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「昭和の名将と愚将」半藤一利・保阪正康

2023年05月01日 06時57分09秒 | 読書(昭和史/平成史)


「昭和の名将と愚将」半藤一利・保阪正康

これは再読。
レベルの高い対談だったので、読み返したくなった。
やはり良かった。

P18
半藤:日本人は今でこそ最後の一兵まで戦い、絶対に降伏しないと思われているが、本来はそんなことはなく、戦国時代では誰も玉砕せずに主将が腹を切るとすぐ城を明け渡している。だから、日本人はメンツが大切なのであって、それさえ留意すれば降伏するはずだ、と言う認識がアメリカ側にはあったんですよ。だから、特攻とか玉砕というのは、日本の文化にはないわけで、どこかで日本人は変調をきたしたに違いない。

P20
保阪:松岡洋右は国際連盟を脱退して帰国したときに横浜で大歓迎を受けています。
半藤:国連脱退は言ってしまえば新聞が推進した。

P18
半藤:薩長は攘夷を決行しようとして、薩英戦争や下関戦争で、列強にコテンパンに負けます。このままではダメだから、文明を取り入れて、富国強兵をしてから改めて攘夷をしようと方針転換をするんです。これは西郷隆盛も言っています。そして明治維新以降も、攘夷の精神は死んでいない。
(中略)
だから、昭和の初めあたりから、列強入りした日本に欧米から圧力がかかると、実際にはたいした外圧ではなくて日本が自ら招いたものにもかかわらず、すぐに過剰反応している。

P52
半藤:小畑敏四郎は軍令畑で「作戦の鬼」と呼ばれた人だから、とにかく対ソ戦略を進めようとするのに対して、永田鉄山は、国力の増強を第一に考えて、満洲、ついで中国の権益を抑えて、対ソ戦はそれからだという意見。だから、最後には大喧嘩になってしまう。
保阪:この違いが後に、小畑は皇道派、永田は統制派と分かれていくんですね。
半藤:2.26事件で討伐されて皇道派が力を失うと、統制派が力を持ち始めて「中国一撃論」を主張し始める。これは石原の意見と対立してくる。それで杉山元が天皇に「1ヶ月で片付きます」といって日中戦争に突入するんですが、永田が生きていたら、果たして日中戦争まで入っていったのか・・・・・・。(中略)
東條は、その後、永田の後継者という看板を背負って登場してきますが、思想まで継承しようとしたとは到底思えませんね。その意味では永田を利用したとも言えます。

P62
半藤:米内(光政)、山本(五十六)、井上(茂美)というのは会社組織にたとえるなら、米内がのんびり社長、山本が歯に衣を着せぬ専務、井上が厳格な経理部長といったところですよ。(2.26事件当夜、米内は、築地の芸者のところにいて、横須賀鎮守府指令府にいなかった。カミソリと言われた井上が万事心得ていたので、米内がいるかのように振る舞って事なきを得た・・・P61)

P71
半藤:私は太平洋戦争は薩長が始めて、賊軍が終わらせたという持論なんです。(米内光政=盛岡藩、井上成美=仙台藩、鈴木貫太郎=関宿藩、山本五十六=長岡藩)

P94
半藤:勇士の勇敢敢闘は作戦のまずさを補うことはできない。作戦がいくら巧緻でも大本営の戦略の失敗を補うことは誰もできないんです。

P108
半藤:開戦前に軍令部が、山本(五十六)の下につける参謀長を宇垣纏にしようとした際に、山本が「宇垣は日独伊三国同盟に賛成した」という理由で大反対をして、かわりに伊藤(整一)が参謀長になったという経緯がある。四ヶ月後、今度は永野(修身)が伊藤を軍令部次長にほしがったときには、さすがに山本も反対できなかった。二度目ですからね。それで仕方なく伊藤の軍令部次長就任を承認したんです。しかし、その伊藤の後任の参謀長として来たのがけっきょく宇垣纏(笑)。だから、開戦直前になって司令長官と参謀長は口もきかないほどの間柄という妙な人事構成になった。

P111
半藤:彼(伊藤整一)が名将と呼べるのはやはり「大和」での出処進退が見事だったという点につきる。若い人を助けて、自分だけ死んだことによってすべてチャラになってしまった。
保阪:軍人は、死ぬことで責任を取れるんですね。

P113
保阪:しかし、伊藤も「大和」の出撃には当初「無謀ではないか」と反対しますよね。
半藤:ええ。命令する草鹿(龍之介)のほうも承服しかねているから、なかなか説得できない。それで最後に草鹿が、有名な「一億総特攻の魁となっていただきたい」という台詞を言うと、「わかった。作戦の成否はどうでもいいということなんだな」と伊藤は実に穏やかな顔をして承服したそうです。

