王維ー95
欒家瀬 欒家瀬(らんからい)
颯颯秋雨中 颯颯(さつさつ)たる秋雨(しゅうう)の中(うち)
浅浅石溜瀉 浅浅(せんせん)として石溜(せきりゅう)に瀉ぐ
波跳自相濺 波は跳(おど)って自(おのずか)ら相い濺(そそ)ぎ
白鷺驚復下 白鷺(はくろ)は驚きて復(ま)た下(くだ)れり
⊂訳⊃
さっと降る秋雨のなか
音を立て 川が岩瀬を抜けてゆく
波は跳ね しぶきは無心に散るが
驚いて飛び立つ白鷺は また降りてくる
同 前 前に同じ [裴迪]
瀬声喧極浦 瀬声(らいせい) 極浦に喧(かまびす)しく
沿渉向南津 沿渉(えんしょう)して南津(なんしん)に向かう
汎汎鳬鴎渡 汎汎(はんはん)として鳬鴎(ふおう)渡り
時時欲近人 時時(じじ)に人に近づかんと欲す
⊂訳⊃
波の瀬音を 遠くの入江で聞きながら
汀を歩いて 南の渡し場に向かう
鴨や鴎は浮いてただよい
ときどき人に近づこうとする
⊂ものがたり⊃ 「欒家瀬」は早瀬の名で、臨湖亭の奥、「柳浪」の柳の近くにありました。王維の詩は水しぶきに驚いて白鷺が飛び立つが、また降りてくると観察の鋭さを示しています。役人生活への比喩を含んでいるのかも知れません。
裴迪の詩は、波の瀬音や湖の渡り鳥の姿など、周囲の自然を素直に詠っています。
王維ー96
金屑泉 金屑泉(きんせつせん)
日飲金屑泉 日々(ひび)に金屑泉を飲めば
少当千余歳 少なくとも当(まさ)に千余歳ならん
翠鳳翔文螭 翠鳳(すいほう) 文螭(ぶんち)を翔(はし)らせ
羽節朝玉帝 羽節(うせつ)もて玉帝に朝(ちょう)せん
⊂訳⊃
日々に飲む金屑泉
寿命は千年以上になるだろう
翠鳳の車に乗って 龍を走らせ
羽節を飾って天帝にまみえよう
同 前 前に同じ [裴迪]
瀠渟澹不流 瀠渟(えいてい) 澹(たん)として流れず
金碧如可拾 金碧(こんぺき) 拾う可(べ)きが如し
迎晨含素華 晨(あした)を迎えて素華(そか)を含み
独往事朝汲 独往(どくおう)して朝に汲むを事(こと)とす
⊂訳⊃
泉の水は 澄んで流れず
金碧の色は拾いたいほどに美しい
朝には 白い花びらを浮かべ
朝水を汲みにゆくのが私の仕事だ
⊂ものがたり⊃ 金屑泉は欒家瀬の近くにあった泉で、「金屑」は金の細片、仙薬のひとつとされていました。薬効のある湧き水として、この名をつけたもののようです。王維の詩は泉の水を飲んで長生きをし、仙人になって天帝にお目通りしようと、金屑泉の水の良質なことをほめています。
裴迪の詩は難しい語句を使っていますが、美しい澄んだ泉の水の上に白い花びらが浮かんでいる情景です。毎朝、泉の水を汲みにゆくのが若い裴迪のつとめであったようです。
王維ー97
白石灘 白石灘(はくせきたん)
清浅白石灘 清浅(せいせん)なり 白石の灘
緑蒲向堪把 緑蒲(りょくほ)は把(と)るに堪うるに向かえり
家住水東西 家は住(じゅう)す 水の東西
浣紗明月下 紗(さ)を浣(あら)う 明月の下(もと)
⊂訳⊃
浅くて澄んでいる白石灘
緑の蒲は 刈って束ねるころあいだ
私どもは 川の近所に住むものです
明月の下 紗(きぬ)を晒しにまいりました
同前 前に同じ [裴迪]
跂石復臨水 石を跂(ふ)み 復(ま)た水に臨む
弄波情未極 波を弄して情(じょう)未だ極(きわ)まらず
日下川上寒 日下りて川上(せんじょう)寒く
浮雲澹無色 浮雲(ふうん) 澹(たん)として色無し
⊂訳⊃
石を踏み また水に臨む
波と戯れて 思いはいまだつきない
日は落ちて 川のほとりは寒く
浮き雲は安らかに 動こうとしない
⊂ものがたり⊃ 「白石灘」は白い石のある浅瀬で、南垞と竹里館のあいだにありました。そこには蒲(がま)も生えていたようです。王維の詩の転結句は楽府(がふ)的な口調になっており、川に紗をさらしにきている村娘が王維の問いに答える形式になっています。
