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漢詩を楽しもう

tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 杜甫118ー122

2010年02月26日 | Weblog
 杜甫ー118
   立秋後題           立秋の後に題す

  日月不相饒     日月(じつげつ)  相饒(あいゆる)さず
  節序昨夜隔     節序(せつじょ)   昨夜隔(へだ)たる
  玄蝉無停号     玄蝉(げんせん)  号(さけ)ぶこと停(とど)むる無きも
  秋燕已如客     秋燕(しゅうえん) 已(すで)に客の如し
  平生独往願     平生(へいぜい)  独往(どくおう)の願い
  惆悵年半百     惆悵(ちゅうちょう)す年(とし)半百(はんぴゃく)
  罷官亦由人     官を罷(や)むるも亦た人に由(よ)る
  何事拘形役     何事ぞ形役(けいえき)に拘(こう)せられむ

  ⊂訳⊃
          月日は勝手に過ぎてゆく
          立秋になったと思えば  一夜が過ぎた
          蜩(ひぐらし)は鳴きつづけているが
          秋の燕は  はや旅に出ようとする
          ひごろから自由を求めていたが
          五十になるのを嘆き悲しむ身となった
          官を辞めるが  それは他人に由る
          苦役のように  なんでわが身を拘束されようか


 ⊂ものがたり⊃ 杜甫は四月には華州にもどっていました。華州は潼関の西にあり、戦の前線ではありませんが、前線に近いといえます。そのうえ渭水沿岸のこの地方は、天宝十五載(756)六月の敗戦以来、二年つづけて戦乱に見舞われ、荒れ果てていました。加えて乾元二年の夏は暑くなるとともに日照りがつづき、蝗旱(こうかん)の害がひろがりました。
 物価は騰貴し、食糧の入手は困難になりましたが、州の司功参軍である杜甫の一家はただちに飢餓に瀕することはなかったでしょう。ところが杜甫は、七月のはじめ立秋の日に思い切った行動に出ます。司功参軍の職を辞したのです。
 理由はあまりはっきりしません。杜甫が粛宗朝の政事に失望していたことは確かであり、華州の属官という地位に不満であったことは言うまでもありません。しかし、戦雲の迫る飢饉の時期に官職を捨てるということは、無収入になることを意味し、ただちに生活の困窮が襲ってくるでしょう。よほどの理由がなければ、できる決断ではなかったと思われます。
 詩は職を辞して華州を離れる直前に作られていますが、辞職の理由については「官を罷むるも亦た人に由る」と一言述べているだけです。この詩句でみる限り、人間関係でなにか我慢のならないことが起きたことをうかがわせます。非常のときに二か月余も任地を離れていたこととか、そのことによって生じた仕事の停滞のことで上司の注意を受けたかもしれません。杜甫は「何事ぞ形役に拘せられむ」と憤慨しています。

 杜甫ー119
   春日憶李白          春日 李白を憶う

  白也詩無敵     白(はく)や  詩  敵無く
  飄然思不群     飄然(ひょうぜん)として思い群(ぐん)ならず
  清新庾開府     清新  庾開府(ゆかいふ)
  俊逸鮑参軍     俊逸  鮑参軍(ほうさんぐん)
  渭北春天樹     渭北(いほく)  春天(しゅんてん)の樹
  江東日暮雲     江東(こうとう)  日暮(にちぼ)の雲
  何時一尊酒     何(いず)れの時か一尊(いっそん)の酒
  重与細論文     重ねて与(とも)に細やかに文を論ぜん

  ⊂訳⊃
          李白よ  あなたの詩は天下無双
          自由な発想は余人の及ぶところではない
          清新さは   庾信(ゆしん)のようだし
          俊逸な所は  鮑照(ほうしょう)に比べられる
          北の渭水は  春となって樹はみどり
          江東は    日暮れに雲が美しいでしょう
          いつの日か  一樽の酒を酌みかわし
          もう一度    詩文を詳しく論じたいものだ


