【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「昭和史 戦後篇」半藤一利

2015年02月03日 21時41分29秒 | 読書(昭和史/平成史)


「昭和史 戦後篇」半藤一利

先日の『戦前編』に続き、『戦後編』も読んだ。
臨場感ある生き生きとした描写で、読んでいて面白い。
いくつか、文章を紹介する。

敗戦後の変わり身の早さについて
P19
今日まで「一億玉砕」「戦士であるおまえたちがそんなだらしないことでどうする」と横ビンタ張っていた人たちが、次の日から「これからはアメリカだ」「民主主義だ」なんて言い出すんですから、その変わり身の早さにも驚かざるを得ません。

特殊慰安施設協会・RAAの売春婦募集について
P20
特殊慰安施設協会(RAA)がつくられ、すぐ「慰安婦募集」です。いいですか、終戦の3日後ですよ。
「営業に必要なる婦女子は、芸妓・公私娼妓・女給・酌婦・常習密売淫犯らを優先的に之を充足するものとす」
そういうプロの人たちを中心に集めたいということです。内務省の橋下政美警保局長が18日、各府県の長官(当時は県知事を長官と言いました)に、占領軍のためのサービスガールを集めたいと指示を与え、その命を受けた警察署長は八方手を尽くして、「国家のために売春を斡旋してくれ」と頼み回ったというんです。およそ売春を取り締まらなきゃいけない立場の警察が「売春をやってくれ」と頼み回ったなど日本ではじめてのケースだと思います。
(中略)
「池田さんの『いくら必要か』という質問に野本さんが『一億円ぐらい』と答えると、池田さんは『一億円で純潔が守れるなら安い』といわれた」これはあくまで「良家の子女」の純潔です。ちなみに池田さんというのは、当時の大蔵省主税局長でのちの首相、池田勇人です。

P41
天皇とマッカーサー元帥の会話(皇太子(現天皇)の家庭教師を務めたバイニング夫人日記より)
元帥「戦争責任をおとりになるか」
天皇「その質問に答える前に、私のほうから話をしたい」
元帥「どうぞ。お話なさい」
天皇「あなたが私をどのようにしようともかまわない。私はそれを受け入れる。私を絞首刑にしてもかまわない」
これは原文では、You may hang me.となっています。

11月28日の臨時議会での陸相・下村定大将の謝罪演説
進歩党・斉藤隆夫さんが「日本をこのような事態に導いたことについて陸軍および海軍大臣に所見をうかがいたい」と問う。
「(前略)今回のごとき悲痛な状態を、国家にもたらしましたことは、何とも申しわけありませぬ」
つまり、陸軍が悪かったとはっきり言ったわけで、それまで野次がとんでいた議場もこのへんからしーんとなりまして、なかには「もうわかった、やめろよ」といった言葉さえ聞かれたといいます。下村さんはそれでも続けました。
「私は陸軍の最後にあたりまして、議会を通じてこの点につき、全国民諸君に衷心からお詫びを申し上げます。陸軍を解体いたします(後略)」

P71
一方マスコミ・新聞はどうだったのか?・・・作家の高見順さんが次のように怒っている
「新聞は、今までの新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない。詫びる一片の記事も掲げない。手の裏を返すような記事をのせながら、態度は依然として訓戒的である。(後略)」

P199
GHQ案・新憲法について、国会でのやりとり
リベラル派だとか社会党には「GHQ案で日本の国はよくなる」と喜ぶ人もいました。面白いのは、共産党がなぜか「軍隊を持たない」「戦争放棄」の条項に猛反対をしたんです。これでは国民の権利である自衛戦争も認められないではないか、と。今の共産党とはずいぶん違いますね。
(これは意外で、驚いた・・・共産党は戦中戦後、一貫した態度をとっている、と思っていたが、そうではなかったbyたきやん・・・以下、カッコ内は私のコメント&注釈)

P245
ちなみにBC級戦犯について申しますと、5702人が告訴され、裁判ののち984人に死刑が執行されました。これは法廷ではなく国別で裁いたもので、イギリスとオランダが一番多いことから、その憎しみの強さがうかがわれます。そして死刑になったすべての人が、靖国神社に祀られました。
(フランス人作家・ピエール・ブールは、「戦場にかける橋」の著者である。戦時中、日本人の捕虜になっている。さらに、この作家は、「猿の惑星」も著している。故に、猿の惑星の「サル」とは「日本人」のこと、と言われている)

P245
東京裁判の意味
日本人の現代史を裁くため、裏返せば、連合国のやってきたことが正義だったと再確認するためだ、と。
かつて植民地をさんざんつくってきた帝国主義は19世紀の話であって、それを20世紀においてやった日本の考え方は侵略的性格をもつ間違った戦争観であった、と。
自国民を納得させるための一種の復習の儀式
何も知らされていなかった日本国民に事実を教え、侵略的軍閥の罪状を明らかにし、啓蒙すること。
(これを読んでいて思いだすのが、香港返還の際のイギリスのコメント、である。一片の謝罪もなく、「さすが大英帝国」、と私は感じた)

