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tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 杜甫76ー92

2010年01月15日 | Weblog
 杜甫ー76
    北征            北征

  皇帝二載秋     皇帝  二載(にさい)の秋
  閏八月初吉     閏八月の初吉(しょきつ)
  杜子将北征     杜子(とし)  将(まさ)に北に征して
  蒼茫問家室     蒼茫(そうぼう)   家室(かしつ)を問わんとす
  維時遭艱虞     維(こ)れ時に艱虞(かんぐ)に遭(あ)い
  朝野少暇日     朝野(ちょうや)   暇日(かじつ)少なし
  顧慚恩私被     顧みて慚(は)ず  恩私(おんし)を被(こうむ)りて
  詔許帰蓬蓽     詔(みことのり)もて蓬蓽(ほうひつ)に帰ることを許さるるを
  拝辞詣闕下     拝辞(はいじ)せんとて闕下(けつか)に詣(いた)り
  怵久未出     怵(じゅつてき)して久しく未(いま)だ出でず
  雖乏諌諍姿     諌諍(かんそう)の姿に乏(とぼ)しと雖(いえど)も
  恐君有遺失     君に遺失(いしつ)有らんことを恐る
  君誠中興主     君は誠(まこと)に中興の主(しゅ)なれば
  経緯固密勿     経緯(けいい)  固(もと)より密勿(みつぶつ)たり
  東胡反未已     東胡(とうこ)   反して未だ已(や)まず
  臣甫憤所切     臣甫(しんほ)の憤り切なる所なり
  揮涕恋行在     涕(なみだ)を揮(ふる)いて行在(あんざい)を恋い
  道途猶恍惚     道途(どうと)    猶(な)お恍惚(こうこつ)たり
  乾坤含瘡痍     乾坤(けんこん) 瘡痍(そうい)を含む
  憂慮何時畢     憂慮  何の時にか畢(おわ)らん
  靡靡踰阡陌     靡靡(ひひ)として阡陌(せんぱく)を踰(こ)ゆれば
  人烟眇蕭瑟     人烟(じんえん)  眇(びょう)として蕭瑟(しょうしつ)たり
  所遇多被傷     遇(あ)う所は多く傷を被(こうむ)り
  呻吟更流血     呻吟(しんぎん)して更に血を流す
  廻首鳳翔県     首(こうべ)を鳳翔県に廻(めぐ)らせば
  旌旗晩明滅     旌旗(せいき)  晩(ばん)に明滅す

  ⊂訳⊃
          粛宗  至徳二載の秋
          閏八月一日のこと
          杜甫は北に旅をしようとし
          不安に駆られつつ  家族のもとへ向かう
          ときに世は艱難辛苦あいつぎ
          朝野をあげて暇な日はない
          しかるに私は  特別の恩恵を受け
          詔書によって  帰宅を許される
          いとま乞いのため宮門に伺候するが
          恐れ気づかって立ち去りかねた
          力量のない諌め役のわたしだが
          わが君に落ち度がないか心配だ
          君公は中興の英主であらせられるから
          国家の経営に熱心である
          しかるに東方蕃族の叛乱はやまず
          小臣の怒りには切実なものがある
          涙を払い  御座所をしたいつつ行くが
          途上なお  心は虚ろでぼんやりしていた
          いくさの傷跡は  天地に深くきざまれ
          いつになったら  憂悶の時は終わるのか
          のろのろと畑中の路をゆけば
          炊煙は  見わたす限りさびれている
          会うひとの多くは傷つき
          うめき苦しみ血を流す人もいる
          鳳翔県を振りかえると
          皇帝の旗は  日暮れの空に見え隠れする


