白居易ー98
晏座閑吟 晏座閑吟
昔為京洛声華客 昔は 京洛(けいらく)声華(せいか)の客為(た)り
今作江湖老倒翁 今は 江湖(こうこ)老倒(ろうとう)の翁と作(な)る
意気銷磨群動裏 意気銷磨(しょうま)す 群動の裏(うち)
形骸変化百年中 形骸(けいがい)変化す 百年の中(うち)
霜侵残鬢無多黒 霜は残鬢を侵して 多くの黒きもの無く
酒伴衰顔只暫紅 酒は衰顔に伴いて 只暫(しば)らく紅(くれない)なるのみ
頼学禅門非想定 頼(さいわ)いに 禅門の非想定(ひそうじょう)を学び
千愁万念一時空 千愁万念(ばんねん) 一時に空(むな)し
⊂訳⊃
昔は都で 高い名声を得ていたが
今は江湖で 老いた翁となっている
物みなが躍動するなかで 私は意気消沈し
人生百年 骨肉は変化してしまう
霜は鬢の毛を侵し 黒髪も少なくなり
衰えた顔に 酒がしばしの赤みをさす
幸いにも 禅門の悟りの境地を学んだので
様々な愁いや雑念も 一度に消えてなくなった
⊂ものがたり⊃ 船は夏口から200kmほど長江を下って江州に着きます。江州の州治は潯陽(江西省九江市)にあり、江州は郡名を潯陽(じんよう)郡ともいいます。城の近くを湓水(ぼんすい)が流れ、潯陽城は一名を湓城ともいいました。
白居易の上司、崔(さい)江州刺史は、新任の司馬を貶謫の罪人としてではなく、著名な詩人として遇しましたので、白居易は比較的自由な生活を送ることができたようです。江州に着いたのは冬のはじめ十月のことで、まずは城内に居を定めました。
詩題の「晏座閑吟」(あんざかんぎん)は、安らかに座って静かに詩を読むという意味ですが、詩の内容は貶謫者の「千愁万念」に満ちています。詩中の「非想定」は何の執着もない禅の境地であり、無念無想の世界をさしていますが、それはむしろ白居易が、そうありたいという希望を述べたものと解するべきでしょう。
白居易ー99
江州雪 江州の雪
新雪満前山 新雪 前山(ぜんざん)に満ち
初晴好天気 初めて晴れて天気好し
日西騎馬出 日(ひ)西にして 馬に騎(の)りて出ずれば
忽有京都意 忽ち京都(けいと)の意(い)有り
城柳方綴花 城柳(じょうりゅう) 方(まさ)に花を綴り
簷冰纔結穂 簷冰(えんぴょう) 纔(わずか)に穂を結ぶ
須臾風日暖 須臾(しゅゆ)にして 風日(ふうじつ)暖かに
処処皆飄墜 処処(しょしょ) 皆な飄墜(ひょうつい)す
行吟賞未足 行吟(こうぎん) 賞(しょう)未だ足らず
坐歎銷何易 坐歎(ざたん) 銷(しょう)何ぞ易(やす)き
猶勝嶺南看 猶お嶺南(れいなん)の看(かん)に勝(まさ)れり
雰雰不到地 雰雰(ふんぷん)として地に到らず
⊂訳⊃
前方の山に 新しい雪がつもって
晴れ上がり いい天気になった
日暮れに 馬に乗って出かけると
長安にいるような気分になる
城のほとり 柳には花のように雪がつらなり
軒のつららは わずかに穂のように垂れている
すると忽ち 日は暖かになり
到るところで 雪や氷は融けてしまう
心ゆくまで 詩情を楽しむ暇もなく
雪解けの早さに ため息をつく
だがしかし 嶺南に降る雪のように
地に届く前に消えるよりはいいだろう
⊂ものがたり⊃ 白居易は流謫を機会に、これまでの自分の詩業を振りかえり、詩集にまとめることにしました。江州到着の冬は詩集編纂の仕事に費やされたようです。そんな作業のある夜、雪が降りました。潯陽の南に横たわる廬山(ろざん)にも新雪がつもり、翌朝は晴れたいい天気になりました。詩集編纂の疲れを休める意味もあったのでしょう。白居易は日暮れになって馬に乗って散歩に出かけます。
