停電の町にほのぼの白木蓮
きょうは、停電中の19時頃外出しました。遠方に見える大木の白木蓮が
いま満開で、近づく前からその辺りが、ほのかに明るく見えたのです。
卒業の年ぞ震災大津波
双子の孫は、3/25小学校の卒業式でした。余震や計画停電で、式の準備も
やっとだったそうです。この特別な2011年を、孫たちは生涯忘れないことでしょう。
非常時も頼もしき群れ囀れり
姫こぶし
停電の春の夜空を見て居たり
わたしは、大震災の悲しい俳句は作りたくなかったのです。しかし計画停電のある晩、
思いがけず、明るい、気持ちの良い句ができてしまいました。
町全体が真っ暗な中、月と空がとても明るく綺麗でした。
遠くより墓に手合はす彼岸かな
このたびの彼岸のお墓参りは、ガソリンが買えそうにないので、しばらく後になりそうです。
ご先祖さまも、この未曽有の非常時ですもの、許してくれるでしょう。
先祖より何より、よくぞ夫ががまんしてると感心しています(笑)。
風船や揚げたてコロツケ二つ買ふ
わたしは、フィットネス通いの帰り、いつも肉屋さんの前を通ります。お昼前のその時刻に、
コロッケやトンカツが揚がる、いい匂いがします。お昼は肉屋のコロッケ、と二つ買いました。
毎週火曜日はサービスデーで、風船が飾り付けられます。
残念なことは、大震災あとの買いだめ騒ぎか、肉屋さんまで列ができていました。
でもコロッケなどは、計画停電のために買い込んだのでしょうね(笑)。
「オカメ桜」と書いてありました。
ぴかぴかの園帽かぶり花ミモザ
きょう、近くの幼稚園は、新年度入園児の一日体験日だったとか。初めて身に付けた園服・園帽と、
わたしにも一目で分かりました。園児の手を引き、園庭に入っていくパパ・ママも嬉しそうでした。
旧家みないづれも平屋桃の花
東京でも、立川市砂川は、まだ田園風景が多く見られます。旧家とみられる武家屋敷
のような門がまえの家もあります。わたしは、郊外の平屋建てを見ると、
土地に余裕がある証拠、といつもおもいます。(写真は梅の木です、お詫び)
生ごみを埋け耕人の堆肥かな
裏の畑さんは、市施設から剪定ゴミの粉末状をもらい受け、家庭の生ごみを埋けて
堆肥を作っています。わたしも生ごみを埋けることに参加しています。
掘り返すと発酵してる蒸気の煙が上がり、触ると温かいです。
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このところ、ここへのUPが週一となり、題材が時間的にずれてしまいます。
今のわたしの胸のうちは、何といっても、「東北関東大地震」ですのに・・・
また一方では、俳句なんか詠んでいる場合かよォとも思えるし・・・
(その後、先生方が言ってました、こうした俳句は、体験者でないとムリだそうです。)
怖ろしき津波の爪痕凍返る
仲春やラジオの伝言あたたかし
避難せる父母の声なり春津波
このたびの大津波は、広大な田畑ものみこんでしまいました。
お向いの若奥さんの実家は、福島の相馬です。
「避難してるから心配するな」と電話がつながったそうです。
わたしは、「これからが大変ね」と励ましたつもりですが、、、
地図を手にマラソン応援春の空
わたしは、27日東京マラソンの「みどころマップ」を都庁に電話して手に入れました。
走れるわけもないし、マップを見てるだけでも楽しいです。そしたら、「マラソンコースを歩こう」
というイベントがあり、来年はこれに参加すると決めました。
後進に会長譲り二月尽
わたしが所属している歩こう会の会長は、60代までトライアスロンの選手でした。
ところが、77才の今期で引退すると決意されました。会員たちは、「名誉会長で残ってほしい」
とお願いしたのですが、「プライドが許さない」と、きっぱり退会なさいました。
関係ない写真ですが、じぶんの日記として残したいので、UPしました。
俳句教室の先生の従妹三奈鶴さんの坂東流日舞会で、浅草公会堂へいってきました。