李白ー132
秋浦歌十七首 秋浦の歌 十七首
其一 其の一
秋浦長似秋 秋浦(しゅうほ) 長(とこし)えに秋に似たり
蕭条使人愁 蕭条(しょうじょう) 人をして愁えしむ
客愁不可度 客愁(かくしゅう) 度(すく)う可からず
行上東大楼 行きて東(ひがし)の大楼に上る
正西望長安 正西(せいせい)して長安を望む
下見江水流 下に江水(こうすい)の流るるを見る
寄言向江水 言(げん)を寄せて江水に向かい
汝意憶儂不 汝の意(い) 儂(われ)を憶(おも)うや不(いな)や
遥伝一掬泪 遥かに一掬(いっきく)の泪(なみだ)を伝え
為我達揚州 我が為に揚州(ようしゅう)に達せよ
⊂訳⊃
秋浦は永遠の秋に似て
もの悲しく 人の心を閉じこめる
旅の愁いは どうすることもできず
東のかた 大楼山に登ってみる
西の正面 都長安に向き合い
眼下に 長江の流れを望む
流れに向かって 私は問いかける
汝はこのおれを 忘れずにいてくれるのか
ならば溢れるこの涙 私のために
遥かな揚州に届けてくれ
⊂ものがたり⊃ 今日から「秋浦の歌」十七首全部を取り上げます。
李白はこの年も夏になると、知友との交流にでかけ、宣州の江岸、渡津の当塗の街で過ごしています。秋になると、前年冬に訪れた秋浦を再訪し、十七首の組詩をまとめています。秋浦の風物については詩中に語りつくされていますので、その都度説明することになりますが、「秋浦の歌」は秋浦の景を詠うだけではなく、李白がこれまでの自分の人生について深く顧みていることに注目する必要があります。
其の一の詩の「正西して長安を望む」の「正西」は解釈が難しい表現ですが、秋浦のある皖南(かんなん)地方から長安は西北西の方向にあり、真西ではありません。この語には姿勢を正して長安に向き合うという気持ちが込められていると思います。長江は世に出ることを目指してはじめて下った大江であり、その長江に向かって問いかけるのは、李白が自分自身の初心に問いかけることでもあります。最後の四句は出郷の志が遂げられていないことへの限りない哀惜の情を詠うものとして、涙なしには読めない詩句であると思います。
李白ー133
秋浦歌十七首 秋浦の歌 十七首
其二 其の二
秋浦猿夜愁 秋浦 猿は夜愁(うれ)う
黄山堪白頭 黄山 白頭(はくとう)に堪えたり
青渓非朧水 青渓(せいけい)は朧水(ろうすい)に非(あら)ざるに
翻作断腸流 翻(かえ)って断腸(だんちょう)の流れを作(な)す
欲去不得去 去らんと欲(ほっ)して去るを得ず
薄遊成久遊 薄遊(はくゆう) 久遊(きゅうゆう)と成る
何年是帰日 何(いず)れの年か 是(こ)れ帰る日ぞ
雨泪下孤舟 泪を雨(ふ)らせて孤舟(こしゅう)に下る
⊂訳⊃
秋浦では夜ごとに猿が悲しげに鳴き
黄山は 白髪の老人にふさわしい
青渓は 朧水でもないのに
却って 断腸の響きを立てて流れてゆく
立ち去ろうと思うが 去ることもできず
短い旅のつもりが 長旅となったのだ
いつになったら 帰る日がやってくるのか
涙を流しつつ 寄る辺ない小舟にもどる
⊂ものがたり⊃ 其の二の詩にも人生への思いが込められています。「青渓は朧水に非ざるに 翻って断腸の流れを作す」は古楽府にある詩句を踏まえているとされていますが、すでに李白自身が「古風 其二十二」(21.6.17-18参照)で「秦水 朧首に別れ 幽咽して悲声多し」と詠っています。
「去らんと欲して去るを得ず 薄遊 久遊と成る」も秋浦への旅をさすのではなく、これまでの官職を求めての旅すべてをさすと考えなければ、「何れの年か 是れ帰る日ぞ」が活きてこないと思います。最後の「孤舟に下る」も単なる孤舟ではなく、頼りない現在の境遇を意味していると考えるべきでしょう。
李白ー134
秋浦歌十七首 秋浦の歌 十七首
其三 其の三
秋浦錦鄞鳥 秋浦の錦鄞鳥(きんぎんちょう)
人間天上稀 人間(じんかん) 天上に稀なり
山鶏羞淥水 山鶏(さんけい) 淥水(ろくすい)に羞じ
不敢照毛衣 敢えて毛衣(もうい)を照らさず
⊂訳⊃
秋浦の錦鄞鳥は
世にも稀な美しさ
羽根が自慢の山鳥さえも
恥じて水面に映ろうとしない
