今回の新刊の著者はまったく無名な人だが(うちの場合、8割がたそうだが)、前職の取引先に、ある書店の社長さんがいらした(以後敬称&敬語略)。著者が当時いい仕事をしたんじゃないかと思うが、付き合いが続いていて、刊行前からいろいろ応援してくれた。うちでの発刊が決まる前には、知り合いの出版社に原稿を回したりといったこともしてくれたらしい。ちなみにうちから出すときには最初の原稿とはまったく違う物になったんだが、ありふれたものじゃなくなったと褒めてくれた(手前味噌)。
その社長が著者に、その書店が入っている「由緒ある書店の会」を紹介し、業界の大物みたいな人も紹介し、その大物の人と昵懇の書店を紹介してくれた。著者が一所懸命それらを回って、いっぱい注文を取ってきてくれた。
私でなくて著者が行くのにはいろんな理由がある。
刊行前に3人で飲んだとき、社長が著者に「版元が営業に行ったって冷たくされるだけだから、あなたが回らないと。著者が売らないと本なんか売れないんだよ」と言ってくれたことがひとつ。まあ、版元によって違うんだろうが、うちの場合絶対そのとおりである。なので、私はふたりの横で大きく頷いていた。どんな新人著者も、多かれ少なかれ「自分は書く人、出版社が売ってくれる」と考えているから、書店という別の立場の人からもそう説得されて著者が信じてくれたのはありがたい。
最初は私も一緒に回ろうかと思ったんだが、書店のバイト先にある著者が営業に来たとき「なんで版元は来ないんだろう」なんてこれっぽっちも思わなかったことを思い出した。どうせこのクソ寒い中営業するなら、別のところに行けばいいやと考えた。
実際のところ、わからない。版元と著者が連れ立っていれば、それだけ「力を入れている」なんて思われるんだろうか。自分が書いた本の営業のときは、営業の人は店員さんとすでに仲良しで、私は横で頭を下げる程度のことしかできなかったし、私が行ったことを書店が特に喜んでくれたとは思えなかった。(ちなみに、あの本を面白かったと言ってくれたらしい書店に自社の営業をしに行っても、店員さんの冷たさは変わらないと感じたので、私は以前以上に営業嫌いになった) なので、いい(効果のある)営業に悪い(効果のない)人間がくっついていっても意味はなかろうと判断した。
本日の本題はそういうことではない。実はこの本は、私が一番苦手とする若い女性をターゲットにしている。だから作っていても常に「これでいいのか?」と悩んでいたし、女性から褒められると「そうなのか(あたしゃわからんけど、まあ、よかった)」と妙に感心したりしていた。
それがずっと続いていたので、その3人の飲み会のとき社長に「○○会を通して大きく展開するか?」ときかれても迷ってしまったのである。そうでなくても、売れなかったら申し訳ないという気持ちは強い。バイト先で、「返してくれたらいいですから」という版元営業の言葉を聞いて、「返すのも手間なんだけど」と思ったことがあったから。実際は、私が品出しや返品作業をするわけじゃないんだが。
で、「普通に配本してみて、動きがよかったらそのときに改めて、その大きな展開というのをお願いできるか?」みたいな返事をした。社長はそのときは「こっちが協力すると言ってるのに反応悪いなあ」という気持ちだったと思うが、あとから「堅実でよろしい」とお褒めをいただいた。おそらく本心はその両方だと思う。
社長が売れると仰るなら喜んで…なんてつもりだったんだが、そういう言葉は出てこない。なので、私は「売れるとは思われていない」のだと思っていた。でも、営業先でもらうコメントや著者から聞く「書店営業の話」を聞いているうちに、そうじゃないとわかってきた。なんというか、「本屋さんもわからない」ということ。
ただし、ここで私が言いたいのは、巷で聞く「本の目利き」ということとはちょっと違う。先日もある人から「取次も書店も全然わかってない人が増えた」なんて話を聞かされたが、その人みたいに文句を言いたいわけではない。
そういうことではなくて、例えばまったく売れなそうな本を0点として、ベストセラー間違いなしの本を100点とすると、「積んでみる価値はある/仕入れて並べても構わない」は60点くらいで、「売れるんじゃないか、わかんないけど」は70点なのではなかろうか。
で、その10点の差は、積み方や著者のアピールやマスコミ露出などのわかりやすい影響ではなくて、「たまたま来たお客さんが…」みたいな、よく言う「本は一期一会」みたいなことに左右されるのではなかろうか。だから、その10点の差がどっちに転がっても30点の本よりまし、まずは合格点であって、本屋のせいでも版元のせいでもない。だから協力すると言ってもらえたんではなかろうか。ベンチ入りはOK、でも試合に出られるかどうかは、「積んでみなきゃわからない」と。
