車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

日本民家集落博物館 in 大阪府豊中市

2023年01月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・大阪府

「日本民家集落博物館は、日本各地の代表的な民家を移築復元し、関連民具と合わせて展示する為に昭和31年に日本で最初に設置された野外博物館です。大阪府豊中市の服部緑地公園の一角で梅、桜、竹、柿、その他多くの樹木や草花に囲まれた約3万6千m2の敷地内に、北は岩手県「南部の曲家」から南は鹿児島県「奄美大島の高倉」まで11棟の民家を集めています。いずれの民家も17~19世紀(江戸時代)に建築され、昭和30年代まで人々が生活を営んでおられたものであります。公式HPより

柔らかな春の風に誘われてのタンデム、今日はお弁当持参で服部緑地内にある「民族博物館」にやって来ました。入場ゲートは、江戸時代中期の建築とされる「河内布施の長屋門(旧塩川正十郎邸正門)」。農民では庄屋のみが建てる事を許された格式ある門です。

私達の前に広がるのは、まるで映画のワンシーンのような不思議な風景。記憶の無い風景に懐かしさは無いはずなのに、何故かふんわりと温かい気持ちになります。広大な園内散策の前に、まずはお弁当タイム(笑)

長屋門を潜って右手には「大阪堂島の米蔵」。もと堂島川に沿って建てられていたもので、壁の厚さは約30cmもあるとか。江戸時代の大阪は、全国の物産が集まり「天下の台所」と呼ばれていました。その為、堂島の米市場の相場が、全国の米の値段を左右したとも言われています。

道沿いに歩いて左手に見えるのは、宮崎県東臼杵郡椎葉(しいば)村から移築された国指定重要文化財の「旧椎葉家住宅」。内部は「竿屋造り」と呼ばれる横一列に並んだ間取りで、下手から土間・茶の間・下座敷と部屋が並び、縁側に広く開口部を設けており、背後は湿気や落石を防ぐため、窓の無い板壁になっています。

庭先に植えられた山椒(さんしょう)の木・・・ふと思い出すのは「那須の大八鶴富姫」の恋物語。その地理的特徴・民俗的特徴から日本三大秘境の一つに数えられ、平家の落人伝説も残される椎葉村・・・一度は訪ねてみたかった地名です。

そのまま道沿いに、同じく国指定重要文化財で長野県下水内郡栄村から移築された「信濃秋山の民家:旧山田家住宅」。新潟県との県境にある秋山郷は有数の豪雪地帯として知られ、かっては陸の孤島とも言われた村でした。

茅壁と呼ばれる外観はこれまでで始めて目にしたもの。越後中門造りという雪国特有の様式を持ち、内部は土間に直接茅などを敷き詰め、ムシロを敷いた「土座」と呼ばれる形式。建築年代は江戸時代中期といわれています。

右手に見えてきたのは、奄美大島本島の西南、焼内湾の海岸沿いの沖縄県宇検村(うけんそん)部連(ぶれん)集落より移築された「府指定有形文化財:奄美大島の高倉」。倉を支えるのは、鼠さえも登れない固さを持つイジュの木で造られた約180cmの柱。その上に四方に向かって床のように開いている壁は、竹を網代に組んだもので風通しが良く、高温多湿な奄美大島の気候下でも、米や干物などを良い状態で保存することが出来たそうです。

結構急な石段を下った先に見えてきたのは、奈良県と和歌山県の県境にある十津川村から移築された府指定有形文化財「大和十津川の民家:旧丸田家住宅」。屋根は切妻のソギ葺で、軒に張り付けられたウチオロシと呼ばれる板が、軒先を風雨から守っています。

一段高い丘の上に立つのは、同じく府指定有形文化財で豪雪地帯である福井県杉箸集落から移築された「越前敦賀の民家:旧山下家住宅」。外壁は、柱を土壁に塗り込める大壁(おおかべ)づくりで、梁や柱などは雪の重みに耐えられるように、太い構造材を用いています。

重要文化財の「北河内の茶室」。江戸時代後期に大阪府庭窪(現守口市)で建築され、嘉永4年に交野市私部の北田家に移築。さらに昭和20年代に同市の原田家に再度移築された後、2005年に同地に移築復元されました。

屋根は切妻、茅葺で庇は瓦と銅板葺。茶室は数寄屋造りの四畳半で、床と地袋付の地板が設けられ、濡れ縁からの貴人口は縁端の壁が側面近くの躙り口を明瞭に視界から遮っています。

茶室から再び下に向かった先は、岩手県矢巾町から移築された府指定有形文化財「南部の曲がり家:旧藤原家住宅」。かつて馬の産地として栄えたこの地方では、このように大きな厩と母屋をカギ型に接続させた「曲家」が多く見られました。

母屋の土間には囲炉裏があり土足のまま火を囲んで家族が団欒できるようになっています。冬期には囲炉裏の暖かい空気が厩まで行き渡ると同時に、馬の様子を庭越しに常に見ることが出来るという利点もありました。

石段を下った先は、香川県から移築された府指定民俗文化財の「小豆島(旧吉田)農村歌舞伎舞台」。棟札によれば安政6年(1859)の再建です。小さな吉田集落の荒魂社の境内、社殿に向かい合って建っていた比較的小型の舞台ですが、娯楽の少なかった時代、農閑期に催される種々の舞台は神への奉納の目的以上に、どれほど村の人々を楽しませたことでしょう。 

季節は三月下旬、山深く作られた野外博物館には、咲き乱れる梅の小枝をゆらして、ちいさな鳥たちのさえずりが聞こえて来ます。木々に紛れるように立つのは、大正時代後期にオランダの風車にヒントを得て、自転車製造の技術を応用して作られた「堺の風車」。畠にある井戸のポンプを風車で自動灌水する事が出来るという優れもの。泉州地方の風物詩であった風車も、今は堺市楠町に一基のみが現存しているだけです。

