MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ヘッドライト』

2015-12-21 00:32:55 | goo映画レビュー

原題:『Des Gens Sans Importance』
監督:アンリ・ヴェルヌイユ
脚本:アンリ・ヴェルヌイユ/フランソワ・ボワイエ
撮影:ルイ・パージュ
出演:ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール/イベット・エティバン/ダニー・カレル
1955年/フランス

見慣れた光景に潜む陥穽について

 原題は「しがない人々」ではあるが、「しがない」のは人々よりも、主人公のトラックの運転手のジャン・ヴィアールが目にする道路沿いの看板である。ジャンはトラックを運転しながら毎日のように「ボルドー行き(BORDEAUX)」、「コニャック(Cognac)」、「石鹸(Savon)」、「ゼニスの腕時計(Zenith La Montre)」などの看板を目にする。さらに彼の中古のトラックには前のトラックの所有者が付けたままの「運転手に話しかけないで(Défense de parler au conducteur)」、「足を拭いてください(Essuyez vos pieds S.V.P)」、「ペンキ塗りたてです(Attention à la peinture S.V.P)」のプレートが飾ったままである。
 多くの看板を毎日のように目にしているうちに、その重要性を忘れてしまったジャンは肝心の「工事中 迂回せよ(Attention Deviation)」という看板を見逃してしまい、恋人のクロチルドを失うのである。これは約60年前の本作の公開当時は分からなかったであろうが、ネットなどが普及した今になってみると、浴びるように映像を見ている内に、肝心のシーンを見逃してしまうシネフィル(映画好き)に対する皮肉に見えなくもないが、肝心なシーンを見逃すわけだから皮肉にもその皮肉は理解されないままなのである。


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『母と暮せば』

2015-12-20 12:57:45 | goo映画レビュー

原題:『母と暮せば』
監督:山田洋次
脚本:山田洋次/平松恵美子
撮影:近森眞史
出演:吉永小百合/二宮和也/黒木華/加藤健一/浅野忠信/広岡由里子/本田望結/橋爪功
2015年/日本

「淑女は何を忘れたか」

 21世紀になってますますはっきりしてくることは「イスラム国」をはじめとするイスラム教と西洋諸国のキリスト教の対立であるが、もちろん宗教対立は今に始まったことではなく昔から存在しており、イスラエルという国の存在がその近親憎悪のような複雑さを象徴しているのは周知の事実である。
 その点を勘案するならば1945年8月9日のアメリカ軍の長崎への原子爆弾の投下は、広島のそれとは意味合いが大きく違う。言うまでもなく、また描かれてもいるように長崎市はカトリック教徒が多く暮らす街であり、それは主人公の福原浩二も例外ではなく、実際に墓石には名前の前には彼の洗礼名と思われる「ヨゼフ」と書かれており浩二の兄で戦死した謙一の墓石にも「フランシスコ」と書かれていた。
 浩二はメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」をこよなく愛し、特にユーディ・メニューインが指揮するヴァージョンが大好きだった。浩二は『ヘンリィ五世(Henry V)』(ローレンス・オリヴィエ監督 1944年)を観たと言ったことに対して、母親の福原伸子は『アメリカ交響楽(Rhapsody in Blue)』(アーヴィング・ラパー監督 1945年)を観に行ったと答える。
 時系列に多少の疑問が残るが、ここで何をいいたいのかと言えば、アメリカ軍の長崎への原子爆弾の投下はキリスト教の信者たちが同じキリスト教信者たちを殲滅しようとした前代未聞で空前絶後の大事件であるということで、これを明るみに示しただけでも本作は高く評価されるべきであろう。


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『orange - オレンジ -』

2015-12-19 22:29:54 | goo映画レビュー

原題:『orange - オレンジ -』
監督:橋本光二郎
脚本:金子ありさ
撮影:鍋島淳裕
出演:土屋太鳳/山崎賢人/竜星涼/山崎紘菜/桜田通/清水くるみ/真野恵里菜/森口瑤子
2015年/日本

