MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

「また逢う日まで」と学生運動の本質

2019-02-25 00:56:38 | 邦楽

 遅まきながら『星をつくった男 阿久悠とその時代』(重松清著 講談社文庫 2012.9.14)を読んだのだが、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」がリリースされるまでの経緯が興味深かった。
 「また逢う日まで」は1971年3月にリリースされているが、実は前年にズー・ニー・ヴ―というグループ・サウンズバンドが「ひとりの悲しみ」というタイトルで1970年2月にリリースしているのである。
ズー・ニー・ヴーさん『ひとりの悲しみ』の歌詞
ヒトリノカナシミ
words by アクユウ
music by ツツミキョウヘイ
Performed by ズーニーブー

 阿久悠は『作詞入門』で「ひとりの悲しみ」の制作意図を語っている。孫引きしてみる。

「ぼくは、安保更改の五月をすぎたら、行き場のなくなった若者がみんな東京からいなくなってしまうだろうと思っていた。彼らの力だけで安保を阻止できるとは思えなかったから、きっと彼らは、国会議事堂の見える東京には耐えられずに、旅に出ると思った。(略)『ひとりの悲しみ』という歌は、彼らの心に痛いほどしみるであろうし、売れる売れないは別として、何かふれ合うものが生まれるのではないかという期待は持っていたのである。」(p.147)

 「ひとりの悲しみ」が売れなかったことに関して、阿久悠は戦略を見直す。

「七一年になると、七〇年という時代をくぐりぬけてきて、いわゆる優しさとか、触れあいを求める時代になった。『ラヴストーリー』という本がアメリカでものすごく売れていた。
 そこでぼくは、ひとつの新しい別れのパターンをつくってやろうと考えた。」(p.148)

 そのような経緯を経て「また逢う日まで」は大ヒットしたのである。
尾崎紀世彦さん『また逢う日まで』の歌詞
マタアウヒマデ
words by アクユウ
music by ツツミキョウヘイ
Performed by オザキキヨヒコ

 その後、学生運動の終焉を匂わせる楽曲はGARO(ガロ)が1972年6月にリリースした「学生街の喫茶店」で、
ガロさん『学生街の喫茶店』の歌詞
ガクセイガイノキッサテン
words by ヤマガミミチオ
music by スギヤマコウイチ
Performed by ガロ

 バンバンが1975年8月にリリースした「『いちご白書』をもう一度」である。
バンバンさん『「いちご白書」をもう一度』の歌詞
イチゴハクショヲモウイチド
words by アライユミ
music by アライユミ
Performed by バンバン

 結果的にどれもラブソングなのである。これが阿久悠の「また逢う日まで」で提示した「新しいパターン」の成果によるものなのかどうかは微妙なところで、実は学生運動とは女性に対する「カッコつけ」だったのではなかったのかと邪推してしまうのである。


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