京都の街角で、ふと見上げた お蕎麦屋さんの看板。
そういえば昔、蕎麦屋さんの看板ってコレだったような気かしてきた。
子供の頃、母が看護学生時代に下宿していた先の おばあちゃんに会いに、京都へ連れて行ってもらった。その頃の…だから40年以上も前の記憶が鮮明に蘇る。
この看板の お椀の部分の、緑色んとこの しましまが動くんですよね。
しかし、コレも相当 古い看板のようで、しましまは もう動いていませんでした。
京都は古い看板も多く残っていますね。そんな古い看板を見て、歩いて回るのも楽しかったりします。
市内は看板に対する規制が厳しくなったようです。反対意見もあるようですが、景観を守るためには仕方がないのかも。
《目立たない看板》を《目立たない場所》に上げるというのは、何か本来の看板の意味からして、矛盾しているような気もしますが…(笑)それも京都の奥床しさというところでしょうか?
そういえば昔、蕎麦屋さんの看板ってコレだったような気かしてきた。
子供の頃、母が看護学生時代に下宿していた先の おばあちゃんに会いに、京都へ連れて行ってもらった。その頃の…だから40年以上も前の記憶が鮮明に蘇る。
この看板の お椀の部分の、緑色んとこの しましまが動くんですよね。
しかし、コレも相当 古い看板のようで、しましまは もう動いていませんでした。
京都は古い看板も多く残っていますね。そんな古い看板を見て、歩いて回るのも楽しかったりします。
市内は看板に対する規制が厳しくなったようです。反対意見もあるようですが、景観を守るためには仕方がないのかも。
《目立たない看板》を《目立たない場所》に上げるというのは、何か本来の看板の意味からして、矛盾しているような気もしますが…(笑)それも京都の奥床しさというところでしょうか?