Teddy+tのソルトスプリング島便り

バンクーバーからソルトスプリング島に引っ越しました。
島の風景を主にUPしていきます。

ゲイパレード

2008年08月07日 | Weblog
さて、毎年恒例のゲイパレード。
今年は30周年記念だそうで、エントリーする人々の数が今までで一番多かったらしいです。

今年は、なんと!ロブソンストリートから始まりましたね~。
たぶん、あまりにも人が多過ぎてパレードの列が収まりきらなかったのでしょうか?
分からないけど。

パウウェル際(日本のお祭り)も同じ日にあり、私は午後からボランテイアに行くため
パレードは1時間しか見れませんでしたが、まあ、毎年のように貴重なイケメン君たちの
まりもっこりなパンツ姿も見れたので満足でございました。
去年は、思わずピッピーって笛を吹いて、イエローカードを渡したい方々もいましたけど
今年は(この短い時間の中では)なんとか大丈夫な範囲でした。
動画はミクシーに載せたいと思っておりますので、興味のある方はぜひご覧ください。

さて、最近”The Diving Bell and The butterfly"という映画を見ました。
日本語訳では、“潜水服は蝶の夢を見る”というそうです。

フランス映画で英語でサブタイトルが付いてました。
全編英語の映画でも、サブタイトルとサブタイトルが無いのとでは、やはりサブタイトルがある方が
分かりやすいです。この怪しい英語使いの私でも。

さて、映画の方はひとことで言うと、“つぼにはまった”映画でした。
ツボにはまるとは、私の場合、見終わった後で長い事余韻が残り、いろいろと考えさせられるものです。

前半は、カメラが主人公の眼を通して周りを捉えている所が、ものすごくリアルです。
最初慣れないと、凄く居心地悪く感じますが、映画に慣れて来ると自分が主人公と一緒になって
周りを見てるみたいに感じて来るから不思議でした。

この映画は、お涙ちょうだい映画とは違って淡々としてる所が素晴らしいと思ったし、凄く人間臭い所があって
それが私にとってなんだか凄く恐ろしいというかこれからの人生、覚悟して行かなきゃと思わせる所があって
見終わった後ちょっと暗くなりました。
すっごく不思議な映画だったんだけども、一つだけこれは!って思ったのが
人って、どんな状況になってもやっぱりユーモアを忘れてはいけないなってことでした。
あと想像力。イマジネーションの世界って、大人になっても持ってないと寂しいし辛いと思った。

いろんなこと考えたのは、きっと自分にも起こりうることかもしれないからだけど
それと同時に、周りの人達の心の動きが、私が過去に実際経験して来た事をリマインドさせたからだと思う。
病院で働いてときのことを。
主人公は、左の眼だけでしか意思の疎通を図る事が出来ない。頭の中は凄くクリアだから
それがどれだけ彼にとってストレスになるかちょっと私には想像出来ない。
思う事は出来るけど、実際そうなった経験がないから分からない。
まさに生き地獄だと思う。
この映画では、その辺りも淡々としたなかに、ものすごくリアルに出て来る。
それが、私にとってみたら、今頃になってあの時のあの患者さんの気持ちは、まさしくそうだったんじゃないかと思うと
居たたまれなくなった。
ほんとに学校を卒業して新人の時は、仕事を覚える事に精一杯だったし、殺人的忙しさの病棟だったから
ゆっくり患者さんと向き合う事がなかった。ただただ、自分が失敗をしない事だけ考えて
医療事故を起こさないようにということが一番大切だった。
成人したばかりのなんにも経験が無い人間で
自分の任務のことが一番で、患者さんの心のケアなんか出来てなかった。
2年目3年目と経つと仕事は覚えて行くけど、殺人的忙しさは変わらなかったし
大学病院だったから研修や学会発表のための勉強会やその頃まだ他の病院ではやってなかった
新しい看護計画や記載の学習で、なんのための、誰のための看護なんだろう?って疑問に思う事だらけだった。
そこは、3年で辞めました。続けていく事に意味を見いだせなかったから。
仕事は他の病棟に比べたらものすごく多かったけど、一つ一つの仕事のスキルが確実に自分の物になったし
あそこにいたから、その後勤めた病院で自信を持ってやれたと思う。
でも、患者さんのことを正面からちゃんと見れて、精神的に援助出来てたかっていったら
全然自信がない。あの頃の自分には、そんな大きな責任を抱えられていたのかどうかも
分からない。どうだったんだろうって考えるけど、思い出せない。ただ、患者さんとちゃんと向き合う時間が
あまりにも少なかったって言うのだけは思い出せるけど。

仕事の時は、とにかくがむしゃらで明るくなきゃって思ってた。患者さんとのエピソードはたくさんあって
一つ一つはとても大事なものだけど、とにかく死に向かっている人と若造の私が
超えられない壁みたいなものは常にあって、それはその頃あまりにも忙し過ぎたのもあって
今思うと、疲れすぎて考える事を拒んでいたのかもしれない。

苦しい辛い事の経験を最初にすると、その後のことはなんでもなくなる。
乗り越えたものが大きいと、同じ大きさの山が来ても経験があるからそれを生かす事が出来る。
ただ、あまりにも身体も精神も抜け道が無くて、袋小路に入って出られずに疲れきって
何も考えられなくなると、自分の感情って壊れてしまうから、気をつけなきゃいけない。
涙が出ていても気がつかなかったり、人が感動しているものに感動出来なかったり
感動できないって、とっても悲しい事だった。心になんにも入って来ないんだから、美しい事とかが。
それを克服出来たのが、バンクーバーに来てから初めて花火をイングリッシュベイで見た時だった。
あれはすごく覚えてる。泣いたもの花火の下で。こんなに美しいものがあったんだって。

さて、話が思い切りずれたけど、そんな感じだったから、この映画で思い出す事が
たくさんあったんだと思う。
主人公の心の声を、言葉を発する事が出来なかった私が出会った患者さん達の声として
なんか聞いた気がした。
そして、それで一番思い出したのが、植物状態のまま2年入院して転院して行った患者さんが
転院するその日に、涙を流していた事だった。

今でもまだ、看護って何だろう?って思う。
もし、今度日本で働く事が出来としたも、もう病棟には戻りたく無いなと思う。
訪問看護がいい。検温の時間や、検査、ナースコール等を気にせずに一人一人にちゃんと向き合える看護。

主人公は、言語療法で学んだ眼の瞬きを使って本を書き上げる。
それが”潜水服と蝶”という本。この映画はtrue storyをベースにしたものです。

なんだかまだまだ書きたり無い事があるような気がするけど
思いついたら、また書いてみよう。自分への記録として。昔の事。