SF色が薄い「SF作品」について

 本作をどこかで見たことがあると思って調べてみたら、『So long !』(2013年)という渡辺麻友主演のテレビドラマだったのだが、過去と未来をつなぐ媒体が手紙とカセットテープという大きな違いがあった。
 それはともかく思ったほどSF色が濃くなく、主人公で10年後の26歳の高宮菜穂と須和弘人がそれぞれ過去の自分に送る手紙の送り方が具体的に描かれておらず、授業中に「パラレルワールド」の話をしてしまい、それを「言い訳」として過去が変わっても10年後の世界が変化しないことにつながる。おそらく原作通りではあるのだろうが、最後に映る10年後の菜穂の夫が成瀬翔に代わっていたというオチも映画的で悪くなかったとは思う。しかし私の周囲で観賞していた原作ファンのたくさんの女子中高生たちにはそれでは受けないと判断した結果で、驚きは無いが妥当な演出ではあるのだろう。
 それにしても今回初めて土屋太鳳を観たのであるが、その「アニメ声」には驚かされた。わざと声を変えているのかとテレビ出演している土屋を見たのであるが、そのままの喋り方で、演技ではなかったことにまた驚かされた。


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『ボヴァリー夫人とパン屋』

2015-12-18 00:04:31 | goo映画レビュー

原題:『Gemma Bovery』
監督:アンヌ・フォンテーヌ
脚本:アンヌ・フォンテーヌ/パスカル・ボニゼール
撮影:クリストフ・ボーカルヌ
出演:ファブリス・ルキーニ/ジェマ・アータートン/ジェイソン・フレミング/ニールス・シュナイダー
2014年/フランス・イギリス

「人生が芸術を模倣する」熱意について

 主人公のマルタン・ジュベールはパリの出版社で働いていたのだが、現在は父親の後を継いでノルマンディー地方の田舎でパン屋を営んでいる。隣にロンドンからチャーリー・ボヴァリーと妻のジェマが引っ越してくる。まるでギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』の登場人物そっくりの名前(チャーリーはフランス語読みでシャルル「Charles」なのだが、エマ「Emma」とジェマ「Gemma」は微妙に違う)の助けもあり、マルタンはすっかりジェマに夢中になってしまう。
 例えば、大嫌いなネズミを殺処分するためにジェマがヒ素を購入することにマルタンが異常に怒る理由がエマがヒ素を飲んで自殺するためで、あるいはジェマがマルタンに「私はボヴァリー夫人ではないのよ(Je ne suis pas Madame Bovary)」というセリフがフローベールが「『ボヴァリー夫人』裁判」中に語ったといわれる「ボヴァリー夫人は私だ(Madame Bovary, c'est moi!)) 」のパロディーであり、このように『ボヴァリー夫人』の内容を知らないとネタが分からない部分がある。
 しかしマルタンが語った「芸術が人生を模倣するより遥かに人生は芸術を模倣する(Life imitates Art far more than Art imitates Life)」という言葉はイギリスの作家であるオスカー・ワイルドの『嘘の衰退(The Decay of Lying)』(1889年)というエッセイから取られたもので、フランス人がイギリス人にそれを教えるというのもひねりが効いており、結局『ボヴァリー夫人』と対応するような主要な登場人物の中で「読者」であるはずのマルタンが何故か紛れ込んで一緒にいるところが面白いのである。
 挿入曲の中でモリアーティ(Moriarty)というフランスを主な活動拠点としているバンドのアルバム『不思議の国のモリアーティ(Gee Whiz But This Is a Lonesome Town)』に収録されている「コットンフラワー(Cottonflower)」という曲が良かったのだが、歌詞の内容は『ボヴァリー夫人』というよりも、寧ろデヴィッド・リンチ監督作品風である。以下、和訳。

「Cottonflower」 Moriarty 日本語訳

あなたは私のコットンフラワー
あなたは永遠に私だけのもの
あなたのちょっとした苦笑いには気がついている
我慢することはないのよ
少しずつ慣れていけばいいだけだから

これが私の幸せな時間
一緒に過ごしましょうよ
私が旅立つたびにあなたは私を温め続ける
あなたは私を霧雨から守ってくれて
あなたのためにこの歌を歌う
私が逝ってしまう時に歌うための歌だけれども
私の血が大量に流れている

あなたは私のコットンフラワー
私は孤独なライダーでしかない
誰が正しくて誰が間違っているのか私には分からない
あなたのためにこの歌を歌う
私が逝ってしまう時に歌うための歌だけれども

私はあなたの紫の蜘蛛
私はストッキングを広げている
例え鳴いているコマドリがいても
私は心配していない
私はただ息絶えようとしているのだから
あなたのためにこの歌を歌う
私が逝ってしまう時に歌うための歌だけれども
今はこれ以上傷つくことはない

あなたは私のような人をたくさん見かける
私が最初ではないし、私だけがいる訳でもない
私が最善でも最初でも最後でもない
あなたは私のような人をたくさん見かける
何故テレビを消さないの?

