青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

さくらのわてつ。

2024年05月06日 10時00分00秒 | わたらせ渓谷鉄道

(桜とハナモモ、覇を競い@水沼駅)

満開のシーズンは短かった今年の桜ですが、美濃方面ともう一つ・・・ということでチョイスしたのが、わたらせ渓谷鉄道の桜。天気は一応、花曇りという感じの明るい曇りでした。今年の桜、結局青空で拝むことは出来ませんでしたね。わたらせ渓谷鉄道は、群馬県の桐生市から足尾銅山で有名な栃木県の旧・足尾町(現・日光市)の間藤までを結ぶ第三セクター。奇しくも、今年は樽見鉄道・長良川鉄道・そしてわたらせ渓谷鉄道と、国鉄ローカル線が三セク転換された路線の桜を巡ることになりました。今までは、割と純粋な民間資本の地方民鉄を回ることが多かったんですけど、三セク会社にも、ロケーション的には非常に素晴らしい路線が多く眠っているのも確かではあります。この日は「ぐんまワンデーパス」を使って動いていたんだけど、沿線の桜をロケハンしながら開花状況を見つつ北上したところ、水沼駅の周辺がいい感じの咲き具合。ここで途中下車して、駅周辺の桜を満喫してみることに。跨線橋の上から桐生方を望むアングル。まさに満開の水沼駅に、間藤行きのNDCが桜とハナモモを分け入るように進入して来ました。

水沼駅を囲むように咲く桜は、満開からやや時間を過ぎて「爛熟」と言った感じのまさに見ごろ。桜のトンネルをくぐって、こちらは同じNDCでもひと時代前の「わ89」型がやってきました。日本の三セク、とりあえず非電化だとどこでもこんな顔です。そういう意味では没個性の極みみたいな車両かもしれませんが、国鉄時代に遡れば大体のローカル線が同じような国鉄型気動車で、その当時のマニアもたぶん「どこへ行っても同じ」って言ってたんだろうなあとも。今思えば贅沢な話ですが、いつだってその時代のマニアは文句の矛先をどっかにぶつけるもの。少なくとも最近の三セクのNDCは、各社ごとに凝ったカラーリングやラッピングを施していて、それだけでも「タラコ一色」の煤けたディーゼルカーが走っていた頃に比べれば華やかにはなったかなと思います。わ鉄の「わ89」は、沿線最大の観光地である足尾銅山にちなんだ「あかがね(赤銅)」色。足尾銅山は、愛媛の別子銅山、茨城の日立銅山と並ぶ日本三大銅山の一つで、江戸時代から400年の歴史を誇ります。

そうそう、この水沼駅には「水沼駅温泉センター」ってのがあって、駅付きの温泉として有名でした。わ鉄も入浴券付きの乗車券を販売するなど、沿線の主要な観光スポットの一つだったのですが、昨年、運営会社が倒産しちゃいまして現在は営業休止中。最近になって後継の運営業者が見つかったらしく、再開に向けて準備を始めるということなので、わ鉄的にはほっと胸を撫で下ろしていることでしょう。ちなみに一回入ったことありますが、露天風呂なんかもあって一通りの設備は揃ってますけど、正直、温泉好きとしては塩素臭くてう~ん、という感じではあったんですよね。再開に当たっては、その辺りの湯遣いの部分なんかも改善されることを期待するのですが。

大正年間に足尾鉄道によって敷設されたレールを守り続けるわたらせ渓谷鉄道。足尾鉄道は国策により早期に国有化され国鉄の足尾線になり、銅山から産出される銅やその加工品を運び続けました。足尾銅山が閉山となったのは昭和48年(1973年)のことで、既に閉山から半世紀が経過していることになります。最盛期には「足尾千軒」と言われたヤマの賑わいも遠い日の思い出。沿線には足尾以外にはまとまった町もなく、足尾線は国鉄の「第二次特定地方交通線」として廃止対象になりましたが、地元自治体は鉄道の存続を決断。渡良瀬川に沿う四季折々の美しい自然風景と、産業遺産としての足尾銅山関連の施設をテコに、なんとか観光鉄道としてその命脈を繋いでいます。

