長野県野沢北高等学校校長日記2017・2018・2019

長野県野沢北高等学校の日常と非日常を、校長の視点からお伝えします。

10月5日(金)松本県ケ丘高等学校訪問及び岳南会松本支部総会出席 2018-184

2018年10月05日 23時29分14秒 | 日記

 本日は、7月の文化祭の振替休日となっていました。

 3年生は、今日と明日、全員模試があります。

 2年生も、希望者によるハイレベル記述模試がありました。英数国の3教科です。

 私、岳南会の松本支部総会が開催され、出かけてきました。

 18時から、ホテルブエナビスタで行われました。

 先ほど、特急しなのと北陸新幹線を乗り継ぎ、佐久に戻ってきました。

 松本支部の皆さん、楽しいひとときをありがとうございました。

 私からは、佐久地区の高校再編問題に関して、直近の状況を説明して参りました。

 昨年度も、この会、伺いました。

当日配付資料の一部です

 せっかく松本に行きましたので、事前に杉村校長先生にお願いしまして、松本県ケ丘高等学校を訪問することにしました。

 「縣陵」のニックネームで親しまれている、松本県ケ丘(あがたがおか)高校、私の母校でもあります。昭和49年4月入学、昭和52年3月卒業の学年で、高校29回卒業生ということになっています。

 県内の昭和49年度入学生は、12通学区制度の最初の学年でした。高校入試も、前年度までの、4教科入試(理科と社会を隔年で実施)から、5教科を行うようになった学年でもありました。

 当時の国公立大学入試は、共通1次試験の前の時代でして、1期校、2期校の時代であり、公立大学は別入試を行っていて、3校受験することもできたのでした。

 1期校には、東京大学、京都大学などの旧帝国大学、旧文理科大学の系譜を引く筑波大学と広島大学、さらには、金沢大学、新潟大学、千葉大学等、2期校には、信州大学、東京外語大学、横浜国立大学、埼玉大学などが、それぞれのグループをつくっていました。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E6%97%A7%E4%B8%80%E6%9C%9F%E6%A0%A1%E3%83%BB%E4%BA%8C%E6%9C%9F%E6%A0%A1

 1期校の試験が3月上旬、2期校の試験は、1期校の合格発表を待って、3月中旬でした。

 今より、入試日程が、全体的に遅かったですね。

 高校を、昭和54年3月卒業の皆さんから、「共通一次試験」が始まりました。

 そんな時代です。

 この年齢になりますと、母校のこともやはり気にかかりますし、応援したい気持ちもあります。

 本校の卒業生の皆さんが、卒業30周年と50周年に、集まり、そして、母校に記念品を寄付してくださる、その心情はよくわかりますし、私自身も同様な気持ちを持っています。

 「縣陵」は、この4月から、英語科を発展的に解消し、探究科を開設しました。英語科1クラスがなくなり、探究科(自然探究科1クラス、国際探究科1クラス計2クラス)になったわけです。他に普通科もあります。

 http://www.nagano-c.ed.jp/agata/tankyu/tankyu.html

 本校でも実施している、「探究」の授業を、探究科で、組織的に行っていますので、その状況を視察しました。

 以下の10月5日の記事をご覧ください。

 http://www.nagano-c.ed.jp/agata/diary/diaryH30.html

 また、日課、時間割等、基本的な部分も、しっかり伺ってきました。

杉村校長先生から、縣陵の様子を伺いました。

 昨日、「県ケ丘に視察にいくよ」と、教務室で話をしましたら、教務係から、いくつかの点に関してリクエストがありましたので。

 同窓会が、寄付してくださった校内のWi-Fi環境も、確認できました。

 以下の写真のとおりです。

 授業も参観させていただきました。縣陵生の諸君も、北校生同様に、真剣に授業に向き合っていました。

 先生方も熱心に生徒と向き合っていました。

 電子黒板の活用状況は、参考になりました。

 杉村校長先生をはじめ、縣陵の皆さん、ありがとうございました。

まずは、旧制松本高校跡地 縣陵に伺う前に

縣陵のパンフレットから

正門方面

生徒通用門

西田幾多郎先生揮毫です

小松初代校長先生碑

校長室 小松初代校長先生

第2グランド 野球場とテニスコート

縣陵の三大精神

作詞者 高野辰之先生直筆の写し

校歌 直筆譜面

図書館

アクセスポイント 1年教室にありました。2クラスに一つです

縣陵クッキー これには驚きました おいしくちょうだいしました

 本日、以下の研究集会も行われました。