MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『リトル・ハーバー』

2017-07-16 23:39:19 | goo映画レビュー

原題:『Piata Lod'』 英題:『Little Harbour』
監督:イヴェタ・グローフォヴァー
脚本:イヴェタ・グローフォヴァー/マレク・レシチャーク
撮影:デニサ・ブラノヴァ―
出演:バァネッサ・サムへロヴァー/マトゥーシュ・バチシン/カタリーナ・カメンツォヴァー
2017年/スロヴァキア・チェコ
(SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017)

「現実逃避」としてのファンタジーについて

 主人公で10歳の少女のヤルカはそもそも母親のルシアに愛されていなかったのであるが、祖母が亡くなった後にその態度があからさまになり、「私も母親に愛されていなかった」とヤルカに言い残してプラハからブダペストへと旅立ってしまう。アデラとヤクプという双子をベビーカーに乗せた二人の母親がトイレに行くから見ていてくれとヤルカは頼まれるのだが、その母親も二度と戻ってくることはなかった。
 ヤルカはたまたま逆さづりにされていた友人のクリスティアンに遭遇し、過保護であるが故に携帯電話など持たされていた彼のお小遣いでミルクや紙おむつを購入し、空き家になっていた漁師の家に入り込んで、我が子を愛せないという「負の連鎖」を断って理想の家族を作ろうと試みる。
 ところが病気になったアデラを連れてヤルカがルシアの住み家を訪れ、眠っているルシアのそばにアデラを置いてきた後に、捜索願が出ていたクリスティアンを探していた大人たちから逃れると、ヤルカはクリスティアンとヤクプと共に家を船のように動かして航海を始めてしまい、ファンタジーになってしまうのである。しかし家が動き出す前にヤルカが数を数えるのであるが、それはヤルカが眠る時にする「おまじない」のようなもので、実際は悲劇なのである。子供の観賞用としてならば申し分のないエンディングではあろうが、「現実逃避」の感は否めない。


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