 ⊂ものがたり⊃ ところで、杜甫が左拾遺を拝命した直後に、朝廷でひとつの事件が起きていました。ささいなことから房琯(ぼうかん)が宰相を罷免され、太子少師(たいししょうし)に貶されたのです。事件というのは房琯が身近に置いていた琴の名手の董廷蘭(とうていらん)が、房琯の威を借りて賄賂をとったというのです。
 杜甫は持ち前の実直な性格から、また左拾遺として職務の範囲でもありましたので、そのようなささいなことで大臣を罷免するのはよろしくないと反対しました。事件の背景には粛宗(しゅくそう)の近臣と玄宗の旧臣との間の対立があったと思われますが、杜甫はこの直言によって粛宗の逆鱗(げきりん)に触れます。杜甫は問責を受ける身になり、職務も停止されますが、新しく宰相になった張鎬(ちょうこう)らのとりなしもあって、六月一日には旧職に復しています。
 しかし、粛宗の信任はもどってきませんでした。杜甫は詔書によって鄜州羌村の家族を見舞ってもよいとのお許しが出たと言っていますが、勅許というのは名目的なもので、実体は休職処分になったと見ていいでしょう。「北征」(ほくせい)というのは征旅のことではなく、「北行」ということで、勅許を受けてゆくので北征と言ったのに過ぎません。
 当時、長安は賊軍の占領下にありましたので、渭水に沿った東行の道はとれず、鄜州へ行くには鳳翔から北へ山越えの道をゆく必要がありました。はじめの十句は閏八月一日に杜甫が出発するくだりです。「拝辞せんとて闕下に詣り」ますが、不興をこうむっている身なので、そのことが心配で立ち去りかねる気持ちでいます。
 杜甫はなお行在所の門前を立ち去りかねながら、幽州の賊の叛乱がまだつづいている現実に思いをはせます。粛宗は英主であるけれども、うまく平定できるだろうかと心を痛めます。未練の涙を払って杜甫は出発しますが、心は虚ろなままです。
  杜甫はのろのろと畑中の路を進んでゆきます。馬に騎り、徒歩の従者を従えていたはずです。あたりに農家は点在していますが、炊煙はほそぼそとしか上がっていません。会うひとの多くは戦で傷ついた人です。鳳翔県のほうを振りかえると、行在所の旌旗が日暮れの空に見え隠れしています。振り返りつつ杜甫は冬枯れのはじまった淋しい山道をたどって妻子のいる羌村までの旅が書かれていますが、五言百四十句の長篇古詩ですので以下は省略します。

 杜甫ー90
   羌村三首 其一        羌村 三首  其の一
           
  崢赤雲西     崢(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西
  日脚下平地     日脚(にっきゃく) 平地に下る
  柴門鳥雀噪     柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ
  帰客千里至     帰客(きかく)    千里より至る
  妻孥怪我在     妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ
  驚定還拭涙     驚き定まって還(ま)た涙を拭う
  世乱遭飄蕩     世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い
  生還偶然遂     生還  偶然に遂げたり
  隣人満牆頭     隣人  牆頭(しょうとう)に満ち
  感歎亦歔欷     感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す
  夜闌更秉燭     夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り
  相対如夢寐     相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し

  ⊂訳⊃
          高く湧き立つあかね雲の西
          陽の光は  平野に射し込んでいる
          柴門の辺りで小鳥がさわぎ
          旅人が   千里のかなたから帰ってきた
          妻と子は  生きて帰ったわたしを見て
          夢ではないかと  改めて涙をぬぐう
          世の乱れのため  漂泊のうきめに遭い
          生きて帰ったのは偶然のこと
          近所の人も   土塀の上に顔をならべ
          共に感嘆して すすり泣く
          夜も更けて   さらに灯火を明るくし
          互いに顔を見合っていると  夢を見ている心地がした


 ⊂ものがたり⊃ 「羌村(きょうそん)三首」の連作は「北征」の詩よりも先に書かれたものとされていますが、波乱の一年余をへて家族と再会した喜びが率直に詠われています。其の一の詩では、黄土高原の雄大な夕景色がまず簡潔に描かれます。杜甫は夕刻に到着したようです。馬に乗り従者を従えた杜甫が通ると門のあたりで小鳥が騒ぎ、旅人が帰ってきたことを知らせるのです。迎えた家族の喜びや近所の人のようすまでが、時間の経過を追っていきいきと描かれ、実に好ましい詩と思います。

 杜甫ー91
   羌村三首 其二        羌村 三首  其の二
        
  晩歳迫偸生     晩歳(ばんさい)  生を偸(ぬす)むに迫られ
  還家少歓趣     家に還(かえ)れども歓趣(かんしゅ)少なし
  嬌児不離膝     嬌児(きょうじ)は膝(ひざ)を離れざりしも
  畏我復却去     我を畏(おそ)れて復(ま)た却(しりぞ)き去る
  憶昔好追涼     憶う昔  好(よ)く涼(りょう)を追い
  故繞池辺樹     故に池辺(ちへん)の樹(じゅ)を繞(めぐ)りしを
  蕭蕭北風勁     蕭蕭(しょうしょう)として北風(ほくふう)勁(つよ)く
  撫事煎百慮     事を撫(ぶ)すれば百慮(ひゃくりょ)煎(に)る
  頼知禾黍収     頼(さいわい)に知る  禾黍(かしょ)の収めらるるを
  已覚糟牀注     已に覚(おぼ)ゆ  糟牀(そうしょう)に注ぐを
  如今足斟酌     如今(じょこん)   斟酌(しんしゃく)するに足る
  且用慰遅暮     且(か)つ用(も)って遅暮(ちぼ)を慰めん