⊂ものがたり⊃ 秋浦の動物として其の二の詩に猿が出てきていますが、其の三では「錦鄞鳥」と「山鶏」が登場します。ただし、前半で錦鄞鳥の美しさを述べると同時に、後半では山鶏が恥じていることを述べており、「山鶏」は李白自身の比喩とも考えられます。
李白ー135
秋浦歌十七首 秋浦の歌 十七首
其四 其の四
両鬢入秋浦 両鬢(りょうびん) 秋浦に入りて
一朝颯已衰 一朝(いっちょう) 颯(さつ)として已(すで)に衰う
猿声催白髪 猿声(えんせい) 白髪(はくはつ)を催(うなが)し
長短尽成糸 長短(ちょうたん) 尽(ことごと)く糸と成る
⊂訳⊃
秋浦に来てから 左右の鬢は
一度にさっと衰えた
猿の哀しい啼き声で 白髪は増え
髪はことごとく 糸のように細くなる
⊂ものがたり⊃ 其の四の詩では「猿声」、この辺に棲む手長猿の哀しい啼き声が詠われますが、それは左右の鬢の毛をたちまち白髪にしてしまうほどの哀しさです。これも李白特有の誇張した比喩ですが、自分の白髪と結びつけてあるところが、単なる叙景の詩でないことを示しています。
李白ー136
秋浦歌十七首 秋浦の歌 十七首
其五 其の五
秋浦多白猿 秋浦 白猿(はくえん)多く
超騰若飛雪 超騰(ちょうとう)すること飛雪(ひせつ)の若(ごと)し
牽引条上児 条上(じょうじょう)の児(こ)を牽引(けんいん)し
飲弄水中月 飲みて弄(もてあそ)ぶ 水中(すいちゅう)の月
⊂訳⊃
秋浦には 白い猿が多く
飛び散る雪のように跳ねまわる
枝の子猿を引きよせて
水を飲みつつ 水中の月とたわむれる
⊂ものがたり⊃ 其の五の詩では秋浦の猿が白猿であり、群れて跳びまわっていることが具体的に描かれます。すでにお気づきと思いますが、「秋浦歌」の各詩には「秋浦」という地名が詠み込まれていて、「秋浦」は現代中国語で「ちィォウ ちュィ」と発音し、日本語で「しゅうほ」と読む場合と比べてはるかに音楽的です。
詩中の「条上の児を牽引し」は具体的には木の枝から手をつなぎ合って水に達し、子猿に水を飲ませている姿でしょう。
秋浦歌十七首 秋浦の歌 十七首
其一 其の一
秋浦長似秋 秋浦(しゅうほ) 長(とこし)えに秋に似たり
蕭条使人愁 蕭条(しょうじょう) 人をして愁えしむ
客愁不可度 客愁(かくしゅう) 度(すく)う可からず
行上東大楼 行きて東(ひがし)の大楼に上る
正西望長安 正西(せいせい)して長安を望む
下見江水流 下に江水(こうすい)の流るるを見る
寄言向江水 言(げん)を寄せて江水に向かい
汝意憶儂不 汝の意(い) 儂(われ)を憶(おも)うや不(いな)や
遥伝一掬泪 遥かに一掬(いっきく)の泪(なみだ)を伝え
為我達揚州 我が為に揚州(ようしゅう)に達せよ
⊂訳⊃
秋浦は永遠の秋に似て
もの悲しく 人の心を閉じこめる
旅の愁いは どうすることもできず
東のかた 大楼山に登ってみる
西の正面 都長安に向き合い
眼下に 長江の流れを望む
流れに向かって 私は問いかける
汝はこのおれを 忘れずにいてくれるのか
ならば溢れるこの涙 私のために
遥かな揚州に届けてくれ
⊂ものがたり⊃ 今日から「秋浦の歌」十七首全部を取り上げます。
李白はこの年も夏になると、知友との交流にでかけ、宣州の江岸、渡津の当塗の街で過ごしています。秋になると、前年冬に訪れた秋浦を再訪し、十七首の組詩をまとめています。秋浦の風物については詩中に語りつくされていますので、その都度説明することになりますが、「秋浦の歌」は秋浦の景を詠うだけではなく、李白がこれまでの自分の人生について深く顧みていることに注目する必要があります。
其の一の詩の「正西して長安を望む」の「正西」は解釈が難しい表現ですが、秋浦のある皖南(かんなん)地方から長安は西北西の方向にあり、真西ではありません。この語には姿勢を正して長安に向き合うという気持ちが込められていると思います。長江は世に出ることを目指してはじめて下った大江であり、その長江に向かって問いかけるのは、李白が自分自身の初心に問いかけることでもあります。最後の四句は出郷の志が遂げられていないことへの限りない哀惜の情を詠うものとして、涙なしには読めない詩句であると思います。
