ひさしぶりのお言葉。
『龍馬伝』も第三部に入って、キャシャーンこと高杉晋作が颯爽と登場。
なにせ『峠』を読むまでは、戦国は好きだけど幕末って登場人物が多すぎて苦手だなあと思ってたくらいなので全然知らなかったんだけど、「おもしろきこともなき世におもしろく」はその高杉晋作は辞世の句(辞世ではなく亡くなるずっと前に詠んでいたという話もあるみたいだけど、これからする話にとってはそんなことは取るに足らない)。
晋作の最期を看取った我らが平尾探検隊名誉隊長(勝手にそう呼んでるだけなので気にしないでください)野村望東尼(もとに/「ぼうとうに」とも)が続けて「すみなすものは心なりけり」と下の句を加えた、ということになっている。
ところが、実はこの歌は上も下も望東尼の作(というか言葉)だったということが、『西日本人物誌19 野村望東尼』(小河 扶希子著 /西日本新聞社)に書いてあった。
と言うか、この本を読んで初めて、高杉晋作の辞世の話を知ったので、実はもくそもないんだけどね。
野村望東尼と高杉晋作の関係についてはいずれ『なるほど』で改めて述べるつもりだけど、倒幕の志士を通じて京の情報を入手したり、空き家同然となっていた庵(現平尾山荘)を隠れ家として提供したりしていた勤王家の望東尼が姫島に流されたときに、救出作戦を指揮したのが、隠れ家を利用したことのある高杉晋作で(『野村望東尼』にはそんなことは書いてなかったけど)、姫島脱出後、望東尼は長州に匿われていて、晋作の最期を看取ることになったのだとか。
『野村望東尼』によると、上の句は望東尼が自分をはじめ家族が次々に病に倒れ、鬱屈状態にあった頃に
おもしろき事も無き世と思いしは 花見ぬひまの心なりけり
と詠んで以来の望東尼の口癖。
下の句は、それから2年後に夫に先立たれ、仏門に入った望東尼が学んだ「生きているのを自覚するのは、心なり。認識するのも心なり。疑うのも心なり。納得するのも心なり。住みなすのも、我が心なりけり」という曹洞宗の開祖・道元の教えによるものらしい。
そうした上で、晋作の看病をしていた望東尼が
「おもしろき事も無き世を面白く」と高杉に唱和させたことが、歴史の途上偽って(「誤って」ではなく)、高杉が作成した詠歌などとして今日まで伝わり…
と書いてある。
実のところどうなのかは、ただこの本を読んだだけのオイラには知る由もなし。
小河扶希子説の根拠となっている高杉夫人が遺した色紙とやらも、ネットで見てみると、高杉辞世説の証拠にされてたりもする
ただ、この件についての考察の多くは高杉晋作側からの視点で、望東尼側からというのはほとんどないし、何よりオイラは望東尼ゆかりの平尾山荘の近所の住民。
まったくの偏見によって、オイラは望東尼説(小河扶希子説)に軍配を上げたいと思います。
(なんだ、ことばの中身はスルーかよ)
(もどる/つづく)
野村望東尼 (西日本人物誌) 小河 扶希子 西日本新聞社 詳細を見る |