明治時代に古河財閥が発見した銅の大鉱脈により、大きく発展した足尾銅山。群馬の富岡製糸場と並んで、明治の殖産興業の象徴とも言える存在です。富岡製糸場は世界遺産認定されてますけど、足尾銅山にも同等の価値があると思うのですが、そういう話にならないのは負の側面(鉱毒公害)もあるからなのかな。私らくらいの年代になると、足尾銅山と言えば、銅山の鉱毒事件と戦った田中正造の物語が印象に強いですよね。足尾銅山とその遺構って、わ鉄に乗りに行く割にはちゃんと見に行ったことないんですよね・・・今度しっかり時間を作って見に行ってみようと思いますが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美濃の春、咲くや桜花のそれぞれに。

2024年05月04日 11時00分00秒 | 長良川鉄道

(中濃の町、宵闇の桜@富加駅)

柳屋食堂の「とんちゃん・けいちゃん」でお腹を満たし、やって来たのは富加の駅。前回長良川鉄道を訪問した時、雰囲気ある木造駅舎と桜の木があったのを覚えていたんですよね。日が暮れて、宵闇が辺りを包み始めた頃合いの空の色が好きだ。ちょっと洒落た言い方をするとブルーモーメント、なんていうんだけどね。以前はライトアップをしていたらしい富加の桜、今年は自然光と、暮れて行く空の下で、淡く白い花びらを咲かせていました。長良川鉄道の駅は、この駅のみならず構内踏切が駅の真ん中にあることが多い。上下の列車は、踏切を挟んでシンメに停車するんですけれども、おそらくこれは列車の鼻面を揃えて、通票(スタフ)の交換をしやすくしていた時代の名残りなんでしょうけど。

構内踏切のブザーが鳴って、美濃太田行きの気動車がやって来た。昼間の暖かさから空気が入れ替わって、少し肌寒くなってきた中濃の春の夕暮れ。空の蒼さと空気の冷たさに冴えて咲く桜の花が、ヘッドライトの明るさでほのかに輝きます。元々、国鉄末期の越美南線の時代には、美濃太田から美濃市までの20km近くに渡って交換駅はなく、ここ富加の駅の交換機能も取り外されていたようです。三セク転換による増発と駅の新設により交換需要が発生したため、美濃太田~美濃市駅間の中間であるこの駅に交換設備が復活しました。

富加の桜が少し微妙だったので、お隣の加茂野駅へ。ここも単式のホームに大きな桜が植わっていて、ライトアップこそされていませんでしたが、ホームを照らす街灯が満開の桜を浮かび上がらせていていい感じに幻想的でした。国鉄時代は、元々ここは加茂野口駅という名前で、お隣の富加駅が以前は加茂野駅を名乗っていましたが、加茂野駅が駅の所在地である加茂郡富加町に合わせて富加駅へ、美濃加茂市加茂野町にある加茂野口駅が加茂野駅へ、と実態に合わせて名前を整理した形となっています。美濃市や関市へは、岐阜市から名鉄美濃町線が直接アクセスする形で交通の主軸を成していましたが、長良川鉄道になってからの美濃太田~美濃市間の運転本数は倍増以上の本数を確保。美濃町線が廃線となった後の、中濃地域の公共交通を支えています。

今年の桜は旬の時期が実に短かったですけど、名鉄谷汲線から樽見鉄道、そして長良川鉄道を駆け足で巡った春の美濃桜旅。各地の桜もそれぞれに見事で、谷汲線の桜の廃線跡らしい儚げな趣、そして樽見鉄道の各駅の桜の見事さ、そして長良川鉄道は関下有知の桜並木の迫力と、それぞれに良さがありましたね。また来年の桜の時期に、どんな光景が見られるか楽しみにすることにいたしましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする