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tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 李賀91ー100

2011年05月30日 | Weblog
 李賀ー91
    長平箭頭歌          長平の箭頭の歌

  漆灰骨末丹水砂   漆灰(しつかい)  骨末(こつまつ)  丹水(たんすい)の砂
  淒淒古血生銅花   淒淒(せいせい)たる古血(こけつ)  銅花(どうか)を生ず
  白翎金簳雨中尽   白翎(はくれい)  金簳(きんかん)  雨中(うちゅう)に尽き
  直余三脊残狼牙   直(ただ)余す   三脊(さんせき)の残狼牙(ざんろうが)
  我尋平原乗両馬   我(われ)  平原を尋ねて両馬(りょうば)に乗る
  駅東石田藁塢下   駅東の石田(せきでん)  藁塢(こうう)の下(もと)
  風長日短星蕭蕭   風長く  日短くして  星蕭蕭(しょうしょう)たり
  黒旗雲湿懸空夜   黒旗(こくき) 雲湿(うるお)うて 空夜(くうや)に懸(かか)る
  左魂右魂啼飢痩   左魂(さこん)   右魂(ゆうはく)  飢痩(きそう)に啼(な)く
  酪瓶倒尽将羊炙   酪瓶(らくへい)  倒し尽くして羊炙(ようしゃ)を将(すす)む
  虫棲雁病芦筍紅   虫棲(す)み  雁(かり)病みて  芦筍(ろじゅん)紅(くれない)なり
  廻風送客吹陰火   廻風(かいふう)  客を送って  陰火(いんか)を吹く
  訪古汍瀾収断鏃   古(いにしえ)を訪い  汍瀾(がんらん)として断鏃(だんぞく)を収む
  折鋒赤璺曾刲肉   折鋒(せっぽう)  赤璺(せきもん)  曾(かつ)て肉を刲(さ)く
  南陌東城馬上児   南陌(なんぱく)  東城(とうじょう)  馬上の児(じ)
  勧我将金換竹   我に勧む  金を将(もっ)て竹(りょうちく)に換えよと

  ⊂訳⊃
          漆のような黒い灰  白骨のような粉  赤い丹砂
          すさまじい血潮が  銅をさまざまに錆びさせる
          白い矢羽根  堅い矢柄は雨に朽ち
          三稜の鋭い刃だけが  残っている
          私は二匹の馬を乗り換えて  平原を尋ね
          長平駅の東  石だらけの畑  蓬の生えた丘につく
          風は吹きつのり  日は短く  星は淋しく光りはじめ
          旗のような雲が  湿った夜空にかかっている
          痩せ衰えた魂魄が  飢えて左右から泣き叫ぶので
          乳酪の瓶を傾けて  羊の焼肉を供える
          虫が棲み  雁は病み疲れて  芦の芽は赤く
          つむじ風は旅人に  青い鬼火を吹きつける
          古戦場を訪れて   涙を流しつつ折れた鏃を拾い
          錆びた鉾の罅割れは  人肉を突いた痕だ
          南の街道  城の東で  馬に乗った少年に遇い
          拾った金属を売って   祭肉の器を買えと勧められる


 ⊂ものがたり⊃ 泫水(げんすい)の流れに沿って山路を上ってゆくと、やがて長平(山西省高平県の西北)の平原に出ます。ここは戦国時代の有名な古戦場で、秦の将軍白起(はくき)が趙の大軍を破り、降卒四十万人を生き埋めにしたところです。
 そこには青銅の鏃や折れた鉾先が散乱し、黒、白、赤、いろいろな色が混ざり合った銅錆が生じています。矢羽根や矢柄、鉾の柄は朽ち果て、「三脊」の尖った刃だけが残っていると、李賀は古戦場の壮絶なさまを描きます。
 替え馬を伴ない、二頭の馬を乗り換えながら、長平駅の東の石だらけの路をたどる内に秋の日は暮れ、空には星が光りはじめ、いまにも雨の降り出しそうな夜空に黒い雲が低く垂れ下がっています。
 痩せ衰えた戦死者の魂魄が、左右に泣き叫ぶのを聞きながら、李賀は地に乳酪(にゅうらく)を注ぎ、羊の焼肉を供えて死者を祀ります。「汍瀾」(涙の流れ落ちるさま)として涙を流しながら、鏃や鉾の切片を拾って長平の野を去るのでした。
 ところが結びでは、城の近くで「馬上児」に遇い、少年は李賀が拾ってきた金属類を売って「竹」(宗廟で肉を盛る竹器)を買ったらどうかと、はなはだ現実的なことを言うのです。感傷的にならないところが、李賀的と言うべきでしょう。なお、結句の「」は原文は竹冠を被っていますが、外字になるので同音の字に替えています。

