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tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 李白110ー113

2009年07月07日 | Weblog
 李白ー110
   望廬山瀑布二首     廬山の瀑布を望む 二首
    其一            其の一

  西登香炉峰     西のかた香炉峰(こうろほう)に登り
  南見瀑布水     南のかた瀑布(ばくふ)の水を見る
  掛流三百丈     流れを掛くること三百丈
  噴壑数十里     壑(たに)に噴(ふ)くこと数十里
  歘如飛電来     歘(くつ)として飛電(ひでん)の来(きた)るが如く
  隠若白虹起     隠(いん)として白虹(はくこう)の起(た)つが若(ごと)し
  初驚河漢落     初めは驚く  河漢(かかん)の落ちて
  半灑雲天裏     半(なか)ば雲天(うんてん)の裏(うち)より灑(そそ)ぐかと
  仰観勢転雄     仰ぎ観(み)れば   勢い転(うた)た雄(ゆう)なり
  壮哉造化功     壮(さかん)なる哉  造化(ぞうか)の功(こう)
  海風吹不断     海風(かいふう)  吹けども断(た)たず
  江月照還空     江月(こうげつ)  照らすも還(ま)た空(くう)なり
  空中乱潨射     空中に乱れて潨射(そうせき)し
  左右洗青壁     左右(さゆう)  青壁(せいへき)を洗う
  飛珠散軽霞     飛珠(ひしゅ)  軽霞(けいか)を散じ
  流沫沸穹石     流沫(りゅうまつ)  穹石(きゅうせき)に沸(わ)く
  而我楽名山     而(しこ)うして  我(われ)は名山を楽しみ
  対之心益閑     之に対して心益々閑(のびやか)なり
  無論漱瓊液     論ずる無かれ  瓊液(けいえき)に漱(すす)ぐを
  且得洗塵顔     且つは得たり  塵顔(じんがん)を洗うを
  且諧宿所好     且つは諧(かな)う  宿(もとよ)り好む所
  永願辞人間     永(ひさ)しく願う   人間(じんかん)を辞するを

  ⊂訳⊃
          西のかた  香炉峰に登ると
          南に瀧の落ちるのが見える
          岸壁にかかる高さは三百丈
          谷間のしぶきは数十里にわたる
          稲妻のように落ちるかと思えば
          朦朧として白い虹が立つようだ
          はじめは  銀河が落ちるかと驚き
          もしくは  雲海から注ぐかと息をのむ
          仰ぎ見れば  勢いはますます強く
          大自然の壮大な力に圧倒される
          湖(うみ)からの風にも  吹きちぎられることはなく
          江上の月の光は     なすところなく照っている
          水は乱れて   空中でぶつかり合い
          苔むすあたりの岩肌を洗う
          飛び散る水は  軽やかな霞となって広がり
          流れる飛沫は  岩にあたって舞いあがる
          かくて私は  名山に遊び
          山と向かい合って  心はますますのどかである
          清らかな水で  口を漱ぐのは当然のこと
          俗塵にまみれた顔を  洗うこともできるのだ
          かてて加えて  かねてからの私の好みに合っている
          俗世から辞することが  永い間の願いであるからだ


 ⊂ものがたり⊃ 李白は白絹に書いた詩を東魯の二子に送りましたが、帰ることはせず、翌天宝九載(750)の春を金陵で過ごしたあと、夏五月には廬山に出かけています。廬山には香炉峰と呼ばれる峰が南北に二つあって、現在では北峰を香炉峰と言っているようですが、瀧があるのは南峰だそうです。
 李白は峰よりも瀧に注目しており、はじめの八句では瀧の雄大さを全体として捉えて描いています。「河漢」(銀河)が落ちるかと驚き、もしくは「雲天」(雲海)から注ぐかと比喩を使って描いています。こうした比喩は、いまでは子供っぽいものに思われるかも知れませんが、当時としては非常に斬新な表現であったと思います。
 つぎの八句では、瀧は自然の壮大な力の象徴としてさらに細かく描写されます。流れ落ちる瀧の水は空中でぶつかり合い、飛沫となって舞い上がるのです。李白詩の強烈な表現力が、瀧という対象を得て、あますところなく発揮されているように思います。
 最後の六句は、名山に遊んだ李白の感想で結ばれます。山と向かい合って「心益々閑」となった李白は、清らかな水で口をすすぐのは当然ですが、俗世の塵にまみれた顔を洗い清めることもできると詠います。「人間を辞する」(俗世から退く)という自分のかねてからの願いにもかなっていると、李白は廬山の自然に満足します。

 李白ー113
   望廬山瀑布二首      廬山の瀑布を望む 二首
    其二             其の二

  日照香炉生紫煙   日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず
  遥看瀑布挂長川   遥かに看(み)る  瀑布の長川(ちょうせん)を挂(か)くるを
  飛流直下三千尺   飛流(ひりゅう)   直下(ちょくか)  三千尺
  疑是銀河落九天   疑うらくは是(こ)れ  銀河の九天より落つるかと

  ⊂訳⊃
          香炉峰に陽がさすと  紫の靄(もや)がわいてくる

          遥か彼方に一筋の瀧  まるで立て掛けた川のようだ

          見上げると   流れは直下して三千尺

          まるで天から  銀河が落ちてくるようだ


 ⊂ものがたり⊃ 其の二は七言絶句ですので、「望廬山瀑布」としては、この方が広く知られています。其の一の詩と比べると、其の一の詩の前八句の要約のようでもありますが、瀧を目にしたときの感動を凝縮して表現したようにも思われます。どちらを先に作ったのか、天才詩人の創作の秘奥には計り知れないものがありますが、転句の「飛流 直下 三千尺」には、絶句にふさわしい、また李白らしい簡潔の美があると感じます。

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