もしかして自分の都合のいいように考えているだけかもしれないが、店頭で「こんなの売れません」と言われるより全然いいんじゃないか。けれども「いっぱい返ってくるかも」という不安は消えないので、まあ様子見です。
その社長が著者に、その書店が入っている「由緒ある書店の会」を紹介し、業界の大物みたいな人も紹介し、その大物の人と昵懇の書店を紹介してくれた。著者が一所懸命それらを回って、いっぱい注文を取ってきてくれた。
私でなくて著者が行くのにはいろんな理由がある。
刊行前に3人で飲んだとき、社長が著者に「版元が営業に行ったって冷たくされるだけだから、あなたが回らないと。著者が売らないと本なんか売れないんだよ」と言ってくれたことがひとつ。まあ、版元によって違うんだろうが、うちの場合絶対そのとおりである。なので、私はふたりの横で大きく頷いていた。どんな新人著者も、多かれ少なかれ「自分は書く人、出版社が売ってくれる」と考えているから、書店という別の立場の人からもそう説得されて著者が信じてくれたのはありがたい。
最初は私も一緒に回ろうかと思ったんだが、書店のバイト先にある著者が営業に来たとき「なんで版元は来ないんだろう」なんてこれっぽっちも思わなかったことを思い出した。どうせこのクソ寒い中営業するなら、別のところに行けばいいやと考えた。
実際のところ、わからない。版元と著者が連れ立っていれば、それだけ「力を入れている」なんて思われるんだろうか。自分が書いた本の営業のときは、営業の人は店員さんとすでに仲良しで、私は横で頭を下げる程度のことしかできなかったし、私が行ったことを書店が特に喜んでくれたとは思えなかった。(ちなみに、あの本を面白かったと言ってくれたらしい書店に自社の営業をしに行っても、店員さんの冷たさは変わらないと感じたので、私は以前以上に営業嫌いになった) なので、いい(効果のある)営業に悪い(効果のない)人間がくっついていっても意味はなかろうと判断した。
本日の本題はそういうことではない。実はこの本は、私が一番苦手とする若い女性をターゲットにしている。だから作っていても常に「これでいいのか?」と悩んでいたし、女性から褒められると「そうなのか(あたしゃわからんけど、まあ、よかった)」と妙に感心したりしていた。
それがずっと続いていたので、その3人の飲み会のとき社長に「○○会を通して大きく展開するか?」ときかれても迷ってしまったのである。そうでなくても、売れなかったら申し訳ないという気持ちは強い。バイト先で、「返してくれたらいいですから」という版元営業の言葉を聞いて、「返すのも手間なんだけど」と思ったことがあったから。実際は、私が品出しや返品作業をするわけじゃないんだが。
で、「普通に配本してみて、動きがよかったらそのときに改めて、その大きな展開というのをお願いできるか?」みたいな返事をした。社長はそのときは「こっちが協力すると言ってるのに反応悪いなあ」という気持ちだったと思うが、あとから「堅実でよろしい」とお褒めをいただいた。おそらく本心はその両方だと思う。
社長が売れると仰るなら喜んで…なんてつもりだったんだが、そういう言葉は出てこない。なので、私は「売れるとは思われていない」のだと思っていた。でも、営業先でもらうコメントや著者から聞く「書店営業の話」を聞いているうちに、そうじゃないとわかってきた。なんというか、「本屋さんもわからない」ということ。
ただし、ここで私が言いたいのは、巷で聞く「本の目利き」ということとはちょっと違う。先日もある人から「取次も書店も全然わかってない人が増えた」なんて話を聞かされたが、その人みたいに文句を言いたいわけではない。
そういうことではなくて、例えばまったく売れなそうな本を0点として、ベストセラー間違いなしの本を100点とすると、「積んでみる価値はある/仕入れて並べても構わない」は60点くらいで、「売れるんじゃないか、わかんないけど」は70点なのではなかろうか。
で、その10点の差は、積み方や著者のアピールやマスコミ露出などのわかりやすい影響ではなくて、「たまたま来たお客さんが…」みたいな、よく言う「本は一期一会」みたいなことに左右されるのではなかろうか。だから、その10点の差がどっちに転がっても30点の本よりまし、まずは合格点であって、本屋のせいでも版元のせいでもない。だから協力すると言ってもらえたんではなかろうか。ベンチ入りはOK、でも試合に出られるかどうかは、「積んでみなきゃわからない」と。
もしかして自分の都合のいいように考えているだけかもしれないが、店頭で「こんなの売れません」と言われるより全然いいんじゃないか。けれども「いっぱい返ってくるかも」という不安は消えないので、まあ様子見です。
