23時40分、宇都宮市街地中心まで来ました

2014年05月17日 16時21分07秒 | Weblog


23時40分、宇都宮市街中心まで来ました。
東京から106km地点です。すでに40km以上歩いてます。
さー、どうする忠史。
ん〜ん、泊まる金はもったいない。
ウォーキングハイ状態は続いている。
足元はおぼつかないが、録音の為の日程を作る為には、歩くしかないよね。僕はミュージシャンであって、ぼうけんかじゃないから。でも、歩き通すと決めたことはやりきる。
そして、それ以上に僕にとって大切な音楽をきちんと、向上するために、さー、立ち上がって歩き出そう。
今いるところの写真です。
もうすぐ日付が変わります。


4/27(日)ついに東京から100キロ越え

2014年05月17日 16時15分37秒 | Weblog


遂に東京からの距離が100kmを越えた。ちょうどすぐの所にマックがあったので、入って身体を暖め、疲れを癒すことにした。
食欲は全くないが、何か食べなきゃ、この後持たない。チキンクリプスを頼んで、WiHiの充電をしながらこれをかいている。マックが有るということは街が近いという事、まさか本当に宇都宮市までこれるとは思っていなかった。
61歳高橋忠史、どうしようもないほどバテバテのはずだが、今、気分は充実している。まだ、やれるんだと自分を今誇りに思っています。
宇都宮市の街中まではもう少し、そのあと、ん〜、どうしよう。
誰か、泊めてやる、なんて言ってくれる人は、いないだろうな、でもいないかなー。
もう少し休んで、まだ歩きます。

4/27(日)夜の8時半、雀宮・・

2014年05月17日 16時13分12秒 | Weblog


夜の8時半、雀宮という地名のところまで来た。宇都宮市まで10kmは切ったはずだ。気温はどんさがっている。だが、歩いている僕は、出会う人がコートを着込んでいるような冷たさだが汗ばんでいる。
歩いている時はちょうどいい気温だ。
先ほどは、もう一歩も歩けないかもしれないと思うほど辛くて、地面にうずくまっていた。通り過ぎてゆく車の人は、ひょっとしたら、死んでいると思ったかもしれない。
何とか立ち上がって、歩き始めたが、やばい事に気がついた。食欲を全く感じないのだ。朝マックで食べて、城戸ひとみさんとミスタードーナッツに入ってドーナッツを食べただけ。何キロ歩いていたかは分からないがかなりのカロリーを消費しているはず、なのにお腹が空かない。
最悪だ、今僕は、自分の身を削って歩いてます。
辛いは通り越しました。
ランニングハイに近い状態になってます。
妙に元気です。
あきらめません。



4/27(日)石橋・・6時を過ぎ足は熱くほてりだし・・

2014年05月17日 16時08分27秒 | Weblog


6時を過ぎました。石橋という地名のところまで来ました。たぶん、石橋駅の付近だと思います。足は熱くほてりだして、もう、ゆっくりとよろよろしか歩けません。
写真は、30分ほど前に撮りました。
宇都宮まで17km、この地点が東京から90km地点だそうです。
休憩していると、半そで姿の身体がどんどん冷えて来ます。でも、かなり休みを取らないと歩けそうにありません。ここからは、寒さとの闘いもはじまります。
いぇ〜い。