李白ー133
秋浦歌十七首 秋浦の歌 十七首
其二 其の二
秋浦猿夜愁 秋浦 猿は夜愁(うれ)う
黄山堪白頭 黄山 白頭(はくとう)に堪えたり
青渓非朧水 青渓(せいけい)は朧水(ろうすい)に非(あら)ざるに
翻作断腸流 翻(かえ)って断腸(だんちょう)の流れを作(な)す
欲去不得去 去らんと欲(ほっ)して去るを得ず
薄遊成久遊 薄遊(はくゆう) 久遊(きゅうゆう)と成る
何年是帰日 何(いず)れの年か 是(こ)れ帰る日ぞ
雨泪下孤舟 泪を雨(ふ)らせて孤舟(こしゅう)に下る
⊂訳⊃
秋浦では夜ごとに猿が悲しげに鳴き
黄山は 白髪の老人にふさわしい
青渓は 朧水でもないのに
却って 断腸の響きを立てて流れてゆく
立ち去ろうと思うが 去ることもできず
短い旅のつもりが 長旅となったのだ
いつになったら 帰る日がやってくるのか
涙を流しつつ 寄る辺ない小舟にもどる
⊂ものがたり⊃ 其の二の詩にも人生への思いが込められています。「青渓は朧水に非ざるに 翻って断腸の流れを作す」は古楽府にある詩句を踏まえているとされていますが、すでに李白自身が「古風 其二十二」(21.6.17-18参照)で「秦水 朧首に別れ 幽咽して悲声多し」と詠っています。
「去らんと欲して去るを得ず 薄遊 久遊と成る」も秋浦への旅をさすのではなく、これまでの官職を求めての旅すべてをさすと考えなければ、「何れの年か 是れ帰る日ぞ」が活きてこないと思います。最後の「孤舟に下る」も単なる孤舟ではなく、頼りない現在の境遇を意味していると考えるべきでしょう。
李白ー134
秋浦歌十七首 秋浦の歌 十七首
其三 其の三
秋浦錦鄞鳥 秋浦の錦鄞鳥(きんぎんちょう)
人間天上稀 人間(じんかん) 天上に稀なり
山鶏羞淥水 山鶏(さんけい) 淥水(ろくすい)に羞じ
不敢照毛衣 敢えて毛衣(もうい)を照らさず
⊂訳⊃
秋浦の錦鄞鳥は
世にも稀な美しさ
羽根が自慢の山鳥さえも
恥じて水面に映ろうとしない
⊂ものがたり⊃ 秋浦の動物として其の二の詩に猿が出てきていますが、其の三では「錦鄞鳥」と「山鶏」が登場します。ただし、前半で錦鄞鳥の美しさを述べると同時に、後半では山鶏が恥じていることを述べており、「山鶏」は李白自身の比喩とも考えられます。
李白ー135
秋浦歌十七首 秋浦の歌 十七首
其四 其の四
両鬢入秋浦 両鬢(りょうびん) 秋浦に入りて
一朝颯已衰 一朝(いっちょう) 颯(さつ)として已(すで)に衰う
猿声催白髪 猿声(えんせい) 白髪(はくはつ)を催(うなが)し
長短尽成糸 長短(ちょうたん) 尽(ことごと)く糸と成る
⊂訳⊃
秋浦に来てから 左右の鬢は
一度にさっと衰えた
猿の哀しい啼き声で 白髪は増え
髪はことごとく 糸のように細くなる
⊂ものがたり⊃ 其の四の詩では「猿声」、この辺に棲む手長猿の哀しい啼き声が詠われますが、それは左右の鬢の毛をたちまち白髪にしてしまうほどの哀しさです。これも李白特有の誇張した比喩ですが、自分の白髪と結びつけてあるところが、単なる叙景の詩でないことを示しています。
李白ー136
秋浦歌十七首 秋浦の歌 十七首
其五 其の五
秋浦多白猿 秋浦 白猿(はくえん)多く
超騰若飛雪 超騰(ちょうとう)すること飛雪(ひせつ)の若(ごと)し
牽引条上児 条上(じょうじょう)の児(こ)を牽引(けんいん)し
飲弄水中月 飲みて弄(もてあそ)ぶ 水中(すいちゅう)の月
⊂訳⊃
秋浦には 白い猿が多く
飛び散る雪のように跳ねまわる
枝の子猿を引きよせて
水を飲みつつ 水中の月とたわむれる
⊂ものがたり⊃ 其の五の詩では秋浦の猿が白猿であり、群れて跳びまわっていることが具体的に描かれます。すでにお気づきと思いますが、「秋浦歌」の各詩には「秋浦」という地名が詠み込まれていて、「秋浦」は現代中国語で「ちィォウ ちュィ」と発音し、日本語で「しゅうほ」と読む場合と比べてはるかに音楽的です。
詩中の「条上の児を牽引し」は具体的には木の枝から手をつなぎ合って水に達し、子猿に水を飲ませている姿でしょう。