漢詩を楽しもう

tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 李賀57ー61

2011年04月26日 | Weblog
 李賀57
   聴穎師弾琴歌         穎師の琴を弾ずるを聴く歌

  別浦雲帰桂花渚   別浦(べっぽ)   雲帰る  桂花(けいか)の渚(なぎさ)
  蜀国絃中双鳳語   蜀国(しょくこく)  絃中(げんちゅう)  双鳳(そうほう)語る
  芙蓉葉落秋鸞離   芙蓉(ふよう)    葉落ちて  秋鸞(しゅうらん)離れ
  越王夜起遊天姥   越王(えつおう)  夜起きて  天姥(てんぼ)に遊ぶ
  暗佩清臣敲水玉   暗佩(あんぱい)の清臣    水玉(すいぎょく)を敲(たた)き
  渡海蛾眉牽白鹿   渡海(とかい)の蛾眉(がび)  白鹿(はくろく)を牽(ひ)く
  誰看挟剣赴長橋   誰か看る  剣を挟(はさ)みて長橋(ちょうきょう)に赴くを
  誰看浸髪題春竹   誰か看る  髪を浸(ひた)して春竹(しゅんちく)に題するを
  竺僧前立当吾門   竺僧(じくそう)  前に立ち  吾(わ)が門に当たる
  梵宮真相眉稜尊   梵宮(ぼんきゅう)の真相  眉稜(びりょう)尊(とうと)し
  古琴大軫長八尺   古琴(こきん)  大軫(だいしん)  長さ八尺
  嶧陽老樹非桐孫   嶧陽(えきよう)の老樹  桐孫(とうそん)に非(あら)ず
  涼館聞絃驚病客   涼館(りょうかん)  絃を聞きて  病客(びょうかく)驚き
  薬囊暫別龍鬚席   薬囊(やくのう)   暫く別る  龍鬚(りゅうしゅ)の席
  請歌直請卿相歌   歌を請(こ)わば  直ちに卿相(けいしょう)の歌を請え
  奉礼官卑復何益   奉礼官卑(ひく)し 復(ま)た何の益(えき)かあらん

  ⊂訳⊃
          別れ浦に雲が湧き  月の渚に帰ってゆく
          蜀琴の絃の音色は 雌雄の鳳凰が鳴きかわすようだ
          蓮の葉は枯れ    鸞鳥が飛び去る秋
          越王が跳ね起きて  天姥山に遊ぶ夜
          清廉な臣下が叩く  水晶の澄んだ音
          白鹿を引き連れて  仙女が海を渡ってゆくようだ
          誰が見るのか    周処が剣を携えて橋を渡る姿を
          また誰が見るのか  張旭が頭髪で竹に字を書く姿を
          わが家の門前に   僧侶が一人すっくと立つ
          寺の菩薩か羅漢か  眉に気高い気品がある
          古い琴は大きくて   長さ八尺もあり
          嶧山の老木づくり   桐の若木ではない
          館で絃の音を聞き  病気の旅人は驚く
          薬袋をわきに置き  龍鬚草の席で拝聴する
          歌が欲しいのなら   卿相の方々に頼まれよ
          奉礼郎の身分では  何の役にも立ちません


