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与作の思い出

2010-05-16 13:25:13 | Weblog
今日は見事に、ピーカンに晴れてますねぇ。
《神戸まつり》で、元町・三宮は人で ごった返しています。
《神戸まつり》といえば、今までは、雨が多くなかったですか? あぁ、あれは私が原因だったのか…。

ハタチ前後の数年、私は《ラジオ関西》のバイトで、《神戸まつり》の お手伝いをしていました。フラワーロードに設置された本部テントの中で、迷子を預かったり、プログラムを渡したり、お客様からの質問などに対応するのが仕事でした。


ある年の《神戸まつり》で、缶カンの形をしたトラックをステージにして、《国際カラオケ大会》が開かれることになっていました。

プログラムを見ると、最後の1人以外は みんな日本人。どこが《国際カラオケ大会》なのか、意味がわからない。 ┓( ̄∇ ̄;)┏


カラオケ大会が始まる30分ほど前に、出場者は本部に集合。歌う順番や、入りや出の方向など、軽い打ち合わせをする。

その時点になって、最後の出場者であるドイツ人の女の子が、「やっぱり出たくない」と言い出した。
その子が出ないと、まるで《国際》で なくなるということで、主催者側は なんとしてでも出てくれるよう、私に説得してくれと言うのである。

なだめたり、すかしたり、日本語と英語で必死で口説くも、彼女は首を縦に振らない。どうやら、あまりの人の多さに怖くなってしまったようだった。

彼女を説得できないままに、日本人だけの《国際カラオケ大会》は幕を上げた。しかし、舞台裏で まだ私は説得を続けさせられていた。

何曲か歌う人を観て、『あの程度なら私でもイケるかも』と思って安心したのか、急に彼女は「出てもいい」と言い出した。喜ぶ主催者。私も手柄をとったような気分で肩の荷がおり、嬉しくなった。次の瞬間、私の手首を掴んだ彼女が「この人と一緒なら出る」と言い出すまでは…。(°∇°;)

『えぇーっ?!(-"-;)なんでやねん、嫌やで私は』

そんなバイトの我がまま聞いてくれるわけもなく、半ば無理矢理 私は舞台袖へ。

「ちょっと待って下さい。一体私達は、どういう関係って言えばいいんですかっ?!」 抗議ができて、やっと この程度だった。情けない…。(-_-;)

「あ、友達ってことで お願いしま~す」 お気楽な主催者。友達…って、名前も聞いてないしっ(-"-;)

「私、アイコ。名前は?」
「アニタ」
「私達は前から友達なんだって」
「OKね」

もう こうなったら腹を くくるしかない。2人手をつないでステージへ上がった。

そして、その時 アニタが選んだ曲が、なんと《与作》だったのだ(´□`)
しかも、しかも、アニタが歌うパートは、「♪ヘイヘイホー♪」の部分だけ!
そんなの、聞いてねぇよぉ~(;O;)


与作を歌ったのは それが最初で最後。全然うまくなかったのに、エヅラ的に アニタと私の国際ペアが優勝。苦い苦い思い出となった。



なぜかアニタとは、それから時々 会うようになる。一時期など、家も近所だった。何が ご縁になるやら、わかりませんなぁ~。


日本通のアニタは、日本人男性と結婚。今は子供も
おっきくなった。アニタは印鑑を持っており、その印鑑は《亜仁多》と漢字で名前が彫られている。

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1 コメント

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Yosaku (オスマン)
2010-05-17 11:40:18
与作で思い出した、外人の歌手が演歌のCDを発売されてたような記憶がある、20数年前に。購入したが所在が不明だ・・、なぜかipodに記録されていた・・
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