P286
希代の強姦間・小平義雄の死刑について
買い出しなどに出ていた女性をだまして物を奪い、数十人を強姦し、しかも7人を殺した挙句、捕まってこう言ったそうです。「中国従軍の時に覚えたあの味が忘れられなかった」。
(小平義雄は特殊な例と思いたいが、戦争の狂気を引き摺りつづけた人は他にもいた、と思う。この当時PTSDという言葉はなかった)

P346
天皇の退位について
天皇陛下はご自分で「退位」について発言されたことが大きく言って3度あります。
①終戦直後の8月29日
②東京裁判の判決が出た時
③講和会議の調印後、国家が独立した時

P350
昭和26年9月8日サンフランシスコ講和条約が締結され、日本は占領が終わり、国家主権を取り戻して独立国となることが世界的に認められました。
吉田茂首相の演説
「外交の権力をもっていない国は亡びるともいいますが、この条約によって国際社会に戻ることになった日本は、真に外交能力をもつ国になりたい」
(それから60年以上経つが、どうなんだろう?)

昭和20年代と30年代について
P477
ではその時、なくなったのは何か。戦前から昭和20年代までの日常生活品です。ちゃぶ台、たらい、火鉢、アンカ、柱時計、蚊帳、蠅たたき、家の外に置いてあったゴミ箱、そして縁側(後略)。

戦後、歴代首相の命題
P500
吉田茂、再軍備せず、講和条約を結ぶ
鳩山、ソ連との国交回復
石橋、病で倒れ特になし
岸信介、安保条約の改定
池田、高度経済成長の実現
佐藤、沖縄問題の解決

P528
1970年万国博覧会
「月の石」に人気が殺到して、長蛇の列になった。
「人類の進歩と調和」をテーマにした万博を、これぞ「人類の辛抱と長蛇」の結果であった、なんて冷やかす人もいたわけです。
(私も万博に2回行った・・・家から1度、学校から1度、計2回、である。近い割にあまり行かなかった・・・当時から混雑を嫌っていた事が分かる)

簡単に紹介したが、とてもおもしろかった。
これはお薦め、です。

【参考リンク】
「昭和史 1926-1945」半藤一利

【おまけ】(1)
マッカーサーが解任された時、皆が驚いたという。
上村一夫さんの名作「サチコの幸」は昭和25-26年頃を描いている。
第二巻P172-173に次のように書かれている。

何しろ、マッカーサーといえば・・・
「マッカーサーとかけて何ととく?」
「“へそ”ととく・・・・・・」
「そのココロは?」
「“チン”の上にある・・・・・・」と
いうぐらいエライ人だと思っていたのが 
いとも簡単にクビになってしまったのですから・・・・・・ 


(当時の世相として、このように膾炙してたのでしょうか?)
(これが戦中なら、『不敬罪』で逮捕でしょうね・・・『世の中180度回転』の典型例と言える)

【おまけ】(2)
昭和天皇の口癖は、「あ、そう」であるが、米国人には、挑発的な侮蔑語“asshole"と聞こえたようだ。
また、昭和天皇と関係ないが、日本人の発音で“I love you”と言うと、“I rub you" と聞こえる。
私も、知らずに、この種の誤りをしているかもしれない。 

【ネット上の紹介】
授業形式の語り下ろしで「わかりやすい通史」として絶賛を博した「昭和史」シリーズ完結篇。焼け跡からの復興、講和条約、高度経済成長、そしてバブル崩壊の予兆を詳細にたどる。世界的な金融危機で先の見えない混沌のなか、現代日本のルーツを知り、世界の中の日本の役割、そして明日を考えるために。毎日出版文化賞特別賞受賞。講演録「昭和天皇・マッカーサー会談秘話」を増補。

[目次]
天皇・マッカーサー会談にはじまる戦後―敗戦と「一億総懺悔」
無策の政府に突きつけられる苛烈な占領政策―GHQによる軍国主義の解体
飢餓で“精神”を喪失した日本人―政党、ジャーナリズムの復活
憲法改正問題をめぐって右往左往―「松本委員会」の模索
人間宣言、公職追放そして戦争放棄―共産党人気、平和憲法の萌芽
「自分は象徴でいい」と第二の聖断―GHQ憲法草案を受け入れる
「東京裁判」の判決が下りるまで―冷戦のなか、徹底的に裁かれた現代日本史
恐るべきGHQの急旋回で…―改革より復興、ドッジ・ラインの功罪
朝鮮戦争は“神風”であったか―吹き荒れるレッド・パージと「特需」の嵐
新しい独立国日本への船出―講和条約への模索
混迷する世相・さまざまな事件―基地問題、核問題への抵抗
いわゆる「五五年体制」ができた日―吉田ドクトリンから保守合同へ
「もはや戦後ではない」―改憲・再軍備の強硬路線へ
六〇年安保闘争のあとにきたもの―ミッチーブーム、そして政治闘争の終幕
嵐のごとき高度経済成長―オリンピックと新幹線
昭和元禄の“ツケ”―団塊パワーの噴出と三島事件
日本はこれからどうなるのか―戦後史の教訓
昭和天皇・マッカーサー会談秘話

この記事についてブログを書く
« 「空也上人がいた」山田太一... | トップ | 「健康で文化的な最低限度の... »

読書(昭和史/平成史)」カテゴリの最新記事