 ⊂ものがたり⊃ 唐代の知識人が琴を弾ずるのは、ごく普通の教養です。詩題の「穎師」(えいし)は僧侶ですが、琴の名手として有名でした。詩の前半八句は、穎師の奏でる琴のすばらしさを、李賀独特の比喩を用いて描いています。「別浦」は、七月七日に牽牛と織女が年に一度の逢瀬を楽しんでから別れるときの銀河の入江です。そこに雲が湧いて「桂花」、つまり月の渚にもどってゆくと、鳴りはじめの琴の音を描きます。
 蜀の桐で作った琴は名品として有名でした。その琴を両手で掻き鳴らすさまは、「双鳳」(雌雄二羽の鳳凰)が鳴きかわすように妙なる音です。「秋鸞離れ」は琴の音がちょっと止むことでしょう。そして再び越王が夜に起き出して、「天姥」(浙江省新昌県の東にある霊山)で遊ぶような音色になると描きます。
 「剣を挟みて長橋に赴くを」には故事があり、晋の周処(しゅうしょ)は腕力にすぐれ、山中の虎豹や水中の蛟龍と並んで三害と恐れられていました。周処は後に虎と蛟の二害を退治して、身を修めて人に尊敬される人物になったといいます。その周処が長い橋を渡って虎や蛟を退治に行く姿を見るような音色もあり、また「髪を浸して春竹に題するを」は酒好きの張旭(ちょうきょく)が酒に酔って筆を落としてしまったとき、自分の髪を墨に浸して春に生えた新しい竹に字を書いたといいます。これらはすべて、神業のような穎師の琴の腕前を比喩的に表現するものです。
 穎師は托鉢の僧であったらしく、ある日、李賀の家の門前に立ちました。後半八句のうち、はじめの四句は僧の眉目秀麗な姿と琴の大きくて立派なことを詠います。唐代の「八尺」は約2m50cmですので、持ち歩く琴としては相当に大きなものです。「嶧陽」は嶧山(江蘇省邳県の西南にある山)の南側のことで、嶧山には桐の古木が多く、琴を作るのに適していました。穎師が実際に持っていたのは嶧陽の桐で作った琴であったようです。
 結びの四句は穎師の琴を聞く李賀のようすで、李賀は病気で臥していたようです。琴の音を聞いて驚いて起き上がり、「龍鬚」(龍鬚草)で編んだ席に坐り直して聞いたのでした。穎師は李賀が詩人であることを知っていたのでしょう。詩を求めてきました。李賀は奉礼郎のような身分の低い者から詩をもらっても役に立たない。「卿相」のような高位の者に頼んだ方がよいと断ります。

 李賀ー59
    李慿箜篌引          李慿の箜篌の引

  呉糸蜀桐張高秋   呉糸(ごし)  蜀桐(しょくとう)  高秋(こうしゅう)に張る
  空山凝雲頽不流   空山(くうざん)の凝雲(ぎょううん)  頽(くず)れて流れず
  江娥啼竹素女愁   江娥(こうが)は竹に啼(な)き  素女(そじょ)は愁う
  李慿中国弾箜篌   李慿(りひょう)  中国に箜篌(くご)を弾(だん)ず
  崑山玉砕鳳凰叫   崑山(こんざん)  玉(ぎょく)は砕けて  鳳凰(ほうおう)叫び
  芙蓉泣露香蘭笑   芙蓉(ふよう)  露(つゆ)に泣いて  香蘭(こうらん)笑う
  十二門前融冷光   十二門前    冷光(れいこう)を融(と)かし
  二十三糸動紫皇   二十三糸(し)  紫皇(しこう)を動かす
  女媧煉石補天処   女媧(じょか)  石を煉(ね)って天を補(おぎな)う処(ところ)
  石破天驚逗秋雨   石は破れ  天は驚いて  秋雨(しゅうう)を逗(とど)む
  夢入神山教神嫗   夢に神山(しんざん)に入りて  神嫗(しんう)に教うれば
  老魚跳波痩蛟舞   老魚(ろうぎょ)波に跳(おど)り  痩蛟(そうこう)舞う
  呉質不眠倚桂樹   呉質(ごしつ)は眠らずして    桂樹(けいじゅ)に倚(よ)り
  露脚斜飛湿寒兎   露脚(ろきゃく)斜めに飛んで  寒兎(かんと)を湿(うる)おす

  ⊂訳⊃
          高く晴れた秋の空  蜀桐の箜篌に呉の糸を張る
          山にまつわる雲は  崩れながらも流れない
          湘江の神女は    竹に涙をそそぎ 素女は羨む
          李慿の箜篌は    中国に二人といない腕前だ
          崑崙山の玉は砕け  鳳凰は叫び
          蓮の花は涙を流し  香蘭は笑う
          都城の十二門では  凍えた光が溶け
          二十三絃の調べは  紫皇の神を感動させる
          女媧が石を練って  天のほころびを直した箇所で
          石は破れ天は驚き  秋の雨も落ちては来ない
          夢に神山に入って  老いた神女に聴かせると
          波間では魚が跳ね  痩せた蛟龍も舞い踊る
          呉剛は眠らずに   桂樹にもたれて耳をかたむけ
          露は斜めに飛んで  月の面を濡らすであろう