P134
半藤:牟田口(廉也)さんが撤退させなかったのは、たぶん勲章が欲しかったからだと思いますよ。なにせ「牟田口閣下の好きなもの、1に勲章、2にメーマ、3に新聞記者」と陰口を叩かれていたそうです。メーマとはビルマ語で女性に意味です。ビルマ女性が大好きだった。3番目は、新聞記者に大口を叩くのが好きだという意味です。
保阪:インパール作戦に従軍した京都の部隊の兵士たちに話を聞いたことがあるんですが、牟田口の名前が出た途端、激高する人もいましたね。仲間が「水、水」とうわごとを言いながらバタバタと死んでいったというような悲惨な話を数珠を握り締めながら語るんですが、その人は「牟田口が畳の上で死ぬのだけは許せない」と言ってました。
半藤:インパール作戦は、どのくらい亡くなったんでしょうかね。
保阪:8万人行って、7万人近くの兵士が死んだという話もあるそうです。とにかく白骨街道といわれるほど相当な数の人が死んでますよね。

「生きて虜囚の辱めを受けず…」が有名な「戦陣訓」について
P158
軍人勅諭があるのに、また「戦陣訓」なんて、屋上屋を重ねるようなことをしたのは、東條の周りにいた師団長クラスの連中が、ゴマすりのために作らせたという側面があるように思う。
(中略)
石原莞爾なんかは部下に読むなと言っていたそうですからね。

P170
半藤:山本が死んだとき、新橋の芸者さんで恋人だった河合千代子さんという人がいるんですが、この人が山本五十六が書いたラブレターを持っていたんです。(中略)これらがまことに人間味があって面白いんですよ。千代子と一緒に出かけたことのある安芸の宮島から、山本が手紙を書いているんですが、「鹿がクウクウといっとったからウンヨシヨシと言ってやりました」とか何とか(笑)。

ノモンハン事件
P177
保阪:この要綱を実際に起案したのがほかでもない、関東軍司令部作戦課の辻政信ですよ。それを作戦主任の服部卓四郎が承認した。そして、このとき大本営の参謀本部作戦課長はというと、稲田正純でしたね。
半藤:ええそうです。司馬遼太郎さんが後年ノモンハン事件を書こうとしたとき、たしか昭和50年ごろでしたか、稲田正純の話を聞きたいというので私と一緒に会いに行ったことがあるんですよ。(中略)「こんなやつが作戦課長だったのかと心底あきれた」という司馬さんの言葉を覚えていますよ。

シンガポール華僑虐殺事件
P188
半藤:日本軍ではその数6千人、華僑側では4万人と言っています。(中略)
保阪:あれは、抗日分子が後方攪乱を行って占領ができなくなるのを阻止するという理屈、ただ一点で行われた蛮行でした。この粛清計画を立案したのが辻政信その人。

インパール作戦
P198
半藤:この作戦には不人気となっていった東條英機内閣への全国民の信頼を再燃させるために、という政治的な意図があった。そして川辺と牟田口は盧溝橋事件のときの旅団長と連隊長でした。ビルマでこの愚将コンビがふたたび出会って最悪の大作戦を推進したのです。
(中略)
保阪:牟田口は前線から離れた「ビルマの軽井沢」と呼ばれた地域で栄華を極めた生活をしているといううわさは矢のように前線の兵士に伝わってきたようですし、実際に牟田口はそこからひたすら「前進あるのみ」と命令をだしていた。


P194
しかし結局服部(卓四郎)は戦後、再軍備の最高の旗振り役になりましたね。「服部機関」が中心になって、再軍備の路線を突っ走っていった。

P247
保阪:これは学徒でいった整備兵の人から聞いた話ですが、知覧でも、搭乗前に失禁したり失神したりする特攻隊員がいたというのです。それを抱え込んで無理やり乗せたというですね。その人も怖気づいた兵隊を抱え込んで飛行機に乗せたことがあり、そのことがいまでも心の傷として残っていて消えない、と言っておられました。ご存じの通り、特攻隊員の遺書は悲惨そのものですよ。「こんな作戦をする国が勝つわけがない。けれどいかざるを得ない」とか・・・・・・。

P252
保阪:僕は「特攻」というのは文化に対する挑戦だと思っています。あの時代の指導者の、文化に対する無礼きわまりない挑戦だったと。
半藤:「特攻」に対する考察がし尽くされぬままなら、日本は軍隊なんかつくっちゃいかんと思いますよ。

【参考図書】


「昭和史裁判」半藤一利/加藤陽子

 
「昭和史 1926-1945」半藤一利
「昭和史 戦後篇」半藤一利

【ネット上の紹介】
責任感、リーダーシップ、戦略の有無、知性、人望…昭和の代表的軍人二十二人を俎上に載せて、敗軍の将たちの人物にあえて評価を下す。リーダーたるには何が必要なのか。
名将篇(栗林忠道
石原莞爾と永田鉄山
米内光政と山口多聞
山下奉文と武藤章
伊藤整一と小沢治三郎
宮崎繁三郎と小野寺信
今村均と山本五十六)
愚将篇(服部卓四郎と辻政信
牟田口廉也と瀬島龍三
石川信吾と岡敬純
特攻隊の責任者―大西瀧治郎・冨永恭次・菅原道大)

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