筒井康隆の『着想の技術』(新潮文庫 平成元年九月二十五日)を読んでいたら驚くべきことが書かれていた。「藝術新潮」の昭和五十五年八月号に掲載された「鵞鳥番の少女(La Gardeuse d'oies)」というエッセイで筒井がこのジャン=フランソワ・ミレーの作品を購入したというのである。
「貯金はすべておろし、ロマジン(Mikhail Romadin ロシアの画家)も手離した。勿論それでも足りないから残りは月賦だが、それとて並たいていではない。出版社二社から前借りもした。払い終ったのは一年と数ヵ月後である。ぼくは数キロ痩せた。」(p.203)
ということで筒井は「鵞鳥番の少女」を応接室に飾っていたのであるが、これで話は終わらない。『笑犬樓の逆襲』(新潮文庫 平成十九年八月一日)を読んでいたら「噂の真相」の2001年8月号に掲載された「ミレー『鵞鳥番の少女』を手放した」というエッセイが書かれていたのである。断筆宣言をした上に書物が売れなくなってきて、それでも税金は払わなければならない状況に追い込まれている。
「そうこうしているうちに、以前からの生活を改める気など毛頭ないものだから、貯金が底をつきはじめた。わしは税金の支払いと収入の、バランスすれすれの綱渡りが面白くなくもなかったのだが、家人が不安に駆られ、なんとかしろと言い出した。考えてみればわしも六十六歳になる。今まで通りに仕事ができると思っているのは自分だけで、一般にはいつ急死してもおかしくない歳である。少しでも家計を楽にしておいた方がいいかもしれぬと思い、しかたなく、ついに家宝として所持していた、ミレー後期の傑作とされる『鵞鳥番の少女』を手放した。さいわい買ったときの金額とさほど変わらぬ値段で売れたのだが、これも銀行に返すべき金の半分以下に過ぎない。」(p.193)
ということで現在『鵞鳥番の少女』は東京富士美術館に所蔵されている。