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【ぼちぼちクライミング&読書】

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「ひとりではじめたアフリカボランティア」栗山さやか

2015年05月13日 21時41分23秒 | 読書(海外事情)


「渋谷ギャル店員ひとりではじめたアフリカボランティア」栗山さやか

当てのない旅に出て、地の果てに流れ着き、現地の人を助けながら生活する。
それが、この本の著者、である。

2006年、25歳で日本を出発。
アジア、アラブ諸国、ヨーロッパと60ヶ国を巡り、アフリカに到着。
エチオピアの医療施設でボランティア活動をしたことが運命を変えてしまう。
もっとアフリカについて知りたい、と。
アフリカでも貧しく危険度が高いモザンビーク。
北部の小さな町に住みつき、1人でNPOを立ち上げ、2015年の現在も活動中。

P150
隣国のスワジランドにある宿のポスターには、モザンビークに行く時の注意点として、「マラリア・地雷・警察官」と書かれていました。

P210
昔、想像していた自分の未来図――、日本で就職して、日本で生活していくという将来とは違う生き方を今は選んでしまっていますが、どこであってもまだ生きていて、いつもの夜が来て、いつもの朝が来ることをとても幸せに感じます。

「なんにもないけどやってみた」とダブる箇所もあるが
こちらの方が、最初から現在までの経緯が説明されている。
全体の流れが分かりやすく書かれている。
未読の方は、こちらから読んだ方がいいかもしれない。
表紙写真を見て、軽いノリの印象を持たれるかもしれない。
とんでもない。著者は妙に「死」と親和性がある。
多くの方の死が描かれるが、行間にレクイエムを感じた。

【総括】
世の大多数と異なる原理で行動されている。
世間の人は、楽をしたい、ご馳走を食べたい、幸せで平穏な人生を送りたい、と。
誰が艱難辛苦の人生を望むだろうか?
だから、圧倒される。
ひたすら頭が下がる。
一度読んでみて。

【参考リンク】
2011年12月7日、「なんにもないけどやってみた」を紹介した。
エチオピア医療施設でのボランティア活動を中心に書かれている。
「なんにもないけどやってみた」栗山さやか


【ネット上の紹介】バックパッカーとして、約六十か国を旅してたどりついたアフリカ・モザンビーク。毎日のように、たくさんの人たちが貧しさや病気で苦しみ、死んでいく現実を目の当たりにした彼女は、女性や子どもを支援する協会「アシャンテママ」をたったひとりで設立した。目の前で苦しむ友達を助けたいという一心で、ひたむきにとりくむ彼女の姿は、現地の人たちの心を動かしていく―。
[目次]
第1章 日本を出たきっかけ
第2章 世界を旅する
第3章 エチオピアでの医療ボランティア
第4章 未知の世界アフリカ
第5章 モザンビーク共和国の現状
第6章 アシャンテママ 


「転がる香港に苔は生えない」星野博美

2015年03月09日 21時04分30秒 | 読書(海外事情)


「転がる香港に苔は生えない」星野博美

大宅壮一賞受賞作品。
返還前後(1997~1998年)の香港を描いたノンフィクション。
その昔、読もう思ったことがあるが、600頁の厚さに読む前に挫折した。
今回は違う。
星野博美作品は面白い、ということを知っている。
600頁の厚さが嬉しくてしかたない。
読む前からわくわくした。
いくつか文章を紹介する。

P130
「炒(ちゃう)」という言葉がある。チャーハンの「チャー」、文字通り「炒める」ことだが、何かの値段がどんどんつり上がっていくこと、あるいは故意につり上げていくことを広東語では「炒」という。炒の対象として代表的なものは股票(かぶ)」そして楼(まんしょん)。フライパンで炒めれば中のものはどんどん熱くなるが、やりすぎれば必ずこげる。

