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塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

ミュージアム巡り 発明のチカラ 国産洋靴

2010-11-12 06:22:23 | ミュージアム巡り
 江戸から明治へ移り変わる頃、文明開化を促進させる発明品が数
多くあり、国産の「洋靴」もそのひとつ。
 洋靴の製造は、時の政府・兵部大輔の大村益次郎に命じられた元
佐倉藩士だった西村勝三が、築地に伊勢勝造靴場を立ち上げ始まる。
最初は軍隊用の洋靴・ブーツを製造し、明治35年には日本製靴
(現在のリーガル)に改称している。
 展示されていたのは明治33年頃の同社のカタログで、この頃に
は靴の種類も増やして販売されていたようだ。
(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 発明のチカラ フランネル機

2010-11-11 06:23:44 | ミュージアム巡り
 明治初年の藩政改革で兵制改革を実行していた紀州・和歌山藩は
近代的な軍服を考案するため、県下の紋羽織業者に依頼した。業者
は紋羽織の生地を起毛させ毛織物のフランネルのように模造して納
品。これが「紀州フランネル」の由来だ。
 紀州フランネルはそれから政府の軍服に採用され、生産量を増や
して県下の中核産業として発展する。
 紀州フランネルの発明者の一人、宮本政右衛門が図面を書いた機
械には針で起毛する独自の製法が描かれていた。
(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 発明のチカラ 納涼團扇車

2010-11-10 06:23:44 | ミュージアム巡り
 続いての発明は、特許12号として提出された「納涼團扇車」で、
人力扇風機といったところか。笑ってはいけないが、これは小学生
の工作の時間で作れそうなしろもの。実際、少し離れたところに、
この図を元に制作された実物大の納涼團扇車の試作モデルが置かれ
ていた。
 ほんとに笑ってはいけないが、当時はこれでも特許申請され受理
されたようだ。しかし、考えようによっては、これを発展させモー
ターをつけて回転させれば扇風機になるのだから、大発明の入口で
あったのだろう。
(千代田区北の丸公園3-2)
納涼専扇車_2

ミュージアム巡り 発明のチカラ タカジアスターゼ

2010-11-09 06:28:34 | ミュージアム巡り
 胃腸薬「タカジアスターゼ」は、明治27年に日本とアメリカで
活躍した科学者・高峰譲吉が、デンプンを分解する酵素・アミラ
ーゼの一種であるジアスターゼを植物から抽出し発見する。
 高峰はこの発見により自分の名前の一部からタカジアスターゼ
と命名し、これが胃腸薬としてアメリカで製造・販売されると大
ヒットした。日本国内の販売は明治32年に三共商店(現在の第一
三共製薬)から。また、同社は高峰が明治34年に発見したアドレ
ナリンの販売も行っている。
 さらに展示されていた別のコーナーには、高峰が明治22年に特
許申請した「液汁注出瓶」の図があった。
(千代田区北の丸公園3-2)
液汁注出瓶

ミュージアム巡り 発明のチカラ 家外小便所

2010-11-08 06:25:28 | ミュージアム巡り
 続いての製品は専売特許条例が施行された明治21年に特許第
596号として出された「家外小便所」だ。
 これは戸外で使用するために、雨や雪が降り込んで下の瓶に注ぎ
込むのを防ぐ目的で、小便器に天井を付け、また移動を可能にした
という。陶器製で製作者は、常滑焼きの陶工・四代目・伊奈長三郎。
長三郎の子孫六代目は、大正13年に伊奈製陶(現在のINAX)を興
している。
(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 発明のチカラ 犬力機と乾酪搾機

2010-11-07 03:57:36 | ミュージアム巡り
 そんな国内での発明品の中には官庁が作った模造品もあったとい
う。明治10年8月に東京・上野公園で開催された第1回国内勧業
博覧会で内務省勧農局から出品されたモノも模造品だった。ただ、
これは同博覧会を盛り上げるため世界の優れもの品を参考にしたイ
ミテーションだったと考えられる。
 まず、その模造品のひとつが「犬力機」で、犬の力を利用してバ
ターを練製する機械だそうで、元はアメリカのもの。もうひとつが
「乾酪搾機」で、チーズを製造するというオーストリア製の機械を
模倣したモノ。
(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 発明のチカラ 尺度画線機

2010-11-06 05:02:24 | ミュージアム巡り
 明治8年に度量衡に関する取り締まり制度が確立すると、物差し
に目盛りを刻む機械「尺度画線機」を工部省の元技師である藤島常
興が作成。
 また、藤村九平は竹材を用いた物差しを作り、それに関する機械
を発明している。藤村は明治24年には「竹鯨壱尺両目盛機械」も
考案。これは機械の中に加工した竹材を入れると、自動的に鯨尺の
寸法で目盛りが刻まれる仕組みになっていた。鯨尺は和裁用の寸法
で、1尺は約38cm。
(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 発明のチカラ 商標公報

2010-11-05 04:21:30 | ミュージアム巡り
 商標とは生産者や販売者が自己の製品を他人の製品と区別するた
めに、その製品に使用する文字や記号、マークなどの標章のことを
いう。
 明治17年に商標条例が制定され農商務省の商標登録所で登録す
ることが始まる。登録された商標は明治20年から「商標公報」に
よって公示されている。これに伴い特許は「特許公報」(明治21
年発行)に、美術&工芸品の意匠は明治25年から同じく掲載され
るようになる。
(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 発明のチカラ 人力車

2010-11-04 06:29:01 | ミュージアム巡り
 文明開化の象徴として知れ渡る「人力車」は、特許制度と深く関
わった発明品。人力車の発明は諸説あるものの、和泉要助、鈴木徳
次郎、高山幸助の3人が挙げられる。
 この3人は、明治3年に東京府に人力車の製造と営業の許可を願
い出て、日本橋で始めると爆発的な人気を呼び、翌年には東京府下
で1万車両以上が稼働したという。
 ところが人力車は専売特許条例(明治18年)時に出願したもの
の、すでに世に普及していたことで特許を得ることが出来なかった。
この事件により、発明者がその恩恵に恵まれなかったことで、特許
制度の創設が急がれている。
 明治30年代に入ると国内で20万車両となり、海外への輸出も活
発となる。この普及により発明者3名には功労として一時金が下
賜されている。
(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 発明のチカラ 海中沈没取上機

2010-11-03 05:07:17 | ミュージアム巡り
 ガラ紡の問題で専売特許条例(その3年後、特許条例に改正)が、
また特許条例と同じく意匠条例も公布され、本格的な特許制度が明
治17年にスタートする。
 その制度前の明治9年、沈没船の物品の引き上げ機械を浅野政吉
が発明している。これは、明治7年に開催されたウィーン万国博の
出品物や参考品を積んで帰国の途中だったニール号が、伊豆沖で沈
没したことに端を発している。
 ニール号には源頼朝の太刀や明治天皇の大水晶玉など国宝級の宝
物類が積まれており、沈没船引き上げ時に半数ほど回収されている。
回収作業は翌々年も再開され、浅野の取上機が試験的に試されてい
たのだ。
(千代田区北の丸公園3-2)