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tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 白居易81ー86

2010年10月30日 | Weblog
 白居易ー81
   適意二首 其一       適意 二首  其の一

  十年為旅客     十年  旅客と為(な)り
  常有飢寒愁     常に飢寒(きかん)の愁(うれ)い有り
  三年作諌官     三年  諌官(かんかん)と作(な)り
  復多尸素羞     復(ま)た尸素(しそ)の羞(はじ)らい多し
  有酒不暇飲     酒有れども飲むに暇(いとま)あらず
  有山不得遊     山有れども遊ぶことを得ず
  豈無平生志     豈(あ)に平生(へいぜい)の志(こころざし)無からんや
  拘牽不自由     拘牽(こうけん)せられて自由ならず
  一朝帰渭上     一朝(いっちょう)  渭上(いじょう)に帰り
  泛如不繋舟     泛(はん)たること繋(つな)がざる舟の如し
  置心世事外     心を世事(せじ)の外に置き
  無喜亦無憂     喜びも無く亦(ま)た憂いも無し
  終日一蔬食     終日  一蔬食(いちそしょく)
  終年一布裘     終年  一布裘(いちふきゅう)
  寒来弥懶放     寒(かん)来たれば  弥々(いよいよ)懶放(らんぼう)
  数日一梳頭     数日に一たび頭(かしら)を梳(くしけず)る
  朝睡足始起     朝睡(ちょうすい) 足りて始めて起き
  夜酌酔即休     夜酌(やしゃく)   酔えば即ち休(や)む
  人心不過適     人心(じんしん)は適(てき)なるに過ぎず
  適外復何求     適外(てきがい)に復(ま)た何をか求めん

  ⊂訳⊃
          十年  旅人のときは
          いつも飢えや寒さを心配していた
          三年  左拾遺の官にあっては
          俸給に見合う仕事をしたかと大いに恥じる
          酒はあるが   飲む暇はなく
          山はあっても  遊ぶことはできない
          自立自尊の志  心中に持してはいたが
          束縛があって  自由がなかった
          ところがある日  渭水のほとりに帰り
          䌫(ともづな)の切れた舟のように  ぶらぶらしている
          世間のことは気にかけず
          喜びもないが心配もない
          一日中  粗末な食事
          一年中  綿入れの布子(ぬのこ)一枚
          寒くなると    ますます無精になり
          数日に一度   頭をくしけずるだけだ
          朝は寝足りて  やっと起き
          晩酌をして    酔えばたちまち横になる
          人の心には   自由にまさるものはない
          自由のほかに 何を求めることがあろう


 ⊂ものがたり⊃ 母と娘の死の悲しみも、時がたつといくらか薄らいできます。詩題の「適意」とは自分の思い通りにすることであり、自由の意味でしょう。田園での拘束のない生活を楽しむ心の余裕も出てくるのです。
 はじめの八句では、これまでの自分の人生を振り返っています。詩中の「尸素」は尸位素餐(しいそさん)の略で、役に立たない無能な者が官職にあって俸給をもらうことをいいます。むろん謙遜して言っているわけですが、官にあれば束縛が多くて自由がなかったと振りかえるのです。
 「一朝」は驚きの表現でしょう。白居易はこれまで寒門の子弟として出世、官で重要な役目を果たすことを目指して必死に生きてきました。ところが母親の死という偶然の機会を得て下邽(かけい)に隠退し、官吏としての職務やさまざまな世間のしがらみから解放された生活をしてみると、自由気ままに生きることの価値に気づくようになります。
 結びで「人心は適なるに過ぎず 適外に復た何をか求めん」と言っているのは、これまで政事に対して気まじめであった白居易にとって、大きな思想の変化と見るべきでしょう。それはいまのところ、現状に対する自己肯定の思想かもしれません。しかし、たとえ一時的にせよ白居易が「適」という思想に思い到ったことは重要です。

 白居易ー83
   秋遊原上           秋 原上に遊ぶ

  七月行已半     七月  行々(ゆくゆく)已に半ばなり
  早涼天気清     早涼(そうりょう) 天気清し
  清晨起巾櫛     清晨(せいしん)  起きて巾櫛(きんしつ)し
  徐歩出柴荊     徐歩(じょほ)して柴荊(さいけい)を出ず
  露杖筇竹冷     露杖(ろじょう)  筇竹(きょうちく)冷ややかに
  風襟越蕉軽     風襟(ふうきん)  越蕉(えつしょう)軽し
  閑携弟姪輩     閑(しず)かに弟姪(ていてつ)の輩(はい)を携えて
  同上秋原行     同(とも)に秋原(しゅうげん)に上りて行く
  新棗未全赤     新棗(しんそう)  未だ全く赤からず
  晩瓜有余馨     晩瓜(ばんか)  余馨(よけい)有り
  依依田家叟     依依(いい)たり田家(でんか)の叟(そう)
  設此相逢迎     此れを設(もう)けて相(あい)逢迎(ほうげい)す
  自我到此村     我  此の村に到りし自(よ)り
  往来白髪生     往来して  白髪(はくはつ)生ず
  村中相識久     村中  相識(そうしき)久しく
  老幼皆有情     老幼  皆(みな)情(じょう)有り
  留連向暮帰     留連(りゅうれん)して暮れに向(なんな)んとして帰る
  樹樹風蝉声     樹樹(じゅじゅ)  風蝉(ふうせん)の声
  是時新雨足     是(こ)の時   新雨(しんう)足り
  禾黍夾道青     禾黍(かしょ)  道を夾(はさ)みて青し
  見此令人飽     此れを見れば人をして飽かしむ
  何必待西成     何ぞ必ずしも西成(せいせい)を待たん