 ⊂ものがたり⊃ この詩は李賀の詩集『李長吉歌詩』巻之一の冒頭に置かれていますので、李賀の詩のなかでは高く評価されていた作品であると思われます。詩題にある「李慿」は箜篌の演奏の名手で、同時代の他の詩人の詩にも詠われているそうです。「箜篌」は竪琴の一種で、ハープに似た弦楽器であると言われています。
 この詩は冒頭の一句を除いて、全句が李慿の箜篌の演奏のすばらしさを比喩を用いて詠うものです。まず起句に「呉糸 蜀桐 高秋に張る」とありますので、秋の詩であり、李慿の箜篌は蜀の桐で作られ、呉の絹糸が張られていたことがわかります。「張る」と言えば演奏することを意味します。
 はじめの四句のうち中の二句は、箜篌の音色のすばらしさを簡潔に描き、四句目で李慿は中国に二人といない箜篌の名手であると述べます。詩中の「江娥」は帝舜の妃で、舜の死後、そのあとを追って湘水に身を投げた娥皇・女英の姉妹のことです。「素女」は伝説の女性で、黄帝が五十弦の瑟を演奏させたところ、その音色があまりにも悲しかったので二十五弦に変えさせたといいます。
 つづく十句は李慿の箜篌の音色をさまざまな比喩を用いて褒め称えるものです。中国の神話伝説に通じていない現代人には面白味が理解できないかもしれません。まず崑崙山の玉の砕ける音や鳳凰の叫び声などに喩えられます。「十二門」は都城の門のことで、長安にも洛陽にも十二の門がありました。「二十三糸」は箜篌の弦の数で、「紫皇」は道教の三神のひとりです。
 箜篌の音色についての比喩はさらにつづきます。「女媧」は古代の伝説の神で、天を支える柱が折れたとき、女媧は五色の石を練って蒼天のほころびを修理しました。箜篌の音色でその石が破れ、天は驚いて「秋雨を逗む」とあります。この句の解釈については諸説がありますが、秋雨を降らすのを「逗」(とど)めたと素直に解釈しました。
 「神嫗」は晋の懐帝のころに実在した成夫人という箜篌の名手のことで、成夫人が箜篌を弾くと、人々は起って踊り出したといいます。「呉質」は呉剛の間違いとされ、呉剛は月の桂の木を伐ったという伝説をもつ神話上の人物です。その呉剛も桂の木を伐るのをやめて李慿の箜篌に聞き惚れ、月の露が斜めに飛んで「寒兎」(月というのに等しい)を濡らしたと詠います。李賀の幻想は、とどまるところを知らないようです。

 李賀ー61
    送沈亜之歌            沈亜之を送る歌

  呉興才人怨春風   呉興(ごこう)の才人  春風(しゅんぷう)を怨む
  桃花満陌千里紅   桃花(とうか) 満陌(まんぱく)  千里紅(くれない)なり
  紫糸竹断驄馬小   紫糸(しし)   竹断(た)えて   驄馬(そうば)小に
  家住銭塘東復東   家は銭塘(せんとう)に住(じゅう)す  東復(ま)た東
  白藤交穿織書笈   白藤(はくとう)  交々(こもごも)穿(うが)って  書笈(しょきゅう)を織る
  短策斉裁如梵夾   短策(たんさく)  斉(ひと)しく裁(た)って梵夾(ぼんきょう)の如し
  雄光宝礦献春卿   雄光(ゆうこう)の宝礦(ほうこう)  春卿(しゅんけい)に献ぜんとし
  煙底驀波乗一葉   煙底(えんてい)  波を驀(こ)えて一葉(いちよう)に乗る
  春卿拾才白日下   春卿(しゅんけい)  才を拾う  白日(はくじつ)の下(もと)
  擲置黄金解龍馬   黄金を擲置(てきち)して  龍馬(りょうば)を解(と)く
  携笈帰江重入門   笈(きゅう)を携えて江(こう)に帰り  重ねて門を入らば
  労労誰是憐君者   労労(ろうろう)誰か  是(こ)れ君を憐れむ者ぞ
  吾聞壮夫重心骨   吾(わ)れ聞く  壮夫(そうふ)は心骨(しんこつ)を重んずと
  古人三走無摧捽   古人(こじん)三走するも  摧捽(さいそつ)する無し
  請君待旦事長鞭   請(こ)う君  旦(あした)を待ちて長鞭(ちょうべん)を事(こと)とし
  他日還轅及秋律   他日  轅(ながえ)を還(かえ)して  秋律(しゅうりつ)に及べ

