王維ー17
息夫人 息夫人
莫以今時寵 今時(こんじ)の寵をもって
能忘旧日恩 能(よ)く旧日(きゅうじつ)の恩を忘るる莫からんや
看花満眼涙 花を看(み)ては 眼に涙を満たし
不共楚王言 楚王(そおう)と言(げん)を共にせず
⊂訳⊃
現在の寵愛があるからといって
どうして昔の愛情を忘れることができようか
花を見ては 目に涙を満たし
楚王と言葉を交わそうとしない
⊂ものがたり⊃ この詩には「時年二十」の題注がありますので、二十歳のときの作品です。「息夫人」(そくふじん)は日本人にはあまり馴染みがないかもしれませんが、『春秋左氏伝』荘公十年と荘公十四年に伝があり、唐代の知識人ならば誰でも知っている有名な挿話です。息夫人は陳の公(れいこう)の公女で、姫姓(きせい)の息侯に嫁いで息嬀(そくき)となります。ところが、その美貌を知った楚の文王が息(淮水中流にあった小国)をだまし討ちにして、息嬀を楚都の郢(えい)に連れ去りました。息夫人は文王とのあいだに二子を成しますが、楚王と口をききません。
この詩も宴遊の席で出された詩題に王維が答えた作品と思われますが、王維は息夫人を現在の王の寵愛に感謝しながらも、昔の愛情を忘れない女性として描いています。この詩に感じたからかどうかわかりませんが、寧王はほどなく「対門の家」の女性を解放し、女性は寧王の邸を出てしばらく王維と暮らした可能性があります。
王維ー18
雑詩五首 其三 雑詩 五首 其の三
家住孟津河 家は住む 孟津河(もうしんか)
門対孟津口 門は対す 孟津口(もうしんこう)
常有江南舡 常に江南の舡(ふね)有り
寄書家中否 書を家中(かちゅう)に寄するや否や
⊂訳⊃
家は孟津渡の河辺にあり
門は孟津口に向いています
いつも江南から舡が来ますが
古里の便りは着いたでしょうか
⊂ものがたり⊃ 雑詩五首のうち、はじめの二首と後の三首は詩形も性質も違っていますので、異なる時期に作られたものと思われます。唐代の詩に遊女の口を借りて遊興の詩情を述べるものがあり、崔(さいこう)の「長干行四首」が有名です。しかし、崔は開元十七年(723)ころの進士ですので、王維の作品が先行すると思われます。「孟津」は洛陽の東北、洛水が黄河と合流する地点の近くにある渡津(としん)で、対岸の河陽に渡る舟や黄河を上下する船の発着場でした。そこには妓楼もあり、遊女もいて、詩は遊女が自分の家のある場所を告げて、客を誘う場面です。「舡」(こう)は江南の舟をあらわす語で、江南から舟が着いたが、故郷からの便りは着いただろうかと遊女が問いかけます。これは、目あての客が江南から来たと見れば、同郷であることをほのめかして近づく遊女の常套手段です。
問題はこの詩に「与時有汶陽人」(時に汶陽の人と与に有り)と後注がついていることです。「汶陽」(ぶんよう)は山東省寧陽県の北、汶水の北岸にあり、江南ではありません。後注は王維があとから書き加えたもので、この詩を作ったころには「汶陽の人」と与(とも)に暮らしていたという心覚えを記したものと思われます。「汶陽の人」は遊女ではなく、「与に有り」が孟津である必要もありません。長安のどこかで「汶陽の人」と一緒にいたころの作と考えても不都合はなく、「汶陽の人」は寧王のもとを離れた「対門の家」の女性である可能性が高いと考えます。
王維ー19
雑詩五首 其四 雑詩 五首 其の四
君自故郷来 君は故郷より来たる
応知故郷事 応(まさ)に故郷の事を知るべし
来日綺窻前 来たりし日 綺窻(きそう)の前
寒梅着花未 寒梅は花を着けしや未(いま)だなりしや
⊂訳⊃
あなたは 故郷からおいででしたの
でしたら 故郷のことはよくご存知でありましょう
故里(くに)を発つとき窓辺には
もう咲いていたでしょうか 梅の花は
