寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3680話) 用水さらえ

2024年06月09日 | 活動
 “田植えが始まる前の4月、田に水を送る川の土砂を取り除く川さらいがあった。わが地区でも高齢化は進み、農業をやめてその地の運営を他の農家に頼んだり、休耕田にしたりするケースも少なくないが、例年、この川さらいだけはそうした事情に関係なく、田を所有する全家庭に声をかけて実施してきた。たいていどの家々も快諾し、高齢の親の代理として参加する子どももおり、今年は40人以上で作業した。長靴を履いて水に入り、膝元まで漬かりながら土砂を除去した。作業は2時間半ほどで終わった。
 私は今や自家米を栽培するだけとなった。皆さん同様、秋には多くの米が収穫できることを願っている。”(5月14日付け中日新聞)


 滋賀県米原市の江竜さん(男・79)の投稿文です。「川さらえ」とは、また農村地帯らしい話である。町の人には無縁であり、何のことか分からないではなかろうか。田植え前に、水が流れやすいように用水路を清掃することである。ボクのところでは農業実行組合があり、その会員が担っている。江竜さんの地区と同じように実際を米作をしている人は数人である。その数人の人に多くの人が委託している。でも用水さらえは、委託している人も奉仕に出かけるのである。今年も4月に行った。皆の顔が見えるいい機会である。
 ボクの家は、父が亡くなってすぐに近くの人に委託した。もう40年も前のことである。当初は、1反当たり1俵の米を頂いた。その後だんだん減り、最近は0円である。でも固定資産税と用水負担金は払わねばならない。完全に赤字である。負の遺産である。こうした地区は、この先どうなっていくのであろうか。そのうち米不足ということにならないだろうか。国はこうした現状をどう捉えているのであろうか。



(第3679話) 資源回収

2024年06月07日 | 知識
 “子ども会の会長となって初めて、毎月第2木曜の資源回収が子ども会の大きな収入源になっていることを知りました。書類として残される10年前の収支報告などを見れば、それによって手にした活動資金は今の3倍もありました。近年回収する資源量は減少し、特に古紙の買い取り単価が下落しているとも聞きました。社会全体でのリサイクルは進んでいて見渡すと資源回収の場所はあちこちにあり、24時間、好きなときに持ち込める所もあります。そんな中、回収時間が限られる子ども会は利用勝手が良くないのかもしれません。
 少子化ゆえ地域の宝とされる子どもたち。その健全育成を主目的として各種活動をしている子ども会のために皆さん、協力していただけませんか。”(5月14日付け中日新聞)


 愛知県一宮市のアルバイト・則武さん(女・44)の投稿文です。則武さんは一宮市である。話されている状況はよく分かる。地区によって違いがあるかもしれないが、ただ子ども会が毎月担当というのは、少し理解しがたい。ボクのところでは、保育園、女性部、PTA、子ども会、町内会と担当月を振り分けている。そして、町内会の月を老人会が担っている。老人会が年2回行っているので、資源ごみ回収についてもボクはよく理解しているつもりである。
 業者が常時資源回収をする場所が、村内に何カ所も設置され、ここに多く出されている。家にいつまでも置いておきたくない人が多いのである。資源ごみの単価も安くなっているが、これが減っている大きな要因である。この資源ごみの還元金は、その会の大きな収入源である。老人会も、以前は数十万円あったが、今は5万円位である。ボクは老人会会員に、資源ごみを老人会担当月に出してもらうように回覧板を回した。その効果はすぐに出た。やはり動いてみるものである。



(第3678話) 土いじり

2024年06月05日 | 行動
 “愛知県豊田市の実家は兼業農家で米や大豆、小麦、野菜を作っていました。小学生だった私はよく両親を手伝い、大豆の場合、足踏み脱穀機と、実と殼を選別する「とうみ」の操作をし、形が悪かったり虫食いだったりした実はよけました。選別を終えた良いものは父とみそ店に持ち込み、物々交換したみそを持って帰宅しました。売り物にならなかった大豆は家でゆで、虫食いの部分は削り取って食べました。
 45年にわたった会社員生活を3月で終え主婦となりました。時間もできたので土いじりでもしようかなと考えています。子どものときに口にした自家製の作物を味わえたら、どんなにすてきでしょう。”(5月14日付け中日新聞)