  ⊂訳⊃
          呉興の才子沈亜之は  春風を怨む
          桃の花は路に溢れて  千里紅というのに
          紫の手綱  笞の先は折れ  白馬も小さい
          家は銭塘にあり   東の果ての東である
          白藤を交互に織り  書物の負い籠をつくり
          短冊を切り揃えて  経文のように並べて入れる
          磨けば光る原石を  礼部尚書に捧げようと
          雲煙のかなたから  小舟に乗ってやってきた
          礼部の尚書は    白日の下で人材を選ぶ
          だが黄金を棄てて  龍馬を取り逃がした
          負い籠を背負って  呉興の家に帰れば
          誰が君をいたわり  同情してくれるのだろうか
          私は聞いている   壮士は精神力を大事にすると
          三戦三敗しても   昔の人はくじけなかった
          朝になったら鞭を取って  元気に旅立ち
          秋になったら車を仕立て  つぎの機会に挑んでくれ


 ⊂ものがたり⊃ 秋になると、李賀は陸渾(りくこん)の県衙(けんが)に皇甫(こうほしょく)を訪ねました。秋といっても、それが元和五年なのか六年なのかはわかりません。しかし、皇甫はどこかに出かけていて不在でした。李賀は「皇甫先輩の庁に題す」という詩を役所の壁に書き残して帰ってゆきました。
 明けて元和七年(812)春、湖州(浙江省湖州市呉興県)から出てきていた沈亜之(ちんあし)という友人が、貢挙の明書科を受験して落第しました。この友人が故郷に帰るのに際して、李賀は送別の詩を贈って再起を励ましています。
 冒頭にある「呉興」は湖州を郡名で呼んだもので、湖州の才子沈亜之が貢挙に落ちたことを春風に託して同情しています。沈亜之は李賀よりも九歳年長ですが、「紫糸 竹断えて 驄馬小に」と書いてあるのを見ると、沈亜之の旅装は貧弱であったようです。
 「家は銭塘に住す」というのは、呉興と矛盾します。銭塘(浙江省杭州市)は杭州の古名で、杭州は湖州の南ですから李賀は地理を混同しているようです。「東復た東」と言っているのを東の果てと受け取っても、地理的には大雑把に過ぎるようです。
 「短策」は書を竹簡に書いていたときの言い方で、唐代中期では紙に書写するのが一般化していましたので、古風な言いまわしをしていることになります。それを「梵夾」(梵字で書いた経文)のように並べて「白藤」で編んだ負い籠に入れています。
 「春卿」というのも礼部尚書のことで、貢挙の省試を担当する役所の長官のことです。李賀の詩は古地名や雅語を用いて詩句を華やかに彩るところに特色があり、白居易が当時、誰が読んでもわかる易しい詩を書こうと主張していたのとは逆の方向です。
 後半の八句では、まず礼部が沈亜之のような立派な人材を取り逃がしたと慰めます。沈亜之は省試に落第して、これから故郷にもどってゆくので、その心情に同情の言葉を送ります。結びの四句では、沈亜之がこれに挫けずに再度の挑戦を期待すると励ますのです。