雑感録

伝統工芸の行く末

久しぶりに、地元の某伝統工芸(道具系)の師匠のところに行ってきた。
別にその人に師事してる訳じゃないんだけど、名前を出して妙な偏見をもたれたりするのは困るので、押し掛け弟子の友人が呼んでるように、ここでは“師匠”と呼ばせていただきます。
まあ、読む人が読めば誰のことはかすぐ分かると思うけど、内容はあくまで僕個人が思ったことなのでお間違えなく。

でまあ、ちょいとした仕事ではあるんだけど、伝統工芸としての概要はだいたい分かってるので(それ以上のことを突っ込んで書けるほどの仕事でもないし)、正味5分の撮影以外はほとんど雑談。
その中でちょっと気になったのが、伝統工芸を受け継ぐ当事者の気持ち。
僕みたいな連中は観光なりなんなり仕事のネタとして「某伝統工芸をただ一人継承する最後の職人」みたいな感じで取材して記事を書いて、「伝統工芸は大切守り伝えなければ」なんて軽く言っちゃう、結局はただの傍観者でしかないんだけど、肝心の当事者はどう思ってるんだろう。
後継者がいないというのは言わずもがなの問題だけど、本当はもうやめたいんだけど僕みたいな連中がいるからやめますという訳にもいかないとか、続けろと言うんならちゃんと続けられる方法を教えてくれとか、言いたいけれども言えないことがあるんじゃないのか。

師匠が家業に取り組み始めたのは、20代になってからのことだとか。
それまでは本人も全然別の道を目指していたそうだし、先代である父親もあまり継がせようという気はなかったようだ。
ところが、まわりからの「長男なんだから」というプレッシャーがあって、継ぐこと決めたらしい(本当はそんな単純なもんじゃなかったかもしれないし、逆に「就職先が見つからないし」みたいに意外と軽い気持ちだったかもしれないけど)。
ところが先代は何も教えてくれない。
先代はすでに親方という立場になっていて、師匠は親方の下で働く職人たちの仕事を見て学び、ある程度できるようになると職人の手伝いをして、6年ほど下積みのようなことを経験。
あとはほとんど独学だったとか。

しかし、すでに先代の頃とは時代は変わって、道具としての大量の需要はなくなり、同業者は全滅。
手づくりの道具としての圧倒的なクオリティがあるので、個人や個人商店レベルからの需要はまだまだあるが、今は師匠が一人ですべての工程をこなしている。
逆に一人でならなんとかやれるが、人を雇い、おまけに育てながらという規模ではやっていけない。
企業などからの大量な発注やメンテナンスの依頼がないと、売上が上がらないだけでなく、職人を育てる“下積み”の仕事も生まれない。
「僕が親方みたいになれば違ったのかもしれないけれど…」と師匠。
「この場所にこだわったからですね…」とも。
下町の古い町家の奥を工房としているが、人を雇うにはそれなりの設備も必要だし、広い場所を求めて郊外に移ることになるかもしれない。
そうなると、工房ではなく“メーカー”になってしまって、今度は価格競争などを戦わなければならなくなってしまう。
時代の流れと言ってしまえばそれまでだけど、もはや構造的に後継者を育てるのが不可能なのだ。

同じような伝統工芸がとある離島にあって、こちらは弟子入り希望者がいたが給料を出せないため断っていたところ、後に産業振興や雇用促進のための公的補助があって、受け入れが可能になったとか。
他にとりたてて産業のない田舎なら補助も下りやすいかもしれないが、変に都会の福岡ではそれも難しい。
その産業がなくなったとしても、他にいくらでも仕事はあるのだから。

幸か不幸か、師匠の子どもは二人とも女の子(といっても、もうそれなりの年齢だけど)。
もし男の子がいたら、と訊いてみたが、「継がせてないでしょう」と師匠。
とは言え、もしも息子がいたら、例え親が止めても自分の意思で継いだかもしれないが、それはこの状況でも家業を継いだ師匠自身がよくわかっていることだろう。
じゃあ、師匠はせっかく自分が継承したこの伝統工芸が消えてしまってもやむなしと考えているのだろうか。
現在、師匠の下には二人の押しかけ弟子がいるんだけど、言っちゃ悪いが跡を継ぐにはほど遠い。
と言うか、本当に後を継ぐまでになるには、住み込みで働いても十数年はかかるもの(という考え方が昔気質なので後継者がいないとも言えるのかもしれないけど)。
少なくとも友人に関しては2週に1度の修行で、後継者というよりは伝承者を目指している様子。
師匠も彼のことを「プロデューサーとしては面白い」と評しているし、そういう“伝承”があれば、継承がいったん途絶えたとしても、やろうと思う人がいれば、「やればできるだろう」とも。

客観的に考えれば、技術は常に淘汰されるものであり、今かろうじて残っている伝統工芸は淘汰でも生き残った、と言うよりはむしろ淘汰に取り残されたものといえる訳で、ほかに淘汰されてきた工芸・技術はいくらでもある。
そんななかで、たまたま生き残ってしまったものを残さなければというのは、もしかしたら周囲のおセンチなエゴでしかないのかもしれない。
本気で残さなければならないと思うんだったら、自分ごととして関わる覚悟が必要だ。
傍観者が気安くお気楽なことを言ってはいけない。
僕みたいな人間がやっているのは、所詮、人のフンドシで相撲をとる仕事。
ヒトなりモノなりコトなりの魅力の理由・事情・問題などを人に伝えることしかできない。
せめて、伝えることで覚悟をもった人が現れればいいなあと願うしかない。

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