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tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 李賀74ー83

2011年05月13日 | Weblog
 李賀ー74
    艾如張              艾如張

  錦襜褕         錦(にしき)の襜褕(せんゆ)
  繍襠襦         繍(しゅう)の襠襦(とうじゅ)
  強飲啄         強(し)いて飲啄(いんたく)し
  哺爾雛         爾(なんじ)の雛を哺(はぐく)む
  隴東臥穟満風雨   隴東(ろうとう)   臥穟(がすい)  風雨に満ち
  莫信籠媒隴西去   籠媒(ろうばい)を信じて隴西に去(ゆ)くこと莫(なか)れ
  斉人織網如素空   斉人(せいひと)  網を織りて素空(そくう)の如く
  張在野田平碧中   張りて  野田(やでん)平碧(へいへき)の中(うち)に在り
  網糸漠漠無形影   網糸(もうし) 漠漠(ばくばく)として形影(けいえい)無く
  誤爾触之傷首紅   誤って爾    之に触(さわ)れば首(こうべ)を傷つけて紅(くれない)ならん
  艾葉緑花誰翦刻   艾葉(がいよう)  緑花(りょくか)  誰か翦刻(せんこく)する
  中蔵禍機不可測   中(うち)に禍機(かき)を蔵(ぞう)して  測(はか)る可からず

  ⊂訳⊃
          錦の上着
          刺繍の袴に袖なしの短衣
          一心に水を飲み
          雛を育てる雉たちよ
          畝の東側   倒れた穂が風雨にぬれているからと
          囮に騙され  畝の西には行かないように
          斉の人は上手に網を織り  まるで空のようだ
          平らな田野の緑のなかに  霞網を張っている
          網の糸は細くて  影も形も見えず
          誤って触れたら  首を傷つけ血を流す
          艾の葉で草花を作り  誰が上手に偽装したのか
          網の中には  どんな禍がひそんでいるか分からない


 ⊂ものがたり⊃ 昌谷の田園に住むようになってからも、都で受けた李賀の心の傷は癒えないまま残っていたようです。「艾如張」(がいじょちょう)の詩は、そのことを窺がわせます。「艾如張」は漢代の鼓吹鐃歌(こすいどうか)に「艾如張曲」というのがありますので、それを借りたものと思われますが、「艾」は草などを刈ること、「張」は網を張ることを意味します。
 はじめの三言の四句は雛を育てる鳥の描写ですが、比喩で描いた鳥の描写から、鳥は雉と思われます。李賀は雉に「籠媒を信じて隴西に去くこと莫れ」と忠告します。「籠媒」は囮(おとり)のことで、飼い馴らされた雉を籠に入れて野に置き、野生の雉を呼び寄せるものです。また、戦国斉の地方の人々は、霞網を作るのが上手でした。それを野原に張って鳥を捕らえたという言い伝えがあります。
 「翦刻」は切り刻むことで、艾(よもぎ)の葉を刻んで草花の形を作り、それを網につけて偽装したそうです。李賀はこの詩で、世の中には人を陥れるいろいろな陥穽が潜んでいることを言おうとしているように思われます。

 李賀ー75
   南園十三首 其四       南園 十三首  其の四

  三十未有二十余   三十未(いま)だ有らず  二十の余(よ)
  白日長飢小甲蔬   白日(はくじつ)  長(つね)に飢え  小甲蔬(しょうこうそ)
  橋頭長老相哀念   橋頭(きょうとう)の長老  相(あい)哀念(あいねん)し
  因遺戎鞱一巻書   因(よ)って遺(おく)る    戎鞱(じゅうとう)一巻の書