詩はそのときの感懐で、長安にいるような気分がしたと言っています。白居易は若いころ江南に住んでいたことがありますので、江南の冬ははじめての経験ではありません。しかし、江南の雪に都を想い出し、久しぶりに迎える南国の冬の暖かさが珍しかったようです。
雪や軒のつららはすぐに消えてしまい、詩情を楽しむ暇もないと嘆いていますが、結びの二句は重要です。嶺南(広東省方面)に降る雪が地上に届く前に消えてしまうのよりはよいと、遠く嶺南の地に流されている人もいることに思いを馳せています。
白居易ー100
編集拙詩成一十五巻因題 拙詩を編集して 一十五巻と成し 因って
巻末戲贈元九・李二十 巻末に題して 戲れに元九・李二十に贈る
一篇長恨有風情 一篇の長恨(ちょうこん) 風情有り
十首秦吟近正声 十首の秦吟(しんぎん) 正声(せいせい)に近し
毎被老元偸格律 毎(つね)に老元(ろうげん)に格律(かくりつ)を偸(ぬす)まれ
苦教短李伏歌行 苦(ねんご)ろに短李(たんり)をして歌行(かこう)に伏せしむ
世間富貴応無分 世間の富貴は 応(まさ)に分(ぶん)無かるべきも
身後文章合有名 身後の文章は 合(まさ)に名(な)有るべし
莫怪気粗言語大 怪しむこと莫(な)かれ 気(き)粗にして言語大なるを
新排十五巻詩成 新たに 十五巻の詩を排(はい)して成る
⊂訳⊃
一篇の長恨歌には 風情があり
十首の秦中吟には 詩の正しさがある
親愛なる元稹には いつも詩の格律を盗まれ
小柄の李紳には 歌行の出来に大層感心された
富や名声には もとより縁はないが
私の文章は 死後に有名になるだろう
荒っぽく大きなことを言うと思わないでくれ
十五巻の詩集が いま出来あがったばかりなのだ
⊂ものがたり⊃ 白居易の初めての自選詩集十五巻は十二月に完成し、友人の元稹と李紳(りしん)に送り届けることができました。掲げた詩は、詩集の巻末に記して二人に送ったものです。
詩集には約八百首の詩が収められましたが、詩集の題名は不明です。内容については、詩集に添えて送った「元九に与うる書」に「諷諭詩百五十首、閑適詩百首、感傷詩百首、雑律詩四百首余りの四分類に分かち、計八百首から成る」と述べています。
「元九に与うる書」は詩に対する白居易の考えを総括的に述べたもので、白居易は諷諭詩こそ『詩経』以来の詩の精神と伝統を受け継ぐ正統の詩であり、みずから評価できるものであると言っています。諷諭詩の代表作は「新楽府五十首」「秦中吟十首」であり、詩は社会に役立つもの、民衆の声を天子に伝えるものでなければならないと言っています。
「閑適」と「感傷」の詩の違いについては、すでに実例について述べました。「雑律詩」は詩の内容からする分類ではなく、詩体による分類です。律詩などの近体詩をひとまとめにしたもので、白居易はあまり重きを置いていません。
しかし、白居易はこのあと、諷諭詩と見られるものをほとんど作っておらず、作品の多くは雑律詩です。政事的な環境が変化して次第に諷諭詩を作ることが困難になってきたためで、その意味で「元九に与うる書」は諷諭詩宣言の書であると同時に、その終焉の書でもありました。
白居易ー101
庾楼暁望 庾楼暁望
