「AKB48」キャラ消費の進化論:斎藤 環(精神科医)(Voice) - goo ニュース
川の流れのように 美空ひばり 歌詞情報 - goo 音楽
RIVER AKB48 歌詞情報 - goo 音楽
この斎藤環の論文を理解できる人がどれくらいいるのか定かではないが、私には
言葉を浪費しているだけの戯言のようにしか読めない。AKB48を論じるために
柄谷行人やフロイトやB・アンダーソンを引用しているが、論文を高級そうに見せる
以外には全く機能していない。「もちろん各メンバーに固定的なキャラが割り振られ
ているわけではないが、大島優子がおっさんキャラで高橋みなみがすべりキャラで、
坂野友美がギャルキャラで、という具合の差異化がなされているのは周知のとおり」
と斎藤は述べているが、キャラというものはその人が生まれついて持っている素質
であるのだから、人気投票による序列化で生じるレイヤー(層)でキャラが決定づけ
られることはありえないのである。大島優子の人気がトップから滑り落ちることは
ないとは思うが、大島優子が下位になったところで彼女の“おっさんキャラ”が他の
キャラに変わることはありえない。「集団力動」にサブグループや序列化という「構造
的力動」を加味することで他のメンバーと比較して際立つキャラというものは、元々
その人が持っているキャラ以上のものではありえないし、勿論ファンが彼女たちの
キャラ形成に関わりうるという事実は存在しないのであるから、この時点で斉藤の
論理は破綻していると言わざるを得ない。
AKB48の人気の一因に斎藤が挙げている楽曲の良さは私も認める。例えば、
1989年1月にシングルとしてリリースされた美空ひばりの「川の流れのように」は
秋元康の作詞である。この作品で川の流れは人生そのものにダブらせて直喩で
肯定的に捉えられている。2009年10月に再び秋元康は川をテーマに作詞した。
AKB48の「RIVER」である。「川の流れのように」とは対照的に「RIVER」では川が彼女
たちの人生の障害の隠喩として描かれることになる。いずれ秋元康の作詞の才能
は阿久悠と並び称されることになるだろうが、斎藤環がラカンと並び称されることは
ありえないし、スラヴォイ・ジジェクとさえ並び称されることは絶対にありえない。