私は孤独な兵士でしかない
誰が正しくて誰が間違っているのか私には分からない
あなたのためにこの歌を歌う
私が逝ってしまう時に歌うための歌だけれども
私は逝く
私は逝ってしまう

あなたは私のコットンフラワー
あなたは私のコットンフラワー

蟻たちが私の胸に登って来る
すぐに私は塵と化し眠るだろう


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『彼は秘密の女ともだち』

2015-12-17 00:08:20 | goo映画レビュー

原題:『Une Nouvelle Amie』 英題:『The New Girlfriend』
監督:フランソワ・オゾン
脚本:フランソワ・オゾン
撮影:パスカル・マルティ
出演:イジルド・ル・ベスコ/アナイス・ドゥムースティエ/ロマン・デュリス/ラファエル・ペルソナ
2014年/フランス

本人さえ気がつかない性癖との付き合い方について

 小学生の頃に転校してきたローラと親友になったクレールは大きな幹に2人の名前を刻むほどの仲で、ローラがダヴィッドと結婚すると後を追うようにクレールはジルと結婚するのであるが、その頃ローラは既に身ごもっている。しかし産後に体調を崩してしまったローラは2014年、わずか27歳で亡くなってしまう。
 ダヴィッドと産まれたばかりの娘のリュシアの様子を見にいったクレールはダヴィッドが女装をしていることに驚くのではあるが、何故か彼の女装癖に付き合うようになり、ダヴィッドを「ヴィルジニア」という女友だちとして割り切り、一緒にショッピングへ行ったり映画を観にいったり、ついにはジルに体調を崩した母親に会いにいくと嘘をついて2人はローラの実家に泊りがけで遊びにいったりする。
 何故、クレールがダヴィッドとの関係をここまでこじらせてしまうのか考えてみると、クレールがバイセクシャルであることを本人が気づいていないことにある。気がつかないまま男性と結婚してしまい、気がつかないままローラを失ってしまったのである。かつてローラが愛した男の体に対するフェティッシュな感情もあるように思うが、ダヴィッドを「ヴィルジニア」として付き合うクレールは決して「ヴィルジニア」を女性として愛せない。結局、「ヴィルジニア」は男であり、そうなると不倫の関係になってしまうからである。
 だから7年後、ラストは至って「ストレート」なジルと別れてクレールは「ヴィルジニア」と結婚し、リュシアを一緒に育て、さらにダヴィッドの子供を身ごもっているのであろう。「LGBT」を肉体的なものにとどまらせず、人間関係において上手く調整していこうとする描写に好感が持てる。


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『SAINT LAURENT/サンローラン』

2015-12-16 00:46:53 | goo映画レビュー

原題:『Saint Laurent』
監督:ベルトラン・ボネロ
脚本:ベルトラン・ボネロ/トーマス・ビドゲイン
撮影:ジョゼ・デエー
出演:ギャスパー・ウリエル/ジェレミー・レニエ/ルイ・ガレル/レア・セドゥ
2014年/フランス

あたかもアンディ・ウォーホルが撮ったようなサンローランの映画について

 作品の冒頭は1974年。主人公のイヴ・サンローランが偽名でホテルに部屋を取って雑誌のインタビューに応えようとしていた。それから7年前までさかのぼってサンローランがパートナーのピエール・ベルジュとタッグを組んで仕事に油が乗っている時期が映される。
 サンローランが自身とアンディ・ウォーホルを「20世紀後半の2大アーティスト」と捉えていることが興味深い。ウォーホルがロックバンド「ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)」をプロデュースしたように(本作では「毛皮のヴィーナス - Venus in Furs」が流れる)、サンローランも自分が飼っている犬たちに「ムジーク(Moujik)」と名前を付けており、それはもちろん「ミュージック(Music)」の変形で音楽なしでは仕事がはかどらないのである。
 しかし本作そのものは音楽を聴くように分かりやすいものではない。例えば、クラブで会ったベティー・カトルをスカウトするのであるが、彼女は既にシャネルの専属モデルを務めており断わられるも、過程が描かれないままいつの間にかベティーはサンローランの元で働いている。あるいは1974年のインタビューもピエール・ベルジュによって直前で発表が中止された時も、サンローランやベルジュの当時の心理状態もよく分からない。時系列も複雑に交錯し、冗長で難解ではあるが、当時の風俗をそのまま描くアート系作品として観られるべきであろう。
 晩年のサンローラン(1936年生まれ)が夢の中でココ・シャネル(1883年生まれ)と泣いたという逸話は、ジャン=ポール・ゴルティエ(Jean-Paul GAULTIER)(1952年生まれ)などの若手の台頭によるものであるのか、あるいはヴィーナスの頭部の彫像を片手で掴んでは投げ捨てる寸前で止めてしまうように「美」に囚われ人生を狂わされた者たちの悲嘆であるのか。


