そして今日は過ぎ行く

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豆を大人買い!

2005-01-18 21:07:16 | 海外・旅コラム
タイの旅行記、そろそろアップしますね
 まずは1日目に行ったスアンルム・ナイトバザールを紹介します
 今回の旅行の目的はなんといっても、Yちゃんご夫婦を訪ねてパタヤへ行くこと、Yちゃんおすすめの大きなロブスターを一緒に食べることでしたが、わが夫にはもうひとつ目的がありました
 それはとてもかさばる頼まれ土産
 前回のタイ旅行の後、右上の写真の豆を差し上げたらとても喜ばれて、「また買ってきて」とラブコールがあったので、何本かまとめ買いして、ほかの方にも配ることにしました
 この豆、写真では分かりにくいのですが、スーツケースには斜めにしないと入らないほどデカいのですよ
参考のため、写真右下にタイの1バーツ硬貨¥(日本の1円玉と同じ大きさ)を置いてみました
 豆の名前は『サバ』というらしいんですが、このサバ豆を安く買える、夫お気に入りの店が、バンコクの『スアンルム・ナイトバザール』にあります
 店員さんとわが夫の粘り強い交渉の末、日本の半額ぐらいで買うことができました同じくバンコクにある『ウイークエンドマーケット』では、神戸元町の雑貨屋さんと同じ、強気の値段で売っているのですから、やっぱりここで買うしかないでしょう!
 しかし、いくら安いとはいえ、日本円で1,500円あまりの大人買い……
 このあと、マーケット内にあるビアガーデンで夜食に食べたタイ風ラーメンが90円ほどだと言ったら、その男前な散財ぶりが解っていただけるでしょうか
 余談ですが、ここのつみれ入りラーメン、あっさりとしたダシと柔らかい細麺がうまいんだー満腹状態でもツルリといけますよ
 ここは、ナイトバザールとはいっても、昼の12時ごろから深夜0時ごろまで営業しています
この市場は、去年7月に開通したばかりの地下鉄『ルンピニ』駅の目の前で便利な筈だったのですが、きのう地下鉄が事故って止まっちゃいましたね(苦笑)
原因は運行管理コンピューターだそうですが、去年の8月、開通直後に行ったときも、たしか券売機の調子が悪くて、窓口の前で大行列して切符を買った覚えがあるのですが……
次に乗るのがとっても怖~い
 ちなみに、この日はthlaspiの誕生日でした事情により、とっても安上がりだったバースデー・ディナーについては、また明日アップしますね


 <2005年タイ旅行記インデックス>

 1日目 『Spicy,spicy,spicy
 2日目 『偽物の王国
 旅の総括!『たびのおわりに☆*。.゜★
 お土産コラム『物欲の海を泳ぎ、亀と出会った

あれは揺れではなかった

2005-01-18 00:00:57 | 似非小説家的之妄想思考
 阪神・淡路大震災が起きてから10年ですね
夕方のニュースをひととおり見ただけで、何だか大仕事を終えたような気分になっちゃいました
身内や知り合いに大きな被害がなかったおかげで、いつもと変わらない今日の日を迎えられることは、とても有難いことです
おおぃ、どおしたthlaspi! 今日はえらく殊勝じゃん!
とゆうわけで、今日は災害について、エッセイ風の文章をお届けします

 震災の時は、兵庫県宝塚市の実家で寝ていまして、揺れが治まった直後に、うちの母が発した第一声は、
「これぜんぶ片付けなあかん……」でした
家中に散乱した家財道具と割れた食器類
父はすぐにラジオのスイッチを入れ、歪んで開かなくなった玄関のドアと格闘していました
母は主婦暦ン十年、同じ揺れのせいで、すぐ近所の駅で電車が横転して大騒ぎしてるってのに、他に心配することはないんかい! と、思わず心の中でツッコんでしまいましたが、でも、10年経って思いました
 母よあなたは正しい!どんなに大きな災害だって、そうなんです
遺体がゴロゴロ出たって、瓦礫が山のように積みあがったって、立ち直れないほどの心の傷を負ったって、人はそれを片付けにゃならんのです
新潟でも、タイでも、スリランカでも、そして大きな人災の起きたイラクでも……

