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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『E.YAZAWA ROCK』 0点

2010-07-29 23:31:18 | goo映画レビュー

E.YAZAWA ROCK

2009年/日本

ネタバレ

作品の仕上げ方

総合☆☆☆☆☆ 0

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 作品の冒頭から驚かされた。穏やかな波の海岸が映し出された後、ベッドの上で眠っている矢沢永吉の顔のアップを経て、ベッドから起きだして着替えをし終わって家から出るとランニングを始めるのであるが、このようなグラビアアイドルと同じような演出を見た時、私は矢沢永吉こそが唯一の還暦を過ぎた現役のロックミュージシャンではなく、いまだにジャニーズ事務所でさえ輩出できていない唯一の還暦を過ぎた現役のアイドルであると確信した。
 若い頃の尖り方から還暦を過ぎての好好爺までのファンの期待通りのイメージのシフトの仕方は絶妙で、これはロックミュージシャンとしての才能ではなく、矢沢永吉というキャラクターのプロデューサーとしての力量の賜物である。
 キャロルというバンドに対する完全無視など、矢沢本人の監修が強すぎるようで、この作品をドキュメンタリー作品と見做すにはあまりにも出来すぎていて、残念なことに作品自体がロックしていないのだが、この作品のきれいな仕上がりこそが矢沢永吉がアイドルであるということを裏付けていると思う。金もうけが矢沢の人生のメインテーマである以上、矢沢永吉は絶対にファンは裏切らない。


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NHK会長を擁護する

2010-07-29 00:07:56 | Weblog

「みっともないぞNHK」福地会長、横審で吊るし上げ(夕刊フジ) - goo ニュース

 私は今回のNHK会長の福地茂雄の名古屋場所の生中継中止は賢明な判断で

あったと思う。今回のNHKの対応のどこが“みっともない”のかよく分からないが、

“みっともない”と言っているのは全員年寄りである。しかしNHKに受信料を払って

いるのは年寄りだけではない。歌舞伎役者の沢村田之助が「“じゃあ、あれに

代わるすごいものはございますか?”と、そこまで私は(福地会長に)聞きました。

公共事業だからこそ、やって頂きたい。(中継は)当たり前ですよ」とコメントしている

のだが、沢村田之助は探そうとする意欲を完全に喪失しているだけで相撲に代わる

すごいものなどたくさんあるし、公共事業だからこそ、ある特定の世代の趣味に

振り回されないようにしなければならないはずなのである。今はインターネットが

あるのだからネットで生中継を見ることができるように環境を整えればいいのだ。


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『特集:SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2010』 100点