水辺に作られた船小屋に納められているのは、山陰の「刳(くり)船」。1本の丸太をくりぬいて船体とする形状の丸木舟は、今日でも岩礁の多い海岸などで使われているそうです。

博物館内に作られた小さな集落。そこにはまるでずっとそこにあったかと思える祠やお地蔵さんが祀られています。この双体の同祖神さんも、やはりどこかの土地から建物と一緒にお招きされたのでしょう。

大阪府能勢町から移築された、国指定重要文化財「摂津能勢の民家:旧泉家住宅」。江戸時代初期の入母屋造妻入、茅葺きの民家で、屋根構造に垂木構造(おだち鳥居組)という、畿内特有の古い形式が用いられています。家の規模は小さく、細く曲がった柱を一間ごとに立て、軒は低く、開口部は極めて少ないなど、古民家の特徴が非常に良く示されているそうです。

こんな景色の中で寛いでいると、時間の流れがとてもゆっくりと思えるのですが、実は驚くほど早く、時計を確認して大慌てなんて事になります。

最後の建物は岐阜県白川村から移築された、国指定重要有形民俗文化財「飛騨白川の民家・旧大井家住宅」。建築年代は不明ですが、今から200年位前のものと考えられます。「合掌造り」と呼ばれる建物で、屋根は茅葺きで、母屋の構造は平入りの3階建。1階は家族の生活の場で、2階・3階は通気が良く主に養蚕に使用していました。

合掌造りの名は屋根の木組みが、掌を合わせた形になっているところからきています。こんな家並みが点在する風景はどんなにか美しいだろう。いつか本物の集落を見たいね・・・この時抱いた憧れは6年後に現実となりました。

白山天守閣展望台より望む「白川郷合掌村」(2012年5月19日)

緑地内の日当たりの良い小高い土の上、数十体の石仏様がまるで日向ぼっこでもしているように並んでいます。どこからおいでになったのか・・詳細は不明。そっと手を合わせて・・今日のお出かけは終了です。

訪問日:2006年3月25日

この時から既に16年と9か月が過ぎ去りました。歳月の速さに戸惑いを覚えるお年頃になりつつあります(^^;)

 


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4 コメント

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白川郷 (tibineko)
2023-01-04 21:53:44
onecat様もご覧になられたんですね。
城山から見渡した白川郷集落の美しさ
雪を頂く白山を背景に見たあの景色は
何年たっても脳裏に鮮やかに蘇ってきます

白川郷を背景に写して頂いた二人の写真
大きく引き伸ばして、今も部屋の壁に飾っています。

明治村、昭和村どれも皆、懐かしい思い出に繋がります。
返信する
日本民家集落博物館 (onecat01)
2023-01-04 21:28:46
tibinekoさん。

 こんな博物館があるのですね。会社に勤めていた時、社内旅行で「明治村」へ行きました。

 実際の建物を移築し、一堂に集め、誰もが見られるようにしてあり、堂々とした煉瓦造りの洋風建築など、圧倒されました。

 「日本も、ここまでの経済大国になったんだ。」

 貧しかった日本が国民のために、こんなことにお金を使えるようになったのかと、感激した記憶があります。

 「明治村」だけでなく、「昭和村」も何処かにあると聞きましたが、「日本民家集落博物館」は初めて知りました。

 椎葉村の「旧椎葉家住宅」、白川郷の「合掌造り」は、懐かしく拝見しました。貴方の紹介文が、私の学徒の魂を動かして、正月早々楽しい小旅行をさせていただきました。

 感謝します。
返信する
通常業務(笑) (tibineko)
2023-01-04 16:38:42
今日は今年初の主人の診察&リハビリ。
処方箋を頂いて、
院外薬局でお薬を受け取り
お会計を済ませたらお昼過ぎ。

この後も車のガソリン補給に買い出しと予定が詰まっていたので、
久しぶりの車内食。

朝一でS社のスープジャーに仕込んでおいた
減塩の「おでん」と生野菜中心のサラダ
機嫌よくフーフーしながら食べてくれました(*^^*)

来週も再来週も、
来月も来年も、
こんな風に過ごせますようにと
手を合わせ、声をあわせて
「ごちそう様でした」

何でもない日常の何でもない一コマ
まかろんさんにご報告(〃∇〃)
返信する
Unknown (まかろん)
2023-01-04 08:21:05
tibinekoさん、
昨日は丁寧な返信をありがとうございました。
他の詩も目を通しての返信に、感激しました。

そしていただいた言葉も。

なんて細やかな人なのだろうと驚き、感激しました。


tibinekoさんは、降りつもる古い歴史の時間に
大切に向き合える人なのですね。

昔の建物などを見て、その歴史に思いを馳せる・・
それは想像力の豊かさだと思います。


あ、ちょっと時間が押していて、
日本語がおかしいかもしれません。

tibinekoさんの奥にひそむ、歴史的・文学的な感性とお人柄が好きです。
土地や家族を愛おしく思える人は美しいと思います。


>この時から既に16年と9か月が過ぎ去りました。

私も、過去の時点を振り返って、あるいはこの作品を書いた時から何年と思って、不思議な気持ちになることがあります。

今のこの感慨の日も、過去となるのでしょうね。
でも今は、tibinekoさんとお話しできて嬉しいです。


とりとめないコメントになってしまいましたが、
昨日の返信に感激したので、つい。

正月明けの今日を、なごやかに過ごせるといいですね😊
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