 ⊂ものがたり⊃ 杜甫は辞官後の行き先について、何の準備もしていなかったようです。辞官した場合、故郷に帰るのが普通ですが、洛陽はすでに史思明軍の占領下にあります。さしあたっての行き先は西しかありません。たまたま秦州(甘粛省天水市)に甥の杜佐(とさ)が住んでいましたので、それを頼りに秦州に行くことにしました。
 その日から十一年におよぶ杜甫の漂泊の人生がはじまるのですが、杜甫はそんなことは予想もしていなかったでしょう。
 華州から秦州へ行くには、渭水に沿った路を西へ450kmほど遡って行きます。途中に長安があり、長安に着いたとき杜甫は李白のことを耳にしたと思います。李白は安史の乱がはじまったとき、永王李璘(りりん)の江南軍に招かれ、永王の水軍に従って長江を東へ進撃しました。ところが粛宗は永王の行動を自己の管下に属しないものとして討伐の兵を差し向けます。永王の軍は官軍に破れ、李白は捕らえられて潯陽(江西省九江市)の獄につながれます。しかし、李白のその後の経緯は世間に知られておらず、李白は生死不明であるという噂が流れていました。
 詩は杜甫が李白と別れて長安に上った直後、つまり天宝五載(746)の春に江南にいる李白に送ったものです。頚聯の対句「渭北 春天の樹 江東 日暮の雲」は、自分はいま渭水の春、堤の樹の下にいますが、あなたは江東の日暮れの雲を眺めているでしょうと、遥かに友を思いやる詩句で、時空を超えたまことに美しい詩心であると思います。

 杜甫ー120
   夢李白二首 其一      李白を夢む 二首  其の一

  死別已呑声     死別  已に声を呑み
  生別常惻惻     生別  常に惻惻(そくそく)たり
  江南瘴癘地     江南  瘴癘(しょうれい)の地
  逐客無消息     逐客(ちくきゃく)  消息(しょうそく)無し
  故人入我夢     故人(こじん)の我が夢に入るは
  明我長相憶     我が長く相(あい)憶うを明らかにす
  恐非平生魂     恐らくは平生(へいぜい)の魂(こん)に非(あら)ざらん
  路遠不可測     路(みち)遠くして測(はか)る可からず
  魂来楓葉青     魂の来たるとき楓葉(ふうよう)青く
  魂返関塞黒     魂の返るとき関塞(かんさい)黒し
  君今在羅網     君は今  羅網(らもう)に在るに
  何以有羽翼     何を以てか羽翼(うよく)有るや
  落月満屋粱     落月  屋粱(おくりょう)に満ち
  猶疑照顔色     猶(な)お疑う  顔色(がんしょく)を照らすかと
  水深波浪闊     水深くして波浪(はろう)闊(ひろ)し
  無使蛟龍得     蛟龍(こうりゅう)をして得さしむること無れ

  ⊂訳⊃
          死に別れは  慟哭の声を呑むしかないが
          生き別れは  いつも気がかりで心が痛む
          江南は  毒気の立ち込める地というが
          逐客李白から  いっこうに便りがない
          旧友が  私の夢にあらわれ
          忘れていないことが通じているとわかった
          だが  夢の中の様子が平生と違っている
          路は遠く離れているので  推測がつかない
          李白の魂は  楓の葉が青く茂るところからやってきて
          去ってゆくとき  関門の要塞は黒々と横たわっていた
          君はいま  罪人として捕らわれの身であるのに
          どうして翼を得て  私のところへ飛んできたのか
          沈もうとする月の光が  部屋の梁いっぱいに満ち
          君の顔を照らしているのかと思うほどだ
          江南の水は深く  波浪はどこまでも広い
          どうか鰐や鮫(さめ)の餌食にならないでほしい