  ⊂訳⊃
          秋七月  半ばを過ぎようとし
          初秋の涼しさ  空は清らかに澄みわたる
          清々しい朝だ  起きて見じまいをし
          ゆっくりと    わが家の門を出る
          露に濡れた杖 筇竹の冷たい手ざわり
          襟元に風が吹き  越の芭蕉布の衣は軽い
          弟や甥を連れ
          のどかに秋の高原に上ってゆく
          棗はなったばかりで  まっ赤ではなく
          終わりかけの瓜にも  残り香がある
          顔なじみの農家の主人が
          棗や瓜を出して  もてなしてくれる
          私がこの村に来てから
          村人とつきあい  白髪もはえた
          知り合って久しい者もあり
          年寄りも子供も  みな人情がある
          長居して    日暮れになって帰ってくると
          樹々に風   蝉の声が聞こえてくる
          このところ   雨がたっぷり降ったので
          稲やきびは  道の両側で茂っている
          これを見れば  人々も天の恵みに満足し
          秋の収穫を  心配して待つこともなさそうだ


 ⊂ものがたり⊃ 渭村下邽での生活も、二年目の秋を迎えるころには、親しく言葉を交わす村人も出てきました。「筇竹」は蜀の山地で取れる竹で、それで作った杖は上質のものであったようです。白居易はこのとき四十一歳であり、杖を必要とするほど老いてはいません。高原に遠出するような散策には杖を持つのが、このころの知識人の習慣であったようです。
 白居易は弟や甥(姪は「おい」)を連れて、みのりの田野を眺めながら秋の高原を歩いてゆきます。高原といっても、平地よりは少し高くなった黄土の台地でしょう。それから顔なじみの農家に立ち寄って取れたての作物のもてなしを受けます。村人は年寄りも子供もみな人情があると、心地よさそうです。
 日暮れになって高原の散策からもどってくると、樹々に涼しい風が吹き、蝉の声が聞こえてきます。秋のみのりも上々で、「何ぞ必ずしも西成を待たん」と結びます。ここに出てくる「西成」は『尚書』堯典にみえる語で、秋に万物がみのることを意味します。詩に重量感を与える語ですが、中国古典の重みを背負っていますので、日本語に訳するのは困難です。

 白居易ー86
   效陶潜体詩 其二     陶潜の体に效う詩 其の二

  翳翳踰月陰     翳翳(えいえい)として月を踰(こ)えて陰(くも)り
  沈沈連日雨     沈沈(しんしん)として日を連(つら)ねて雨ふる
  開簾望天色     簾(れん)を開いて天色(てんしょく)を望めば
  黄雲暗如土     黄雲(こううん)  暗くして土(つち)の如し
  行潦毀我墉     行潦(こうろう)  我が墉(かき)を毀(こぼ)ち
  疾風壊我宇     疾風(しっぷう)  我が宇(いえ)を壊(やぶ)る
  蓬莠生庭院     蓬莠(ほうゆう)  庭院(ていいん)に生じ
  泥塗失場圃     泥塗(でいと)   場圃(じょうほ)を失う
  村深絶賓客     村深くして賓客(ひんかく)を絶(た)ち
  窗晦無儔侶     窗(まど)晦(くら)くして儔侶(ちゅうりょ)無し
  尽日不下牀     尽日(じんじつ)  牀(しょう)を下らず
  跳蛙時入戸     跳蛙(ちょうあ)  時に戸(こ)に入る
  出門無所往     門を出(い)ずるも往く所無く
  入室還独処     室に入りて還(ま)た独処(どくしょ)す
  不以酒自娯     酒を以て自ら娯(たのし)まずば
  塊然与誰語     塊然(かいぜん)として誰とか語(かた)らん

  ⊂訳⊃
          薄暗い曇りの日が  ひと月を越えてつづき
          しとしとと  毎日のように雨が降る
          簾を巻き上げ   空の模様を眺めると
          黄雲が立ちこめ  土のように暗い
          あふれた水が   わが家の垣をこわし
          疾風が  わが家の屋根を痛めつける
          雑草が  庭一面に生い茂り
          泥土で  畑も埋めつくされる
          奥まった村に  訪れる客もなく
          暗い窓辺に   友人の顔もない
          一日中  寝床にいると
          蛙がときどき  戸口に跳ねてくる
          門を出ても   行くところがなく
          部屋にもどって  またひとりいる
          酒でも飲んで  楽しまなければ
          黙然と坐して  話し相手もいないのだ


 ⊂ものがたり⊃ 翌元和八年(813)は五月を過ぎると、通常足かけ三年(二十五か月)とされている喪が明けます。しかし、喪が明けても都からは何の沙汰もありませんでした。白居易は陶淵明に效(なら)った詩十六篇の連作を作ったりして、閑日月を過ごします。陶淵明の閑居の精神に学ぼうというわけですが、白居易にはそこまで悟りきることができなかったようです。十六篇のうち其二だけを掲げますが、其の二の詩では長雨や強風の被害を憂鬱そうに描いています。
 後半の八句では訪れてくる客もいないのを嘆きます。一日中寝床にいると、戸口に蛙が跳ねてきます。行くところもなく話し相手もいないので、酒でも飲んで楽しまなければ過ごしようがないと嘆くのです。この年、二番目の子の阿亀(あき)が生まれていました。