批評対話2日目
対象作品
東京演劇アンサンブル
『ラリー ぼくが言わずにいたこと』
最初に、前日のディスカッションを受けて、
いきなり劇団側への質問が、
この劇で最も重要な部分はどこだったでしょうか、
1センテンスで答えてください、とのこと。
これは、考えたなぁ、と勝手に思った。
俳優陣からの答えは、
「ジョシュがお母さんを失い、何を手に入れ、何を失ったか」
「ジョシュ・スウェンセンとは、いったい誰なのだろうか」
「ジョシュ・スウェンセンという男の子が、自分の素直な気持ちを誰かに伝えようとすることを獲得する物語」
そして演出家からは、
「僕の現実と夢」という答えが出ました。
それを受けて、講師からは、
最初は政治的な劇だろうか、と思った。
しかし、話が進むにつれ、男の子と女の子のドラマなのか、と思い、
両親と男の子のドラマなのか、
つまり、本当のドラマはどこにあるのか、
その核がどこなのか、それを知りたかった。
それに対しての演出家の答えは、
確かに政治的な部分はあるけれど、
自分が勉強してきたブレヒトや、チェーホフ、
その中で、今どんな芝居をしたら良いんだろうと考えたときに、
今失われつつある思想というものが、
現代の日本では、必要なのではないかと思った。
今、僕自身がどんな時代に生きているんだろうかということ、
そして、その歪んだ時代に影響を受けながら、
僕も生きているんじゃないかと。
けれど、ブレヒトやチェーホフを学んできた自分は、
未来に対するあこがれという思いは持ち続けたい、
でも、じゃ、舞台にする時にどうしたら良いんだろう、
現代をどんなふうにして捉えることができるだろうかということがあった、
と演出家から語られた。
そしてフロアに対しても、
この芝居の中で一番のテーマはなんだったか、との質問が出た。
「ジョシュはどういう人なのかな」
「ネット社会で簡単に作られるヒーローと、簡単に転落させられる」
「消費社会批判なんだけど、その批判自体が消費されてしまう重さ」
「消費にまみれている社会を否定して、世界を良くすることに貢献したいと願っていた青年が、好きな女の子に好きと言えなかったり、死んだお母さんのことを心の中で思い続けたりという矛盾を感じた」
「人間が生きる孤独、難しさ」
「孤独の中で求めている自己肯定感」
「人の孤独感というものが、一人が分かってくれるだけじゃダメなんだな」
そして、もう一つの質問。
たくさんのシーンの中で、どのシーンに最も心が動かされましたか?
「くそ、くそ、くそ、と叫ぶシーン」
「ヨガのポーズでバランスを取るシーン」
「ベスの店の裏で、ねじを数えているシーン」
「お義父さんとの会話。お前がすべてわかっているんだな、というところ」
「ラリークラブが動き出したときに、ベスがタトゥーを見せるところが象徴的だった」
「ベスが、私も昔から好きだったわと言うシーン」
「お母さんの思い出の場所のデパートの化粧品売り場のシーンが、孤独を感じた」
このようにいろいろフロアから聞いたのは、
やはりドラマ核がどこにあるか、
それをはっきりさせなければ、
話を進められない。
そして、ここでわかるのは、人間の関係性が書かれている芝居だということが、
わかってきた。
どうすれば、シニカルなラストシーンに向かっていけるのか、
ということに興味を持ちました。
原作のある作品で、
そのストーリーを追いすぎるとその核が難しくなってしまう。
例えば、ファッションショーのシーンなど、
繰り返しのシーンがあるので、
そういった部分をもう少しハイライトにできないだろうか、
と思いました、とのこと。
こういう意見って、これまでで、一番突っ込んだ意見だな、と思った。
それから、ステージデザインがとてもエキサイティングで、
照明もきれいだった。
とてもオープンなスタイルだったのだが、
それが生かし切れていなかったように思う。
例えば転換や出入りが多く、
それがかえって気になってしまう。
何も起こらない2秒は、以外に長いものだ。
スクリーンをもう少し活用できないだろうか、
照明によってもっとフォーカスできないだろうか、
さらにダイナミックにできるのではないだろうか、
という意見が出された。
フロアからも、その後かなり具体的な意見が出されたが、
進行役の手腕もあり、
作品批判ではなく、発展的に向かう批評対話がなされたように思う。
最後に語られたのは、導入部のこと。
人間の関係性ということを考えても、
主要な3人の姿を、早くみたいと思う。
そこまで、なかなか時間がかかっていると思う。
どこからスタートさせたいのか、
ヒューマンストーリーにするには、 どうしたら良いのか、
そして、もう少し軽く書くこともできたのではないだろうか、
といった話が出た。
ここまで突っ込んだ対話になったのは、
これまでと、何が違ったのだろうか?