 ⊂ものがたり⊃ 杜甫と李白は魯郡の石門山で別れて以来、会っていませんでした。その李白が戦争に巻き込まれて生死不明と聞き、杜甫は李白の夢を見ました。
 詩中に「逐客」とあるのは李白のことで、李白は長安を去ってから自分のことを逐客(朝廷から追われた旅人)と称していました。杜甫は李白の夢を見て、自分の憶いが李白に通じたのかと喜びますが、夢の中の李白の様子がいつもと違っていました。
 杜甫は李白が永王の軍に参加して捕らわれの身になったことは聞いていましたので、どうして李白の魂魄が夢の中に現われたのかと疑います。月の光に照らされた梁の光が反射したように、李白の顔は蒼白かったので、李白が不運な目に会って命を落とすことのないようにと杜甫は祈るのでした。
 なお、詩中に「関塞」とあることから、杜甫が李白の夢を見たのは秦州に着いてからだとする説が有力ですが、杜甫は李白のことを長安で耳にしたと思いますので、そのあとの旅の途中で夢を見たのだろうと思います。戦争中ですので、関塞はいいたるところにあったと思われます。

 杜甫ー122
   夢李白二首 其二      李白を夢む 二首  其の二

  浮雲終日行     浮雲(ふうん)  終日(しゅうじつ)行く
  遊子久不至     遊子(ゆうし)  久しく至らず
  三夜頻夢君     三夜(さんや)  頻(しき)りに君を夢む
  情親見君意     情親(じょうしん)  君が意(い)を見る
  告帰常局促     帰るを告げて常に局促(きょくそく)たり
  苦道来不易     苦(ねんごろ)に道(い)う  来たること易(やす)からず
  江湖多風波     江湖(こうこ)  風波(ふうは)多し
  舟楫恐失墜     舟楫(しゅうしゅう)  恐らくは失墜(しっつい)せんと
  出門掻白首     門を出(い)でて白首(はくしゅ)を掻く
  若負平生志     平生(へいぜい)の志に負(そむ)くが若(ごと)し
  冠蓋満京華     冠蓋(かんがい)  京華(けいか)に満つるに
  斯人独顦顇     斯(こ)の人のみ独り  顦顇(しょうすい)す
  孰云網恢恢     孰(たれ)か云う   網(あみ)恢恢(かいかい)たりと
  将老身反累     将(まさ)に老いんとして身(み)反(かえ)って累(つみ)せらる
  千秋万歳名     千秋(せんしゅう)  万歳(ばんざい)の名
  寂寞身後事     寂寞(せきばく)たる身後(しんご)の事

  ⊂訳⊃
          浮き雲は  終日流れ去り
          旅人は   いつまでも帰ってこない
          三夜つづけて君の夢をみ
          情愛の深さを感じた
          もう帰るといいながら  いつも落ち着かず
          しきりに  「ここへ来るのは容易でない
          江南は   風波が多く
          舵取りは  きっと失敗するだろう」という
          門を出て  白髪頭を掻いているが
          いつもの君と様子が違う
          都では   道に貴人があふれているのに
          あなただけは  ひどくやつれ果てている
          天網恢々  疎にして漏らさずというが
          老境にさしかかって  かえって罰せられる
          永遠不朽の名声は
          死後にひっそりと残るのか


 ⊂ものがたり⊃ 杜甫は三晩もつづけて李白の夢を見ました。それで、李白は死んでしまって魂魄が飛んできて夢に現われたのではないかと疑います。もう帰るといいながら落ち着きがなく、「来たること易からず 江湖 風波多し 舟楫 恐らくは失墜せん」と不吉なことを言うのです。
 夢の中の李白には、いつもの傲然としたところがありません。しょぼしょぼと白髪頭を掻いているのです。まさかとは思うが、あなたほどの人が老境になって罰せられ、死後に名を残すようなことになるのだろうかと、杜甫は李白の死を心配しています。杜甫は暗く愁いに満ちた気持ちを胸にいだきながら、西への旅をつづけてゆきます。