独憑朱檻立凌晨 独り朱檻(しゅかん)に憑(よ)り 凌晨(りょうしん)に立てば
山色初明水色新 山色(さんしょく)初めて明らかにして 水色新たなり
竹霧暁籠銜嶺月 竹霧(ちくむ)暁に籠(こ)む 嶺(みね)に銜(ふく)まるる月
蘋風暖送過江春 蘋風(ひんぷう)暖かに送る 江(こう)を過ぐる春
子城陰処猶残雪 子城(しじょう)の陰処(いんしょ) 猶(な)お雪を残し
衙鼓声前未有塵 衙鼓(がこ)の声前(せいぜん) 未だ塵(ちり)有らず
三百年来庾楼上 三百年来 庾楼(ゆろう)の上
曾経多少望郷人 曾(かつ)て 多少(たしょう)望郷の人を経(へ)たる
⊂訳⊃
独り朱塗の欄干に寄り添い 朝早く立つと
山の色は明るくなりはじめ 川の水色も新しい
霧が夜明けの竹林をつつみ 嶺のあたりの月の影
風は浮草の上を暖かに吹き 春は川の上を過ぎてゆく
子城の陰には なお雪が消えのこり
県衙の太鼓が鳴る前で 路上には塵も立たない
三百年この方 庾楼の上には
故郷を思う人々が どれだけ過ぎていったろうか
⊂ものがたり⊃ 明けて元和十一年(816)、白居易は江州ではじめての春を迎えます。詩題の「庾楼」(ゆろう)は庾公楼ともいい、江州の太守であった晋の庾亮(ゆりょう)が建てたと伝える城楼です。詩中の「子城」は出城のことで、白居易は子城の陰の残雪に目をとめます。
「衙鼓」は朝の開門を告げる太鼓で、開門の太鼓が鳴る前ですので人馬の往来もなく、路上に塵も立っていません。静かな朝です。結びの「望郷の人」は単に旅人と考えてもいいのですが、江州を通ってさらに南の地へ流されていった人々をさすと考えると、作者の思いはいっそう切実となります。
晏座閑吟 晏座閑吟
昔為京洛声華客 昔は 京洛(けいらく)声華(せいか)の客為(た)り
今作江湖老倒翁 今は 江湖(こうこ)老倒(ろうとう)の翁と作(な)る
意気銷磨群動裏 意気銷磨(しょうま)す 群動の裏(うち)
形骸変化百年中 形骸(けいがい)変化す 百年の中(うち)
霜侵残鬢無多黒 霜は残鬢を侵して 多くの黒きもの無く
酒伴衰顔只暫紅 酒は衰顔に伴いて 只暫(しば)らく紅(くれない)なるのみ
頼学禅門非想定 頼(さいわ)いに 禅門の非想定(ひそうじょう)を学び
千愁万念一時空 千愁万念(ばんねん) 一時に空(むな)し
⊂訳⊃
昔は都で 高い名声を得ていたが
今は江湖で 老いた翁となっている
物みなが躍動するなかで 私は意気消沈し
人生百年 骨肉は変化してしまう
霜は鬢の毛を侵し 黒髪も少なくなり
衰えた顔に 酒がしばしの赤みをさす
幸いにも 禅門の悟りの境地を学んだので
様々な愁いや雑念も 一度に消えてなくなった
⊂ものがたり⊃ 船は夏口から200kmほど長江を下って江州に着きます。江州の州治は潯陽(江西省九江市)にあり、江州は郡名を潯陽(じんよう)郡ともいいます。城の近くを湓水(ぼんすい)が流れ、潯陽城は一名を湓城ともいいました。
白居易の上司、崔(さい)江州刺史は、新任の司馬を貶謫の罪人としてではなく、著名な詩人として遇しましたので、白居易は比較的自由な生活を送ることができたようです。江州に着いたのは冬のはじめ十月のことで、まずは城内に居を定めました。
詩題の「晏座閑吟」(あんざかんぎん)は、安らかに座って静かに詩を読むという意味ですが、詩の内容は貶謫者の「千愁万念」に満ちています。詩中の「非想定」は何の執着もない禅の境地であり、無念無想の世界をさしていますが、それはむしろ白居易が、そうありたいという希望を述べたものと解するべきでしょう。