裴迪の詩の起承句は紗をさらしにきた女たちの娘心を詠っているようです。そして転結句であたりの日没のようすをさり気なく詠っているのは、心にくい描写といえるでしょう。
王維ー98
北 垞 北 垞(ほくだ)
北垞湖水北 北垞は湖水の北
雑樹映朱欄 雑樹(ざつじゅ) 朱欄(しゅらん)に映(えい)ぜり
逶迤南川水 逶迤(いい)たり 南川(なんせん)の水
明滅青林端 明滅す 青林(せいりん)の端(たん)
⊂訳⊃
北垞は湖水の北にあり
樹々の緑に 赤い手すりが映えている
南川の水は うねりながら流れ
林のかげに 見えかくれする
同前 前に同じ [裴迪]
南山北垞下 南山(なんざん) 北垞の下(もと)
結宇臨欹湖 宇(いえ)を結んで欹湖(いこ)に臨む
毎欲採樵去 樵(たきぎ)採りに去(ゆ)かんと欲する毎に
扁舟出菰蒲 扁舟(へんしゅう)もて菰蒲(こほ)を出(い)ず
⊂訳⊃
南山あり 北垞のもと
庵(いおり)を結んで欹湖に臨む
芝刈りに行こうとするたびに
小舟に乗って芦辺を出る
⊂ものがたり⊃ 北垞は欹湖の北岸にある建物であることは、さきに触れました。だから輞川荘を北の入口のほうから描いていくとすれば、南垞よりは先に出てこなければならないのですが、ここに出てくるのは裴迪の詩が南山と関係があるからのようです。王維の詩は北垞そのものを描いて王維らしいこまやかな観察が目立ちます。
裴迪の詩は起句の南山と北垞の関係がわかりにくいのですが、「北垞下」は承句につながっていて、北垞の一部として「宇」(庵)があり欹湖に面していた、そこから小舟に乗って南山(湖の南にある山)に薪を取りに行くというように考えました。舟は芦の生えた岸から湖に出てゆくのです。裴迪は王維の弟子として生活に必要ないろいろな仕事を手伝っていたようです。当時のことですから、別に使用人もいたと思いますが、芦の生えた岸辺から小舟で芝刈りにゆくことは風雅のひとつであったのでしょう。
欒家瀬 欒家瀬(らんからい)
颯颯秋雨中 颯颯(さつさつ)たる秋雨(しゅうう)の中(うち)
浅浅石溜瀉 浅浅(せんせん)として石溜(せきりゅう)に瀉ぐ
波跳自相濺 波は跳(おど)って自(おのずか)ら相い濺(そそ)ぎ
白鷺驚復下 白鷺(はくろ)は驚きて復(ま)た下(くだ)れり
⊂訳⊃
さっと降る秋雨のなか
音を立て 川が岩瀬を抜けてゆく
波は跳ね しぶきは無心に散るが
驚いて飛び立つ白鷺は また降りてくる
同 前 前に同じ [裴迪]
瀬声喧極浦 瀬声(らいせい) 極浦に喧(かまびす)しく
沿渉向南津 沿渉(えんしょう)して南津(なんしん)に向かう
汎汎鳬鴎渡 汎汎(はんはん)として鳬鴎(ふおう)渡り
時時欲近人 時時(じじ)に人に近づかんと欲す
⊂訳⊃
波の瀬音を 遠くの入江で聞きながら
汀を歩いて 南の渡し場に向かう
鴨や鴎は浮いてただよい
ときどき人に近づこうとする
⊂ものがたり⊃ 「欒家瀬」は早瀬の名で、臨湖亭の奥、「柳浪」の柳の近くにありました。王維の詩は水しぶきに驚いて白鷺が飛び立つが、また降りてくると観察の鋭さを示しています。役人生活への比喩を含んでいるのかも知れません。
裴迪の詩は、波の瀬音や湖の渡り鳥の姿など、周囲の自然を素直に詠っています。
王維ー96
金屑泉 金屑泉(きんせつせん)
日飲金屑泉 日々(ひび)に金屑泉を飲めば
少当千余歳 少なくとも当(まさ)に千余歳ならん
翠鳳翔文螭 翠鳳(すいほう) 文螭(ぶんち)を翔(はし)らせ
羽節朝玉帝 羽節(うせつ)もて玉帝に朝(ちょう)せん
⊂訳⊃
日々に飲む金屑泉
寿命は千年以上になるだろう
翠鳳の車に乗って 龍を走らせ
羽節を飾って天帝にまみえよう
同 前 前に同じ [裴迪]
瀠渟澹不流 瀠渟(えいてい) 澹(たん)として流れず
金碧如可拾 金碧(こんぺき) 拾う可(べ)きが如し
迎晨含素華 晨(あした)を迎えて素華(そか)を含み
独往事朝汲 独往(どくおう)して朝に汲むを事(こと)とす
