MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

又吉直樹と渡部直巳

2019-01-30 00:31:43 | Weblog


(画:村田善子)

 毎日新聞の夕刊に連載されている又吉直樹の『人間』を読んでいるのだが、1月28日の115回目の文章を読んで驚いた。そこを引用してみる。お笑いコンビ「ポーズ」の影島道夫のセリフである。

「一番笑ったとなると、僕が小説を書いたときに、『こいつは文学を装っているだけだから、三年で消える』と言っていた大学の教授が、ちょうどその発言をしてから三年後に、セクハラで大学をクビになったことですかね。いや、おまえが消えるんかい!と一人で笑いながら叫びました」

 最近、セクハラで大学を辞めた教授は渡部直巳だから検索してみたら、『火花』で芥川賞を獲った又吉直樹に関して「1920年代の中の下くらいの小説」、「現代では古びて陳腐とも評される擬人法で物語を始めている。これを今、大真面目で書いているなら『私は何も知らないです』と言っているようなもの。彼の純文学への思い入れの強さが、文章からにじみ出ているだけで可能性は感じません。学生の作文にちょっと毛が生えた程度です。ここ数年、受賞作に簡単には読めない難しいものが相次いだので、今回はわかりやすい彼の作品が選ばれたのではないでしょうか」とアサ芸で評し、ゲンロンカフェにおいては「又吉は文学っぽいものを書いているにすぎないから2年で消えるね」と断言していたらしい。セクハラ問題以前に文藝評論家として的を射ていない。むしろ影島の大学教授評こそ的確なものである。

「最初、僕はおもわず笑ってしまいましたが、その行為自体は全くおもしろくないんです。しかも、生徒に対して『俺の女になれ』って言ったらしいんですよ。そんな言葉はこの世界にないんです。言葉を並べると、そういう意味にはなるんですが、作りものなんです。でも、そのじいさんは実際に使った。なぜ、そんなことになるのか。『俺の女になれ』とじいさんに言わせたのは、『俺の読み方で読め』という傲慢な態度が許され続けてきたことの蓄積なんです。それがまかり通ってきたから、本人は問題を理解できていないと思います。そのスタンスさえも不良という言葉を誤用して許そうとする連中もいるでしょ。喧嘩したことがない集団が悪ぶるとこういう事態が起こりやすい。僕が近くにいたら、この恰好つけたじいさんをしばき倒してあげたんですけどね。いてなかったからな。」

 渡部直巳に対する鋭い批評ではないだろうか?


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