一つは、これは予期しなかったことだが、
打ち合わせ時間が短かったために、
このような突っ込んだ話ができたとも思う。
しかし、より重要だと感じたのは、
劇団の演出家が、明確な作品の目指した方向性を提示したこと。
そして、作品が、まだまだそこに向かう過程にあることを赤裸々に語り、
やろうとしたことと、
まだまだできていない部分を提示したからだろう。
(もちろん、制作が口を挟まなかったのも、良かったかもしれない。)
最後に、キーワードだけ並べると、
ストーリーの核がどこにあるのか、
舞台装置の効果的な使いかた、
導入部からラストまでのバランスの問題、
といったところか。
僕としてはこの「批評対話」に出るにあたって、
すでに評価されている作品ではなく、
劇団の新しいレパートリーで、
野心的なものとしてこの『ラリー』を提出した。
これは、本当によかったと思う。
さらに作品を進化させるための、
大切なことが見えてきたように思う。
まぁ、最後にいいわけじゃないけど、
こうしたいな、と思っていたことが出てきたりして、
それも、おもしろかったというか、
方向性を確認できてよかった。
赤字=北欧講師2名の話
対象作品
東京演劇アンサンブル
『ラリー ぼくが言わずにいたこと』
最初に、前日のディスカッションを受けて、
いきなり劇団側への質問が、
この劇で最も重要な部分はどこだったでしょうか、
1センテンスで答えてください、とのこと。
これは、考えたなぁ、と勝手に思った。
俳優陣からの答えは、
「ジョシュがお母さんを失い、何を手に入れ、何を失ったか」
「ジョシュ・スウェンセンとは、いったい誰なのだろうか」
「ジョシュ・スウェンセンという男の子が、自分の素直な気持ちを誰かに伝えようとすることを獲得する物語」
そして演出家からは、
「僕の現実と夢」という答えが出ました。
それを受けて、講師からは、
最初は政治的な劇だろうか、と思った。
しかし、話が進むにつれ、男の子と女の子のドラマなのか、と思い、
両親と男の子のドラマなのか、
つまり、本当のドラマはどこにあるのか、
その核がどこなのか、それを知りたかった。
それに対しての演出家の答えは、
確かに政治的な部分はあるけれど、
自分が勉強してきたブレヒトや、チェーホフ、
その中で、今どんな芝居をしたら良いんだろうと考えたときに、
今失われつつある思想というものが、
現代の日本では、必要なのではないかと思った。
今、僕自身がどんな時代に生きているんだろうかということ、
そして、その歪んだ時代に影響を受けながら、
僕も生きているんじゃないかと。
けれど、ブレヒトやチェーホフを学んできた自分は、
未来に対するあこがれという思いは持ち続けたい、
でも、じゃ、舞台にする時にどうしたら良いんだろう、
現代をどんなふうにして捉えることができるだろうかということがあった、
と演出家から語られた。
そしてフロアに対しても、
この芝居の中で一番のテーマはなんだったか、との質問が出た。
「ジョシュはどういう人なのかな」
「ネット社会で簡単に作られるヒーローと、簡単に転落させられる」
「消費社会批判なんだけど、その批判自体が消費されてしまう重さ」
「消費にまみれている社会を否定して、世界を良くすることに貢献したいと願っていた青年が、好きな女の子に好きと言えなかったり、死んだお母さんのことを心の中で思い続けたりという矛盾を感じた」
「人間が生きる孤独、難しさ」
「孤独の中で求めている自己肯定感」
「人の孤独感というものが、一人が分かってくれるだけじゃダメなんだな」
そして、もう一つの質問。
たくさんのシーンの中で、どのシーンに最も心が動かされましたか?
