京浜東北の線路橋の下をくぐり、先に進むと橋が見えてくる。
「三嶽橋」(みたけばし)である。
この橋、対岸の三共品川工場のためだけの橋のようであるが、
以外と、いわれもしっかりとある。
江戸の末期、この辺りは薩摩の国から孟宗竹を移入・栽培し、
タケノコの産地として有名だった。
目黒川に沿って三竹耕地と呼ばれ、近くの農夫たちにより、
御嶽権現が祀られていた社があったという。
そのため「三岳」「三竹」と呼ばれ、橋名になったそうだ。
(北品川4丁目11番地辺り)
「三嶽橋」(みたけばし)である。
この橋、対岸の三共品川工場のためだけの橋のようであるが、
以外と、いわれもしっかりとある。
江戸の末期、この辺りは薩摩の国から孟宗竹を移入・栽培し、
タケノコの産地として有名だった。
目黒川に沿って三竹耕地と呼ばれ、近くの農夫たちにより、
御嶽権現が祀られていた社があったという。
そのため「三岳」「三竹」と呼ばれ、橋名になったそうだ。
(北品川4丁目11番地辺り)