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『メサイア 深紅ノ章』

2015-12-15 00:31:44 | goo映画レビュー

原題:『メサイア 深紅ノ章』
監督:山口ヒロキ
脚本:山口ヒロキ/横山あゆみ
撮影:曽根剛
出演:赤澤燈/廣瀬大介/井澤勇貴/杉江大志/岩永洋昭/村田充/宮崎秋人/金山一彦/大澄賢也
2015年/日本

出演者全員が男性の作品について

 世界的な軍隊の縮小や大量殺戮兵器開発禁止を目的とした軍事協定「ワールド・リフォーミング」に関する会談のために日本を訪れた北方連合の首相の友人ということで会議室で待っていた堤隆也が警備員に扮した実の息子である堤周(あまね)に拉致される。周は父親が母親を人体実験に利用して殺したことが許せなかったのである。その周をかくまうのが三栖で、さらに三栖の懇願によって高野が2人を守ることになる。
 日本にはスパイを育成する特殊機関「チャーチ」があり、警察省警備庁特別公安局外事課五係に属する「サクラ」と呼ばれるスパイとして有賀が新しいパートナーとして絶えず飴を口に頬張っている加々美と組むことになるのだが、同じ頃に堤隆也を探していたのが、北方連合のスパイであるザ・タワーとハングドマンであり、この2つの軸が交錯することで事件が起こるのである。
 全体的に「低予算感」があからさまで、チャーチの内部も国家的な情報機関としては余りにも安すぎる。それはセットのみならず、例えば、ハングドマンが爆弾をしかける「WHISKEY BAR」の爆破シーンのCGもあまりにもチープすぎて、それならばそれを目撃していた2人の「サクラ」の表情や顔に反映する爆破の閃光を通して描いた方が良かったと思う。
 このような有様だから本シリーズのファン以外は観ても『007』のような感銘を受けることはないと思う。実際、館内にいた10名ほどの観客は全員、ストーリーよりも出演者を観賞することを目的にしたと思われる女性たちだった。


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『映画 ハイ☆スピード! -Free! Starting Days -』

2015-12-14 00:17:10 | goo映画レビュー

原題:『映画 ハイ☆スピード!-Free! Starting Days-』
監督:武本康弘
脚本:西岡麻衣子
撮影:高尾一也
出演:島崎信長/鈴木達央/豊永利行/内山昂輝/日野聡/野島健児
2015年/日本

試される「純粋な友情」について

 最初は「桐嶋」が部活に入らない物語なのかと思って観ていたのだが、すったもんだした挙句、水泳部に入ったことには驚いた。
 自転車競技と水泳の違いはあるものの、『劇場版 弱虫ペダル』(長沼範裕監督 2015年)と同じような印象を持った。つまり主人公の七瀬遙や橘真琴が通う岩鳶中学校の水泳部には当然女性部員たちもいるのであるが、何故か主人公たちは女性と言葉を交わすことさえせず、こじらせた友情を修復することに精一杯なのである。かろうじて椎名旭が言葉を交わす相手の女性は旭の姉で、後は遙と真琴の母親である。
 その現実離れした「禁欲さ」は、敢えて女性を排除することで「純粋な友情」が試されているのかもしれないが、キャラクターが好きな人以外には想像通りの展開に退屈しなくもない。


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『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』

2015-12-13 00:26:23 | goo映画レビュー

原題:『The Peanuts Movie』
監督:スティーヴ・マーティノ
脚本:クレイグ・シュルツ/ブライアン・シュルツ/コーネリアス・ウリアーノ
撮影:レナート・ファルコ
出演:ビル・メレンデス/ノア・スナップ/フランチェスカ・カパルディ
2015年/アメリカ

