高幡不動駅から武蔵野台駅で下車し、西武多摩川線に乗り換え・白
糸台駅から多摩駅で下車。人見街道を進むと「近藤勇」の生家跡があ
る。
近藤勇(天保5年1834~慶応4年1868)は、武州多摩川郡上石
原村で、宮川久次郎の末っ子として誕生、幼名を勝五郎といった。
剣の素質があったようで、15歳で天然理心流の近藤周助の門に入
り、メキメキ腕を上げ、近藤家の養子に迎えられる。28歳の時、四
代目襲名の野試合が文久元年(1861)8月27日、大國魂神社(現
在の東京競馬場付近)で行われた。その時期に名前を「近藤勇昌宜」
(まさよし)としている。
また、その試合では、京で新撰組として活躍する土方歳三、沖田
総司、井上源三郎、山南敬助等が参加している。
生家跡の街道のとい面に「撥雲館」(はつうんかん)が残っている。
これは、天然理心流5代目を継いだ近藤勇五郎(勇の長兄・音五郎の
次男)が、明治9年(1876)に道場を建てたものである。中は納屋に
なっていた。
(調布市野水1-6-8)
撥雲館
糸台駅から多摩駅で下車。人見街道を進むと「近藤勇」の生家跡があ
る。
近藤勇(天保5年1834~慶応4年1868)は、武州多摩川郡上石
原村で、宮川久次郎の末っ子として誕生、幼名を勝五郎といった。
剣の素質があったようで、15歳で天然理心流の近藤周助の門に入
り、メキメキ腕を上げ、近藤家の養子に迎えられる。28歳の時、四
代目襲名の野試合が文久元年(1861)8月27日、大國魂神社(現
在の東京競馬場付近)で行われた。その時期に名前を「近藤勇昌宜」
(まさよし)としている。
また、その試合では、京で新撰組として活躍する土方歳三、沖田
総司、井上源三郎、山南敬助等が参加している。
生家跡の街道のとい面に「撥雲館」(はつうんかん)が残っている。
これは、天然理心流5代目を継いだ近藤勇五郎(勇の長兄・音五郎の
次男)が、明治9年(1876)に道場を建てたものである。中は納屋に
なっていた。
(調布市野水1-6-8)
撥雲館