日韓併合百年で「おわび」検討 政府、韓国国民に(共同通信) - goo ニュース
毎日新聞2010年7月13日夕刊の伊藤之雄京都大学教授の論考「伊藤博文と
韓国併合」を引用してみる。「伊藤(博文)は、帝国主義の時代の列強の国際ルール
に制約された韓国統治を行った。そのルールとは、自国を防衛する力がない国は
侵略されても仕方がないというものである。伊藤は、日露戦争が起きた一因は韓国
が不安定だったからだと確信し、韓国は独力では独立を維持するのが困難だと
判断した。そこで日露戦争直後の1905年、韓国に統監として赴任、日本の強い
指導と援助の下で韓国の近代化を達成し、日本の安全保障と韓国の独立を保持
しようとした。それに対し、韓国皇帝高宗(コジュン)はオランダのバーグで開かれた
国際平和会議に密使を送り、07年6月に日本の行為が不当だと訴えたが、どの
列強も相手にしなかった。伊藤博文は韓国併合に反対であり、韓国国民に帝国
主義の時代の厳しさを知らしめ、その自発的な協力を得て韓国を近代化させようと
した。しかし彼の統治は韓国国民の支持を得られず、09年4月には併合に賛成
せざるを得ないと決意するに至った。しかし併合後も、朝鮮に朝鮮人の『責任内閣』
と植民地議会を置く形で、ある程度の『自治権』を与え、朝鮮の人々と対話を
続けていくことが大事だと考えていた。また、『武装の平和』である帝国主義の時代
を、批判的に見る観点も持つようになった。伊藤が暗殺されたため、併合の時期は
早まり、朝鮮は山県有朋系の軍人総督の下で、軍人と官僚によって支配される
という、伊藤の意図とは異なった形の併合となった。」
これだけ朝鮮半島のことを考えた日本の政治家は今に至るまで伊藤博文ただ一人
ではないだろうか? しかし伊藤は韓国の独立運動家の安重根に暗殺された上に
その後の日本の失政の元凶のような扱いである。日本政府が韓国に植民地支配
へのおわびの意を示すのならば、同時に伊藤博文の名誉回復も必要であろう。