わたしは、地元シルバー大学卒業同好会のHM句会(自称シルバー句会)と、
ネットの鴻風俳句教室に所属しています。
癌で逝く句友の葬儀秋の風
亡くなったMさんは、シルバー句会の優等生で、日ごろから講師もそう言っていました。
式には、講師を初め、多くの句友が参列し、彼女が詠んだ俳句、40句ぐらいが飾ってありました。
身に入むや友に代はりて句作せむ
シルバー句会のMさんは、癌が脳にまで転移してしまいました。
句友らの見舞訪問を喜んでくれてたのは、つい先日です。
彼女の分まで句作に励むことが、彼女への哀悼かと考えています。
夏休み少年レンジャー森を行く
わたしは、孫の保護者として、夏休みのイベントに参加してきました。
これまで私は、「東京都の保全地域制度」なるものを全く知らないでいましたが、
初めて<自然保護活動>の学習をしました。
間伐の鋸挽く体験夏休み
このたびのイベントは、<森を守るレンジャーになろう!>でした。
作業体験として、檜を伐倒しました。ロープをかけて引っ張るのも、すごかったです。
わたしはといえば、高尾山より高く、けっこう急な道で、「おばあちゃん、大丈夫?」
と、双子の孫に云われっぱなしだし、ちょっとメモってると、「俳句ができたの?」
と云うんですよ。 恥ずかしいったらありゃしない。でも、やさしい孫たちでした。
わたしは、孫の保護者として、夏休みのイベントに参加してきました。
これまで私は、「東京都の保全地域制度」なるものを全く知らないでいましたが、
初めて<自然保護活動>の学習をしました。
間伐の鋸挽く体験夏休み
このたびのイベントは、<森を守るレンジャーになろう!>でした。
作業体験として、檜を伐倒しました。ロープをかけて引っ張るのも、すごかったです。
わたしはといえば、高尾山より高く、けっこう急な道で、「おばあちゃん、大丈夫?」
と、双子の孫に云われっぱなしだし、ちょっとメモってると、「俳句ができたの?」
と云うんですよ。 恥ずかしいったらありゃしない。でも、やさしい孫たちでした。
愛想良いデイのお迎へ凌霄花
お向いのお爺さんは、週3日デイサービスへ通っています。
ところが日によって行きたくないらしいです。お迎えのデイ・スタッフは、それを承知で、
なんとか機嫌良く乗車してもらうよう、一所懸命です。送迎車の止まった所に、
のうぜんかずらが提灯のようにぶらさがっていました。
三度目のシャワーを使ひ餉の仕度
<残暑>なんてもんじゃありませんよね。立秋あとのほうがずっと暑いで~す。
余談ですが、いぜんの私は生意気な女で、おさんどんだけの主婦なんて
つまらないと思っていました。でも今は、<おさんどん>に平安を覚える
ようになりました。裏の畑さんで、家庭菜園気分をさせてもらい、大量の
ナス・しそ・長ネギで油味噌の保存食をつくり、一日がそれで終わります。
そんな幸せを、夫はずっと望んでいたようです。三食昼寝付に文句を云いません。
終戦日父は何処で死んだやら
わたしは、出征した父がどちら方面に行き、どこで戦死したかも知りません。
母は話そうとしなかったし、わたしも聞こうとしなかったのです。母は戦争未亡人となり、
満州から引揚げてきて、戦争体験談はいやというほどあるのです。
わたしは60代後半になり、母も兄も亡くなった今、無性に知りたくなりました。
己の身辺整理をするつもりで、調べたり、叔父叔母に聞いてみたいです。
ブログとは、<日記>でもあるんですよね。だから、こんなこともUPしました。
そういうと、「なぜ日記を公開するのか、気が知れない」といわれてしまいます。
亡き兄の月命日や秋暑し
7/6に兄が亡くなり、一月です。兄嫁は、手続書類などいろいろ大変そうです。
子どもがいない夫婦なので、これからは兄嫁一人です。
従弟らのアロハ姿や海の家
親戚が営んでいる逗子の海の家で、高齢の従弟たち(夫の)が集まる会がありました。
誰一人泳ぎもせず大いに飲み、おしゃべりだったそうです。
そういうと、「なぜ日記を公開するのか、気が知れない」といわれてしまいます。
亡き兄の月命日や秋暑し
7/6に兄が亡くなり、一月です。兄嫁は、手続書類などいろいろ大変そうです。
子どもがいない夫婦なので、これからは兄嫁一人です。
従弟らのアロハ姿や海の家
親戚が営んでいる逗子の海の家で、高齢の従弟たち(夫の)が集まる会がありました。
誰一人泳ぎもせず大いに飲み、おしゃべりだったそうです。