  ⊂訳⊃
          三十にはならないが  二十は過ぎた

          野菜の新芽を食べて  昼間から飢えている

          橋のたもとで長老が  哀れに思い

          私に授けて呉れた物  兵法の書一巻


 ⊂ものがたり⊃ 詩題の「南園」は昌谷の李賀の家の南にある農園でしょう。中堂の南にある中庭は院といいますので、園は門外にあり、竹林があり、小川が流れる広い菜園を言うようです。
 其の四の詩の「小甲蔬」は野菜の新芽のことで、李賀の家では南園に野菜を植えて食糧にしていたようです。「長に飢え」は誇張と思われますが、自給自足の貧しい生活であったと思われます。
 それを哀れに思った村の長老が、「戎鞱一巻」を贈ってくれました。「橋頭長老」は『史記』の故事を踏まえており、漢の張良は少年のころ、下邳(江蘇省邳県)の圯橋(いきょう)の上でひとりの老人から太公望の著と伝える『六鞱』を授けられました。『六鞱』は兵法の書ですので、李賀は兵法を学んで帷握の功を立てることに野心を持っていたことが分かります。

 李賀ー76
   南園十三首 其五       南園 十三首  其の五

  男児何不帯呉鉤   男児(だんじ)  何ぞ呉鉤(ごこう)を帯びて
  収取関山五十州   関山(かんざん)五十州を収め取らざるや
  請君暫上凌煙閣   請(こ)う  君  暫(しばら)く上れ凌煙閣(りょうえんかく)
  若箇書生万戸侯   若箇(じゃくこ)の書生が  万戸侯(ばんここう)たる

  ⊂訳⊃
          男児たる者  呉鉤の剣を携えて

          どうして     関山五十州を取りもどさないのか

          君よ試しに  凌煙閣に上ってみるがよい

          書生の身で  万戸侯になった者はひとりもいない


 ⊂ものがたり⊃ 其の五の詩の「呉鉤」は呉地方の剣で、三日月形に曲がっていたといいます。「関山」は国内の山野をいうと解されますが、朝廷の命令に服さない藩鎮は、元和六年(811)には河北河南を中心に五十余州に及んでいたといいます。安史の乱後、唐朝の支配力は著しく衰えており、だからこの句は、李賀が河朔三鎮(かさくさんちん)をはじめとする藩鎮の割拠勢力に関心を持っており、国威が定まらないことに憤りを感じていたことを示していると解されます。
 「凌煙閣」は唐の太宗が建国の功臣二十四人の像を描かせて掲げた閣堂で、それを見れば、一書生の身分では大功を立てることはできないことが分かると李賀は言うのです。

 李賀ー77
   南園十三首 其六       南園 十三首  其の六

  尋章摘句老雕虫   章を尋ね  句を摘(つ)み  雕虫(ちょうちゅう)に老ゆ
  暁月当簾挂玉弓   暁月(ぎょうげつ)  簾(れん)に当たりて  玉弓を挂(か)く
  不見年年遼海上   見ずや   年年  遼海(りょうかい)の上(ほとり)
  文章何処哭秋風   文章  何(いず)れの処にか秋風(しゅうふう)に哭(こく)す

  ⊂訳⊃
          一章一句に苦心を重ね 小事のために老いていく

          夜明の月が簾に当たり  玉の弓を架けたようだ

          見たまえ  遼海の辺を  毎年毎年の戦争騒ぎ

          文を練って秋風を嘆く   そんな風雅が何処にある


 ⊂ものがたり⊃ 詩中の「雕虫」は雕虫篆刻のことで、こまごまと詩句を選び、推敲して、詩を作ることを意味します。そのような小事を事として老いていくのかと、李賀は自分の人生に疑問を呈します。
 承句はそのような詩作を夜明けまでつづけていると詠っていますが、転句では一転して、「見ずや 年年 遼海の上」と言っています。「遼海」は遼東の海、つまり渤海のことです。そこは河朔三鎮の支配する地域で、毎年のように戦争があっています。それを見て李賀は、詩文を書いて秋風に哭するような風雅な生活をしておられようかと、国の乱れに安閑としておれない気持ちを吐露するのです。