 愛知県日進市の主婦・清水さん(67)の投稿文です。会社を退職された清水さんが、これからやることとして、幼い頃に手伝った農作業を始めてみようと、決意された。いいことである。幼い頃のにやったことは意外に身についているものである。あまり大きな成果を望まなければ、楽しくできるであろう。
 ボクがこの話題を取り上げたのは、実は別のところにある。「足踏み脱穀機」と「とうみ」と言う道具についてである。専業農家であったボクの家には、当然この2つはあった。しかし、ボクが勤め人になって、米作りを人に頼んだことによってこの道具は必要がなくなった。場所もとるので、いつの間にか処分した。ところがである。娘婿がこの2つをオークションで購入したのである。こんなものを売っていることにも、又買ったことにもビックリした。娘婿は、弁理士という職業であるが、最近自然農法に興味を持ち、狭い畑で陸稲などを作り始めたのである。何が起こるか分からない。世の中、断捨離、修活と盛んであるが、何も慌てて捨てることはない。この2つを持っていたらもっと面白い展開になったであろう。



(第3677話) 同窓会閉幕

2024年06月03日 | 出来事
 “愛知県稲沢市の和食店で4月、母校の中学校同窓会が催されました。数年ごとの開催でしたが、私たちが70代になってからはほぽ毎年開かれるようになったものの、他界する人が増えてきたため今回を最後とすることにしました。卒業生153人のうち集まったのは35人。40人以上が鬼籍に入りました。
 私たちは店で再会を喜び、校歌がバックグラウンドミュージックとして流れる中、思い思いに部活動や学校行事を振り返りました。近況報告では病気や足腰の衰えをはじめ、薬や家族の介護といった話題が多かったです。同級生の娘さんは、認知症の母も同級生と触れれば少しは気分が良くなるだろうと会場に連れてきて、私たちもたくさん声をかけました。予定した3時間半はあっという間でした。
 同窓会は幕を閉じましたが、85歳や88歳といった節目に、別のかたちで集まれたらな。”(5月9日付け中日新聞)


 愛知県稲沢市の電器販売業・橋本さん(男・82)の投稿文です。歳行けば、人も亡くなり会う機会はますます減っていく。又出かけるのもおよび付かなくなる。そして会もなくなる。橋本さんの同窓会も82歳を最後にされた。自然と言えば自然の流れである。
 ボクもコロナ禍で、毎年開催していた小中学校の同窓会を中断していた。コロナ禍収まったので、最後の仕切りをしてこうと思って、2年前、中学校最後の同窓会の案内を出した。そしてボクの挨拶が終わると、待ってましたとばかりに、ボクが元気な間はやって欲しいという声が上がった。そして引き続き毎年行うことになった。今年4月に小学校の同窓会も最後のつもりで案内を出した。しかし、進めていくうちに、何も止めなくてもいいのではないか、と思うようになった。さほどの手間暇がかかるわけではない。やって欲しいという人があればやればいい。数人でも開催すればいい。ボクが言い出さなくてもなくなるものは自然になくなっていくのである。自ら減らす必要はない、これがボクの今の考えである。



(第3676話) 聞かずに後悔

2024年06月01日 | 人生
 “31年前、78歳で逝った父は1936(昭和11)年、陸軍に召集され、中国に4年いました。除隊して結婚し、母が私を身ごもった直後に再召集を受け、太平洋戦争が始まるや東南アジアを転々として戦時中の43年に軍務を解かれました。通信兵だった経験を生かし、通信メーカーで働き終戦を迎えました。
 私と同年代の人が最近、戦死したとされる父の遺骨を捜すケースが多いそう。思い起こせば私が学生のときの同級生で、父を戦争で亡くした人は少なくありませんでした。私だって運命の歯車が大きく狂っていたとしたら、父の遺骨にこだわったかもしれません。改めて父の戦争体験談を聞いてこなかったことを後悔し、父が自らの軍歴を記した紙を読み返している今日この頃です。”(5月7日付け中日新聞)


 愛知県春日井市の主婦・河原さん(82)の投稿文です。今82歳の方が31年前に亡くなった父親のことを思い出されている。そしてもっといろいろ聞いておけば良かったと、後悔されている。往々にしてあることであり、そしてボクもしかりである。亡くなったときはそれ程に思わないが、時が経つに従ってこの思いは大きくなっていく。ボクがそうであるからである。父自身の事、又環境のこと、いろいろである。こういう歳にならないと分からないのであろうか。でもその時では遅すぎる。父は戦争で負傷している。このことについても何も知らない。
 子供や孫が後悔しないように、こちらから時を捉えて積極的に話して置いた方が良いと思う。多分鬱陶しがられると思うが、後々感謝されると思う。