2010-07-29 00:05:52 | goo映画レビュー

特集:SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2010

-年/-

ネタバレ

解せない話

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 今回の長編部門は85の国と地域から応募された648作品のうち、ノミネート審査を経た13作品が上映されたのであるが、観ることができた作品に関して簡単に記しておきたい。
 『マジックシルバー』(カタリーナ・ラウニング&ローアル・ユートハウグ監督 ノルウェー)はフィエルローサという名の青い妖精の姫が冒険を通じて子どもから大人になる過程を描いたファンタジーである。大人になるにあたって重要となることは物を獲得すると同時にその物に拘らない気持ちを持つということであり、現に人間の物品をこっそりと盗んでいた赤い妖精は物に執着したために人間に見られて消えてしまい、シルバーに拘っていた男は好意を寄せていた女性に言われてシルバーに拘る必要がないことに気づかされる。そしてフィエルローサも避けることができない父王の死を目の当たりにすることで大人になるのである。
 『やがて来たる者』(ジョルジュ・ディリッティ監督 イタリア)は弟が生まれて間もなく亡くなったことがショックで誰とも口をきかなくなった少女マルティーナが主人公である。作品の冒頭のマルティーナのボロボロの服装が徐々に洗練されていき、ラストシーンで彼女の母親が生んだばかりの男の子を両腕に抱えながら歌を口ずさんでブランコに乗っている‘盛装’のマルティーナの姿は、‘やがて来たる者(=キリスト)’を抱いているマリアのように神々しい。爆音で耳が聞こえなくなったマルティーナの父親とようやく言葉を発するようになったマルティーナを再会させるといったメロドラマが見れなかったことが残念だった。
 『不毛の丘』(ロブ・キング監督 カナダ)の主人公のスニットは2年間の少年院生活を終えて出所してきたばかりであるが、周囲の無理解により同じ境遇のジョニーと酒の密造を始める。スニットは少年院の看視官たちから電気ショックをかけられ、ジョニーは父親に暴力を振るわれていたという共通項があるのだが、結局ジョニーが人を殺めて、スニットが直前で殺人を回避できた理由はスニットには叔母のマチルダやガールフレンドのロビンや警察官のロイなど彼を理解してくれる人々がいたからであろうが、それでも電気ショックを受けた時に自分の心の中の何か(=イノセンス?)を失ったというスニットの告白を私は上手く理解できなかった。暴力を受けて大人になったというのであるならば、ジョニーにも当てはまるはずだからである。
 『透析(Judge)』(リウ・ジエ監督 中国)の主人公である裁判長ティエンの、死刑宣告をされた青年チウ・ウーに対する判断がぶれる理由は法律改正の問題や臓器提供の問題に加えて、3ヶ月前に交通事故で失った娘や自転車を盗まれたことなどの偶然なのか誰かの‘復讐’なのかよく分からない不安感が絶えずティエンに付きまとっているためであり、それらの倫理と背後にうごめくミステリーが物語を重厚にしている。
 『未来の記憶』(岸建太朗監督 日本)はかつて女性教師と生徒の鈴置コウスケ(ユウスケ)の2人が自殺してしまい失敗したフリースクールをもう一度恋人の幸と始めようとする治が過去を思い出してまた失敗してしまうという話(だと思う)。自殺したコウスケの父親である鈴置健二が、治が息子の居場所を探しに健二の家を訪れた時に息子がいつから家にいなかったのか思いだせないほどに息子対して無頓着であったにもかかわらず、急に治のフリースクールから息子を無理やり連れ出そうとする意図が不明確なために、ラストの車内での治と健二の会話が独善に陥り虚しく響いてしまう。
 『闇への一歩』(アトゥル・イナッチ監督 イラク/トルコ)はイラク北部の村が突然夜間アメリカ軍に襲われて、一人生き残った少女ジェネットが兄を頼りにキルクークへ旅立つロードムービーである。ほとんどの日本人が見たことがない、テレビでは絶対に映されることがないイラクの美しい自然や大地を見るだけでも価値があると思う。ジェネットと兄との強い絆を示すイメージを時折差し込んでいけばジェネットが遭遇する数々の困難に打ち勝つことができる説得力を作品にもたせることができたはずだと感じた。
 『テヘラン』(ナデール・T・ホマユン監督 イラン/フランス)の主人公イブラヒムは赤ん坊をレンタルして物乞いをして収入を得ていたが、その赤ん坊を持ち逃げされてしまう。冒頭の他人の赤ん坊を抱きながらテヘランで物乞いをするイブラヒムとラストで自分の本当の赤ん坊を授かってテヘランを去ろうとする矢先に刺殺されてしまうイブラヒムの‘テヘラン’との葛藤が胸を打つ。ハプニングを有効に使っている演出が素晴しく、赤ん坊が3回連続してくしゃみをするシーンは秀逸。
 『ニュースメーカーズ』(アンダシュ・バンケ監督 ロシア)の主人公で美人の警察広報官カティアは、強盗団との銃撃戦で惨敗して世間に醜態を曝してしまった警察の威信を取り戻すためにマスメディアを利用して強盗団の逮捕の瞬間を中継させて名誉を挽回しようと策略をたてる。確かに強盗団を一掃するのであるが、その記者会見に現れたカティアはカッコ良さとは程遠く、強盗団の一人と格闘したばかりで服装がボロボロで相方の刑事も顔が泥だらけのまま生中継されてしまうという皮肉が効いている。
 『センタープレイス』(ベン・シャックルフォード監督 オーストラリア)は全体的にディテールが不足しているためなのか、ラストでパリに旅立つ主人公のリジーが大人になったためにセンタープレイスを出て行くのか、‘トラブルメーカー’であるリジーを全員で体よくセンタープレイスから追い出したのかはっきりしなかった。
 『鉄屑と海と子どもたち』(ラルストン・G・ホベル監督 フィリピン)は話自体は悪くはないのであるが、終始ハンディカメラによるドキュメンタリー的な作風で構図が練られていないため、ドラマチックさに欠けて、私の前の席で座って見ていた子どもたちは途中で帰ってしまった。
 『東京うんこ』(松村英治監督 日本)は主人公の希梨子が、漫画家になろうとして道具を一式揃えたもののすぐに厭きて描くことを止めてしまった恋人の俊太郎の道具を使って描いた「うんこ」の話が本人の予想を超えて売れてしまうという話である。希梨子は兵庫県出身という設定であるために関西人であるならば「うんこ」ではなくて「ばば」と言うのではないかと思い、監督にも直接訊いたのであるが、納得できる答えを得ることはできなかった。これは事実が正確か間違っているかの問題ではなく、「ばば」とするならば「婆」という女性の成熟さも表現できるという極めて詩的な問題だからである。
 (短編作品は、字数オーバーなためレビューは省略する。)
 最優秀作品賞 『やがて来たる者』 ジョルジョ・ディリッティ監督
 監督賞 リウ・ジエ監督 『透析』
 脚本賞 ラルストン・G・ホベル、ヘンリー・C・ブルゴス 『鉄屑と海と子どもたち』(ラルストン・G・ホベル監督)
 審査員特別賞 『テヘラン』 ナデール・T・ホマユン監督
 SKIPシティアワード 完山京洪監督 『seesaw』
 残念ながら『seesaw』は見逃してしまったが、他の受賞作品は順当だと思う。
 要するにこれだけ良質の作品が揃っているのに空席が目立つことが解せないのである。


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