白居易ー99
江州雪 江州の雪
新雪満前山 新雪 前山(ぜんざん)に満ち
初晴好天気 初めて晴れて天気好し
日西騎馬出 日(ひ)西にして 馬に騎(の)りて出ずれば
忽有京都意 忽ち京都(けいと)の意(い)有り
城柳方綴花 城柳(じょうりゅう) 方(まさ)に花を綴り
簷冰纔結穂 簷冰(えんぴょう) 纔(わずか)に穂を結ぶ
須臾風日暖 須臾(しゅゆ)にして 風日(ふうじつ)暖かに
処処皆飄墜 処処(しょしょ) 皆な飄墜(ひょうつい)す
行吟賞未足 行吟(こうぎん) 賞(しょう)未だ足らず
坐歎銷何易 坐歎(ざたん) 銷(しょう)何ぞ易(やす)き
猶勝嶺南看 猶お嶺南(れいなん)の看(かん)に勝(まさ)れり
雰雰不到地 雰雰(ふんぷん)として地に到らず
⊂訳⊃
前方の山に 新しい雪がつもって
晴れ上がり いい天気になった
日暮れに 馬に乗って出かけると
長安にいるような気分になる
城のほとり 柳には花のように雪がつらなり
軒のつららは わずかに穂のように垂れている
すると忽ち 日は暖かになり
到るところで 雪や氷は融けてしまう
心ゆくまで 詩情を楽しむ暇もなく
雪解けの早さに ため息をつく
だがしかし 嶺南に降る雪のように
地に届く前に消えるよりはいいだろう
⊂ものがたり⊃ 白居易は流謫を機会に、これまでの自分の詩業を振りかえり、詩集にまとめることにしました。江州到着の冬は詩集編纂の仕事に費やされたようです。そんな作業のある夜、雪が降りました。潯陽の南に横たわる廬山(ろざん)にも新雪がつもり、翌朝は晴れたいい天気になりました。詩集編纂の疲れを休める意味もあったのでしょう。白居易は日暮れになって馬に乗って散歩に出かけます。
詩はそのときの感懐で、長安にいるような気分がしたと言っています。白居易は若いころ江南に住んでいたことがありますので、江南の冬ははじめての経験ではありません。しかし、江南の雪に都を想い出し、久しぶりに迎える南国の冬の暖かさが珍しかったようです。
雪や軒のつららはすぐに消えてしまい、詩情を楽しむ暇もないと嘆いていますが、結びの二句は重要です。嶺南(広東省方面)に降る雪が地上に届く前に消えてしまうのよりはよいと、遠く嶺南の地に流されている人もいることに思いを馳せています。
白居易ー100
編集拙詩成一十五巻因題 拙詩を編集して 一十五巻と成し 因って
巻末戲贈元九・李二十 巻末に題して 戲れに元九・李二十に贈る
一篇長恨有風情 一篇の長恨(ちょうこん) 風情有り
十首秦吟近正声 十首の秦吟(しんぎん) 正声(せいせい)に近し
毎被老元偸格律 毎(つね)に老元(ろうげん)に格律(かくりつ)を偸(ぬす)まれ
苦教短李伏歌行 苦(ねんご)ろに短李(たんり)をして歌行(かこう)に伏せしむ
世間富貴応無分 世間の富貴は 応(まさ)に分(ぶん)無かるべきも
身後文章合有名 身後の文章は 合(まさ)に名(な)有るべし
莫怪気粗言語大 怪しむこと莫(な)かれ 気(き)粗にして言語大なるを
新排十五巻詩成 新たに 十五巻の詩を排(はい)して成る
⊂訳⊃
一篇の長恨歌には 風情があり
十首の秦中吟には 詩の正しさがある
親愛なる元稹には いつも詩の格律を盗まれ
小柄の李紳には 歌行の出来に大層感心された
富や名声には もとより縁はないが