  ⊂訳⊃
          晩年に  ずぼらな生活のつけがくる
          家に帰ってはみたものの  面白いことはない
          膝の上から離れなかった甘えん坊も
          わたしを怖がってあとずさりする
          思えば昔  夕涼みでもしようかと
          池の岸辺  樹々のあいだをめぐったものだ
          いまはもの寂しく  北風が吹きつのり
          いろいろ考えると  胸に憂いが満ちてくる
          さいわいに  今年の稲や黍(きび)は豊作であったとか
          はやくも    酒しぼりの音がしているようだ
          この季節は  酒を飲むのにちょうどよく
          なんとか   余生の慰めも足りそうだ


 ⊂ものがたり⊃ なついていた児が、久しぶりに帰ってきた父親に顔見知りするのは淋しくもあるけれど、去年夏景色であったあたりの風景は、すっかり秋の装いになっています。杜甫は粛宗の不興を蒙って帰宅してきました。しかし、そのことを妻には隠していますので、将来のことをいろいろ考えると憂鬱でもあります。でも幸い今年は豊作のようなので、まずは酒でも飲んで妻子と共にいることの喜びをかみしめようと思うのです。

 杜甫ー92
   羌村三首 其三       羌村 三首  其の三
            
  群鶏正乱叫     群鶏(ぐんけい)  正(まさ)に乱叫(らんきょう)し
  客至鶏闘争     客至るとき鶏(にわとり)闘争す
  駆鶏上樹木     鶏を駆(か)って樹木に上(のぼ)らしめ
  始聞扣柴荊     始めて柴荊(さいけい)を扣(たた)くを聞く
  父老四五人     父老(ふろう)  四五人
  問我久遠行     我が久しく遠行(えんこう)せしを問う
  手中各有携     手中(しゅちゅう)   各々(おのおの)携うる有り
  傾榼濁復清     榼(こう)を傾くれば  濁(だく)復(ま)た清(せい)
  莫辞酒味薄     辞する莫(なか)れ  酒味(しゅみ)の薄きを
  黍地無人耕     「黍地(しょち)   人の耕(たがや)す無し
  兵革既未息     兵革(へいかく)  既に未(いま)だ息(や)まず
  児童尽東征     児童(じどう)  尽(ことごと)く東征す」
  請為父老歌     「請(こ)う  父老(ふろう)の為に歌わん
  艱難愧深情     艱難(かんなん)  深情(しんじょう)に愧(は)ず」と
  歌罷仰天嘆     歌(うた)罷(や)んで  天を仰いで嘆(たん)ずれば
  四座涙縦横     四座(しざ)  涙縦横(じゅうおう)たり

  ⊂訳⊃
          鶏がいまや騒ぎ立て
          客人が来たのに驚いている
          鶏(とり)たちを枝木に追いやると
          柴戸をたたく音が聞こえてきた
          年寄りたちが四五人で
          長旅の苦労を慰問する
          手に手に手土産をさげており
          壺からは濁酒(どぶろく)や清酒が流れ出る
          酒の味が薄いのを  嫌がらないでくれと言いつつ
          「きびの畑を耕す者がおりません
          戦争はいまだ終わらず
          若者はみんな戦(いくさ)に出ています」と
          「では  皆さんにために歌いましょう
          苦しみ多い世の中で  心のほどが嬉しい」と
          歌い終わり  天に向かって嘆けば
          一座の人は  涙で頬を濡らすのだった


 ⊂ものがたり⊃ やがて村の長老たちも帰還の祝いにやってきます。なにしろ左拾遺といえば、村人たちにとっては天子の側近に仕える高官です。敬意を表すると同時に戦の見通しなど、政府のようすも聞きたかったでしょう。客たちは手に手に手土産をさげていますが、壺の中身は黍(きび)で作った自家製の酒ですから濁り酒もあれば清酒もあります。
 後半の八句は村人と杜甫の会話です。村の長老たちは酒の味が薄いのは、若者が戦争に出てしまって畑を耕す者がいないからですと弁解しながら、それとなく戦の終わる日を聞くのでしょう。杜甫は官軍がきっと賊を撃退すると答えたに違いありません。
 杜甫は皆さんのために詩を詠いましょうと言いながら、村人の好意が嬉しいと感謝の言葉を述べます。杜甫が世の乱れを歎くと、一同は共に涙を流すのでした。