⊂訳⊃
泉の水は 澄んで流れず
金碧の色は拾いたいほどに美しい
朝には 白い花びらを浮かべ
朝水を汲みにゆくのが私の仕事だ
⊂ものがたり⊃ 金屑泉は欒家瀬の近くにあった泉で、「金屑」は金の細片、仙薬のひとつとされていました。薬効のある湧き水として、この名をつけたもののようです。王維の詩は泉の水を飲んで長生きをし、仙人になって天帝にお目通りしようと、金屑泉の水の良質なことをほめています。
裴迪の詩は難しい語句を使っていますが、美しい澄んだ泉の水の上に白い花びらが浮かんでいる情景です。毎朝、泉の水を汲みにゆくのが若い裴迪のつとめであったようです。
王維ー97
白石灘 白石灘(はくせきたん)
清浅白石灘 清浅(せいせん)なり 白石の灘
緑蒲向堪把 緑蒲(りょくほ)は把(と)るに堪うるに向かえり
家住水東西 家は住(じゅう)す 水の東西
浣紗明月下 紗(さ)を浣(あら)う 明月の下(もと)
⊂訳⊃
浅くて澄んでいる白石灘
緑の蒲は 刈って束ねるころあいだ
私どもは 川の近所に住むものです
明月の下 紗(きぬ)を晒しにまいりました
同前 前に同じ [裴迪]
跂石復臨水 石を跂(ふ)み 復(ま)た水に臨む
弄波情未極 波を弄して情(じょう)未だ極(きわ)まらず
日下川上寒 日下りて川上(せんじょう)寒く
浮雲澹無色 浮雲(ふうん) 澹(たん)として色無し
⊂訳⊃
石を踏み また水に臨む
波と戯れて 思いはいまだつきない
日は落ちて 川のほとりは寒く
浮き雲は安らかに 動こうとしない
⊂ものがたり⊃ 「白石灘」は白い石のある浅瀬で、南垞と竹里館のあいだにありました。そこには蒲(がま)も生えていたようです。王維の詩の転結句は楽府(がふ)的な口調になっており、川に紗をさらしにきている村娘が王維の問いに答える形式になっています。
裴迪の詩の起承句は紗をさらしにきた女たちの娘心を詠っているようです。そして転結句であたりの日没のようすをさり気なく詠っているのは、心にくい描写といえるでしょう。
王維ー98
北 垞 北 垞(ほくだ)
北垞湖水北 北垞は湖水の北
雑樹映朱欄 雑樹(ざつじゅ) 朱欄(しゅらん)に映(えい)ぜり
逶迤南川水 逶迤(いい)たり 南川(なんせん)の水
明滅青林端 明滅す 青林(せいりん)の端(たん)
⊂訳⊃
北垞は湖水の北にあり
樹々の緑に 赤い手すりが映えている
南川の水は うねりながら流れ
林のかげに 見えかくれする
同前 前に同じ [裴迪]
南山北垞下 南山(なんざん) 北垞の下(もと)
結宇臨欹湖 宇(いえ)を結んで欹湖(いこ)に臨む
毎欲採樵去 樵(たきぎ)採りに去(ゆ)かんと欲する毎に
扁舟出菰蒲 扁舟(へんしゅう)もて菰蒲(こほ)を出(い)ず
⊂訳⊃
南山あり 北垞のもと
庵(いおり)を結んで欹湖に臨む
芝刈りに行こうとするたびに
小舟に乗って芦辺を出る
⊂ものがたり⊃ 北垞は欹湖の北岸にある建物であることは、さきに触れました。だから輞川荘を北の入口のほうから描いていくとすれば、南垞よりは先に出てこなければならないのですが、ここに出てくるのは裴迪の詩が南山と関係があるからのようです。王維の詩は北垞そのものを描いて王維らしいこまやかな観察が目立ちます。
裴迪の詩は起句の南山と北垞の関係がわかりにくいのですが、「北垞下」は承句につながっていて、北垞の一部として「宇」(庵)があり欹湖に面していた、そこから小舟に乗って南山(湖の南にある山)に薪を取りに行くというように考えました。舟は芦の生えた岸から湖に出てゆくのです。裴迪は王維の弟子として生活に必要ないろいろな仕事を手伝っていたようです。当時のことですから、別に使用人もいたと思いますが、芦の生えた岸辺から小舟で芝刈りにゆくことは風雅のひとつであったのでしょう。
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