私の文章は 死後に有名になるだろう
荒っぽく大きなことを言うと思わないでくれ
十五巻の詩集が いま出来あがったばかりなのだ
⊂ものがたり⊃ 白居易の初めての自選詩集十五巻は十二月に完成し、友人の元稹と李紳(りしん)に送り届けることができました。掲げた詩は、詩集の巻末に記して二人に送ったものです。
詩集には約八百首の詩が収められましたが、詩集の題名は不明です。内容については、詩集に添えて送った「元九に与うる書」に「諷諭詩百五十首、閑適詩百首、感傷詩百首、雑律詩四百首余りの四分類に分かち、計八百首から成る」と述べています。
「元九に与うる書」は詩に対する白居易の考えを総括的に述べたもので、白居易は諷諭詩こそ『詩経』以来の詩の精神と伝統を受け継ぐ正統の詩であり、みずから評価できるものであると言っています。諷諭詩の代表作は「新楽府五十首」「秦中吟十首」であり、詩は社会に役立つもの、民衆の声を天子に伝えるものでなければならないと言っています。
「閑適」と「感傷」の詩の違いについては、すでに実例について述べました。「雑律詩」は詩の内容からする分類ではなく、詩体による分類です。律詩などの近体詩をひとまとめにしたもので、白居易はあまり重きを置いていません。
しかし、白居易はこのあと、諷諭詩と見られるものをほとんど作っておらず、作品の多くは雑律詩です。政事的な環境が変化して次第に諷諭詩を作ることが困難になってきたためで、その意味で「元九に与うる書」は諷諭詩宣言の書であると同時に、その終焉の書でもありました。
白居易ー101
庾楼暁望 庾楼暁望
独憑朱檻立凌晨 独り朱檻(しゅかん)に憑(よ)り 凌晨(りょうしん)に立てば
山色初明水色新 山色(さんしょく)初めて明らかにして 水色新たなり
竹霧暁籠銜嶺月 竹霧(ちくむ)暁に籠(こ)む 嶺(みね)に銜(ふく)まるる月
蘋風暖送過江春 蘋風(ひんぷう)暖かに送る 江(こう)を過ぐる春
子城陰処猶残雪 子城(しじょう)の陰処(いんしょ) 猶(な)お雪を残し
衙鼓声前未有塵 衙鼓(がこ)の声前(せいぜん) 未だ塵(ちり)有らず
三百年来庾楼上 三百年来 庾楼(ゆろう)の上
曾経多少望郷人 曾(かつ)て 多少(たしょう)望郷の人を経(へ)たる
⊂訳⊃
独り朱塗の欄干に寄り添い 朝早く立つと
山の色は明るくなりはじめ 川の水色も新しい
霧が夜明けの竹林をつつみ 嶺のあたりの月の影
風は浮草の上を暖かに吹き 春は川の上を過ぎてゆく
子城の陰には なお雪が消えのこり
県衙の太鼓が鳴る前で 路上には塵も立たない
三百年この方 庾楼の上には
故郷を思う人々が どれだけ過ぎていったろうか
⊂ものがたり⊃ 明けて元和十一年(816)、白居易は江州ではじめての春を迎えます。詩題の「庾楼」(ゆろう)は庾公楼ともいい、江州の太守であった晋の庾亮(ゆりょう)が建てたと伝える城楼です。詩中の「子城」は出城のことで、白居易は子城の陰の残雪に目をとめます。
「衙鼓」は朝の開門を告げる太鼓で、開門の太鼓が鳴る前ですので人馬の往来もなく、路上に塵も立っていません。静かな朝です。結びの「望郷の人」は単に旅人と考えてもいいのですが、江州を通ってさらに南の地へ流されていった人々をさすと考えると、作者の思いはいっそう切実となります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます