車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

石川護国神社 in 石川県金沢市石引

2017年08月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

昭和二十年八月十五日、天皇陛下の「終戦の詔書」によって、大東亜戦争は終りました。その後のGHQや、突然掌を返した某国の人間たちの非道な振る舞いを非難する術も無く、日本人は「全て自分たちが悪かった」と言う自虐史観に洗脳されて、今日まできました。祖国を守る為、愛する家族を守る為に散華された多くの御霊に対する感謝も忘れ・・・あまつさえ戦犯と平気で口にする愚かな民さえ存在します。他国の言いがかりにヘラヘラと媚びへつらう子孫の姿は、英霊方の目にどのように映っているのでしょうか。
恥を忘れ、誇りを無くした国に未来の発展など有りえないと・・私は思います。

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金沢市石引に鎮座される「石川護国神社」。御祭神は『護国の英霊 四万四千九百二十九柱

由来「戊辰戦争で戦死した加賀藩の108人の霊を祀るため、 明治3年、卯辰山に招魂社を造営し御霊を祀ったのが創まり。 以来、西南の役、日清日露の両戦役、支那事変(日中戦争)、大東亜戦争までの英霊(第九師団管下の富山・福井・岐阜・滋賀県出身の英霊約14,000柱を含む)44,929柱を合わせ祀る。 昭和10年に卯辰山の招魂社から出羽町練兵場の一部である現在地に遷座。 遷座にあたって境内地を造成、本殿以下社殿及び工作物が造営。 昭和14年に石川護國神社と改称された。」公式HPより

参道入口に立つのは「父と子の像」。母や妻、幼き子らを守る為に戦に赴く父の想いがあります。
境内の一画に2000年8月建立の「大東亜聖戦大碑」。2010年10月には「輝く天命戦の真実を知れ」と題する副碑の落慶記念式典も催されました。第二次大戦ではなく「大東亜戦争」とした事に、この碑の持つ深い意味を考えさせられます。

美しく掃き清められた神域。背筋にぴんと張り詰めたものを感じさせる拝殿。全てが清浄な気に満たされている感覚。御朱印を下さった方の姿勢や言葉遣いも、この美しい護国の御霊を護るに相応しいものでした。

「石川県海軍戦友会・海軍特年会」「軍馬之碑」

奉納絵馬「九七式中型戦車」

奉納絵馬「一式戦闘機・隼」

奉納絵馬「航空母艦 加賀」

豪商・島崎屋徳兵衛が、兼六造庭の際に「徽軫灯籠」などと共に、十三代藩主前田斉泰公に献上した「兜岩」。

参拝日:2009年8月14日&2011年10月13日&2015年5月25日

 


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