とりあえず、参院選までは提出されないであろう、事実上の労働時間規制解除を目的とした法案で、すでに欧米では施行されている。
ただ、現在の厚生労働省案や日本経団連の提言は適用基準が欧米に比べて甘く、労働者=個人の権利を著しく侵害する恐れがある。
特にアメリカの場合は、「管理職、専門職、運営職のいずれか」、「業務が単純な反復労働ではない」、「週給が455ドル(約5万5千円)以上の固定給である」の3条件をすべて満たす労働者にのみ適用されている。
つまり、「労働時間を自分でコントロールできる立場にあり尚且つ仕事量に見合った報酬を得られる労働者」であることが前提条件なのである。
また、専門職を除く管理職、運営職においては、年棒10万ドル以上(約1千2百万円)と、金額面での条件が厳しい。
現段階での日本版ホワイト・エグゼンプションは、年収800万円以上で「裁量権をもっている管理職、またはそれに準ずる労働者」が対象となっているが、基準をもっと低くする案も検討されている。
安倍総理は「残業代がでなくなれば、定時退社し家庭も円満になり、少子化にも歯止めがかかる」と述べているようだが、「組織で働く」というのはそう単純なことではない。
「裁量権がある」といっても、かなり限定されており、実際の業務に合わせざるを得ないのが実情で、通常管理職など裁量権があるといわれる役職についていれば、「何が何でも定時に退社」というのは不可能である。
自己完結する仕事ならともかく、会社の業務には必ずクライアントや取引先といった、労働者の裁量では動かすことのできない「他者」があるわけだから、それらを無視して定時退社などしようものなら即座に業務に支障をきたし、結果的に処分対象となってしまう。
今でさえ実際には「サービス残業当たり前」となっている企業がほとんどであるのに、過重労働が労働基準法に抵触しなくなることで、労働者は事実上会社組織の「兵隊」として拘束され、業務が終了するまでは無制限に労働を強いられることになりかねない。
個人の権利が欧米諸国に比べて格段に制限されている日本において、欧米型の労働システムをいきなり導入することは、無謀である。
また、ホワイトカラー・エグゼンプションを導入した場合、懸念されるのが「非正規雇用者」の増加である。
つまり、管理職のみ正社員であれば、その部下は会社が責任を持つ必要のない派遣社員や、賃金が安くいつでも解雇できるパートタイムでまかなえばいい、という企業が、特に中小零細企業に増えてくることが予想される。
これは、政府が目指しているはずの「正規雇用の増加」とは正反対の結果を生み出す可能性を示唆している。
ホワイト・エグゼンプション導入の大義は「(短時間で仕事を処理できる)能力の高い労働者を確保する」ということだが、自分の経験上では「何が何でも定時退社する」のは大抵能力もしくは意欲に疑問のある社員である。
能力の高い社員(たいていは管理職)が、彼らのしりぬぐいをすることになるため、結果的に労働時間が延びるのである。
それでいて、「800万以上」という規定があれば、経営側は逆に1000万以上の報酬が得られて当たり前の労働者に、「800万」と規定することができる。
経団連が唱える「結果主義」には必ずしもならないのである。
現段階でこの概念を法制化すれば、間違いなく労働環境を悪化させ、労働者の「企業離れ」が始まることが容易に予測できる。
現に、会社を辞めて田舎で自給生活を始める世帯が増えつつある。
「企業立国」である日本では、何かにつけて企業が優遇されているが、あまり弱者を締め付けすぎると、やがて大きな代償を支払わなければならない時がくるかもしれない。
以前、現在のイノベーション大臣がテレビで「会社あってこその社員でしょう」と息巻いていたが、その社員が会社から消えてしまえば、即座に経済がストップし、1日にして日本という国が崩壊してしまうことを、この国のリーダーはもっと真剣に考えるべきではないだろうか?
ただ、現在の厚生労働省案や日本経団連の提言は適用基準が欧米に比べて甘く、労働者=個人の権利を著しく侵害する恐れがある。
特にアメリカの場合は、「管理職、専門職、運営職のいずれか」、「業務が単純な反復労働ではない」、「週給が455ドル(約5万5千円)以上の固定給である」の3条件をすべて満たす労働者にのみ適用されている。
つまり、「労働時間を自分でコントロールできる立場にあり尚且つ仕事量に見合った報酬を得られる労働者」であることが前提条件なのである。
また、専門職を除く管理職、運営職においては、年棒10万ドル以上(約1千2百万円)と、金額面での条件が厳しい。
現段階での日本版ホワイト・エグゼンプションは、年収800万円以上で「裁量権をもっている管理職、またはそれに準ずる労働者」が対象となっているが、基準をもっと低くする案も検討されている。
安倍総理は「残業代がでなくなれば、定時退社し家庭も円満になり、少子化にも歯止めがかかる」と述べているようだが、「組織で働く」というのはそう単純なことではない。
「裁量権がある」といっても、かなり限定されており、実際の業務に合わせざるを得ないのが実情で、通常管理職など裁量権があるといわれる役職についていれば、「何が何でも定時に退社」というのは不可能である。
自己完結する仕事ならともかく、会社の業務には必ずクライアントや取引先といった、労働者の裁量では動かすことのできない「他者」があるわけだから、それらを無視して定時退社などしようものなら即座に業務に支障をきたし、結果的に処分対象となってしまう。
今でさえ実際には「サービス残業当たり前」となっている企業がほとんどであるのに、過重労働が労働基準法に抵触しなくなることで、労働者は事実上会社組織の「兵隊」として拘束され、業務が終了するまでは無制限に労働を強いられることになりかねない。
個人の権利が欧米諸国に比べて格段に制限されている日本において、欧米型の労働システムをいきなり導入することは、無謀である。
また、ホワイトカラー・エグゼンプションを導入した場合、懸念されるのが「非正規雇用者」の増加である。
つまり、管理職のみ正社員であれば、その部下は会社が責任を持つ必要のない派遣社員や、賃金が安くいつでも解雇できるパートタイムでまかなえばいい、という企業が、特に中小零細企業に増えてくることが予想される。
これは、政府が目指しているはずの「正規雇用の増加」とは正反対の結果を生み出す可能性を示唆している。
ホワイト・エグゼンプション導入の大義は「(短時間で仕事を処理できる)能力の高い労働者を確保する」ということだが、自分の経験上では「何が何でも定時退社する」のは大抵能力もしくは意欲に疑問のある社員である。
能力の高い社員(たいていは管理職)が、彼らのしりぬぐいをすることになるため、結果的に労働時間が延びるのである。
それでいて、「800万以上」という規定があれば、経営側は逆に1000万以上の報酬が得られて当たり前の労働者に、「800万」と規定することができる。
経団連が唱える「結果主義」には必ずしもならないのである。
現段階でこの概念を法制化すれば、間違いなく労働環境を悪化させ、労働者の「企業離れ」が始まることが容易に予測できる。
現に、会社を辞めて田舎で自給生活を始める世帯が増えつつある。
「企業立国」である日本では、何かにつけて企業が優遇されているが、あまり弱者を締め付けすぎると、やがて大きな代償を支払わなければならない時がくるかもしれない。
以前、現在のイノベーション大臣がテレビで「会社あってこその社員でしょう」と息巻いていたが、その社員が会社から消えてしまえば、即座に経済がストップし、1日にして日本という国が崩壊してしまうことを、この国のリーダーはもっと真剣に考えるべきではないだろうか?