 李賀ー95
    雁門太守行           雁門太守行

  黒雲圧城城欲摧   黒雲(こくうん)  城を圧して 城摧(くだ)けんと欲す
  甲光向月金鱗開   甲光(こうこう)  月に向かって  金鱗(きんりん)開く
  角声満天秋色裏   角声(かくせい)  天に満つ  秋色(しゅうしょく)の裏(うち)
  塞上燕脂凝夜紫   塞上の燕脂(えんじ)  夜紫(やし)を凝(こ)らす
  半捲紅旗臨易水   半ば紅旗(こうき)を捲いて  易水(えきすい)に臨む
  霜重鼓寒声不起   霜重く鼓(こ)寒うして声(こえ)起こらず
  報君黄金台上意   君が黄金台上の意(い)に報(むく)い
  提携玉龍為君死   玉龍(ぎょくりゅう)を提携して君が為に死せん

  ⊂訳⊃
          城を覆う黒雲  城内は精気で溢れるほどだ
          戦士の甲冑は  月の光を受けて金の鱗のように光る
          秋空を満たして 角笛は鳴りわたり
          塞の臙脂の土には  夜の精気が立ちこめる
          紅旗を半ば捲いて  易水のほとりに布陣し
          厳しい霜の寒さに   兵鼓の音も凍えている
          黄金台の台上で  男の中の男と見込まれた
          玉龍の剣を手に  死んで君恩に報いよう


 ⊂ものがたり⊃ 李賀は元和八年(813)の秋から元和十年(815)の春まで一年半ほど潞州に滞在しますので、その間に多くの詩を書いたでしょう。「雁門太守行」(がんもんたいしゅこう)は古楽府にある詩題ですので、李賀が楽府題を用いて辺境守備の意義を詠ったものと思われます。
 冒頭の「黒雲」は堅城の上に屋根のように被さる雲を軍精(ぐんせい)といい、不吉なものを意味しません。だから「城摧けんと欲す」は城内に兵の精気がみなぎっていることを示しています。前半の四句は城内のさま、後半は冬の出陣のようすです。
 潞州の兵は半ば紅旗を捲いて易水のほとりに布陣するのですが、易水は幽州の近くを流れる川ですので、河朔三鎮の勢力圏になります。実際に出陣したのではなく、結びの二句にある『史記』刺客列伝の荊軻の「易水の別れ」の故事を持ち出して、忠義の心を言うための布石です。

 李賀ー96
    塞下曲             塞下の曲

  胡角引北風     胡角(こかく)   北風(ほくふう)を引き
  薊門白于水     薊門(けいもん)  水よりも白し
  天含青海道     天は青海(せいかい)の道を含(ふく)み
  城頭月千里     城頭(じょうとう)  月  千里なり
  露下旗濛濛     露(つゆ)下りて  旗  濛濛(もうもう)
  寒金鳴夜刻     寒金(かんきん)  夜刻(やこく)を鳴らす
  蕃甲鏁蛇鱗     蕃甲(ばんこう)  蛇鱗(だりん)を鏁(さ)し
  馬嘶青塚白     馬嘶(いなな)いて  青塚(せいちょう)白し
  秋静見旄頭     秋静かにして旄頭(ぼうとう)を見る
  沙遠席箕愁     沙(すな)遠くして席箕(せきき)愁う
  帳北天応尽     帳北(ちょうほく)  天(てん)応(まさ)に尽くるなるべし
  河声出塞流     河声(かせい)   塞(さい)を出でて流る