⊂ものがたり⊃ この詩も遊女の口を借りた作品です。其の三と其の四の詩は対になっていて、遊女は同郷のふりをして客に近づこうとしています。江南の梅は北よりも早く咲くので、郷里を発たれたときには寒梅の花はもう咲いていたでしょうかと、近づくきっかけをつくっているのです。ただし、転句(三句目)の「綺窻」(きそう)は飾りの多い特殊な窓で、普通の家にはないものです。ここらは作者王維がこまかく工夫をして暗示的な文字を使っていると見るべきでしょう。
王維ー20
雑詩五首 其五 雑詩 五首 其の五
已見寒梅発 已(すで)に寒梅の発(ひら)くを見て
復聞啼鳥声 復(ま)た啼鳥(ていちょう)の声を聞く
心心視春草 心心(しんしん)に春草(しゅんそう)を視て
畏向堦前生 堦前(かいぜん)に向かいて生ずるを畏る
⊂訳⊃
寒梅の花が咲いたと思えば
もう 鳥が来て鳴いている
しみじみと春の草を見つめていると
堦前に生え拡がるのが怖くなる
⊂ものがたり⊃ 其の五の詩は、男が通わなくなって階前の草が茂るのがこわいという女性の閨怨詩とみることもできますが、すでに青春の性の虚しさを知り、女性から遠ざかろうとしている王維の複雑な心境を述べたものと取ることもできます。過ぎ去る春の早いのを詠う起承句に「寒梅」の語を入れて巧みに其の四の詩とのつながりを装っていますが、遊女とは関係のない詩です。王維は転句(三句目)で「心心」と春草の茂るのを見つめています。「堦」(かい)は土の瓦を重ねて作った質素な階段で、大理石を敷き詰めた「玉階」でないところが普通の閨怨詩と違うところです。その「堦前」に草が生い茂って通れなくなるのではないかと、王維は性に惹かれ、同時に性の享楽から逃れようとしている微妙な心理を詠っているようです。王維はやがて「汶陽の人」と別れ、女性も汶水のほとりの故郷に帰っていったと思われます。
息夫人 息夫人
莫以今時寵 今時(こんじ)の寵をもって
能忘旧日恩 能(よ)く旧日(きゅうじつ)の恩を忘るる莫からんや
看花満眼涙 花を看(み)ては 眼に涙を満たし
不共楚王言 楚王(そおう)と言(げん)を共にせず
⊂訳⊃
現在の寵愛があるからといって
どうして昔の愛情を忘れることができようか
花を見ては 目に涙を満たし
楚王と言葉を交わそうとしない
⊂ものがたり⊃ この詩には「時年二十」の題注がありますので、二十歳のときの作品です。「息夫人」(そくふじん)は日本人にはあまり馴染みがないかもしれませんが、『春秋左氏伝』荘公十年と荘公十四年に伝があり、唐代の知識人ならば誰でも知っている有名な挿話です。息夫人は陳の公(れいこう)の公女で、姫姓(きせい)の息侯に嫁いで息嬀(そくき)となります。ところが、その美貌を知った楚の文王が息(淮水中流にあった小国)をだまし討ちにして、息嬀を楚都の郢(えい)に連れ去りました。息夫人は文王とのあいだに二子を成しますが、楚王と口をききません。
この詩も宴遊の席で出された詩題に王維が答えた作品と思われますが、王維は息夫人を現在の王の寵愛に感謝しながらも、昔の愛情を忘れない女性として描いています。この詩に感じたからかどうかわかりませんが、寧王はほどなく「対門の家」の女性を解放し、女性は寧王の邸を出てしばらく王維と暮らした可能性があります。
王維ー18
雑詩五首 其三 雑詩 五首 其の三
家住孟津河 家は住む 孟津河(もうしんか)
門対孟津口 門は対す 孟津口(もうしんこう)
常有江南舡 常に江南の舡(ふね)有り
寄書家中否 書を家中(かちゅう)に寄するや否や
⊂訳⊃
家は孟津渡の河辺にあり
門は孟津口に向いています
いつも江南から舡が来ますが
古里の便りは着いたでしょうか
