薩摩芋郎 STORY

100の議論より100円の寄付。
人生は100の苦しみ1回の喜び。
SHOCHU IS MY LIFE

タニーヤン・ネパール放浪ダイアリーズ最終話<菩提樹の下で>

2005-10-22 | Weblog
4月4日、夕刻~深夜
ホテルにてディナーの後、スタッフ、マネージャーに別れを告げ午後9頃頃空港へ。
空港で出国の列に並んでいるとホテルでいっしょだった日本人女性2人の現地ガイドが親切に
僕のバッグを貨物扱いとして彼女達の荷物といっしょに預けてくれようとした。
外国では原則として手荷物は機内持ち込みにしている(盗難が頻繁なので)僕だが、あまりに親切に
言ってくれるし、嫌な予感はしつつ預けちまった。
2時間遅れで深夜2時頃上海経由、関空行きの飛行機は出発した。

4月5日、僕の気持ちはどしゃ降り
日本時間AM11時、関空着。
嫌な予感が的中、カメラが紛失していた。ショックで泣きそうになる。安いコンパクトカメラだが旅の友である。
幸いフィルムはほとんど残ってたんで良かったが・・
乗り継ぎの時間があったんで機内で友達になった広島の女性のカメラで写真撮ったりレストランで
歓談した後、家族の待つ福岡へ。
午後5時30分、ようやく自宅に到着。
まだ幼い二人の息子をギュッと抱きしめる。
かみさんが用意してくれた和食を貪る様に喰う。旅の疲れのせいで即爆睡。

4月6日、僕の尻から豪雨
お約束の様にポンポンを壊し、便器に1日中へたれ込む私がいた。

おわり

あとがき
BARに新しく樹木が欲しいな~と思い、近所のグリーンショップに行き、偶然『菩提樹』を見つけた。
お釈迦様が、長い苦行の末、この樹の下で悟り(bodhi)=菩提を開き仏陀になった樹です。
(本物はインド菩提樹ですがBARのはたぶん兄弟の様なシナノキ科の一種と思う)
この樹がBARに来た時、ふと10年前のネパール旅行を思い出し、ブログに書こう(記録しとこう)と
4階の物置に行きその時の資料(ネガと旅行メモ)を探そうと棚に手を当てた瞬間、不思議にもその資料だけ
がポロリと落ちて来た。いやはや偶然とはいえ、こんな事もあるんすね。
ちなみに、この時のカメラ紛失をフックとし、僕は突如カメラに目覚め
コンタックス→ライカウイルス感染への道を突き進むこととなる。
また、この旅で、ネパールのあたたかい人とのふれあいの中で僕がちょっとでも困った表情や、気分がめげてる時
彼らが共通して(好んで?)かけてくれた言葉が
「NO PROBLEM」
そうですよね、
ノープロブレム、なんくるないさー、モウマンタイとも言うさ~
そうブツブツ呟きながら今日も菩提樹の下で何の苦行もせず呑気に焼酎を浴びているベロベロマンでした。
御清読ありがとうございました。
*写真はトレッキングにて出逢った子供。不思議そうな顔でボケッと寝そべる僕を覗き込んでいた。
 子供達のバックの靄の左奥にヒマーラヤの峰が俗界を憂いつつどっかり鎮座しておられる。