P232
(前略)97年2月19日、小平が死去した。私はそれを学校へ向かう地下鉄の中で知り、とりあえず身近にいる香港人、つまり学校の先生たちに感想を尋ねた。
一時間目の先生はノーコメントだった。(中略)
二時間目の先生はもう少し柔軟だった。
「驚きました。もう少しで返還なのに、それを見ることができずにかわいそうだと思いました」
三時間目の先生は正直だった。
「心の準備はできていたから驚きませんでした。同時に、やっと本当の情報が出たなと思いました。安心している人はたくさんいると思います」
私はその真意を尋ねた。小平の死去に「安心する」とはどういう意味か。
(この続きは、実際読んでみて)

私事であるが、1997年2月20日、私は香港にいた。タイで登った後(タイ訪問2回目)、プーケット島の空港からドラゴン航空に乗って香港にやってきのだ(当時クラビ空港はない)摩天楼をかすめるように、深夜香港に到着した。その飛行機に乗る際、『號外』が配られた・・・「小平逝世」、と)

【注釈】現在、『啓徳(かいたく)空港』はない・・・ランタオ島へ移転。(香港へ行く価値が半減した、と言ったら言い過ぎだろうか?)

これがドラゴン航空に乗る時に手渡された號外、『小平逝世』・・・ずっと保存している

なぜ香港に立ち寄ったかと言うと、私も返還前の香港を見たかったから。
(もちろん、ハイキングが最大目的だけど)
もしかしたら、著者と私は、香港の街角ですれ違ったかも知れない。そんなことを想像すると楽しい。

P244かつての同級生・維真(わいちゃん)の言葉
新移民(さんいーまん)――大陸から香港に移民してきた人たちをこう呼ぶ。彼らの存在が今、香港の大きな社会問題になっている。(中略)
おかしいな、って思った。だって香港はもともと大陸からの移民の寄せ集めでしょ?

P275
阿強、議論して相手を負かすことで、あなたは自分を守ろうとしているだけだ。
あなたが自分の現状を私にぶつけるのはかまわない。でも何の関係もないお店の人たちを見下すのだけは許せなかった。
(私が、この著者に信を置くのは、こういうところだ。

P465
大陸の高級官僚の言葉
『香港の人は何かと汚職汚職っていいますが、慣れていないから怖いだけですよ。なにすぐ慣れますよ』

P535
日本人の妻をもつ香港人・阿波の言葉
香港人は経済活動が自由だったから、自分たちは自由を知っている人間だと思っている。でも経済の自由と政治の自由の違いが全然わかっていないんだ。

P621
今我々に必要なのは、誇りではなく、多様性だと私は思う。単一の方が楽だから、楽な方法へ向かおうとしているだけだ。多様な文化と接してこそ、自分たちの誇りは意味を持つ。単一性の中だけで誇りを持つのは、狂信である。私たちは本当に、深く眠っている場合ではない。苔など生やしている場合ではない。

【おまけ】
小平は客家(ハッカ)である。客家を含む華僑はユダヤ人、アルメニア人、印僑と共に四大移民集団の一つと言われる。(ウィキペディアより)小平氏について知りたい方は、寒山碧氏の「小平伝」が読みやすく面白い。(現在絶版中)

【おまけ】2
1997年当時、香港でハイキングをしようと思ったら「香港低山散歩」しかなかった。(現在絶版中)今なら、「香港アルプス」が全頁カラーで便利。


【参考リンク】
「戸越銀座でつかまえて」星野博美
「迷子の自由」星野博美
「華南体感 星野博美写真集」
「謝々!チャイニーズ」星野博美
「愚か者、中国をゆく」星野博美
「島へ免許を取りに行く」

【ネット上の紹介】
1997年7月1日、香港返還。その日を自分の目で、肌で感じたくて、私はこの街にやってきた。故郷に妻子を残した密航者、夢破れてカナダから戻ってきたエリート。それでも人々は転がり続ける。「ここは最低だ。でも俺にはここが似合ってる」。ゆるぎない視線で香港を見据えた2年間の記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

[目次]

第1章 香港再訪
第2章 深水〓
第3章 返還前夜
第4章 返還
第5章 逆転
第6章 それぞれの明日
第7章 香港の卒業試験