お世話になります。
あまり気の進まないことをお願いしてしまったようですみません。取り次ぎさんとそういう話がしづらいとは思いませんでした。タミオさまにとって特に興味のないことを聞いていただく必要は全くありません。
私の推測ですが、たぶん、2,3年前ぐらいまでは大阪屋さんが見本納品の書籍の内容を見てカテゴリ分けをし、その情報をアマゾンに送っていたのだと思います。でも、最近はそれを大阪屋さんの方で率先してやる版元の本とそうでない(取引のない版元の)本に分けるようになったのではないかと思います。
また、一部の版元は大阪屋さんに指示をして「このサブカテゴリにしてほしい」ということを頼んでいると思います。というのは、アマゾンのカテゴリ情報を見ていると、サブカテゴリの登録がいいかげんな書籍と、きっちりできている書籍に分かれるからです。きっちりできている所はアマゾンを重視している版元だと思います。
タミオ様のおっしゃる、「ランキング上位だから買うんじゃなくて、どうしてもほしいから買う」本を作りたいなと、 というのはまったっく同感です。
ただ、その前にその本が「存在している」ということを読者に知ってもらう必要があり、検索に引っかからない書籍はそのスタートラインに立てないという現実があると思います。
もちろん本はアマゾンさんだけで売れるわけではないんですが、書店がアマゾン化しているように感じるので、アマゾン対策で練習を積んでおく必要があると感じています。
あと、新刊は日販さんの扱いなので、尋ねる先はきっと日販さんですね。(あー、気が重い)
でも、初期の頃、そういう書誌登録みたいなことで苦労して、営業嫌いな私は「とことん調べる」ことはしてません。その代わり、「ランキング上位だから買うんじゃなくて、どうしてもほしいから買う」本を作りたいなと思ってます。毎回そういうわけにはいきませんけど、苦手なことはしたくないのです。
なので、今から電話を手に取って取次にたずねるってことはしませんけど、幸い業界の知り合いも増えてきたので機会があったらたずねてみます。言い訳ですけど、つらつら書いているブログにいただいたコメントで血圧上げてたらアホみたいですし、そのくらい取次は怖いんです(笑)。
少なくとも「サブカテゴリー登録用紙」ってのは見たことないですが、「だったら最初に教えてくれ」と思ったことは何度もあるので、もしかするとあるかもしれません。わたしが血圧を上げずに問い合わせできるのは新刊見本納品のときくらいですので、そのときにきいてみますね。ちなみに5月頃と思います。すみません。
お世話になります。
アマゾンのカテゴリ登録の件ですが、色々調べてみて少しわかってきたのでお知らせします。
まずここで言うカテゴリ登録の意味ですが
こういうのを指します↓
Amazon.co.jp ランキング: 本 - 3,297位 (本のベストセラーを見る)
各カテゴリー内でのランキング:
5位 ─ 本 > 文学・評論 > 経済・社会小説
6位 ─ 本 > 新書・文庫 > 出版社別 > か行 > 幻冬舎 > 幻冬舎文庫
79位 ─ 本 > 新書・文庫 > 文学・評論 > 日本文学 > 近代文学
こんなふうにサブカテゴリまで細かく掲載するための書誌情報は大阪屋からアマゾンに行くデータである、という話を聞きました。
「本」でベストセラーに入るのは大変ですが、サブカテゴリでベストセラーに入るのはさほど難しくないようです。読者の中にはサブカテゴリーのベストセラー情報を見てトップ10までの本から選ぶ傾向があるということなので、サブカテゴリーには絶対に登録しておかないといけないようです。つまりお金を払ってアマゾンに広告を出すのではなくて、サブカテゴリの入るように努力して、こちらは無料でアマゾンに自社の書籍の広告販売をさせるという考えですね。
そこでタミオ様にお伺いしたいのですが、
まず、タミオ様のところの本はこのサブカテゴリに登録がされているでしょうか?
もしされていなかったら、大阪屋さんに、アマゾンのサブカテゴリの登録を大阪屋で受け付けているのか、何かサブカテゴリに登録する用紙があるのか、を聞いてみていただけないでしょうか。
それから、ひょっとしたら日販でもこれが可能かもしれないので、大阪屋と同じことを聞いてみてほしいんです。
実は私もタミオ様と同じで、大の営業嫌いです。できればこちらからは営業をせずに、書店やアマゾンに営業をしてもらう方法をあれこれ考えています。
うちは日販にも大阪屋にも口座がないので、この関連の確実な情報を引き出すことはできませんが、口座をお持ちのタミオさんならできると思いますので、お時間のある時にでもぜひお願いできれば有り難いです。