 李賀ー81
   昌谷北園新筍 四首       昌谷北園の新筍 四首
   其一                 其の一

  籜落長竿削玉開   籜(たく)落ちて長竿(ちょうかん)  削玉(さくぎょく)開く
  君看母筍是龍材   君(きみ)看(み)よ   母筍(ぼじゅん)は是(こ)れ龍材なるを
  更容一夜抽千尺   更に容(ゆる)さんや 一夜千尺(せんせき)を抽(ぬ)きんで
  別却池園数寸泥   池園(ちえん)数寸の泥(でい)に別却(べつきゃく)するを

  ⊂訳⊃
          竹の皮が落ち  玉を削いだような竿が現われる

          君よ見たまえ  この筍こそ龍となる素材ではないか

          それがさらに  一夜のうちに千尺も伸びて

          池のほとりの数寸の泥と  別れることはできないものか


 ⊂ものがたり⊃ 詩題の「北園」は、「南園」に対するものと思われます。そこに大きな竹林があって、春になると「新筍」(しんじゅん)が顔を出します。転結句で「更に容さんや 一夜千尺を抽きんで 池園数寸の泥に別却するを」と言っているのは、当時、竹が龍になるという伝説があったので、李賀の昌谷滞在も一年がたち、新しい活動の場を求める気持ちが動いているのを、比喩で示しているものと思われます。

 李賀ー82
   昌谷北園新筍 四首       昌谷北園の新筍 四首
   其二                 其の二

  斫取青光写楚辞   青光(せいこう)を斫(き)り取って   楚辞(そじ)を写(うつ)す
  膩香春粉黒離離   膩香(にこう)   春粉(しゅんぷん) 黒くして離離(りり)たり
  無情有恨何人見   無情(むじょう)  有恨(ゆうこん)   何人(なんびと)か見らん
  露圧煙啼千万枝   露は圧(あつ)し 煙は啼(な)く千万枝(せんばんし)

  ⊂訳⊃
          青竹の肌を削り  そこに詩を書く

          新竹の香り  白い粉  黒々と墨の色

          無常の世に恨みあり  この詩を読むのは誰であろうか

          千万の枝の林に  露は重たくてむせび泣く霧


 ⊂ものがたり⊃ 竹簡に文字を書く習慣は、唐代では過去のものとなっていますので、「青光を斫り取って 楚辞を写す」というのは比喩的に用いているものでしょう。しかし、承句が具体的であるのを見ると、李賀はなお古い書写材を好んで、竹簡に楚辞などを写すことがあったのかも知れません。「春粉」は新竹の節のあたりに生ずる白い粉のことです。
 転句の「無情 有恨」にはいろいろな解釈があるようです。ここでは李賀が世に認められないことを恨んでいると解しました。竹林に露が宿り、霧が立ち込める結びは、李賀の有恨を反映するものでしょう。

 李賀ー83
   昌谷北園新筍 四首       昌谷北園の新筍 四首
   其三                 其の三

  家泉石眼両三茎   家泉(かせん)の石眼(せきがん)  両三茎(りょうさんけい)
  暁看陰根紫陌生   暁に看(み)る   陰根(いんこん)の紫陌(しはく)に生ずるを
  今年水曲春沙上   今年(こんねん) 水曲(すいきょく) 春沙(しゅんさ)の上
  笛管新篁抜玉青   笛管(てきかん) 新篁(しんこう)   玉青(ぎょくせい)を抜きんでん

  ⊂訳⊃
          泉水の岩の孔から  二三本の竹が芽を出す

          あけがたに見ると  路の畔に地下茎が伸びている

          今年は水のほとり  春沙の上に新しい竹

          笛の管になる様な  碧玉の竹が萌え出るであろう


 ⊂ものがたり⊃ 泉水の岩の孔から二三本の竹が芽を出しているという叙景は、面白い着眼であると思います。「紫陌」は都大路の意味ですが、ここでは小川のほとりの路を大袈裟に言ったものか、もしくは都に出たいという李賀の気持ちの寓意かも知れません。それを見て、転結の二句では「今年 水曲 春沙の上 笛管 新篁 玉青を抜きんでん」と言っていますが、今年は何か新しいことが起こりそうだと前途に希望を寄せています。希望ではなく、竹が笛になる決意を述べているのかも知れません。

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