『同情するだけでウンコがかたづくんなら、私みんなの五十倍くらい同情しちゃうわよ』
 この衝撃的な台詞を世に生み出した、阪神間ご出身の著名な小説家の方が、16日の朝日新聞に震災についてのエッセイを寄稿されていました
 その方は、震災当時にアメリカに住まわれていて、震災には遭われなかったのですが、のちにエッセイの取材のため訪れたモンゴルの地で、就寝中に、実際には存在しなかった筈の『揺れ』を感じられたそうです
震災をテーマにした短編集などを執筆されたこともあり、震災に遭った人の心の中で起きた、“変わることのない日常”という神話の崩壊、その揺らぎを、そういう形で体感されたのかもわかりませんね

 震災の体感を言葉に換えるのはとても難しいです
『揺れ』と聞いて、一般にイメージする感覚とは遠く隔たっていました
何か大きな獣の背中に乗っていて、その獣が突然、気が狂ったように走り出したような、殺人的な混み具合の満員電車でもみくちゃにされたような、それが『揺れ』であると咄嗟に判断することもできない未知の感覚!
 そのとき寝ているすぐ側にピアノが置いてあり、その上には、使わなくなった重たいテレビが置いてありました
危険を承知しながら、布団にしがみついたまま動くこともできず、地震の時は安全な所へ避難しなければいけないことは頭に浮かぶのですが、もうどこにどう逃げていいやら、どこにいれば安全なのかも見当のつかない状況でした
もしどこかへ逃げようとしていたら、落ちてきたテレビに内臓をつぶされてましたね

 たくさんの人たちが、同じ『揺れ』を体感しました
家を失い、震災後二年も仮設住宅から職場へ通った友人、神戸市長田区で代々営んできた小さな食堂と隣人の命を失い、今もアルバイト生活を続けている、ちょっとヤサグレ気味の知り合いのおじさん、当時住んでいたマンションが全壊扱いで、でも大きな被害はなく、のんきに神戸三ノ宮へ倒壊現場の写真を撮りに行って、マスコミと間違われ、ちゃっかり炊き出しの豚汁までいただいてしまったわが夫
 そんな風に、『揺れ』によって私たちは、ありえない“まさか”の事態と隣りあわせで暮らすという体験をしました
 大小の違いはあれ、みんな何らかの被害を受けていて、その異常事態の中にもちゃんと日常の生活が息づいていて、でも、また何か災害が起これば、築いてきた日常の安定は崩れてしまうかもしれない
そんな微妙なバランスの上で、私たちは再び、“昨日とたいして変わらない今日”を信じて暮らしているのです
 安寧と非日常の混在
もしかしたら、この不安定感の方が、世界の素直な見方なんじゃないかとthlaspiは思います
もしかして、堅固で丈夫な地面が揺れたのではなく、絶えず動いている地平を、私たちがちゃんと感じていないだけなのかもしれないと、そう思います

よく言われることですが、テレビカメラの焦点の合っている部分だけが事実ではありませんよね
 昨年末に起きたスマトラ沖地震でも、日本国内では、あまりにタイのことだけが報道されるので、まるでタイの地震であるかのように勘違いされている方もおられるのではないでしょうか
 タイの首都バンコクは比較的治安がよく、物価も安くて、エアチケットも安く入手できるためにジャーナリストの拠点となっているので、タイ南部のプーケットが一番取材しやすい対象であるという内情はあるでしょう
他の被災国、インドネシアやスリランカの政情がタイほど安定していないため、ジャーナリストが取材のため入国しにくいという事情もあるかと思います
 バンコクにて、テレビでCNNのニュースを通じて、スリランカやインドネシア、インドの被災者たちをたっぷり見たあとに、日本のニュースを見ていると、「これはタイだけの地震じゃないぞぉ」と叫びたくなります
自分の他に、3人ぐらいアクセスしてくれているだけのブログの片隅ではありますが……

 コーフンして書いてるうちに、すっかり長くなってしまいました
明日からは、いつものゆるゆるモードに戻りますね
あっ、タイの旅行記も早くアップしなきゃ(汗)