⊂ものがたり⊃ 雑詩五首のうち、はじめの二首と後の三首は詩形も性質も違っていますので、異なる時期に作られたものと思われます。唐代の詩に遊女の口を借りて遊興の詩情を述べるものがあり、崔(さいこう)の「長干行四首」が有名です。しかし、崔は開元十七年(723)ころの進士ですので、王維の作品が先行すると思われます。「孟津」は洛陽の東北、洛水が黄河と合流する地点の近くにある渡津(としん)で、対岸の河陽に渡る舟や黄河を上下する船の発着場でした。そこには妓楼もあり、遊女もいて、詩は遊女が自分の家のある場所を告げて、客を誘う場面です。「舡」(こう)は江南の舟をあらわす語で、江南から舟が着いたが、故郷からの便りは着いただろうかと遊女が問いかけます。これは、目あての客が江南から来たと見れば、同郷であることをほのめかして近づく遊女の常套手段です。
問題はこの詩に「与時有汶陽人」(時に汶陽の人と与に有り)と後注がついていることです。「汶陽」(ぶんよう)は山東省寧陽県の北、汶水の北岸にあり、江南ではありません。後注は王維があとから書き加えたもので、この詩を作ったころには「汶陽の人」と与(とも)に暮らしていたという心覚えを記したものと思われます。「汶陽の人」は遊女ではなく、「与に有り」が孟津である必要もありません。長安のどこかで「汶陽の人」と一緒にいたころの作と考えても不都合はなく、「汶陽の人」は寧王のもとを離れた「対門の家」の女性である可能性が高いと考えます。
王維ー19
雑詩五首 其四 雑詩 五首 其の四
君自故郷来 君は故郷より来たる
応知故郷事 応(まさ)に故郷の事を知るべし
来日綺窻前 来たりし日 綺窻(きそう)の前
寒梅着花未 寒梅は花を着けしや未(いま)だなりしや
⊂訳⊃
あなたは 故郷からおいででしたの
でしたら 故郷のことはよくご存知でありましょう
故里(くに)を発つとき窓辺には
もう咲いていたでしょうか 梅の花は
⊂ものがたり⊃ この詩も遊女の口を借りた作品です。其の三と其の四の詩は対になっていて、遊女は同郷のふりをして客に近づこうとしています。江南の梅は北よりも早く咲くので、郷里を発たれたときには寒梅の花はもう咲いていたでしょうかと、近づくきっかけをつくっているのです。ただし、転句(三句目)の「綺窻」(きそう)は飾りの多い特殊な窓で、普通の家にはないものです。ここらは作者王維がこまかく工夫をして暗示的な文字を使っていると見るべきでしょう。
王維ー20
雑詩五首 其五 雑詩 五首 其の五
已見寒梅発 已(すで)に寒梅の発(ひら)くを見て
復聞啼鳥声 復(ま)た啼鳥(ていちょう)の声を聞く
心心視春草 心心(しんしん)に春草(しゅんそう)を視て
畏向堦前生 堦前(かいぜん)に向かいて生ずるを畏る
⊂訳⊃
寒梅の花が咲いたと思えば
もう 鳥が来て鳴いている
しみじみと春の草を見つめていると
堦前に生え拡がるのが怖くなる
⊂ものがたり⊃ 其の五の詩は、男が通わなくなって階前の草が茂るのがこわいという女性の閨怨詩とみることもできますが、すでに青春の性の虚しさを知り、女性から遠ざかろうとしている王維の複雑な心境を述べたものと取ることもできます。過ぎ去る春の早いのを詠う起承句に「寒梅」の語を入れて巧みに其の四の詩とのつながりを装っていますが、遊女とは関係のない詩です。王維は転句(三句目)で「心心」と春草の茂るのを見つめています。「堦」(かい)は土の瓦を重ねて作った質素な階段で、大理石を敷き詰めた「玉階」でないところが普通の閨怨詩と違うところです。その「堦前」に草が生い茂って通れなくなるのではないかと、王維は性に惹かれ、同時に性の享楽から逃れようとしている微妙な心理を詠っているようです。王維はやがて「汶陽の人」と別れ、女性も汶水のほとりの故郷に帰っていったと思われます。