「コミック・ストリップ」と映画の相性について

 作者のチャールズ・M・シュルツの息子のクレイグなどが脚本に関わっているおかげで原作の有名なネタが満遍なく網羅されており、「ザ・ピーナッツ」の映画として完璧と言ってもいいくらいの出来だと思う。それはネタだけではなく、例えば、読書感想文の宿題を課せられたチャーリー・ブラウンがレフ・トルストイの『戦争と平和』について書く前に選んでいた作品はビリー・デベック(Billy DeBeck)が描いた『バーニー・グーグル(Barney Google)』シリーズの『スパーク・プラグ(Spark Plug)』というコミックなのであるが、これはチャールズが彼のおじにこのコミックのキャラクターにちなんで「スパーキー(Sparky)」と呼ばれていたからである。しかし「コミック・ストリップ」という媒体が映画という媒体と相性がいいかどうかは人それぞれの判断に委ねられるだろう。
 選曲も素晴らしく、個人的にはメーガン・トレイナー(Meghan Trainor)の「Good to Be Alive」が良かった。以下、和訳。

「Good to Be Alive」Meghan Trainor 日本語訳

私は私が抱えている問題全てに関して考えないようにしている
私は今を生きているのだから
私は未来に関して心配しながら座っていられない
私は今を生きているのだから

だから楽しみたいと思うなら両手を挙げればいいのよ
もしも心配の種が全然ないなら両手を挙げよう
もしも明日仕事がないなら乾杯しよう
もしも楽しむ準備ができているなら両手を挙げよう
さあ、歌おう

生きてるってとても楽しいでしょう
生きてることはとても楽しいのよ

毎日がクリスマスのように目覚めればいいのよ
今後は与えられたこの人生を祝福するつもり
今後は毎日母親に愛していると言うつもり
「良いお母さんでいてくれてありがとう」と言うつもり

だから楽しみたいと思うなら両手を挙げればいいのよ
もしも心配の種が全然ないなら両手を挙げよう
もしも明日仕事がないなら乾杯しよう
もしも楽しむ準備ができているなら両手を挙げよう

生きてるってとても楽しいでしょう
生きてることはとても楽しいのよ

気分が良いでしょう?
こんな素敵な時にあなたの人生を生きるということは
こんな素敵な時が過ぎ去っていくとはあなたは考えもしないだろうけれど
私は誓う
ある日目覚めると
「なんてこと、私にはやらなければいけないことがある」
「なんてこと、私は努力をしなければならない」とあなたが言うことが私には分かる
でもそれは悲しいことではなくて
どれくらい楽しめるかということなのよ

気分が良いでしょう?
あなたは一度っきりの人生を与えられて
この瞬間を生きているのよ

生きてるってとても楽しいでしょう
生きてることはとても楽しいのよ

気分が良いでしょう?
あなたは一度っきりの人生を与えられて
この瞬間を生きているのよ
生きてることはとても楽しいのよ


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『海難1890』

2015-12-12 21:08:46 | goo映画レビュー

原題:『海難1890』
監督:田中光敏
脚本:小松江里子
撮影:永田鉄男/会田正裕
出演:内野聖陽/忽那汐里/ケナン・エジェ/小澤征悦/宅間孝行/夏川結衣/永島敏行
2015年/日本・トルコ

「犠牲者」の人数の奇妙な一致について

 1890年9月の「エルトゥールル号遭難事件」も1985年3月のイランの在留邦人のトルコ航空機による「救出劇」も詳細を知らなかった者としては、このように具体的な映像を通すとそれぞれの「大惨事」に驚かされる。特に「エルトゥールル号遭難事件」で亡くなったトルコ人の人数と、救援機に日本人を乗せた代わりに陸路でイランを脱出したトルコ人の人数が共に「500人以上」であり、その数の一致が宿命のようなものを感じさせるのである。
 しかし史実を基にしているとしても全てを描いているわけではなく、例えば、個人的に知りたかったことは日本において9月といえば台風シーズンであり、何故日本政府はエルトゥールル号の乗務員たちにアドバイスしなかったのか描かれていなかったのであるが、実際は知らせていたようである。そのことを敢えて描いていない理由は、トルコ側に対する配慮によるものではあるだろう。
 ウィキペディアに依るならば、トルコにおいて「エルトゥールル号遭難事件」はそれほど知名度が高くないとなっているのだが、それは2012年の調査であり、1985年当時がどうだったのか知りたいところではある。


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