「くそ、くそ、くそ、と叫ぶシーン」
「ヨガのポーズでバランスを取るシーン」
「ベスの店の裏で、ねじを数えているシーン」
「お義父さんとの会話。お前がすべてわかっているんだな、というところ」
「ラリークラブが動き出したときに、ベスがタトゥーを見せるところが象徴的だった」
「ベスが、私も昔から好きだったわと言うシーン」
「お母さんの思い出の場所のデパートの化粧品売り場のシーンが、孤独を感じた」
このようにいろいろフロアから聞いたのは、
やはりドラマ核がどこにあるか、
それをはっきりさせなければ、
話を進められない。
そして、ここでわかるのは、人間の関係性が書かれている芝居だということが、
わかってきた。
どうすれば、シニカルなラストシーンに向かっていけるのか、
ということに興味を持ちました。
原作のある作品で、
そのストーリーを追いすぎるとその核が難しくなってしまう。
例えば、ファッションショーのシーンなど、
繰り返しのシーンがあるので、
そういった部分をもう少しハイライトにできないだろうか、
と思いました、とのこと。
こういう意見って、これまでで、一番突っ込んだ意見だな、と思った。
それから、ステージデザインがとてもエキサイティングで、
照明もきれいだった。
とてもオープンなスタイルだったのだが、
それが生かし切れていなかったように思う。
例えば転換や出入りが多く、
それがかえって気になってしまう。
何も起こらない2秒は、以外に長いものだ。
スクリーンをもう少し活用できないだろうか、
照明によってもっとフォーカスできないだろうか、
さらにダイナミックにできるのではないだろうか、
という意見が出された。
フロアからも、その後かなり具体的な意見が出されたが、
進行役の手腕もあり、
作品批判ではなく、発展的に向かう批評対話がなされたように思う。
最後に語られたのは、導入部のこと。
人間の関係性ということを考えても、
主要な3人の姿を、早くみたいと思う。
そこまで、なかなか時間がかかっていると思う。
どこからスタートさせたいのか、
ヒューマンストーリーにするには、 どうしたら良いのか、
そして、もう少し軽く書くこともできたのではないだろうか、
といった話が出た。
ここまで突っ込んだ対話になったのは、
これまでと、何が違ったのだろうか?
一つは、これは予期しなかったことだが、
打ち合わせ時間が短かったために、
このような突っ込んだ話ができたとも思う。
しかし、より重要だと感じたのは、
劇団の演出家が、明確な作品の目指した方向性を提示したこと。
そして、作品が、まだまだそこに向かう過程にあることを赤裸々に語り、
やろうとしたことと、
まだまだできていない部分を提示したからだろう。
(もちろん、制作が口を挟まなかったのも、良かったかもしれない。)
最後に、キーワードだけ並べると、
ストーリーの核がどこにあるのか、
舞台装置の効果的な使いかた、
導入部からラストまでのバランスの問題、
といったところか。
僕としてはこの「批評対話」に出るにあたって、
すでに評価されている作品ではなく、
劇団の新しいレパートリーで、
野心的なものとしてこの『ラリー』を提出した。
これは、本当によかったと思う。
さらに作品を進化させるための、
大切なことが見えてきたように思う。
まぁ、最後にいいわけじゃないけど、
こうしたいな、と思っていたことが出てきたりして、
それも、おもしろかったというか、
方向性を確認できてよかった。
赤字=北欧講師2名の話