  ⊂訳⊃
          胡族の角笛は  北風を巻き起こし
          薊門の地は   水よりも白い
          青海への道は  天へとつづき
          万里の長城を  月は千里も照らし出す
          露が降りて    黒々と旗ははためき
          板鉦は鳴って  寒々と夜の時刻を報せる
          蛮族の鎧は   蛇の鱗を刺しつらねたようで
          馬はいななき  王昭君の塚を踏み荒らす
          静かな秋の夜  昴の星の輝きを見上げ
          砂漠は遠いが  席箕草も心配そうである
          天幕の北    天はここに尽きるかと思われ
          黄河の音だけが  塞の外へ流れ出る


 ⊂ものがたり⊃ この詩は辺塞詩とみることができますが、場所が東西に移り変わり、潞州での作と断定できない節があります。はじめの二句には「薊門」の語があり、戦国燕の都薊、つまり唐代の幽州(北京)の雅称と考えられます。その地が水よりも白いというのは雪が積もっているのでしょう。
 河北の胡族が敵対していることを示していますが、三句目には「青海」の語があり、西の青海地方を指しています。四句目の「城頭」は万里の長城の上、もしくはほとりを言うのでしょう。つまり、東西と北の辺塞(国境のとりで)すべてを取り上げていることになります。
 中四句は辺塞の状況で、秋の夜を描きます。「寒金」は軍中で夜の警備のために刻を告げるもので、銅板の鉦が寒々と鳴ります。「蕃甲」は蛮族の着ている鎧で、蛇の鱗のような細密な鎖になっています。「青塚」は金河県(内蒙古自治区呼和浩特(ふふほと)市の南)にあった王昭君の墓のことで、常に草に覆われて青々としていたことから青塚と呼ばれました。その青い塚が「白」というのは、胡騎に踏み荒らされて白くなっているのです。
 最後の四句は辺塞での感懐ですが、全体として西北国境の感じがあります。「旄頭」は昴(すばる)の星のことですが、昴は胡族の星とされ、昴が激しく輝くと胡騎の侵入があるとされていました。だから不吉なものとして見上げるのです。「席箕」は胡地の草の名ですが、その草も心配そうに生えていると詠います。結びでは、天幕の北を眺めると天はここに尽き果てるかと思われ、黄河の水だけが塞の外へ音を立てて流れ出ていると詠い、辺塞詩らしい勇ましさはありません。

 李賀ー100
    客遊             客遊

  悲満千里心     悲しみは満つ  千里の心
  日暖南山石     日は暖かなり  南山の石
  不謁承明廬     承明(しょうめい)の廬(ろ)に謁(えつ)せず
  老作平原客     老いて平原(へいげん)の客と作(な)る
  四時別家廟     四時  家廟(かびょう)に別れ
  三年去郷国     三年  郷国(きょうこく)を去る
  旅歌屢弾鋏      旅歌  屢々(しばしば)鋏(きょう)を弾(だん)じ
  帰問時裂帛     帰問  時に帛(きぬ)を裂く

  ⊂訳⊃
          千里異郷の客となり 悲しみに満たされる
          日は暖かに  南山の石を照らしている
          承明廬に宿直して  天子に謁することもなく
          老いて平原君の客となる
          四季ごとの先祖の祀りも行わず
          故郷を離れて 三年になる
          旅先の詩も   馮諼の弾鋏歌
          時には帛を切り取って 故郷への便りとする


 ⊂ものがたり⊃ 年が明けて元和十年(815)の春になると、李賀は潞州での将来に見切りをつけ、故郷に帰ろうと思ったようです。故郷を離れて暮らす李賀は、悲しみに満たされています。春になって陽は南の山に暖かく照っていますが、李賀の心は冷え切っているようです。
 「承明廬」は漢代の官吏の宿舎で、都で奉礼郎になったが、天子に拝謁することもなく辞めてしまったと長安時代を振りかえります。「平原の客」は戦国趙の平原君趙勝(ちょうしょう)の客という意味で、潞州で張徹のもとに滞在して客となっていることをいうのです。
 元和八年六月に昌谷を出てから三年目の元和十年を迎えたけれども、成し得たことは「旅歌 屢々鋏を弾じ」たことでしかない。「弾鋏」は『史記』孟嘗君列伝に出てくる馮諼(ふうけん)の説話で、馮諼は孟嘗君の食客になったが、待遇が悪いと言って鋏(剣の柄)を叩いて歌をうたったといいます。李賀は自分の詩も馮諼のように不平不満を言い立てるだけで何の役にも立たないと述べ、帰郷の意思のあることを詠うのです。